第四章 2

 もうこんなときか、ほんとにときというのは走るように過ぎていく。


「これまでは概略で、これからがほんとうの授業のはじまりだから」


 そういうとあなたは不安げな顔をした。


「大丈夫だから、ぼくのは実験と検証を終わらせたほんとに用いれると証明されたものだから」


 実は研究のため、電網で五年間の期間をかけてあらゆる人に実験と検証を試みた。そしてしった恵みの果実がこれ。


「ところで質問が返ってこないけどわかっているのかな、電網という言葉の内容は」


 あなたは自信なさげに答た。


よかったね、その通りだったから。でも、もしもおもっていたことと事実が違っていたらどうするつもりだったのかな、どうなることになったかな。


 ところで概略という言葉の内容は理解し把握出来ているのかな。わかっていると思うから問いかけはしないけど。


 あきらめたようにあなたが質問してきたから答えると概略とはおおよその内容とかあらましとか、大略とか概要とかそんな言葉と通じる内容があるもの。たいせつなことは、通じるということ。通じるとはどこかとどこかがひとつになるということ。これは、それと、どれとか、通じるものは必ず異なる、つまり違うものである必要がある。ということはおぼえておくこと。


 ぼくの顔を見てあなたはきづいた、すでに授業がはじまっていることに。


 では続けていく、帯に書かれた言葉にうそがある。本から外した帯をもう一度よく見ること。そこに書いてある、めくれば魔術がかけれる願望を叶える奇跡の本。たしかにここには魔術のかけ方や魔術によって願望を叶える方法が書かれているが、実は魔術をかけるのも願望を叶えるのもほんとはぼくでもあなたでもない。ではだれがかけるのか、だれが願いを叶えるのか。その答がここに描かれたすべて。


 なにをいっているかわからないという顔をあなたはした。当然、わからないのだから。説き明かさないとわからないとおもうから一時これはおいておいて必要な本のことから解き明かす。


「魔術に必要不可欠な本はなんだとおもう」


 問いかけられた。なんと答える。


 ことばとは本来自然を抽象的なかたちにして受け取ったもの。魔術師とは霊峰の頂きに登る者。あなたは旧約聖書で神から石板を頂いたのがシナイ山の頂上でその石板に刻まれたのが十戒であり、それは神と人との約束であることをしっているかい。あなたに霊峰に登れる者になって頂きたい。あなたはすでにタロットをしり、大アルカナの1が魔術師であることもしっている。アルカナとは秘密をあらわす。ことばの頂きは、分厚くて一枚一枚の紙が極めて薄い本で丁寧に書かれていて本当はとても大切だからたいていの人はもっているけど面白くないとあまりひらくこともない、そんな本こそ頂きに隠された秘密を書いた本だとおもう、ぼくは。魔術に必要不可欠な本はなにかというと、辞書。


 あなたは疑問符を浮かべた。太古から受け継がれた魔術の奥義を書かれた本の方が必要不可欠なのでは、というおもいもある。たしかにそれもだが、それよりも必要なのは辞書。なぜか、先に答もつたえる。それはもっともうそが書かれていない本が辞書だから。なぜなら辞書にうそが書かれると困る人がいる。それはすべての者。だが特に困るのは国語の教師。つまり国の言語を教える師匠が生徒に教えるために必要とするものが辞書。そこにまちがいはゆるされない。ぼくのは荒唐無稽な絵空事ではないから現実に通じ用いれるものしか、その達成を支えるちからにはできない。魔術師にあやまちはゆるされない。行う場は霊峰の頂き、足を踏み外せば終る。


「ことばとはなんですか」


 あなたの顔を見ながらもうひとつ問いかけた。


「こころとはなんですか」


 あなたはことばをつかいこころをつかっているけど、ではそのことばとはこころとはという問いかけをされてすぐに答を返せますか。いえ、それはなんとなくわかっているのですけど……。


 ことばにしてそれを表せといわれると難しいという顔をしています、その通り。その難しいことをしないといけない人達が過ぎ去りしときにいた、それが辞書を作った人達。


「そのことについてどうかんがえ、どうおもい、どうかんじますか」


 あなたはことばにしました。


「ありがたいとおもいます」


 それをきいて胸をなでおろした。


「よかった」


 思わずことばにしました。が、おもいだけでは足りない。足りないものをおぎなうと、ありがたいとかんがえ、おもい、かんじます。ということになる。かんがえる、おもう、かんじるはちからのはたらく場が異なる。あとこれもおぼえておくこと。


