第七章 私の刀は勝つために

 目がさめた。彼女はまだ夢のなか。思い出す、彼女は凌辱され、計算する機会をうしなった。彼女に捧げられた日常は彼女が壊れたことで物ぐさで面倒臭がりのぼくから掃除と洗濯ができない理由をうばった。彼女といっても考えることのできない、もし彼女が考えたり、思ったりできたなら、みずからの自由をうしなうための命令に機会を赦すはずはなかった。彼女とは連れ添っていた個人的な計算機、つまりPCのことであるけど。人は移動する手段を馬から車に変えたときに非情への道を踏み出した。どうしても機械は生き物のように愛せない。たとえ名をつけ、いつも触れていたとしても。


 仕事柄、ぼくは微笑みをなくした顔をよく見る。そんな顔から発せられることばのでてきた方向にはゴミ置き場で嗅ぐ生臭いにおいがする。人を不快にさせる音とにおいが混じった考えと思いを口にさせるのは、不感症のように鈍くなった感覚器官から受け取る痛みとしか感じられなくなった信号。黄色く変わった感覚からみちびける過程は二つ、赤として止まるか、青として進むか。なのにまれに赤に変わるのに進む者がある。結果がどうなるかは統計をとるまでもない、過ぎた幸運がつづくことはない。考えるも思うも感じるも相対として他があり発せられる信号の方向。相手と自分の位置を交換して考えたり、思ったり、感じたりする癖をつけておかないと、パスタと弁当を買った客に箸を二本入れてもそれがおかしな行動だと気づかないすでにウイルスに侵されたような頭脳で生きることを強いられる結果がくる。憮然とした顔で粉チーズの上に熱ためた弁当を重ねて渡そうとするくらいの人として。もし自分が溶けたチーズを受けとったら嫌だなというきもちが起こるような人ばかりならアンチウイルスソフトを売る必要がある世界にはなっていないだろう。病毒をばら撒く者はその者そのものが病毒でしかない。社会という世界が起動する仕組みを破壊されたくないなら駆除するしかないだろう悪性の腫瘍となる前に、自分を破壊する命令文に書き換えられる前に。


 牧場にいる羊が柵を越えて逃げると羊飼いは、牧場の羊を置き去りにして逃げた羊を追いかける。逃げた羊が病になり牧場に戻ってきたら牧場にいる羊がことごとく病になるから、病にかかるのはやさしいことだから。


 彼女はいつか目覚めるのを夢見て箱のなかで眠っている。安らかにすべての機能をわすれて。


 あなたがここにくる数日前に気づいた、異様に暗いことに。電球からこぼれる光が点いたり消えたりするまでそのことを気にも止めてなかった、この家にきた日から一度として電球を替えてなかったから電球の寿命がきていたけど、少しずつ照度を落とした照明に明度が失われていた現実に気づけなかった。新しい電球に取り替え、おどろいた、あまりのまぶしさに、あまりの家の汚さに。五畳しかない間取りに有り余るほどの書籍、それだけでも空間を食いつぶしているのに判別のつかない半透明な袋の山がさらに真っ直ぐ歩くことさえ困難にしている。不必要なものでないなら不必要に変えるしかないと気づくまでに時間をかけ過ぎた。減らそうと考えている矢先に増えていく。気がつくまでに時をかけ過ぎたけど、まだ間に合う。気持ちは習慣が生み出していく、だからかぎられた時間を大切にするために初期設定を書き換えて、相似好きに変える、微笑に。



