第三章 2
澱むように濁る光景、キーを叩く、照度を限界まで落したモニターの時間を目にしながら、あふれでる思いで薄紫に縁取られた原稿用紙を埋めていく、だれもみたことのない、スペースを押し、文字を変換する。誰も見たことのないみらいでとりたちはしゅくふくのうたをかなでてくれるだろうか、焦りを押さえつけ変換する。誰も見たことのない未来で鳥達は祝福の歌を奏でてくれるだろうか。詩のような文を打ち込んでは、言葉が輝きを放つまで磨き、物語に変容させる。
音がした、鍵がねじられ扉が開く、文章を保存してPCのシステムを終了。
「ねえ」
部屋に上がるなり箱をあけ、切りだした。
テーブルの上の白い箱にはショートケーキが六個詰まっている。
だれた生クリームに浮かんだ苺を口に放り込み、齧る。
「悪くなったから買ったんだろ」
「ちゃんと見て」
あきらかに怒った顔をした。どんな時でも素直なきもちをぶつけてくる。
支え切れない思い、這い上がろうとする歓喜をおさえる、現実とも妄想ともわけられない姿が微笑む。
「きまった。ケーキ屋さん、幸せのケーキ屋さんだよ。一生懸命はたらくからね」
「よかったね」
「うん。ゆいとも託児所での仕事、一生懸命がんばってね」
「どうなの」
追い込むような声に、やさしいときがきえる。ひかりを背にしたミカが不安を口にした。
「大丈夫だよ」
なんどもミカとサキにいった、図書館に通いつめ精神病の本を読みあさった、いつだってだれかのために生きてきた、頭の痛みに耐えながら魔法の本をめくった。刷り込ませようとする端からけされていく記憶を石板に刻みつけるように繰り返し、あれほどだれかのために尽くしたのに……。
ミカが微笑んだ。微笑みの意味にきづいていた、ちがう、ぼくのためにやった。
「ごめんよ、ミカ。ぼくはきえるわけにはいかない」
均衡を見つめた意識が浮んでいたまぼろしをけした。
「苺が悪くなりかけてた」
「ちゃんと見てなかったじゃない、ほんとは悪くなってると思ってないじゃない、なりかけていたんじゃなくて悪くなってるの、だから買ってくるの」
なんどもしった事実を必死でつづける。
「スポンジに挟まれた苺だって作られてから四日たってるの、工場からパレットに入れてトラックが運んできた時から生クリームの上の苺はすこし傷んでたの」
ことばが終わるころにはわずかにきもちがやわらいで、からまっていた感情がとけていた。
「わかった。傷んでた。いつまで、廃棄されたケーキを食べないといけない」
いらついたきもちが言葉をゆがませた。
目つきが変った。
癖になっている溜め息がでた。
「溜め息つかないで、なんどいえばわかるの。男らしくないんだよ、なんでいまさらそんなこというの、ケーキ買っていいっていったよね、悪かったって謝ったのは、あれはウソか」
冷え切った声の羅列、荒げた感情に、繰り返してきたあやまちの正当性を振りかざす。
「仕方ないだろ、買っていいといわなければでて行けといわれ、雨だろうが荷物を外にだすんだから、すべてがおもい通りにならなければきがすまないんだから」
「ちがう、なんど同じことをいわせるの、わたしはただしいことをしたいの」
「廃棄されるケーキを買うことがただしいことなのか、そんな所辞めればいいといっても辞めたくない、店が決めたことに従えといえば、四日売りはしたくない、廃棄ケーキは買い取る。働いているのにどれだけの金が残る、あとなんど泣きながらケーキを食べればいいんだ。捨てられるはずのケーキをどうして買わないといけない、他のバイトもそんなことしてるか、だれもそんなことしない。四日売りなんてどこでもやってることだ、おれがいたケーキ屋だって同じことしてる」
「みんながまちがってるから自分もまちがったことするなんてできない、わたしにまちがったことしろというならもういいから出てって、二度ともどってこないで」
寄り添おうとするこころがいらだち、うるさいぐらいに反響した。身に受ける痛み、疲れたこころがさまよい出口をもとめる。
「いつもおれが犠牲にならないといけないのか、ただしいことしてない、ただ自分の我を押し通すだけだ」