「魔術のちからは感謝のちから」


 さあ、こえにして。というかんじ。


 感謝のできない者は魔術は遣えない。だからあなたの口からありがたいということばがでてきてよかった、ほんとうに。出て、来ないと出来ないから。足りなくても出来ないけど。


「辞書はことばを定義する。辞書の定義から外れないようにことばをつかえば万人の理解を超えるようなことにはならない。自分のことばのつかい方が辞書とことなると、ことばを聞いたり文字を読んだりした者がことばや文字が理解できないことになる。これではとても拙い。こころはことばでつたえるもの。ことばが誤っていればこころも誤ってつたわりやすくなる。ということは自分の言語能力が低いと相手のことばとか、きもちを誤解して受け取る可能性がかぎりなく高い。ということは理解できただろうか」


 ちいさくうなずいたので先に進めることにする。


「ゆり、魔術を遣うためにはわかったきになってことばをつかっていても、はじまらない。はっきりとたしかにわかっているから、ことばを用いて相手のこころに魔術をかけることが可能となる。そのためにはどうすればいいか。答えは決まっている。ことばをいちいち調べ、ことばを本当に理解していく。そして理解できることばを用いて相手につたえる」


 あなたはうなずきつづけている。


「ゆり、なにをつたえるのか。そう、大切なのはなにをつたえるか。それは理解できているかな、ことばにしてみて」


 視線を落とし、口をひらくのをあなたは惑った。


「ゆり、では一緒にことばにします。それは、情報」


 あれ、なにかことばがかさならなかったような音がしました。たしかにきもちとか感情とかそういうことばになりがちですがそれらをふくめてすべては情報という内容で括れるからこれもおぼえること。


「ことばとは情報をつたえるもの」


 あなたはことばが情報をつたえるものだということはしった、だが情報とはなにかを理解しているかい。情報がなにかをしるために必要なことを理解しているかい。もしも理解しているならあなたはこの本を読んで違和感をかんじているはず、いやかんじていなければおかしい。情報とはなにか、それはある物事の内容や事情についてのしらせ。ぼくはどうやって情報とはなにかをしったのか、それは調べたから。あなたに調べてと頼んでも、調べるとはなにかがわかっていなければ調べることはできないということはわかっているかい。調べるということを調べるとこう記されてある。 わからないことや不確かなことを、いろいろな方法で確かめる。調べるとは確かめるということと等しいということがわかったかい。では確かめるということはどういうことなのか確かめると、調べたり人に聞いたりして、あいまいな物事をはっきりさせる。確認する。と記されてある。調べるということは確かめるということと等しく、確かめるということははっきりさせるということと等しいということがわかったかい。ということは情報が物事の内容や事情についてのしらせであるから情報をしるということは物事の内容や事情をはっきりさせるということになる。ということまで理解できたかい、理解ということがわかるということだとわかったかい。


 この本をひらいて、あなたははじめにどうかんじた、できるなら違和感をかんじて欲しいと願いはじめの文章をひらがなで記した。そこに描かれた情景がとてもあいまいなものになるようにあえて不明確な言語であるひらがなで描いた、なぜならそれはこころを描きたかったから、なぜこころを描きたかったのか、それはこころをかんじて欲しかったから。かんじたらそこにはこころがあるから。 