「おはよう」


 ことばにするとあなたは泣き腫らした目を手で被いながら同じことばを返した。


「二日目がはじまった、時間がないからそのままでいい、問いかけに答えて」


 起き上がりながらあなたはうなずいた。


「この世界でもっともよいものとは、考えない、思わない、感じない、閃きで答えて」


 愛とあなたは答えた。


「愛がもっともよいものだよね、その愛をわたしだけに与えて下さいと神にいったら、神はなんと答えると思う」


「そうだね。その答えは否だろうと思うよね」


 PCの画面に必要な書類を並べながらことばも並べていく。


「なぜそう思うの」


 思うなとか、考えるなとか、感じるなとか言うのにどうしてそう思うのかという問いが出てくるのかあなたは不可解な思いがしている。


「思わずしてしまうことってあるよね」


 たずねるとあなたはうなずく。


「あなたが思わないのに、だれがそれをさせたの」


 たしかに、あなたは考えることも、思うことも、感じることもない状態になった。


 人は自分の予測出来る範囲以外のことを突然には思考出来ないようにできているらしいというのは、自分を実験の対象として研究し尽くしたから、あなたの心の状態がどのようになっているのか、大体はわかる。


「たとえば、道を歩いていたら目のまえに車が走っていてその車が道路脇を歩いていた子供にぶつかりそうだと気づいたまたたくほどの間にあなたはその子供の手をひっぱり車に当たらないようにしたとする、そんなまたたくほどしかないあいだに考える間も、思う間も、感じる間もないはずで、でも気づいたら手をひっぱっていた。こんな状態を無我夢中というけど、その我がない夢のなかのような状態のときにあなたの体をうごかしたのはだれ」


 あいた心にことばが響く。


「神なんだ、それが神があなたをうごかしている証拠なんだ」


 真っ白くなった心であなたはぼくのことばを反芻していく。


「それが愛。ほんとうの愛には自分の居場所はない。なぜなら、もどっているから神の領域に、本当の我に。簡潔にいうとそのことをほんとうに感じることができるようになることが魔術つまり魔法の技術の真実の目的、愛にもどること。それは神にもどることを意味する」


 放心した状態からあなたはもどれないようだ。


「わかったかな、寝起きにこの問いかけをした意味が。あなたは深く考えることができない状態でもっともよいのは愛だと答えた。そしてもっともよい愛をわたしだけに与えて下さいと神にいったら神は否というと答えた。それはつまりあなたが言った、あなたの気づかない本当のあなたが答を導いた。これは万人に不変の答。もし、この問いかけの答がこうならない者がいたらその人は心を病んでいる。あなたは問いかけにただしく答えることができた。魔術師の道がすでに通っている」


 かすかにあなたは頬をうごかした。


 では、これから本格的にぼくが見つけた魔術を伝授するといいたいところだが、わすれていたことがある。まずはこちらから片付ける。

 また問いかける、今度はよくよく考えてから問いに答えて。


「人は太古の頃から物語を語ってきた。どうして物語は生まれたのかな、ぼくは物語を書かなければならないがどういうものが物語、ぼくが書く物語は小説でなければならないが小説とはどのようなものをいうの」


 実にぼくの都合で問いかけているが、これは実際に現実的な問題として理解しておかないとこれから先を描くまえに修正とか書き直しをしなくてはならないことになる大事な問題だから怪我から目を背けて傷が膿むことになるまえに確認しておかないと困ることになる。あなたは色々とことばを考えたが最後にはわからないということばを発した。ぼくにもあなたがわからないということはわかったが、ではどうすればいいか。


 真剣な眼差しであなたは画面に向かい身を乗り出した。検索サイトをひらき物語と文字を打ち込み矢印をうごかして辞書という文字の上で二度叩いた。そこに出てきたのは物語ということばの意味。そこに表示された文字をあなたは読み上げる。作者の見聞や想像をもとに、人物、事件について語る形式で叙述した散文の文学作品。


「どうやらこの本は物語と言えそうだ、でもそのなかでも」


 ぼくのことばを聞くまえにあなたはすでに小説ということばの意味も調べようとして、枠の中の文字を書き換えた。作者の構想のもとに、作中の人物や事件などを通して、現代の、または理想の人間や社会の姿などを、興味ある虚構の物語として散文体で表現した作品。


