第四章 慈しみと、悲しみに

 よんだから、感じると思う。描かれたのは薔薇を象徴とした小説。


 あなたは薔薇の花言葉をしっているかな、薔薇の花言葉は愛。ぼくが小説の象徴としたものは愛。だから小説の題名は「不透明な薔薇の王冠」と冠する、この名に不透明な愛の王冠というおもいをこめて。


 世界を観察すると、すべてを結ぶのはひとつしかないことにきづく。おとであろうと、かたちであろうと、ひとつとして世界に共通のものはない。どこかにはあるけど、どこかにはないとか、どこかではこのようなかたちでいろだけど、ここではことなるかたちといろだったり、それらのものを翻訳できるのは、おととかたちにある共通のなにかを見いだすからで、ある共に通じるなにかが一といわれるものだろうとぼくは感じている。


 愛というもの、愛ということばはどこにでもあるし、ことばにはことばをあらわすなにかがある。ぼくが愛にことなることばをかさねるとしたら、そのことばは犠牲。この世界に愛を象徴する者がある。その名はいまはなき、すぎさったときのことばで油注がれる者という名であり、また、神われらと共にいますという名でもあった。天の使いがその名をつけるようにと夢で仮の父親につたえたといわれている。ぼくが彼と呼んでいるのはその愛の象徴のちからであり、現実にいたかどうかわからない過ぎ去った時の人ではない。その理由は聖書に書かれている。わたしはたとえ話を用いて語り、天地創造の時から隠されていたことを告げると。たとえそれが語り尽くしても語れない真実をあらわしたたとえであろうと。


 ぼくにとって愛とは、痛み。これは身をもって感じたこたえ。ぼくは感じることを大切にしてきたし、これからも変わらない、みずからが感じたことしかその身を通して現実とは感じないから。ぼくはみずからの感性にうたがいをもてないところまできた。それは一つ一つ調べ、感覚と現実との距離をはかる作業の積みかさねからみちびいた答。ぼくがみずからの小説の象徴を薔薇にし、薔薇からこころを描こうと思ったことも感じからみちびいたこと。その必然はあとで説かれる。


 この小説はことばを象徴にもどして物語を編んでいる。それは象徴は言語が生まれるまえからあり、旧約聖書が象徴を用いて書かれているからでもある。と語られても象徴がなにかがわからないとなにを語っているのかわからない。しかし今は説き明かさない。その必然もあとでとかす。ぼくはあなたに短編の小説でふだんは感じない、そんな状況に置かれることはないという環境を生み出し、環境から生まれるこころのちから、つまり、きもちというものを擬似的に体験させることで、こころが薔薇の棘に刺される痛み、愛の痛み、重いを実感させる。


 彼は茨の冠を戴き十字架に架かる。それが表象され間接的に表現された愛だから、人はその姿に感動し、こころを痛め、欲をとざす。 


 ぼくは実感している、この世界には愛を描く偉大な芸術家がいると。ぼくは愛を描く偉大な芸術家から誤解しない術をつたえられた、彼を通して。彼が奇跡としたものをぼくは魔術として描く、不透明なたとえ語りにして。愛は沈黙が語る、そのいろは黒にかぎりなく近いあいいろ。このいろをどのように見るかは自身の感性によるしかないが、ぼくの感性はこのいろを不透明ということばであらわす、だから愛の表象として表現したこの小説は不透明な薔薇の王冠となった。ぼくが描く世界は絵空事ではない、ぼくが感じた痛みを小説としたもの。ほんとのことだけど、すぎさったときのできごとを人に語ると聞いた人はこれを小説にすればいいのに。と必ずというくらいにことばにする。そうだね、とぼくは答えてきた。それが赦しだとしったから、現実を種に、出来事を芽から言葉に変え物語る、不透明な薔薇の王冠の秘密を。


