第五章 険しき厳しさを、敢えて

 降れると、光を漏らした。


「美しい……。透き通ってる」


 素直な反応を返す。


「潤んでいく」


 閉じた目から思いを零した。


「忘れている。だけど此所が、彼方」


 開いた目、嘘のない仕種。雫を拭うこともなく微かに震える手を差し出し、感じたことのない感覚に満たされ、消えそうな世界で声にならない音を感情に変え描く、痛みに似た何かに貫かれ、頷く。


「此所は似た世界だよ。でも彼方の世界は異なる世界、彼方は百合。その名は理解を象徴し、知恵を生む世界を開く鍵となる呪文なんだよ、百合。聞こえているかい、私の声が、私が今、口にした頁が知恵の領域を働かせる力が描かせた反する世界だよ。もう、水の流れからあがらなければならないときがきた、目を覚ましなさい、この門を通らなければけして王の玉座に辿り着くことは……」


 寝顔を見つめていると、あなたはまぶたをひらいた。

 目を覚ましたね、休憩の間にうたた寝をはじめてどうするかなと思ったけど、すこし疲れがたまったみたいだから自然に目を覚ますまでは寝かせておくことにした。その間にぼくは昔書いた文章を洗い出して授業に役立てようと思い、PCのなかの書類を探してあつめた、なにしろ過去にあつめた魔法や魔術に関する資料は膨大だから。


 絨毯からゆるやかに起き上がるとあなたはうごかしている矢印を見つめた。


「魔術とよばれる方法や技術とは人が知識を蓄積できない状態でたどり着いた、いまでいう心理学のようなもの。というのが魔術に対するぼくの見解。事実、心理学者に魔術の一形態ともいえる錬金術を研究し、理論を打ち立てた者がいる」


 切り出すとあなたはなにかありそうな顔をしている。心理学ということばに硬い、という感覚を抱いたのかもしれない。硬いは難いに、そして高いにきもちを傾ける。


「だから魔術とよばれる方法や技術をしるには魔術として語られる方法や技術のなかに蓄積してきた情報をあつめて魔術とよばれる方法や技術としての情報と、いまの学問といわれているものの情報を照らし合せ、いまに通じる技術や技法を取り出していけばいいと考えた。すると、どうしても膨大な数の資料をあつめないとならない。そしてその資料からほんとうに使える、つまり過ぎ去ったときからいまのときに通じていて、そしてここからがもっとも大切なんだが、未だ来ないときにも通り抜けることのできる資料を選んでいかないとならない。しかし、ここにひとつ問題がある」


 とても真剣な顔で問いかけているようにあなたが見つめている。ゆっくりと口をひらいてその文字をことばにする。


「いつわり」


 あなたの顔にあきらかに意味不明という意志を表す情報が描かれていく。


「人は平気でうそをつける生き物」


 すこしわかりやすいことばにしてはじめて理解できたという情報をあなたは表情に示した。理解できたという情報をあなたから受け取れたのだと確かに認め、次の情報を受け取るために問いかけた。


「こころとはなに」


 ことばを耳にしてやはりというか、だれでもそうなるであろうという情報を返してくる。つまり、あなたの顔は曇る、それは純白の雲ではなく灰色に染まった入道雲のように。ぼくは音を声にしてことばに変える。


「入道雲という雲をしってるかい。これは雲につけられたあだ名のようなもので入道とはお坊さんのこと。この雲の本当の名は積乱雲といってこの雲が発達するとかなりの確率で雷がなり、雨が降る。しかもその雨はとても激しい雨音を立てる」


 ぼくの顔を見つめるあなたの顔を指差し、微笑んでいった。


「いま、あなたの顔はまるで積乱雲のよう。これまで積み上げたものを乱され、いまにも雨が降り出しそうな、雷が鳴り響きそうな、そんな情報を見せてると感じるのだけど、ぼくの気象情報はただしいかい」


 器に珈琲を注ぎ、手渡した。あなたはこわばる指で把手を握りおもい物でもうごかすようにゆっくり口もとに運ぶ。その状態はこころここにあらずということばが適切だと思える。たどり着いた結論をぼくはことばにする。


「こころとは情報だと感じている」


 あなたはなにもかんがえられないという顔をしている。おそらく頭のなかが真っ白な状態。その情報があなたの顔にも表れている。ぼくはなにもかんがえることなく口にしていた。


「面白い」


 あなたは思わず音にする。


「おもしろ、い」


 ことばに雷を思わせる音がかすかにふくまれている。察したぼくはことばをやわらかな綿で囲むように修飾する。


「ごめん。思わずに口にでることばってある、あれがでてきた。ぼくが面白いと思ったわけではなく、彼が面白いと思ったらしい」


 彼ということばにあなたのこころが反応しているのが見てとれる。彼のことを説き明かすためにこれまであつめた膨大な資料からできるだけ順をおって簡単に説き明かしができるようにともっとも遠回りな方法で道を選んでことばにしてきた。


