第八章 10
「どうしてゆりにわからないことがぼくにわかるかわかるかい、その答は調べを聞いたから。聞こえない音が聞こえるようになっていたから、生まれたとき、つまりはじめから」
はじめとは一のこと。それははじめとひらがなで書いてそれを漢字に変換すれば現実がそう答えるからただしいこと。漢字というおとをひらがなに返還するとかんじとなる。かんじに返還したおとを異なる形に変換、つまりあるものを別の形のものに変えるとかんじは感じと変換できる。感じとは外界の刺激によって生じる感覚のことで、漢字はもともと、かの国で生きた者が見た世界の形を象ることから生じた見た世界の輪郭をなぞっておなじようなかたちであらわしたものだから漢字に感じた感覚をあらわすちからが隠れていたとしても、それが音であったとして、音が意味をあらわすかぎりその意味とは内容であり、内容が意味であるかぎり音と意味と内容がかたちとしてあらわされるのは自然のことだときづけば、はじめの領域ではたらくちからがはじめという音の漢字でへんかんできる、つまり変換や返還することで返簡されるとしても、それは返ってくるもので返ってくるのが答えなら、その答を返簡されたいならはじめにはたらくちからは問いだときづけるはずなのに、どうしてはじめに答をもとめるのか、答えは解凍されることで得られるものなのに、わかるかい、ゆり。解凍をただしくへんかんすれば回答は、返答として還る。ということはただしくをただしく変換すれば正しくでへんかんは変換され、返還しなくてはならない。返還されたとき一は零にもどるから言葉という衣を失うとき、ほんとのこころをしることになる。
なにかを理解したのか、目の輝きが知性を示しているようにぼくには見える。
「なにか、こころの芯に響いたかい。響くのは音で、響くは郷の音で郷は里で憧れは里に立つ心でその心は童心だからだろう、彼は言う、天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。彼の想いに連なれば、連なる想いは面なる思いとなり、面白いと感じる時、透き通った光を白く見ている。人は知恵を光として捉えるから光を反射して象られた文字には意味と内容の姿である形が現れる、旧約の聖書には神の顔は白く光っていると記されている。くわしくしりたいかい。なら抽象的な輪郭を失った中心に近い闇の文字であるひらがなよりも光に反射して意味と内容を輪郭として具体的に象る漢字で風を火にもどす。すると詳しくと精しくが見えてくる。しりたいなら知りたい。具体的とは的を道具という体にするからしりたいの知は矢だとわかる。矢が向かう先に的がある。矢のそばには弓がある、風は強い。風が強いということは高低の差があるということ、それは温度の差として上下にあるものでそれを気圧という。精しいのは青い米で青は緑のことでつまり稲のこと。詳しいは羊の言で羊は遅くきて達したもの。羊とはすらすら生まれるという意味をもつお産を象徴する生き物で、知る恵みとは女が母になることで伽のことで伽とは色のことと連想が止まらないのが本物の証で一に止まる言とは詳しいで定義という言葉がそれを明かす。定とは家に止まるで義は我は羊。だからその言は美しく大きくなる。はじめから大きい、それは天、それは宇宙、それは一つしかないということ。タロットカードを思い出して、1のカードにつけられた名前は魔術師。つまり魔術とは変換できないものを変換する技術。しかしそのまえに意味と内容を象ってしらないとならないことがある。それはかんじること、おもうこと、かんがえること」
言葉の続きをあなたはみつめていた。
「ゆりは、かんがえるということをかんがえたことはあるかい」
問いかけの意味と内容が見えたという顔をしてあなたはぼくを見た。
「では、おもうということをおもったことはあるかい」
表情にあらわれていた光が強くなった。
「ではかんじるということをかんじたことはあるかい」
問いかけの答えを象れるという顔をしてあなたは口をひらいた。
かんがえることをかんがえるために、かんがえるという意味と内容を象るために漢字に変換すればいいとあなたは声にした。
