第八章 9

 「数が秩序を生む。創造の源が秩序で、秩序と創造の源となるものは時。想像できるだろう、創造するちからと破壊するちからは対なるちからでしかない。しかし、ひとは創造を音に戻してそうぞうから新たに創造して想像とすることはできるが、破壊は音に戻しても新たにはかいして破戒とすることはできない。破戒とは決まりや戒めを破ること。決まりや戒めを破って壊しても、そこから新たな創造は生まれない。旧約の聖書に十戒とよばれる人と神との契約が記されている。十戒とは十の約束という意味でそこに綴られていることは神と人との約束だと言われてきた。しかし、人はその約束をことごとく破った。神との約束を破ることが罪でないならきっと罰はくだされない。だが、想像のちからがあるなら神との約束である十戒が創造され、その約束をことごとく破戒した現在に原罪がないとおもうならすでに、木になったいまのこころはない。既に木になった今の心がないなら概念は生まれない。だからそこにあるはずの命の木も命の水もないことになるけど、それでもよいとおもうなら、現在のあなたに原罪と呼ばれる罪はない。しかしあなたは罪人とおなじところにしか生きていけない定めであることにかわりない」


 定義という言葉があなたのこころに浮かんでいた。


「ゆり、創造されるのも、ちからだし破壊されるのも、ちからということはちからを意味と内容で象れば、地からはじまるし、なら知からはじめた方がよくはないかな、さらにいえば痴、つまり愚かさからはじめたほうがより知をしることになる。それはしらない知をしることで、その知を隠れた知恵とか天恵というから、天の恵みは天から降る零で、わずかなものにきづけば自然ときづきは気づきとなり、大気から欠けている、つまり欠けて入ることに気づけるだろう。大気は大器として表れる。そこに気づいた者が魔術を編み出したのだとぼくはかんじている。ぼくの魔術は古の放浪する民の王から流れてきた知恵によっている。王のことは旧約の聖書に記されていて、王は神に望むものをきかれたとき知恵と答え、知恵を授けられた。その知恵が隠れた知恵であり、いまぼくが魔術と呼んでいる彼の教えの原泉となる理解であり、数の領域で三であり、自然の領域で水となる理解のちからとなった自らを解く黒いちからのことで、彼はそのちからの源泉を善いものは神のみという言葉で教えた」


 ぼくの口から出た音となった言葉を繰り返しあなたはこころに描いた。


「ゆりに大切なことを語りたいとおもうけど、大切なこととはなにかな」


 不可解という顔をしてあなたはこう問いたそうにぼくの顔を眺めた。質問の内容が漠然としすぎてなにを問いかけられているのかわからない。ぼくは当然そうなるであろうことを予測してその予測した反応をきにもとめずに言葉をつづける。


「大切なこととはという文字をいま、あなたは目で読んでいる。目で読んで、大切なことはなにかなとこころでその字の音を再現して、意味を記憶から選び出して当てはめるという作業をしている。以上は、おそらくはだいたいの人が行っているであろう行程を言語に化したもの。では、もし目という文字をぼくがメや眼という文字で書いたとしたらどうなる。かんがえてみると、メはカタカナ。眼は漢字。では、おなじめだけどなにがちがうのかをかんがえてみるといい。あなたはすこし頭が良すぎる。ぼくはこれまで一度として自分は頭がいいと言ったことがない。どうしても、人は相対の概念から抜け出せないもの。ではたずねるけどあなたは誰と比べて頭が良くて、誰と比べて頭が悪いのかな。ではなぜぼくは自分で自分は頭が悪いと口にするのかわかるかい。答えを教えると、頭が悪いとかんじ、おもい、かんがえると内と外がつながるから。意地悪にすこし難い表現を用いてあなたのこころに氷原を描かせてみた。メ、目、眼はおなじ音の響きを発する音だがこのなかで最も多くにその響きをつたえる、めじるしはどの文字かな。天の涙は雨。雨は教えてくれる。零の響きを。彼が誰かを通してつたえてきた言葉にこんな言葉がある。多くを集めた者も、余ることはなく、わずかしか集めなかった者も、不足することはなかった。この言葉の意味を理解できたら及ばないことも過ぎることもない状態にいく秘密がとける。わかったかな」