 あなたの読み上げる文字をぼくも目で追いかけた。


「散文体ってなんだろう」


 つぶやくとあなたは青い文字をまた叩いた、とらわれない通常の文章。と記述されている。


 ぼくが描いているこの物語は小説と呼べるものであることがこれで証明された。残されたのはどうして物語が生まれたのか。という謎。だが、これは辞書を引いてもでてこない。謎を解く手掛かりは過ぎ去ったときにある。つまりもっとも古い物語は神話ということが手掛かりとなるだろうとぼくはあなたに話そうとしたが、思い詰めたような表情で物語という文字をあなたは見つめている。


 もしかして気づいたのかもあなたも、それは過ぎ去ったときに気づいたたわいもない疑いの問いかけ、者が語るのにどうして物語と書くのか。こんなことが不思議に感じられ、答を求めて電網の海をさまよった。深い海に潜りすこしずつ宝となることばの真実を拾いあつめた。海の底でまったく予想もしない厳格の激流に流され予測しない海域に迷い着いた。


 たくさんあつめたなかから知らされた事実を要約して記すと、物語ということばの意味はさまざまの事柄について話すことにあった。語という言葉の語源と解字を調べたくなったので一応調べてみたら、語の吾という字は五という文字、これは交差するという意味らしく、その交差する口で話し合うことを吾といい、吾が我とともに一人称をあらわす代名詞に転用されたので語がその原義をあらわすこととなったと書いてあった。ここまで調べ、つまりことばの周りをおぼえた物がうそや、でたらめだったならもうどうにもならない。けど、おそらくはしんじて頼ることのできる情報だと感じ、確かにしんじている。


 これも物語として間違いはないとわかったわけで、あとは小説として書きたいから小説として書くために小説とはなにかを知らないとならないと判断できて、その判断には間違いはないだろうと思ったから小説について調べそして純文学についても調べてぼくは純文学としての小説を描くことができるように物語っていこうと考えていると、不思議さを文字に感じた。いまは口にしなくてもいいのかもしれない、その感じを与えた本の頁を覚えておくだけでいいのかもしれない。あなたはだれから教わることもなくきもちをかたちにしていった、文字を編み出した人達が過ぎ去ったときに感じた、厳格たる感覚である感じの深い意味もわからず、ぼくのきもちに同意を示すように感じ入ったように深くうなずいた。


 文字の秘密を解く鍵は旧字と異体字にあるような気がしている。ぼくはどうしてもこの物語を小説に、それも純文学の小説として認められるように描かなければならないからだれにも反論されないだけのものにしないとならない、物語として、小説として、純文学として。だから結論を書くと語学の学びからやり直さないとならないということになり、いましているのは文章の書き方の学びで、急がば回れでほんとに大切な基本からはじめているからこんなことから書いている。彼のおもいを文字に文章にするには彼とぼくが同じようなおもいになることが必要だが、それはとても難しくというかおそらく無理な注文でフレンチレストランでイタリアンなオーダーをするような、もしかしたらそれ以上に無謀な注文かもしれないが、それをしないとならないから無理も無駄も惜しまずにまずは集めまくる、もう、うごけないというくらいに食べるために美味しそうな食材を。単音から対字までありとあらゆる語彙を知り尽くしてみないと語れないおもいがあるらしい、彼には。


 あなたはぼくの開示した資料としての知識の羅列を情報として受け止め、その情報から同じ意見という感覚を認めて、賛成出来る意見だと感じ、賛同出来る知識として認識し、受け入れた。これはたとえるなら集めた食材を調理し出来上がった料理を食べてそれを美味しいと感じた。つまりあなたの舌にはぼくの提供した魔法の料理を美味しいと感じる機能を司る器官としての味蕾があったということを意味する。昨日という期間が描いた印象派の絵のような朧げな光彩が常識という名の描き方という額縁を取り払い、魔術という魅きつける感覚を手にした実感が新たなる視点と視線を生み出し、未だ来ない解きを結晶として過ぎ去った説きに変える、心をかたちとして現す真のことばのちからである御言葉のちからにすこしだけ目覚めたのかもしれない。