「はっきりしないということはくっきりしないということでもあると言ったぼくの言葉を思い出したのかな、かんじないのは、かんじられないから。かんじられないのは意味と内容が見えてないから」
かんがえるという言葉をあなたは漢字にしてこころに描いた。
「ほら、はっきりしただろ。かんがえるには考えると勘えるの二つの意味と内容に変わる可能性がある。しかし、重要なのはそれらの可能性は通じているということ。ゆり、理解は理を解くことで理とは自然の法則で自然の法則を解くものはなにかな、声に出して」
とき、とあなたは声を音にして、理解のかけらを掴んだことを示した。
「ゆり、理解したみたいだね、異なる形というのが理解の鍵。時は組み立てる。象られたものは意味と内容だから、かんがえるという行為の意味と内容はかんがえるという言葉をはっきりとくっきりと意味と内容を分けることでその成分である意味と内容が見えてくるなら、かんがえるの意味と内容を象ると考えるという知恵が、勘えるという知恵が見えてくる。考えたら、思うことも、感じることも出来るようになる。つまり言葉の周りである意味と内容を調べてしって、しった意味と内容を思考して、感覚の間隔を方向に返還する」
知識が多くなるにつれて理解できる範囲が広がっているのを感じて、あなたは楽しく思えていた。
「そうだ、これもとても大切なことだからはじめに語っておく必要があった、ゆりは愚かさをしっているかな」
軽く首を傾げてしっているとあなたは言った。
「そうか、では愚かさってなに」
首を傾げたままあなたは沈黙した。
「愚かさを愚という字があらわしているのはもうわかるはず、愚という漢字には心があるからおろかさとはこころに関することだということもわかる、では心のうえの形はなにをあらわしているのかが問題だということもわかる、そこに心があるのは偶然なのか、必然なのかゆりはどちらだとおもうかな」
偶然であり、必然であるとあなたは答えた。
「なんとなくは形のちからが見えてきたようだね、あうという字がある。あうには遇うという字があるが、遇うにも偶然だろうか、おなじ形が見える。遇うときは閉じるときだろうか、開くときだろうか、どちらだと感じるかな」
問いかけの理由と意味があなたには理解できていない。
「魔術は寓話と譬え話で語るのだが、寓話の寓にもおなじ形があるんだよ、ではじめの問いかけの答を開くと、このおなじ形はさるをあらわしているもの。ふだんはそのさるという形は猿と象られるが申と象られることもある、あのさる。つまり愚かとはさるの心ということなのだけど、そのさるは真似をする生き物だから愚かとは真似る心のことなんだ、わかったかな」
わかったという表情をしてあなたは頷いた。
「数と力の変換をこれからつたえるのだが、一は同じで二は似るで三は異なる、異なるということは、違うということで、違うということは違いがあるということで、ちがいがあるということは、たがいがあるということで、たがいがあるということは互いがあるということだということは覚えておくこと」
わかりました。とあなたは答えた。
「そう、では一は王冠、二は知恵、三は理解ということはもう覚えているとおもうけど、これからそれを芯にしてより多くのことを覚えていかないとならなくなるのだけど、まずは一の王冠はしんじること、二の知恵はしること、三の理解はうたがうことということも覚えることになるのだけど、真似るという愚かさは数の力ではどこにあたるかわかるかい」
二にあたる。とあなたは答えた。
「そうか、ゆりは愚かさとは知恵にあると感じたのか、では賢さとはどこにあるかわかるかい」
王冠にある。とあなたは言った。