「出て行け、顔も見たくない。なんど、わたしに土下座してあやまった、あれはウソか、蹴られた足がいまでも痛い、つけられた傷は一生消えないんだ。わたしが馬鹿だった、しんじていつもいつも裏切られてはゆるして、いつかきっとわかってくれるとしんじて、しんじたわたしが馬鹿だった。どこに行ったって同じ、いい所なんてどこにもない、もしかしたらあるのかもしれないけど、わたしには神様があたえてくれない。あなただって同じじゃないなんど仕事を辞めればきがすむの、あなたが辛いと仕事を辞める度、あなた以上に苦しいおもいをして仕事をしてきた。すぐ逃げ出すあなたになにもいわれることなんてない。なにかんちがいしてんの、わたしから追い出されたら行く当てもないくせに。一度でも約束を守り通したことがあるか、ゲス野郎」
こころを刺す嫌気がする言葉に嫌悪が走る。不安さえ感じなくなっていく。
「お前は頭がおかしい、いままで耐えてきたけど、やっぱり無理だ」
「お前呼ばわりされるような生き方はしてない、二人で生きていこうとするわたしを壊すあんたにそんな資格ない。黙って出て行け、荷物は外に出しとくから、あ、まって、鍵返して、赤の他人がかってに部屋に入られるの嫌だから、鍵返してくれたら外でのたれ死んでいいから、あんたなんてどうせどっかでのたれ死ぬから」
純真なこころを腐らせた可愛げの欠片もない顔が鼻で笑って、手のひらを伸ばした。
「鍵返して。返さないんだったら小説消すから。どうせあんたが書いた物なんてなんの価値もない塵だから」
ひかりのとどかないやみのそこで、感情がしずかにふるえていく。
「なに、その目は、ヤルの、ころすの、ヤルんだったらさっさとやれ、終りまでころすまでやれ、一度やったらなんどやっても同じこと、ころせ、早くころせ、さあやれよ、こうやって蹴ってきたんだ」
腹に鈍い痛みが走る。
「もう止めて、別れるから、きれいに別れて」
「ふざけるな、ころすっていったろ、ころせよ、死ぬまで、ころすまでやれよ、自分だけ楽になろうとすんなよ、殴られたら手が出るんだろ、首を絞めろよ、こうやってお前はなんども首を絞めてきたんだ」
茹だるように体がふるえる、意識がぶれていく。
「もうやめてくれ、たのむから、お願いだから」
裂けそうになる意識に、首を絞め、罵倒し唾を吐きかける。体がぶれる、這い上がった灼熱が理性を焦がし、泣きわめく姿がいろをうしなう、髪をつかみ引きずり倒す、叫びが部屋に飛び散る。
顔がわらう。最後の温もりが、こえがきえる。
「あなたはひとじゃない」
手を押さえ、首に触れた刃物の切っ先を押し戻していた。
「あなたにはこころがない。やさしくしてもただ、演技で、ほんとはなにもつまってない。あなたは変らない、幻のせいにして本心では変りたくないんだ」
現実とのさかいをうしなった幻で、美しい目が微笑をたたえている。
「なにがおかしいの、あなただけは」
魂の芯におもいがひびく、幻がぼくをうごかす。
「こころがとどくなら、ぼくは死んでいい」
こころがさけんだ、空白にきえていく意識にこぼれ落ちるしずくを、見。
冷たくなった顔に雪が舞い落ち、とける。流れ去る外灯が、雪を白く見せる。大気にさらされ感覚のない手が単車を握っている。遠く藍の空にひかりが見えていた。青いひかりが黄色く変わる。
まばゆいひかりにつつまれ白に輝くかぎりないひかりに立っていた。
彼がみつめている、やさしい微笑を浮かべた目から透き通ったしずくが落ち、甲高い轟音が鳴る。
またたく星が、にじんでいた。声がする、ざわめきが、ひかりが、きえ……。
「かんがえはまとまりましたか」
あなたは短編の物語をおもい出し、新たなる名が生み出したことなる生のせかいに浸っていた。そこがいまであるように、焼けた剣でえぐるように刻まれ、輪郭を描いて自分となったことなる現実によってこころに鋭い痛みと不快を感じ、やり場のないかなしみに溺れている。
答のかわりにききたそうな表情をして、あなたは見つめている。
「なにか、あるの」
短編に描かれたことは実話なのかと深刻な顔で、ぼくの目を覗き込む。
唇が柔らかそうに赤い。
「あらわれたものが実になれば種子があった話になるかな。魔術とは変換だよ」
あなたにはまだ感情とことばの仕組みが飲み込めていない。
でも大丈夫、感じさせてあげるから空に虹が架かるようにおもいを自然に描けるように。
