第七章 3

 手に荷物を提げたままで扉の把手を降ろす。物音がしている、玄関のなかに入ると洗面所の扉があいている、洗面所から顔を出すと掃除用のゴム手袋をした手を廊下に広げた塵袋に放り込んだ。


 ぼくが口をひらく前に、それはまるで地下に渦巻いていたマントルが吹き出すかのように、熱い溶岩が当たりを真っ赤に染め上げるように、その行動に名をつけると抗議という名として認識されている行動と言動を見せた。様子を観察しながらあなたのきもちのうごきのおおきさと流れを分析していく。一通りの感情としてのちからの流動が終わり、あなたの気もすんだらしく、大人しい人見知りの激しそうな普段の様子にもどった。

 ぼくは奥に向かい休眠状態にしてあったPCを起動させる。

 奥の部屋にあなたももどってきた。ぼくから声を上げる。


「ありがとう、掃除してくれて。いつかはしようと思って掃除道具だけは揃えていたんだ。そのいつかがいつなのか、どうしたらそのいつがくるのかを知りたかったんだ、どうしたら人は自分の望みと反対の方向に歩けるようになるのか、そういう実験を自分を実験台として行っている。ゆりが怒るのは無理もない。ここまで汚いとさすがにぼくでも言うだろう、掃除しろと。でも、どうしようもないという現実を味わうという意味もある。見たくないものを目の前にして見る、買ったばかりのワイシャツは張りがあり綺麗でほんとにきもちがいいけど、そんなシャツもたった1日着ただけで衿が汚れている。白だから汚れが目立つ。この部屋には選択する機会がない。だから、選択するのも大変なんだ」


 ならどうして洗濯する機械を買わないのかという顔をあなたはしている。


「コインランドリーに持っていかないといけなんだ、それがせんたくするものが溜まる理由のひとつで、もうひとつの理由は洗濯しないからまた買う。靴下や下着やシャツはだから溜まる溜まる、おかげで狭い家が余計狭くなる。要するに相似も選択もしなければほんとは人は汚いのだと実感するためにしている。自分を美化しないために美化できないくらいの自覚を、痛いほどに感じるための、これも魔術の修行なんだ」


 あなたのなかで氷解が生まれたようだ、あなたは器を差し出した。珈琲を注ぐと美味しそうに飲む。


 授業をはじめる。


「天地開闢からはじめるのだが、あなたにしって頂かないと不都合なことがあるので、そちらからかたちにしていこうと思う」


 見つめたまま、あなたはうなずいた。


「まず、ぼくの魔術は太古の放浪の民の教えがもとになっているけど、ぼくは太古の人々が交わしていたことばがわからないというか、すでに太古のことばはこのせかいにない。ぼくがそのことばを使うことはできない。だから太古の放浪の民の教えをこの国の言語に翻訳したことばを用いて魔術をかけるわけだが、この国の言語としていま使われていることばのはじまりは過ぎ去りしときの、かの国でその文字は占のために記された文字。その文字が過去に漢字となりぼくたちは過去の漢字を流用してこの国の言語として用いている」


 あなたはうなずいている。


「だからまずは、かの国で生まれた漢字というものをあなたにも感じてもらわないとならない、ことばからおもいを引き出すために」


 うなずいてあなたは視線をPCの画面に変えた。ひらかれた書類を読んでいる。声を出して読んだ書類をもう一度黙読している。


「魔術で大切なのは想いの力を引き出すこと。ということは想いという意味のかたちである漢字にその想いのちからを引き出す手掛かりがあるだろうという推測が成り立つ。その文字は占という神の心をしるために生み出されたものなのだから、そうは思わないか」


 たずねるとあなたは確かにという表情を返した。


「思うんだね、良かった。ここを読んでみて」


 矢印でそのことばを指し示すと声を上げてあなたは読んだ。


「相。意味。みる。たすける」


「ゆりに問いかける。よくよく考えて答えて」

「右という字と左という字があるけど、たすけるという意味があるのは」


 右とあなたは答えた。ぼくは新規の書類を立ち上げ、たすけると書いて漢字に変換する。そこには右も左も出てこない。あなたはゆうと書いて漢字に変換し佑という文字にした。ぼくが辞典のソフトを立ち上げその文字を検索にかけるとたしかにたすけるという意味がある。