「そうか、ゆりは賢さは王冠にあると感じているのか。その感覚は正しい感覚。漢字とは元々は自然を見て自然の輪郭を象って生まれたもの。漢字が複雑になるのは色々な意味を表すために象ったものを足していったからに過ぎない。漢字はあるときから統一されることになるが、生まれてからの変換は旧字として残っているし、漢字には異体字という同じ意味と内容を表す異なる形をした字もある。ということを語ったのは賢という字の異体字は臣と貝と忠という字で出来ていて、忠とは中心を表すから。時が生まれたとき、そこから中心が生まれた。ということはそこがはじめということになる。そのまえがないからはじめとは一になる。それよりまえに開かれたものはないから、そこから開かれる。つまり閉じられていたものは時間と空間ということになるが、どこに閉じられていたのかはわかりようがない。わからないから、ない。それより先がなく、まだ後がないのだから、それ以外がない、つまり選択のしようがない、ということは迷いようも、惑いようもない。そこが一といわれる座標となる位置。そこが生まれたときまだこの星はなかったし、もちろん人も生まれていない。なぜなら星である地がないのだから。ということは理解できたかい」
理解できたという表情をあなたはした。
「その表情であればわかったはず、真似るとは真に似るということで、真とはしんじることで、しんじるとは信じるで、信じるに似せても信じることは出来ない。出来るのはしること。しるは知る。信じることと対なるのは知ることではなく、うたがうこと。うたがうは疑う。ということは疑い尽くせばその先にあるのは信じる。だから否定を否定して肯定を生み出す行程を必要とするのが魔術。信じるとはしんじるでしんをしるで芯を知るということは信じることを知るために疑うという行程になる。これは心が象ったなにかが声になったとき、心の形と声の形は大きさは違うが形は同じであるはずであるということに通じる。ということは声はそのままにありのままに心ということになる。そうならないとしたらその声はただしくない、それは正しく、つまり一に止まることなく丕に止りそこには歪みがあるということ。丕とは大きいという意味を象った字だから大きいに止まると歪むということになる。それはなぜかわかるよね、はじめは最も小さいから」
束の間、あなたは生まれたばかりのそらをかいま見た。
あまりにも遠くをみつめているから声をかけ、こころをぼくの近くにもどした。
「ゆり、ほんとになぜ、いまそれをしているかぼくはわかってない。それは、わかっているとおもうかぎりそこはすでに零の数として力が動く領域ではなく、一の数として力が動く領域となるから。いつでもこれから進む先は一の数として力が動く領域からでないとならない。いまが一の領域だとおもっているかぎり、これから進む先は二の数として力が動く領域になる。それではそこで働く力はしる力に、似の力になってしまう。これでは一の領域の力から、白い光から進めない。この言葉の意味がほんとに深く理解できたら、知恵を超えて理解を得る。理解を得た時にしか知恵は開かない」
わからないという顔をしてあなたは見つめた。
「理解を象徴する数はわかるかな」
三とあなたは答えた。
「三ですか、ゆりは図画工作は好きかい。もしかして得意だったりするかな」
あまりしないので得意ではないと思う。とあなたは答えた。
「そう。それがどのような形を描くものでもはじめは点にしかならないと覚えること。はじめが点なら次はなにかわかるかな」
線ですか。と問いかけであなたは答えた。
「なら、その次の三も答えられるはず」
へんですか。とあなたは答えた。
「へんではないけど、へんだから、やはりへんになるな、おかしくはないけど」
少し考えたような顔をしてあなたは笑った。
「ゆり、結果が知恵で、終わりだとしたら、はじめはなにと、なにかな」
王冠で、原因とあなたは口にして理解を表情にした。
「わかったみたいだから、はじめをしるために象りますか、しんじる力を」
不意にしんじるという音を漢字にしてあなたはこころに象った。
「ゆり、あなたの目的と結果は理解と知恵として、過程と結果として、通じているかな。知恵はしることで理解はうたがうこと。はじめは、しんじる。しんじると口にしないと動かないのが働く力。それは言であるだけに源となる。目的である理解が求めるのはしんじること。それは人を超える力に働きかける祈りの言葉だから」
理解を超えた領域をしる恵みをあなたは祈るようにこころに落としていた。