「そうだ、頭のなかがあまりの情報の量についていけなくて、まるでばらばらに積み上げて乱れた箱のようになっていると思うから、ここらですこし箱をきれいに並べかえて整えよう」


 意志を持ってあなたがおおきくうなずく


「では、簡潔に持論を説き明かす。こころとは情報。ことばとは情報を伝達するもの。ここまでは理解できたかい」


 まだ確かにと、口にできるほどには理解も納得もできていないという表情をしながらあなたはうなずいている。ぼくはそれを確かに認めながらことばをつづける。


「では、さきほどいった人にある問題これがなにかをおぼえているかい」


 真っ白になったノートの断片をひろいあつめてつなげ、そこにその消えかすれた文字を見つけたようだ。焼き込まれた情報を声にしてつたえてくる。


「そう、うそ。ではどうしてうそは困るの」


 困った顔をあなたはした。


「うそをつかれると、困るよね」


 困っているけどそのわけを説き明かすことができないと困っているようだ。不謹慎にもぼくはその困ったことを表している顔を見ながら仕種を可愛いと感じている。


「では、うそとはなに。ぼくはこうやってひとりで自問自答していままで生きてきた。確かなものを探して。そして見つけた。その確かなものを真理という」


 真理ということばをあなたはかすかに唇をうごかして音もなく描いた。ぼくはかすかにうごく唇を見ながらことばをつづける。


「魔術は真理を見つける技術でもある。ときがないので結論をつたえるとうそとはただしくない情報つまり誤報。では、一度整理する。こころは情報。ことばは情報を伝達するもの。うそは誤報。ということは誤報であるただしくない情報を伝達すると伝達された情報は誤りである情報つまり誤ったこころをつたえることになる。という仕組みといえる。で、大切なことは太古とよんでいる遥か過ぎ去ったときには情報を分析する知識がすくないということ。つまり過ぎ去ったときの情報にはうそをつこうとする意志がなくても誤った情報が混じる可能性が高い。それは神話を読み解けば見えてくることだとぼくは感じている」


 あっけにとられた顔を見ながらつぶやいた。


「明日の天気は晴れだろうか」


  PCの画面をあなたが見る。その意図を感じぼくは頁をひらいた。降水確率は、と探しことばをつづける。


「天気予報は必ず当たるわけではない、だけど最近はかなりの確率で当たるようになっている。理由はわかるかい。過ぎ去ったときの情報の蓄積を解析して予測したものが当たるようになっている。ということは天気とは気象のことだから人の気性もその人の過ぎ去ったときの言動と行動の蓄積を解析して予測できるのではないかと思うんだけど、ゆりはどう思う」


 画面に過ぎ去ったときの自分の言動である電網の掲示板で語ったことばの記録とそのことばを話すきっかけを与えた相手のことばを映し出した。


「ぼくがうそが嫌いな理由はそれが誤った情報であり、誤った情報から得る物が苦悩のはじめだから。ぼくの師匠は過ぎ去ったときに生きた人々が残したことばの蓄積である本だけど、もしもぼくが読んだ本に書いてあることが全ていつわり、うそだったらぼくのこれまで生きて来た時間のほとんどはうそになる。想像して、それがどれだけ恐ろしいことか。だからできる限りうそをつかないようにしている。それができるのもぼくがいつわり、うそが嫌いだから。もうときもすくなくなってきてるから」


 言いながら画面上部に表示された時刻の数が刻々と変わるのを見つめる。あなたも同じように黒い数字を見つめている。ぼくは同じことばを繰り返す。


「もう一度はじめからいく。こころは情報で情報を伝達するものがことばとか文字でそのことばとか文字である情報が誤ってつたえられた誤報がうそ。ここまではいいかい」


 あなたは強くうなずいた。顔にすこし笑みを浮かべている。それを見て思った。理解のこみちまではここまでの説き明かしでちからが降りてきた。ことばをつづけよう。


「すこし難しくなる。こころである情報を伝達していることばはどうやって生まれるのかわかるかい」


 かんがえているがわからないらしく、あなたはことばを選んだ。


「そうか、わからないか。どうやってあなたはことばをおぼえたのかな。こんなことをかんがえてみて。いまあなたはことばを話すことができる。それは会話しているからできると判断しているが、もし、生まれてこれまでの間にいま話していることばをまったくだれとも話すことなく、つまりことばをおぼえることがない環境で生きてきたとしたら、こころという情報を伝達することはあなたにはできないのだろうか」