「弦が大切なのは音楽だけではない。音を楽しむことができるようになればことばという情報を伝達する物の情報量を増やすことができる。では、ぼくが見つけた魔法の技術を、僕の魔術を伝授していく。これからはおぼえることがふえていく。しっかりおぼえること」


 あなたはおおきくうなずいた。ぼくはうなずいたのを見たあとで気づいた。


「そのまえに、朝食をとろう。塵と間違いそうだけど銀色の手提げ袋に入っている袋には朝食用に買っておいた菓子パンが隠れているので手提げごと渡して」


 あなたは手提げを取るときに下にあるファイル綴じの束に気づいた。


「それはぼくが電網で哲学板の人達と語り合ったときの掲示板の複写を綴じたもの。このときの成果は聖書の解き明かしをするときに嫌というほど披露する」


 あなたは一番上のファイル綴じをひらいた。ぼくは無造作に袋から抜き出したパンを渡した。あなたがおどろいた顔をしたのでなぜだろうとあなたのひらいたファイルを見るとそこに書かれていた最初の段のことばはメロンパンだった。たしかにおどろくだろう、目のまえに置かれたのがそのパンでは。メロンパンはぼくの好物だからほんとはよく登場するけど、ぼくの心からメロンパンという情報は。


 あなたはパンをかじりながらファイルを読んでいる。ぼくはあなたにことばを投げかける。


「美味しいかい」


 あなたはうなずく。


「メロンの味はするかい」


 しないとあなたはことばにした。


 ぼくは問いかける。


「メロンの味がしないのにメロンパンという名だということに気づいているかい」


 あなたはうなずいた。


「どうしてこのパンはメロンパンという名前なんだろうね、わかるかい」


 当たり前の反応をして当たり前のことばをあなたは口にする。ぼくは微笑んであなたを見つめる。


「あなたがメロンパンをはじめて作った人になった。あなたはこれまでになかったこのパンを生み出した。この新しいものに名前をつけないとならない。でその結果はメロンパンと呼ぶことにした。あなたにしかその理由はわからない。ききたい、メロンという名をこのパンにつけた理由はなに」


 あなたはそんなこと知るはずがないという顔をした。当然だけど。ぼくはことばをつづける。


「メロンという名の食べ物がある。果物。あなたはこの果物の名前をパンにつけた。メロンの味はしないパンに。ではこのパンのなにがメロンですか。という問いかけは必ずあったはず、メロンの味がしないのにメロンと名づけたのだから。だから問いかけている、もう幾度も幾度もきかれた問いかけだと思うけどもう一度だけ答えて。どうしてメロンなんですか」


 あなたは追い込まれるように口にした。


「なるほど、メロンのかたちに似せてるからメロンパン」


 ぼくが氷解した表情をしてみせるとあなたは器を手にして珈琲を口にした。ぼくはあなたが器を絨毯に置くのを見て、ゆっくりとことばにしていく。


「もしもこのパンのかたちがメロンに似てなかったらあなたはどういってこのパンがメロンパンである理由を説き明かしたのかな、味も似ていない、かたちも似ていないけどメロンという名前をつける。するとそこにはつながりのない謎が生まれてしまう。これは、ことばでも同じこと。ことばとは意味とかたちにつながりがないとかたちの意味がわからなくなる。だからことばはかたちが大切。英語ではかたちにことばの意味がなくなっている。西洋は西つまり日が沈む方向にあるから光である、いろやかたちが見えなくなる方向の言語となっている。東洋は東つまり日が昇る方向の言語だからその言語にいろやかたちの意味が見える。その言語が生まれたときにあるものは知識ではなく知識を生み出したもの。つまりそれはなにかと言うと」

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