 いわれてあなたは理解できる、なぜならあなたはこころというものが漢字では心とかくことをしっているから。ぼくはみずからが用いることばは語源から調べている。感とはきづかされるとわかる通り、そこに心がある。ならこころをつたえるにこれほどふさわしいことばはないだろうと感じ、感じたから調べ事実かどうかをしる。漢字の成り立ちを調べたものを解字というが、感という字を解字するとわかる、感という字の意味するところは強い刺激、強くこころにこたえるもの。しかし感とはまだわけることができる。咸は戈でショックを与えて口をとじさせること。と辞書には記されている。しかし辞書にそう書いてあってもぼくはあなたに戈でショックを与えて口をとじさせることはしない、衝撃を与えて口をとじさせる。衝撃もただの衝撃ではなく、感激に変えて。ぼくは英語が嫌いではない。それに英語は必須な言語だと思っている。だがぼくの思考のちからでは英語とは翻訳しないとかんがえたりおもったりできない。ましてや感じるという領域を英語のままで通り抜けることができるかといわれたら、否としかいえない。同じ内容のことばであることはわかってもそのことばをテクニックといわれるか、技術といわれるかでぼくの受容できる言語感覚の領域は明らかに変わる。とここまで聞いて領域という言葉の内容が心に象られているだろうか、心配だからもう一度いっておくと領域とはあるちからとかある作用とかある規定などが及ぶ範囲のこと。もしだれかに技術を習おうとおもえば、ぼくは技術ということばを選ぶ者を選ぶ。これは感じる領域までことばのちから、かたちの領域のちからを降ろせるかという問題に通じるから。原則としてかたちの領域よりも、ちからの領域は上に、ちからとなる領域はその上に、領域ではたらくちからを数としてあらわせば、かたちの領域は三という数でちからの領域は二という数としてあらわれ、ちからとなる領域は一という数になる。なのに、かたちの領域である三となる領域である一を降ろすと表現するのはぼくには仕組みがとけたから。ぼくは幸運だったと感謝している。もしもぼくが英語圏の者ならことばと数の秘密にきづかなかった、しかし心配する必要はない。でも感謝はする。感謝は階段を生み出すちからとなる。感謝のない人は階段ではなく、梯子を登らないとならないからとても大変。より多くの者を、より高く登らせるためにはとてもちいさな斜角が必要になる。ということはとても広い場が必要となる。そして階段の段はとても多くなるということは必然としてその高さに到るための長さはとても長くなる。ということは階段を作るのに莫大な時を要する。そんな階段をひとりで作れるだろうか。あなたがひとりで作れるとおもえるなら、先を読んでもしかたない。数を漢字で表す文明があった、そこには漢字しかない。だから数も漢字で表した。ぼくはこの国の言葉を学校で学んだ、学校は嫌な所だった、それでも知識を吸収させてくれたから感謝している。漢字からひらがなとカタカナを生み出した過ぎ去ったときを生きた者にも感謝している。カタカナのミは漢字の三からできた事実が残されているから。ミというカタカナを書いた時そこに必然的に三がひそむ。世界を見渡してみるとなぜか一から三までの数は棒線がふえるだけで表されている。それが縦か横かのちがいだけだ。漢字の数で説き明かすと三という字には異体字がある。異体字とは同じ意味を異なる字のかたちで表したもの。それは一から三まで同じように数が変わるだけの異体字で数の横にある部分はなにを表すかというと弋で意味はいぐるみ。鳥をからめて落とすために矢にひもをつけて射るように仕掛けたもの。解字すると上端にまたのついた棒ぐいを描いたもので、棒ぐいのかたちをした矢にひもをつけて放つので獲物をからめとる意ともなった。どこかでもみたかたちに式がある。式は工と弋で、道具でもって工作することを示す。


 英語にはおととかたちに意味を表した過去のちからがない。ラテン語まで辿ると語源が見えてくるけど。英語の文字にはかたちとして表すことの意味がない。音と闇であり、西とはひかりが網から抜けるように去る方角のこと。魔術では教えている、西に理解の入り口があり、東に知恵の入り口がある。東とは日が射す方角、日は下から登る。下という漢字と上という漢字にはそこに表現されているちからがかたちとなっている。バランスということばで表せるのは意味までで均衡のように意味を生み出したかたちが残されていない。西洋の文字はひかりが去ったあとの字だから。


 音を声とするものが名。だれという名にこだわるかぎり、なにという領域のちからは操れない、執着が邪魔をするから。名声を自身が欲しているかぎりそれ以上のちからである音を超えるちからは操れない。ときの数はおおきくなろうとちいさくなろうと順列は変われない。それが時を解きにする説きの答。問題は一のおおきさを変えないこと。それは単位を変えないということ。一秒と一分と一時間は同じ一でしかない。数にすれば時の間を分けると私はすくなくなる。つまり最も後にはムとなり四となる。ここで棒で表していた数が人に変わる。四とは解字すればわかるが古くは一線四本で示したが、のち四となる。四は口と分かれるで、口から出た息が、ばらばらに分かれることをあらわす。分散した数。なにを理解すれば誤解しないですむか、この国の人はひらがなとカタカナという編み出した文字があるのに元となった漢字も使いつづけるという民族性があった。者の根源には盗るという意識がある、そしてそれを借りるという意識にすりかえ、買うという意識でごまかした。高価な物を買うために人は金を借りる。十戒を決めたものは言った、金を貸すのに利子を得てはならない。人がその教えさえ守っていればせかいが心の病みの代償を払わされることはなかった。現在は売るという意識がせかいを支配している。それが病を築く根源だけど、それを認めると人はもう、人として罪を自覚しないでは生きていけない、しかし現在の状態がその原罪を表していないのなら、ここまでこころを病んだ者がふえることはなかった。病という字には甲乙丙という順序を示す漢字の三番目を表す丙がふくまれている事実から目をそらすなら、もう誤解は解けない。ぼくは生まれつきの素質としてうそが大嫌いでごまかすのが大嫌いで、人が大嫌い。だからぼくは人の罪を告発する者となった。