「問いかけの答をきかせて」
真っすぐな目であなたは見つめ返している。
「讃美歌はぼくがつくった物語。ぼくの真実。感じて欲しい、焦げつかせるような痛み、凍りつくような悲しみを」
目をとじて、あなたはぼくのことばを深く底に落とした。
「問いかけの答は」
たずねると、あなたはその名を口にした。やわらかな声で。
「よくわかったね、痺れる答だ」
ことばを並べてもあなたにはその意味がわからない。それはそうだ、あなたには悪魔ということばの意味することがつたわっていない。悪魔というか、魔ということばの意味が。
これからあなたにどれほどことばのちからを実感させれるかで、あなたが魔術をかけれるようになる度合いが決まる。これは師匠としてのぼくの責任と能力の限界に挑む試みでもある。本能から能力を魅き出し、こころをとく。それがこの奥義の本。ゆうなればこの小説はぼくの魔術師としての遺言となるもの。ぼくが死んでもこの本があればいつかだれかが魔術の真実に辿り着くことのできるあそこへの道標でもある。あそことはどこなのか、それをほんとにしる者はほとんどない。
月を眺めているあなたに、ぼくは切り出す。
「あまりときがないのでこのせかいでもっとも古い物語は要点だけに絞る。大切なのはこの物語には悪魔が出て来ないということ、神と人との混血が登場するということ、神と人の混血児も死を免れないということ。そして最後に、あたえられた若さを取りもどす草を蛇が食べてしまい、その草がなくなってしまうこと、その草は薔薇のように棘がある草であったと描かれている。その草を食べて蛇は若返った。そのおかげで蛇は脱皮する」
これが不死のように見えることから蛇は知恵の象徴となる。過去の神話を集めて読んでみるとそれはその時にわからない事実を説き明かすために語られている話であることが多い。ようするに、現実を認めて知識とするために人は物語を用いてきたという史実がある。ぼくもこれに習い魔術というものを解き明かして、説き明かすために物語という手法を用いている。これはもっとも古いといえる昔の人から受け継いできた伝統的な方法。というか、物語を人が語る意味が、現実を理解するための方法ということになるのかな。
ここに問題がある。では、物語とはなにかということ。つまり物語に当てはまるものでないと物語とはいえないことになり、物語がなにかをしらないと物語を描いているつもりになって実は物語ではないものを描いているということにもなりかねない。ということはさきほども説き明かした通りであるからここで物語とはなにかということをしらないとならないわけだ、弟子であるあなたも。しかしいかなる物語を描くにしても必要なものがあり、その話をしないとだれもが読める物語が描けないという危険を孕んでしまうからその話から。が、そのまえに三章を締める。
突然だが、問いかける。
「悪魔のはじめの姿とはなんだとおもう」
実はこれはいやらしい問いかけ。いかにも蛇だといわせたげな、でもそうであれば蛇の姿ではないのかもしれない。とまでいったのにそれでもあなたは蛇と答えた。
「ぼくがしるかぎり、もっともはじめの悪魔は人の姿で鳥の頭をしている。しかも頭は二つ」
ただし、この話には記憶がただしいならというただし書きがつくけど。かたちには意味があるということはおぼえておくこと。ということで物語とはなにかという解き明かしにうつるのだが、新たな本を必要とするから家に帰る。小説を描こうとしてはじめに困ったのは、描こうとすると朝から晩までありとあらゆることを文字にして描き写さないとならなく感じて、どこで物語の場面を変えればいいのかわからないことだった。だがいまではほんとに必要なこと以外は描き写さなくていいのだときづいたから次の章にはなにごともなく家のなかにもどっている。描かれない間の出来事は家で語り合っているのだから当然公園から歩いて帰ったということを前提として次の物語が組み立てられるわけだが、ほんとはすこし小走りで戻った。
夜の外はまだ寒かったから、手をつないでいたかもしれない。
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