 泣きたい気持ちにあなたはなっていた。


「ひらがなを多く用いてきたのは、ひらがなが抽象的な事象を表すのに最も適した文字であるとぼくがかんじているからで、逆に具体的な事象に対して最も適した文字は漢字だとかんじている。だからあえて具体的に輪郭が見えないとそれを象りかんじることが出来にくいという事実をかんじさせるためにひらがなからこころという輪郭の見えにくいものを解いてきたわけだけど、ぼくがしてきたことの意味が見えていただろうか、ひらがなは簡単な文字でふだんから多く読む機会のある文字だから読むにさいしてかんがえることをあまり必要としない。ひらがなよりもカタカナは使用頻度が少なくあまりカタカナだけの長文は用いないからカタカナの長文は読むのに意味や内容をかんがえる必要が出て来る。これは普段と異なるから。簡単で文字を読むのにかんがえることを必要としないひらがなだが、長文になると様子が変わる。ひらがなの長文は意味や内容でそのひらがなの意味をこころで漢字に変換して読まないと意味や内容が読めないことが起こる。つまり最も意味や内容を含む具体的な文字は漢字ということ。ということはこの国の言語とは難解で具体的に意味や内容を形にして含む漢字と簡単で抽象的に意味や内容を形にして含まないひらがなとカタカナの組み合わせでこころの音を表に現しているといえる。ということは、簡略化するさいに抜け落ちた形を復元すれば、ひらがなやカタカナの文字が持つ本来の意味が現れてくるということになるだろうとぼくはかんがえ、過去を遡りしらべた。漢字からカタカナが生まれ、そしてひらがなが生まれる過程で文字の形が簡略化され抽象化されて形の意味が失われ、こころをあらわす意としての形の文字が音としてしか機能しなくなり、その音に含まれている念が見えなくなり、口から出る言葉と今の心にあるものが同じではなく、異なることになっていったのだろうとぼくはかんがえている」


 意識することなく、あなたはこころで音に意味と内容の衣を着せ、象って理解の領域のちからをはたらかせようとしている。


「漢字が表しているものは感覚器官が捉えた感覚としてのかんじ。おとにもどすとその表記は限界をひらがなか、カタカナにもとめられるが、異なるというかんじを表す表記はカタカナの領分である。ということは異なる理解ともとに戻る知恵ということで王冠の領域つまりはじめの一なる領域は漢字で表記するのがただしいとぼくの感性は認めたので漢字に直すとかんじは感じとなる。一なる領域それが魔術の領域ということははじめに語ったが、魔術の領域のちからは目として、光として象徴される。だから目を覚ましていなさいと彼は言う。あなたは彼により招かれ目を開かれたが、あなたには見るちからはあるかな。これからは見えないことを自覚できたという前提で漢字を多く用いてより具体的に事象を組み立てていくことになる。ひとつひとつの文字に意味を含ませ文字が秘する領域の力を表現することで裏に隠れている心を文章に変えて表に描き、言葉を越える感覚を写すためにひとつの音の響きに異なる形を与えて微かな角度の異なりが意味を大きく変える仕組みを実感させ、魔術の本質を目覚ませるが、そのまえに解体したものを組み立てるための設計図に書かれている注意書きの説明をする」


 あなたはただ見つめている。これから起る事象はしらべた経験がない限り、知り得ない内容の語りだからはじめて記憶されることになる、しかも最も大切な覚えておかないとならないことだと肌でかんじたから。


「こころというおとがそのおとが描いた輪郭である器に満たされたかたちを形となして内容を表すとき、こころは心となりその心が器を表す内容の形を変えずに心のおとをしんに変えると、こころという音は器の内容を変えずにかたちを形に変えてこころをしんに変える。内容とは内に容れているものでそれは器であるかたちに満たされている意味のようなもの。あれはあれでこれではないというような、なにかをなにかでしかないと決めるという作業が要るときにはそれを決めるものとしてのなにかがいる。そのなにかをひとは定義と決めた。まずは定義が定義されないとなにも定義しようがない。そして定義なるものがなにかわからないかぎり定義がわかることはない。ということで問いかける、ゆり、定義とはなにかな」


 はっきりとことばとしてこれが定義ですということはできないですが、というすこし困ったような顔をしてあなたは問いかけに答えようとした。


「定義を答えるには辞書がいるか。ではかわりに答える。物事の意味とか内容とかを他と区別できるように、言葉で明確に限定することが定義の定義。これが定義されるためにいるつまり必要となるもので必要とは必ず要るもの。つまり定義するために必ず要るものが言葉と限定。限定とは限りを定めたもの。定義と限定はつながっている。それはならびをかえると、限りの定めは義となるもの。定めとはなにかをわからないと定めがなにかわかりようがない。定めがなにかわかるためには定めがなにかしらないとわかりようがない。定めがなにかしりたいなら定めがなにかしるしかない。しるためにはしらべるしかない。しらべるという言葉のいみとないようを具体的に表したいならしらべるのいみとないようを輪郭として表すしかないから表すと、しらべるは調べるとなる。しらべるとは調べるになり、そのいみとないようを抽象化されたものから具体化して表面に表す。調べるというかたちの輪郭となりしらべるという言葉は具体的にそのことばの意味と内容を表した。調べるという言葉に具体的に表れたしらべると異なり象られたものは調でそこにあるのは言葉をあらわす言と周で周という言葉は周りとなりまわりとなるとき、その言葉を具体から抽象にもどす。つまりしらべるとはことばのまわりということでそれを具体化すると言葉の周りとなる。つまりしらべるのは言葉の周りということで周りとはなにかをしらべると周りとは周となりそのおとを変えしゅうとなり周とは数学で、図形を囲む閉じた曲線または折れ線。また、その長さとなる。言葉をあらわす言はしらべるとものを言うこと。言った言葉となり、ものを言うということは口に出して言うこととなる。口に出していうとそれは声となり、声とは音のこと。音にして声となった口から出たものはなにかといえばそれはこころでありそのこころはどこから出たのかといえば、中から出たのでありそれは内から出たものとまで解き明かせば、内から出たものがこころであり、こころは内から、そして中から出るものであり、中とはどこかといえば中心であり、中心とは真ん中のことで真ん中から出た音が声でその声が表すものが心でその心はどうして声として音として出て来たのかのかといえば中は中るであたるから心にあたったから音になって出て来たということがわかる。心が音になるとそのかたちは形となり意となる。その意という形はそのおとをこころとするから、その音はおととなるときに心と意をおなじおとにもどす。ここまでわかったかな」