「ゆり、それがなにであれ、正体と呼ばれる時にはその止まるべき一とははじめであり、はじめはおなじ。そのことに興味が湧けば泉は光として見えてくる。その先に透き通る光がある。そこが吾の心の世界だと気づくことを切に願う。でないと魔術は理屈以上のなにものにもなれない。彼は魔術を祈りと語り、つたえている。彼の真意は新しい世界を開くこと。彼はいう、うつむき胸を押さえ祈る姿が真実の祈りだと。ただ祈り、しんじる。しんじるとは信じるで信じるはしんじるとなったとき濁りを失い、しんしるになる。それはしんをしること、それは芯をしることになり、それが根を出し芽となり、葉を伸ばし花をつけ、実をならし、種を蒔く時まで感じられたら、蒔いた時は萌えて、解きと化す芯をしり、祈りは誓いの言を折る。彼はいう、誓ってはならないと。彼の言葉の意味をしるには真の祈りになるしかない」
思いの力をあなたは試されている。
「一なる領域で働く、力に変わるなにかが、同じ領域に働くなにかなら、同じ、それは言葉を変えて意味と内容を異なることなくすれば等しいという言葉の意味と内容の領域で働くなにかとして次の領域で、止まることなき力に変わる。つまり、はじめである一なる領域で働くなにかは同じとか、等しいとか、そんな考え、そんな思い、そんな感じを覚えるときに働く、次の領域で流れとしてある力に変わるなにかと言える。そのはじめの領域で働くなにかは感覚を信じるとして、求め、与える領域でしかありえない。終わりなく、続きさえない、知ることも疑うこともないときに開かれる、ただ目映く、白いだけの、見つめることのできない光しかない領域として現実を再生するここ、こそが在りしときの彼が天の国と呼んだ世界、王冠の領域」
ただ、覚えるしか出来ないとあなたは思っていた。
「たしかにそうかんがえていても、おもっていても、かんがえたり、おもったりする時間がない領域であり、意識できない領域でもある無意識と呼ばれる領域では、ほんとにそう感じないかぎり通じない。ゆり、魔術は相手の意識できない領域に働きかける技術だから相手は自分が動かされていることにきづかずに動いていく。でもそれを自分も意識できない領域から働きかけないといけないから難しい。もしも相手を自分の意のままに動かそうと思えば、相手の意識できる領域にその思いは通じ、相手はその思いと反対の動きをしようとする、だからどうすれば相手だけでなく自分さえも意識できない、意識しない領域で意識しないまま魔術がかかる領域に通じさせるか、それが理解出来たら理解の領域までその力が通じた証になる。ゆり、力の変換の順番を覚えるように言ったけど、覚えたかい」
あなたはうなづいて声にした。
「そう、王冠からはじまり、知恵になり、理解になり、慈悲になり、峻厳になり、美になり、勝利になり、栄光になり、基盤になり、王国となる。ということははじめが王冠でおわりは王国ということはわかったかい」
あなたはうなづいた。
「人が持つ感覚は五感と呼ばれる。五感とは目と耳と舌と鼻と皮膚とを通して生じる五つの感覚で目は視覚で耳は聴覚で舌は味覚で鼻は嗅覚で皮膚は触覚と呼ばれ、また五感とはひとの感覚の総称としてもいわれる。つまりゆりが持つ感覚の総称を五感と言いこれらの感じた感覚を思考つまりおもったり、かんがえたりするときに言葉を用いるわけで言葉とは言語とも呼ばれ、五感である感覚を言語にするに際してその感覚は言語つまり言葉の感覚として語感と呼ばれる」
見つめると、あなたは言葉の続きを待っている。
「五感として形作られた感じるという感覚は語感として形作られる時に思考という思ったり、考えたりする感覚に変換されることになる。感覚を生じるのは器官でありその器官を感覚器官というがその感覚器官とは神経により感覚器官が生み出した感覚を再現する器官と通じていてその感覚器官が最も強く生じた感覚は痛みとして感知されることになる。痛みを感じるためにある感覚を痛覚とよび痛いという感覚は思ったり、考えたりする感覚よりもより強くゆりの感覚を支配する。ということは最も感覚として再現される力が強い感覚は痛覚であり、ということは最も通じる感覚も痛覚と言える。ここまで理解出来ている、つまり知恵から入って行ったいるものは理解から出て来たかな」
あなたは真剣な目差しでちいさくうなづいた。
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