第七章 2

 次のことばをあなたはみつめていた。


「なんだと思う」


 ふいに投げかけられたことばに自然に答える。


「そう、自然。では、自然とはなに」


 自然とはなに、という問いには自然とはことばが出ないようだ。答を告げる。


「それは、環境」


 心にあなたがことばを描いている。


「魔術とは人がはじめに見いだした知恵。知恵とは、知る恵み。おそらく人がはじめに見いだした魔術は占」


 ことばに引き込まれるようにあなたは瞳孔を広げた。


「占はしんじるかい」


 たずねるとあなたはうなずいた。


「どうして占は当るのだと思うかい」


 あなたの答えは振り出しにもどされるままに、首を横に振った。微かにあなたは覚えている、解きを止めた楔の痛みを。


「なんにでもはじまりはある。占にもそれをはじめた人がいるはずだ。で、調べていくと占のはじまりは神に辿り着く。過ぎ去ったときは未だ来ないときが生み出していく。人の想像するちからが神を生み出したのだろう」


 あなたはうなずいている。そのうなずいている状態を漢字であらわすと今の口の頁と書かれつづけることにはいわれないと気づかないだろうが、知ってみるとハッとする恵みの事実。


「ぼくは魔術師だから魔術のはじまりであろう占もする。調べれるだけ調べて辿り着いた答は結局は占には根拠がないというものだったけど、占は現実に当たるからその当たる理由は探す、魔術師としては。魔術とは魔法の技術だからだれかしかできないというものでは技術とはいえない。できるためにはできる理由が、つまり方法と技術が明確になっていないとならない。これは錬金術と呼ばれていた技術において明かされたことで、錬金術とは他の金属から金を作り出そうとした技術だったが数世紀を超えて金は他の金属からは作り出せないという事実がはっきりした。だから錬金術は誤りの技術だったわけだが、その誤りのおかげで科学が生まれた。そして錬金術が生み出す金は物から者へと変貌して人の心を神の心に近づける技術として生まれ変わる。錬金術と占術とは方向はことなるけど結果としては同じ地点を目指している技術、占が当る理由もここにある。つまり占とは神の心を知る技術」


 ここまでであなたはすこしわかり難いという顔をしている。当然だ、自発的に調べているわけではないからあなたにしてみたらこの情報は闇夜に穴だらけの道を歩かされているような不明確さがある。ぼくはひとつの書類に矢印を合わせてひらいた。


「これは過去にぼくが占について説き明かした文章なんだけど、これを読んでみる」


 あなたは文章を見ている。


「ゆり、やはりあなたが読んで、声を出して。読みながら理解して。理解できない所があれば理解できない所を後で教えて。その方が効率がいい気がする」


 ゆっくりとあなたが読みはじめる。


「では占とはなんなのか、ということから語ってみようと思う。おそらくだが占をする生き物は人ぐらい。ではそうと仮定してなぜ他の生き物は占をしないのか、いや、できないのかと言ったほうが正確だろうが、ではなぜ他の生き物たちにはできないことが人にはできるのか、そこに人が人としてある秘密があるような気がする。では、占とはなにかその定義から入る。でもその前に定義というものがわからないと定義する意味も意義もわからないだろうから定義ということばの定義からはじめる。定義とは、物事の意味や内容を他と区別できるように、ことばで明確に限定すること。つまり限定することが定義で、限りを定めることにその意味がある。それは一は二でも三でもない。一は一であるということ。それが定義」


 あなたは一度大きく息を吸い込んで吐き出した。緊張がつたわる。


「では占が占であるという限定はなにかということに入る。占の定義。占とは、うらなうこと。人の運勢、物事の吉凶、将来の成り行きを判断したり予言したりすること。ではうらなうこととはなにか、現れた兆しや形象などによって人の運勢、将来の成り行き、物事の吉凶などを判断する。では占がどんなものでどんなことをするのかはわかったと仮定する」


 と仮定してことばを読んでいるが、あなたの顔には理解ができないと書かれているように見える。考えているのだろう。考えながら文字を声にしているようだ。


「で大切なのは占えるのか、ということ。つまり現れた兆しや形象などによって人の運勢や物事の吉凶が判断できるのか。という疑問が残るわけだが、現実を見つめるとその答は自ずから導かれる。定めがあるということ。ここに答がある。占の本質を現すのは定めであり、限り。では定めとは、限りとはなにか。なにかと問うことをしているが、ではそのなにかのなにとはなにかわかっていて問うているのだろうか、と問うてみる。物事は分れているようで実は分れていない。分れていると仮定することで解こうとしていく。過去は未来を描いていく、時の流れは決まっている。選べないからはじまり、選べるにおわる。選べるのはおわりだけ。選ばないでも、おわりは決まっている。単純であればあるほど複雑に、複雑であればあるほど単純に」


 あなたの顔にはすでに困窮の色が見えている。文字を音にして読んでいるだけで、ことばとしての理解はふくまれていない。


「零はない。それは、ないはない。ないものをあるとして、あるものをないとして変えていく。零を一に一を二に二を三に三を四に四を五に五を六に六を七に七を八に八を九に九を零に、それだけのこと。どうやって変えるか、わける、分ける、別ける。創造のちからと破壊のちからは等しい。そのちからをつなぐのは想像のちから。では想とは、像とはなにか」