 おと。きづいて、感じて、考えて思った、まるで音楽を聴いていてふいに音程の起伏に物語性を強く感じたときにその音の順番がなんらかのちからを描いてこころにうったえかけてくるように、たとえそのうったえかけてくる高低がある過ぎ去ったときのできごとのさなか耳にした強い感情をともなった体験から近似値を認め似たような感情を呼び覚ました現象の結果として勝手に音の強弱からなにかを読み取るという流れに自身が描く文字のように、音にきもちをかさねるように声とし、言葉としたとても短い、短編とさえ言えないような主語も述語もないような修飾された感情の集まりを、感覚的に嗜好する方向に発したことばのほんの欠片だとしても、ことばの欠片からさえ創造性を発起しようとし、まるである小説家が自身の経験から壮大な過去のできごとを拡大解釈したような揮発性の高く、燃え上がりやすい、そんな危なげな情熱のような思い込みから、見たことのない史実として語られている偉大な指導者を自身の感情の描く、こころよい近しい隣人のようにこころに描き、その姿をある歴史家の想像の産物でしかない過ぎ去りしときにともに連れて行き、けがし、あわれみ、涙し、そしてみずからの過去を清算させるために悔い改めということばで飾り立て、明日からはゆるされている自分だからとまるで翼でも生えたように身もこころも軽くして、また同じ過ちを繰り返し、また繰り返し、また繰り返し、きづく、目をひらくと讃美歌が流れていた、きいたこともない音なのにそれを讃美歌だと思った理由はきっとぼくがほんとにあそこに辿り着くまでわかりはしない、それはもうわかっていた、それはもうわかったからこそ、ぼくは目をひらいたのだからきこえたんだ、目をひらいていなさい、彼がそう、ぼくにささやいた、それがきいたこともない声とも言えないただの過ぎ去りしときから伝えられる、ある教えのそれは大量に書かれた文章の一部を本を裂いて残された紙としか言えない、その残された紙のなかでも、人が自らの都合でねじ曲げても曲げきれなかった、そこに真実が書かれているとさえきづけなかったために残された数枚の紙に書かれた真実の文字の一部だったとしても、彼をいまに創造させずにおれなかったあるかぎりない透き通ったちからから流れ、満たされ、それを白くした不透明なそれはまるで清廉とたとえられるように流れ落ちる滝の水でさえ凍りつかせるほんとに身を切る冷たい風のような身動きさえも出来なくさせる氷のせかいを見せる光景としてしか、たとえようもない心境を想像させるようなちからだとしても、ほおを流れ落ちた彼の熱い思いはその文字を書かせたちからの奥にかぎりなく広がっていく、目をとじてさえまぶたの奥にとどく強いひかりのようなあのいしに引きつけられるそれはまるでこのせかいをうごかしている普遍の定めをうごかしていく慣性のような感性さえもつのであれば、いつかはその白いひかりは目をひらいていても痛みとして感じられない不透明なちからとして淡くこころに差し込み、妄想を、情念を、あの輝かしい栄えあるひかりに変える。それが一過性の思い込みだと感じられる多幸感であろうとも、いつかはその感じたなにかは永久につづくひかりの道へと通じるひびきの意図だときづき、彼の姿をこころに描くときがくる。たとえそれがほんとの悲しみに満たされるはじめ、自らのほんとの目がひらく時だとしても。なにが起こった、感じたときにはすでに怒ったあと、だから涙は嫌いなんだ、うそを突きつけるから。痛みとして感じたなにかを、勝手にこころをうごかして物語る。とじている間にしか、ひらかない扉をひらき、現実が生まれるまえにとじた、ひかりの射さない現れることのない未来の姿を、おとに変えひびかせるから、そして、きづいてしまった者を呼ぶから、誤解し、狂れ乱すことのない、惑いなき世界から、こえもなく、おともなく、ひかりもなく呼ぶから。


 ある者が、ある分野で権威を、もっとも高い権威を手にした者が、語ったことばがある。幼い時にぼくはそのことばをしった。たしか、あれはそのときに自分が生きていたとき、生きていた場所できいた、だれかからひとづたえにきいたことば。おそらくは幾度かきいた。ことばのかたち、おとは幾度もことなった、しかし、語られた実体は、実体験からみちびかれた真実だと感じた。そんなことばが、ことばの幾つかがぼくを支え、ぼくはいまいる位置に立った。しんじたのか、それとも、うたがったのか。もしくはしったのか。いや、どれでもない。真実だと感じていることばのちから、文字のかたちに決めるなら、ぼくは、あのときのぼくは賭けた。そして駆け抜けたときを。


 ぼくが賭けたことばは簡潔に二つの内容となる。一つは想像できることは創造できる。もう一つは記憶はきえない。この二つのことばからみちびいたものを魔術に変えた。魔術師は空を駆る、それにきづいたら、たとえ話で語られたことばの真実に辿り着いたことになる。しるめぐみの実を口にしてしる、現れている、見える、聞こえる、触れるせかい、これまでここしかないと感じて、思って、考えていたせかいが実は、ことばでは、ひかりでは、かたちにも、ちからにもできないせかいとの境界線にある、狭き門と呼ばれる真実の入り口さえあいていないまぶしいせかいだと、囓ったあとでしる、一切の証明を落とされて。