 なんとなく、心と意の異なりを音と声の異なりとして感じていたが、その感じた理由にまで答が届いていなかったのでそのことは口にしないまま、あなたはわずかに頷いてあたった心を表した。


「うなずいたところをみると定義についてはわかったらしいから、定義の定義についてはこれでよしとして次にうつる。次は定義するなにかについて解き明かすが、定義とは物事の意味とか内容とかを他と区別できるように、言葉で明確に限定することだが、では物事の意味とか内容を表すものはなにか、そのなにかは言葉で明確に、つまり確かに明らかに限られ定められたものとしてあるのかという問いかけが生まれる。それがなにかわかるかな。わかるかいということはしっているかという問いかけでもあるわけだから、物事の意味とか内容を表すものをしっているかなと問いかけている」


 自信なさげに概念ですか、とあなたは問いかけを問いかけで返した。


「概念ですか、では概念とはなにか説き明かして」


 概念の定義を言葉で説き明かすことができずにあなたはうつむいた。


「やさしい言葉にすると、おおまかに全体から見たさまのこと。全体から見るということは全体が見えなくてはならなくて全体が見えるということはその物の外郭つまり外側の囲いが見えるということで、つまりそれは輪郭が見えるということ。ということは概念とは意味とか内容の輪郭といえる。概念の形をばらしていくと既に今の心は木となる。木になった心とはなにか、それは声だろう。心の輪郭が声で音と声を変えるものが心である。ということは木になるものはなにかといえば種となると説き明かすと解き明かされたものがある、気づいたかな」


 とし、あなたはおとを超えて心を意に変え声にした。


「うなずいても頷かないとこころの輪郭はみえない。頷けば今の口は頁だとわかる。あなたはいま口にするとき頁をめくった。頁とは過ぎ去りしときには一葉をめくった。いるは要るで要るのは必要だからで、必要なのは必ず要るからということは説き明かしたけど、なぜ必ず要るのかわかるかい、それとどうしてこんなにも問いかけるのかその答えもわかったら答えて」


 わかりません。とあなたははっきり答えた。


「わからないのか、なら教える。それは重要だから。では問いかけるけど重要とはなに」


 わかっているはずなのに、重要とはと問われてもあなたはその答がはっきりとはでなかった。


「重要とは辞書を引くとこんな意味と内容のことが記してある。物事の根本とか本質とか成否などに大きくかかわること。きわめて大切であること。つまりなぜいるのかという問いかけの答えはやさしくいうと大切だからということになる、これはもう一つの問いかけであるどうしてこんなにも問いかけるのかということの答でもある。つまり大切だから問いかける。ではまた問いかける。どうして問いかけることが大切なのかわかるかい」


 わからない。とあなたはうつむいた。


「ゆりはなにもわからないね、答えは、問いは答とつながっているから。問いにあり、答えにあるおなじ形をしたものがなにかわかるかい」


 口と声にして、あなたは表情に輝きをもどした。


「そうだね、口。ではおなじと問いと答えにある同じ形はなにかわかるかい」


 こころでおなじというおとを音に変えて輪郭を描き、同じという形にして問いと答えという字の横に並べた。おなじ形は口だと気づいて声にした、口です。そしてあなたは気づいた。答えと同じにあって問いにないもの、それは一。


「気づいたようだね、意味と内容が輪郭として表れるのは輪郭つまり象るものが自然だから。意味とは未だ口にしない意つまり音にならない心。内に容れるのは心で心が音になり音が輪郭を描くと心は意となる。しかし心と意はその音の形つまり輪郭をこころとして描くとおなじになる。ということは心と意にある音はこころとして輪郭を描いたときには音がなくなる、つまりおとがなくなる。ということは、あったものがなくなるということはあるものつまり一がないものとして零になる。この零としてある音にならない音を感じるちからがひとにはあるとぼくはかんがえている。しかし、あるのだが、あることを自覚できない。この自覚が出来ない領域ではたらくちからが魔力として変換する力となるのではないかとかんがえている。どうしてこんなことをいま語っているか、わかるかい、理由は大切だから。つまり魔術という技術の根本とか本質とか魔術の成否などに大きくかかわっているから」


 理解を象るように微笑し、あなたは頷いた。

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