 すでに読んでいる内容は表の層としての記憶としては残れない領域に入っているようだ。深い層としての意識に知識を落とし込む試みは成功しているように見える。


「想。意味。おもう。ある対象を心において求め考える。解字では相は木と目からなり、向こうにある木を対象として見ることを示す。ある対象に向かって対する意を含む。想は心と音符である相で、ある対象に向かってこころで考えること。相。意味。みる。たすける。解字では木と目で、木を対象において目でみること。AとBとが向かい合う関係をあらわす。像。意味。かた。姿やかたち。解字で象は、動物のゾウの形を描いた象形文字。像は人と音符である象で、ゾウは大きく目だつ姿を呈することから、ひろく、姿や形の意に転じた」


 あなたは一度読むのを止めて深呼吸をした。気持ちを立て直してもう一度読みはじめる。


「大切なのは、類義を掴むこと。定。意味。さだめる。物事を一つにきめる。対語。動。類義語。必。解字では、やねと音符である正で、足をまっすぐ家の中に立ててとまるさまを示す。定めとはつまり、正しいが一であるということ。そしてそこは止まるであるということ。止まるのは死。それが心臓。トとは皸のかたち。卜とは日々のかたちとして現れる。相という心、想い。音とかたちに込められたちからを感じるとその先にある不確かな未だ決められていない領域の響きを、音になるまえの響きを感じることができるようになる。音叉のように感じやすい心になれば邪の入る余地のない領域に答を見いだせるようになる。そこは知恵のまえの定められた限りの地。そこを人は神域と呼んでいる。けして、真ん中を歩けない領域。つまり自分は零の領域を超えることのできない領域。そこが礼のはじまり、感謝の響く場。慈しみの場。慈悲の領域を誤らないためのちから、それが信仰のちからであり占とは神のお告げ」


 やっと、あなたは読み終えた。理解はおぼつかないようだ。説きは時が解く。深い層としての意識に落ちていったことばは、いづれ必要なときに降り続ける雨となり、やがて地下水となり湧き出してくるだろう、隠れた知恵の泉として。それは書いてあることを一言でまとめている最後のことば、占とは神のお告げという最後の一行になっている。


「出来ないのは、出て来ないから、それは入っていかないから。入らないものは出て来ない。つまり、それはいらない。ということ。力はいるからある。いれないとはいらない。ではどうやっていれるのか。つまりどうやってはいるのか。それは求めて。それは与えて。一はどちらに、九はどちらにありますか、丸はどうすれば生まれますか。円はどうすれば生まれますか。球はどうすれば生まれますか。一はなんですか、答は従えば見えて来ます。その糸が縦。メロンパンの話をしたのはたとえを用いて具体的にこの内容をつたえたいためだったのだけど、成果はあまりないのかもしれない。ここまで読んであなたの顔にはまだ微笑は浮かんでいない。科学が発達するまで人の自由を束縛していたものは他ならぬ聖書。人々は聖書に書いてあることはすべてほんとのことだとしんじ込んでいた。しかし聖書にはこう書かれていると新約の聖書には記されている」


 絨毯に転がっている新約聖書を手にしてあなたはめくりはじめる。


「たとえ話で語るというところを探して」


 その頁をあなたは見つけた。


「書いてあるからその鍵括弧のなかを読んで、声を出して」


 あなたは読んだ。


「わたしはたとえ話を用いて語り、天地創造の時から隠されていたことを告げる」


 聖書の物語はたとえ話。なにをたとえているかといえば、心。心というかたちの見えないものを、かたちの見えない神があるものでたとえることで人に神の心というものをつたえようとしたものが聖書だと思うんだ、ぼくは。


 あなたは頷いている。


「それはなにを意味するのかというと、彼の物語もたとえ話として読めば神の心というものが彼の心という物語として読めるわけだ」


 疑問を感じながらもあなたは頷いている。


「ぼくは思っている。いや、感じている、せかいにある物語という物語はすべて神の心を人が感じるために神が用意したたとえ話だと」


 あなたは頷いている。


「思い出して、もっとも古い物語を。あの物語は聖書よりも古くに人が生み出した物語」


 あなたは手にした新約聖書を絨毯に置いて、器を手にした。ぼくは空の器に珈琲を注いでいった。


「彼は水の上を歩いたという記述が新約にあるんだ、ゆり、あなたは水の上を歩けると思うかい」


 珈琲を一口飲んであなたは考えている。


「ゆり、あなたでも水の上を歩ける、ほんとに」


 あなたは怪訝な顔をした。


「ただし、水が凍っていれば」


 表情に理解をあらわした。


「ぼくが見つけた魔術は旧約にその根があるという話はしたね、たしか。では旧約をひらいてみて、創世記を」


 あなたは旧約を拾い上げて、言われるままに創世記をひらいた。


「生命の木ということばがあるのでそこを読んでみて」


 探している、あなたはちいさな文字を目で追いかけている。ぼくは画面に書類をひらき、創世記の記述の写しを映した。その記述をあなたは目にしている、一度黙読して声に変えた。


「主なる神は言われた。見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない。 そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。 神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた」


「ありがとう、ゆりの声が美しいからずっとその声を聞いていたい気になるけど、時が惜しいから学びをつづける。ここに記述された命の木が魔術という種から生まれた木」


 創世記のはじめからあなたが黙読をしていく。ぼくが声にすると顔を上げた。


「まずは天地開闢からはじめる。ここが魔術をつかう領域」


 ぼくが口をとじるとあなたは恥ずかしそうに口をひらいた。


 では少し休憩を挟むからゆっくり、というまもなくあなたは洗面所に駆けた。お腹がなり、求めているものがみえた。真っ赤な鮭。


「餌を買いに行ってくる」


 ことばと被るように洗面所の扉のしまる音が、響いた。

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