 伸びやかな線に歪みをあたえる甘いひびき、耳障りの悪い諫言のように逆撫でる視線、絶対の領域を踏みにじる足音。絡みつく荊に傷つきながら地に赤い色と痛みを垂らしながらなにかを感じさせるために、あふれかえる不可解なきもちが涙にもどるように、傷つきうなだれた姿を目に焼きつけさせる。聖なる者、ひかりを掲げる者と呼ばれた者に、人の罪を告発する者、中傷する者と呼ばれた彼が、彼をつくりしものの真実の一端をつたえ、人々の血と涙に濡れる後悔の日々はあけた。冷たい不透明な硝子のような壁に皹を、裂け目をいれる血に濡れた叫びは、罪なき十字架で微笑み息絶えた彼の奇跡の物語の謎を解くことで厳格なる創造の壁の終わりへとみちびく。


 はじめのことばを、彼はこうつたえたとぼくに声なき意志でつたえてきた。


「命のかたちとして、それはあなたが目にし、耳にし、肌で感じる痛み」


 深淵より、けして渡れない河を超えて彼は舞い降りるといにしえびとはつたえ説く。難解なるなにかを真実のかたちに変える者だけが彼の姿をみると、あとに聖なる者と呼ばれ、彼の姿をこころに映した者は口によって述べつたえる。けして同じには描けない真実のかたちを、けして同じには語れない解きをつたえるために深淵の一端をつたえ聞いた者達は多くのたとえ話を用いることでそのたとえのことなりのかたちから反する先に望みの姿を描く方法をつたえようと、それは、ひかりなきせかいに色を映すように、それは、おとなきせかいに声を木霊させるように澄み渡る魂の実感でしか映せない彼の真実の姿を現実に見つめる術とした。己に届かないその術をのちの者は奇跡と呼び、彼に真実の一端をつたえられ、術を手にした者達はその術に彼の存在のあり方から魔術という名を冠し、迷妄なる茨に被わせ、ひかりのとどかぬ奥に踏み入る純潔なる意志に燃える魂のみがその術を解き明かす奥義のありかを示す、不透明なる薔薇の王冠を手にするように、きせきたる魂のきせきの物語として語った。幾ばくかの手がかりを御言葉という、現実のちからを理想のかたちに変える呪文に残し。


「最後の目覚めだから」


 彼はたしかにことばでもなく、こえでもなく、おとでもないなにか、感じるしかないなにかでつたえた。ぼくはしった。ほおを流れるしずくに真実はうつる。


 あとになって、痕からきづいたこと。あととはいつのあとなのかわからないけど、ふいに感じたあのときにたしかにぼくはきづいた。彼を目にしてぼくは変わった。正確には、彼を目にする機会をうるために、ぼくはもとのぼくから変えられて生まれていた。たしかに実感をことばのかたちに間違いなく象ろうとすれば、そこに誤解が入る隙間が生まれるけど、その隙間から覗いた世界からぼくは彼をみた。ぼくが生きているせかいそれはあなたが生きているせかいでもあるが、このせかいは、いや、よそう、まだ早過ぎる。いまのあなたには彼の語ることをこころから受け止めるだけの切迫したおもいはない。つづきをかいていく。きにしないで。どこからのつづきでもそう読めるならそこがつづきの入り口。だから、彼を目にして、ぼくはもどった。はじめから決められていたこと。彼に呼ばれるともどることになっていた。しらされる隠された秘密の内容も範囲も開示されたなかからしか考えることも思うことも感じることもできない。その意味にきづけない者ははじめの入り口を見つけることはけしてない。なにを言いたいのか、あなたにはわからない。わからないようにかいてあるからわからないのは当然だから安心していい、そのうちにわかる。そのためにぼくは彼の物語を描くことになっていたのだから。ひとりごとだから、きにしないでいい。あなたはわすれてもいい。ぼくがおぼえていればそれで物語は完結することになっている。彼がつたえたことは物語をかくこと。現実にあった事実を物語にすること。それだけでぼくの役目は終わる。


 彼はいった。


「わたしについてきなさい。あなたを人間をとる漁師にしてあげよう」


 ぼくは彼についていった。そしてしった、彼の背負った十字架を。

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