 英語の英という字は花を意味する。必要なのは実だ、実がないと種を手にしないのが多くの人達。内容は変わりようがない。しかし小説の章句はかすかでこまかな推敲の繰り返しで、たとえると油絵の絵筆の技巧のように描きだすものをうつくしくこころに刻み込み、刻まれる感性のことなりが歓声をみちびく慣性をきづかせる。ぼくはそのための芸術だと、芸術の存在意義を、しいては純文学の意味をかんがえている。世界は平面ではなく立体で語りかけてくるから音も高低を得て感覚をつたえてくる。より高みを望むためにはより底を掘らないと湧きだす泉の量も多くはならないから、どうしてももっとも簡単なかたちであるひらがなに全体的に近づいていくが、すべてをひらがなにすると意味が通じなくなるという不可解な現象が起こる。ひらがなは簡単だが単純ではなく、漢字は複雑だが難解ではない。感覚の応えは対なるものが明らかにする。ここまでくればことばを磨くだけでかたちをおおきく変えることはないとおもえるからやっと物語らしい、小説らしい純文学になる。正直なきもちを明かせば過去、現在これまでに存在したいかなる小説家にもけして描くことのできない小説。魔術師がいまだこないさきに魔術を残すために生涯をかけて書き上げる遺言、ことばを遣うためのはじめのこころにたどりつくための本。


 彼はいった。


「あなたがたの間でえらくなりたいと思う者は仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は僕とならねばならない」


 彼が残したかったことばはだいじょうぶではないかと感じるんだ、たしかにぼくは。


 もっとも低い自分をしらないのにもっとも高い自分をしることなんてできない。しることをしらないのにしるめぐみはない。しるめぐみがないのにことわりをほどくことはできない。対なる者、しるめぐみは男。ことわりをほどくのは女、世界は性なる対として文を手にして過ぎ去りしときはひらかれる。過去がないのに未来はない。過ぎ去りしときがあやまちなら、未だ来ないときは新しくひらかれる。ひらかれるのはかたち、とじられていたのはちから。創造は破壊から生まれる。衝撃は破壊となり、破壊はちからが起す。与えたいものと求めたいものが同じおもさでないから景色がゆがんで見えている。


 すこし休憩を挟む。どのくらい休憩するかはあなたが決める。あなたが次の章に目を通したらそこが五章のはじめ。一度ここまでのページを読み直して復習するのも効果のある学び習う方法だけど、どうするかはあなたにゆだねる。あなたがぼくのこれまでの語りを無駄にしたくないとおもうならもう一度ここまでのページをひらく時にはページではなく、頁をひらくと丁度の頁がどこにあるかわかるかもしれない。ぼくは放任主義的な師匠。ぼくの師匠である本は書かれてあること以上は質問に答えてくれなかった。いにしえの賢者はいっている、古い本をいやうことなく百回読めば意味するところはみずからにわかるようになる。ぼくがなにを語りたいのか、このことばがかわりに語ってくれた。


 ふれているからきづいただろうが、本の表紙には凹凸があり、それが題名となっている。それと表紙に、生命の木の図形が彫り込まれている。この図形はとても大切。伝え説かれによると生命の木は旧約聖書に記されているエノクという死ぬのではなく、神により取られたと記される聖人がつたえた、こころとそらをつなぐ設計図といわれて来たかたち。西洋魔術の根源はエノクがつたえた神の秘密からはじまっているといわれている。エノクという名は太古の放浪の民のことばで、従う者。


 伝説とはつたえられ説かれたもの。なぜつたえられたのか、なぜ説かれたのかその説きを解いていくと、あらゆる物語は情報でそれらの情報はあらゆるいろやかたちとして分類できる。分類の仕方、分類方法が示されたのが生命の木と名づけられたいろとかたち。


 ぼくの文学はできるだけ、ひらがなでいきたい。文を学び、思考を時で解き、解く順序からさかのぼることで、思考が組み上がる仕組みを解き明かすことを目的とし、悦びの本質を説き明かす。あなたはこれからさき、みずからの設計図と説明書を手にかぎりの向こうを歩く。道に迷ったら、王のことばに耳を傾けて。迷いは解くことはできないが、謎は解くことができる。迷いを謎に変えることば、それがなぜ。道に迷ったらなぜとみずからに問いかけること。謎が解けたら道にかかった霧が晴れ、一筋の道が現れる。その道が歩むべき王国の道。魔術は不可能を可能に変える種を蒔く術。ただしく情報を受け取ることが魔術をかける絶対条件だから、そのことをわすれない。あやまてばこころをなくすことになるから。

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