「そうだね、では右を調べる」


 右という字を検索するとそこにはたすけるという意味があった。ぼくは切り出した。


「たしかに右はたすけるようだね、では、左はたすけないのかな」


 あなたはすぐにひだりと書いて漢字に変換し左という字にして検索にかける、するとそこにはたすけるという意味が記述されている。そうなんだ、左右どちらもたすける。左がたすけるという意味を含むということを知っているかどうかの差は果てしなく大きい。傾くことが頁を化すことを含むことをしるなら頷くことが今の口の頁だと言われても、そうと応えることができるようになる。そうとひらがなで打ち込んで変換するとさゆうとなるから。言ってぼくはそうとひらがなで打ち込み漢字に変換してみせた。


「神は、たすけなさいという想いを込めて人に手を与えたんだ」


 なにも考えられないという顔をしてあなたはその文字を見ている。


「たすけるとは、漢字では助けると書くけど漢字を成り立ちから調べるために解字すると、且の力。且とはなにかと言うと」


 そこまで言うとぼくは且という文字を検索し、解字として説き明かされた文を読む。


「象形。物を積み重ねたさまを描いたもの」


 あなたは解字のつづきを目で追っていた。


「且の力とは重ねた力のこと」


 いいながら助けるという漢字を検索する、するとそこにはその上にプラスして力をそえてやることと書かれている。声に出してあなたは読んだ。


「右はかばう。左はささえる」

「どう、面白くなってきたかな」


 声にするとあなたは大きくうなずいた。


「じゃ、えさ食べよう」


 袋から二段重ねて弁当を取り出し、目の前に出したらあなたは両手でしっかりと受け取った。えさって漢字で書くと耳を書くことになるのに気づいたかい、と話を振って他の話をするのにはわけがあるんだけど。


「神話って不思議だし面白いと思うんだ」


 唐突に切り出してもあなたは鮭を口にしながらうなずいた。


「ある神話で、たしかケルト神話だったと思うけど、その神話のなかに鮭を食べて知恵を授かる神がいる。本の山のどこかにあるよ、探してみて。神々の大辞典とかそんな名の本が」


 あなたの背後にある本の山を指差すとあなたは弁当を絨毯に置いて探す。見つけた本を手渡した。ぼくはひらいて見せた。


「ケルト神話だ、これだよ、美しい、白いという意味の名を持つ神の血を受け継ぐ若者が自分の師匠からそれを食べればあらゆる知恵を授かるという鮭を焼くことを命ぜられ、焼いているうちに鮭の油で指に火傷をしてその跳ねた油を舐めたら顔つきが変わり、それに気づいた師匠に理由をたずねられ説明して自分もその鮭を食べて知恵を授かるという話、その本を読むとそんなことが書いてある」


 説明を耳にしながらあなたは本を読んでいる。


「どうして鮭なんだろう。そういう疑問は湧かないかな」


 どうして、そう言われてあなたは考える。その答はわからないのだけどいくつかの理由は考えられる。


「ぼくが思うにひとつは鮭がいる土地だったから。あと考えられるのは鮭の身が紅いからかな」

「身の紅い魚とか珍しいよね、魚全体で考えると鮭ほどはっきりと紅い身をした魚はあまり見かけない」


 あなたは弁当に横たわる鮭の身を見つめる。ぼくはミネラルウォーターのペットボトルを差し出しいった。


「さあ、ぼくたちも知恵の鮭を食べて神の王国へと進もう」


 あなたは本を横に置くと弁当を手にし、鮭を箸で掴んだ。



「では本題の天地開闢からはじめる。ついてきて」


 水を飲みながらあなたはうなずいた。


 旧約聖書の書かれた書類をひらきぼくは矢印で示した。


「ここから読んで、もちろん声を出して」


 うながされるままにあなたは読み上げる。


「はじめに神は天と地とを創造された。 地はかたちなく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 神は光あれと言われた。すると光があった。 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である」


「はい、まずはここまで。はじめに神は天と地を創造された。つまりその前は天も地もない状態だと創世記は語っている。ここまでは理解できたかな」


 あなたはうなずいた。


「天と地を創造したものが人が神と呼んでいるものだと書いている、創世記は。地はかたちがなくやみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっている状態だったと。そして光あれと神が言うと光があったと、そして神は光を見て良しとした。光を昼としてやみを夜と名づけた。ここまででわかることは光が昼でその光である昼を神は良しとしていることだと言えると思うが、どうかな。ゆりはそう思うかな」