 あなたは悩んでいる。


「もし、この星ではじめて生まれた人だとしたらだれからあなたはことばを習う」


 次々と押し寄せる壁のような質問に波打ち、揺れうごいて、焦燥を浮かべていくのが見ていて苦しいので質問の意図をつたえる。


「ぼくはこんな風にして自分自身のこころと向き合いながら過ぎ去ったときと未だ来ないときを結ぶ意図を探してきた。いきなり答えろと問われても答えられるものでないことは答を探したぼくがもっともよくしっていることだから答えられないことをきにする必要はない、いままで答をしる必要はなかったのだから、でも魔術師を目指すなら、いまからは答える必要が、しる必要ができた。というのがあなたがぼくに会いにきた理由だろう」


 これからはあなたはきにしなければならない人になってしまったわけだ、気象も気性も。それが、あなたにはじめにつたえたきづかないことにきづくことだと自覚できれば、はじめの扉はひらく、必ずに。なぜならあなたの名、ゆりはおとのちからをかたちに変えたとき、西の女からの伝言を理解する呪文だから。ぼくがしったことは、みんなが歩ける道を歩けばみんなに出会えるということ。真理とは当たり前のこと。当たり前のことができないから真理がわからない。わからない者からわからない理由を探すとわからない者のこころのうごきにわからない秘訣があることにきづく。その者はわかりたくない、当たり前のことを。人はいつか。そのことに目を伏せずに向き合った者がいた、彼が教えた共に養い生きる道こそが知識。知恵と知識は似たようなものだと感じやすいけど、ことなるからそこはただしく理解すること。ただしく理解できないと誤解することになる。誤解すると道を誤ることに、道を誤ると、ひとりきりになる。ひとりきりでは生きていけないから、そこをわすれなければやさしさを失うことはない。これは実は、すでに魔術の呪文になっている。そのことにきづけたときにしか呪文としてのちからがはたらかないから、きづかないかぎりはただのことばにすぎないけど、周りの人にやさしい人だとぼくはいわれている。だからみんながやさしくしてくれる。これは実際に起こる現実で真実。かんがえてみればわかる。あなたはどんな人を好むかな、やさしい人ではないかな。しかしほんとにやさしい者は厳しい者、そのことにきづくことが人を憂うことの意味をしることにつながる。真実にたどり着くのはやさしい人、真実である、つまり幻覚を見ない者は厳格な者。これは実感がないと理解できない。衝動にはうそがない。だから怒りはありがたい。真実からの起こりだから、そのことにきづいたら怒れなくなる。体験すればわかることだけどその体験が難しい。


 なにげなく見ていた画面からあなたが視線をうごかした。あぐらをかいて座っているぼくの横にある色褪せた黄色い枕の方に顔を向けている。窓際に無造作にかさねられた本の上に置かれた本を思うこともなく手にとったことにぼくはきづいた。


 あなたは幸運だ。この本に巡り会えて。あなたのようにぼくも幸運な本にたくさん巡り会え、その本を書いた人に出会えた。そしてそのことを本当に幸運でありがたいことだと思えたからぼくも人を幸運に出来るような本を書こうと思えた。だから魔術師になれた。


 ここまでことばにして、彼のことについて語るときがきたのだときづいた。


「ぼくが思う最高の魔術師は、彼」


 ゆり、ぼくの見つけた魔術とは彼の教えとそれほど変わりがない。彼というのはおそらくこの星でもっとも名をしられた者のことだけど、それがだれなのかは必要ない。まずは彼の教えから開示する部分をこころに刻んで。


 あなたはちいさくうなずいた。


「彼は答えた。わたしは道であり、真理であり、命である。彼より上の魔術師をぼくはしらない。だから道であり、真理であり、命でありたいとぼくも望む」


 ことばを耳にしながらあなたは手にした本をひらいた。


「それ、共同訳なんだ昔住んでいた共同住宅の塵捨て場に捨てられていた。丁度その時に聖書を探していて、近くの本屋に買いに出たんだけど、大きな本屋ではないから置いてなくて、それで明日にでも買いに出かけようと思い家にもどると行くときにはなかった本の束が目について、本の束の背表紙をなにげに探していたら見つけてしまった、新約の文字を」


 静かに頁をめくるのをあなたは見ている。きづいただろう先ほどまでは赤いボールペンで引かれた線が黒い線に変わったのを。見つけた文字をぼくは声にした。


「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。ところがお前たちはそれを強盗の巣にしている」


 そして、まためくる。その文字は赤い線を引かれている。ぼくは確かだとしんじたことばに赤い線を引いている。だからこのことばはぼくのなかでうたがいようのないことばだということがぼくにはわかる。


「主の名によって来られるかたに、祝福があるようにと言うときまで、いまから後、お前たちはけしてわたしを見ることがない」


 ことばにした音には確信のひびきが隠っていた。ぼくは空になった器に珈琲を注いで手渡した。


 あなたは珈琲を口にふくむ。


 ぼくはまた頁をめくる。あなたによく見えるように本を近づけ、一節を読み上げる。


「目を覚ましていなさい」


 吹き出しそうなくらい、あなたは笑った。

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