 思えるという意志を表示している顔つきにあなたはなった。


「いまのぼくたちは科学のちからで地球がどのように生まれたのかをある程度は推測出来るようになった。けど、創世記が書かれた時代にはそのような科学のちからはなく創世記は神話と呼べるような、人が想像のちからを働かせて書いたものだろうということはいえるだろうと思うけど、想像のちからの原点になる想像のちからの元はどこにある。という疑問を解消しようとしたらそこにある答はなんだと思うかい」


 すこし考えてあなたはことばを口にした。その意見にぼくは相づちを返す。


「そうだね、あるものなんだ。そこにあるものを見て、聞いて、臭って、感じて、その感じた情報から描いているものが神のことばとして描かれていくわけだ、創世記として。創世記で神とはなにかというと雷だ、稲光り。つまり太古の人は雷の音を神の声だと感じていた」


 おおきくあなたはうなずいている。


「稲光り、って白い。音も凄いし、昔は雷で木が燃やされていた。光は白いけど、炎になると赤くなる灰色の煙をあげて煙は空に消えていく。そんな情景が神の現れるときの情景として心に描かれても不思議ではないと思う。仕組みをしらないのだから」


 あなたはうなずきつづけている。


「ぼくは神とはすべてだと言っている。それはつまり宇宙が神ということで人は宇宙には逆らえないということだけど、星が生まれる過程が科学によりわかるようになると星とは集まることで生まれるのだということが理解されるようになる。気体であるガスが集まり密度が高くなることで石と成る。そしてちいさな石がぶつかり合うことでおおきくなりその石の中央にその石をうごかすちからを持つようになる。ありとあらゆる偶然の積み重ねの産物がいまの地球というものになっているとして、偶然を起こしているちからがぼくたちもうごかしているわけで、そのちからを神と呼ぶなら、その一端のちからを神と呼んだ太古に生きた人々の感覚は誤りとはいいがたいと思う。実際のところ現実に雷は電気であり、人は電気でうごいている。ここまでは理解できたかな」


 理解できたという顔をあなたは見せる。


「であるのなら、神を象ってそれを情報にして伝達してくる象形文字の言語には神のちからの謎を究明する扉があってもおかしくない」


 あなたがうなずくまえにぼくは言葉をつづけた。


「ということで天地開闢だが、天地はなんとなくなにから生まれた文字かわかる。そのかたちにそのもののかたちがふくまれているから、時間がないのでぼくが説き明かすと天は人で地は土。開闢にも門が二つあるのはわかると思う。闢という字の門のなかのかたちはどうしてこれが天地があけるときに描かれるかたちなのかこの文字の意味をしらないと理解まで辿り着けないと思う、でも調べればわかること。調べたのでぼくはしっている。答は辟とは」


 辞典に辟と打ち込み検索した。その解字の説明をあなたは読んでいる。


「辟の解字を読んで」


 目を凝らし、あなたは読み上げる。


「人と辛と口で人の処刑を命じ、平伏させる君主をあらわす。また人体を刃物で引き裂く刑罰をあらわすとも解せられる。ヘキの音は、平に横にひらくの意を含む」


「ありがとう。平に横にひらくということは上下ではなく左右にひらくということ。そうですね」


 そうです。と口にしてきづいたようだ、それが左右という言葉と引っ掛けてあることに。


「君主というものはなんと呼ばれているかしっていますか」


 帝とあなたは答える。


「帝。では帝の糸はどんな糸があるかしっているかな」


 ハッとした顔をしてあなたは答える。


「締める。帝ということばは本来はこのせかいを取りまとめる最高の神という意味のことば。人ではない、本当は」


「ぼくの魔術は僕の魔術。僕とはしもべと読む。帝のしもべなので帝の糸が降りて来る。だから締めることが出来る、その糸を」


 あなたは口にした。


「みかどのしもべ」


「左右をひらく、それは相反する方向にひらくということ。では相反するからどちらかが良くてどちらかが悪いのか、という疑問が湧いてくるはず。答を帝はすでに用意してある。左右ということばの意味にたすけるという意味を込めることで。宇宙のことを太古の、かの国のあるものは太極と名づけた。太極は無極から太極そして両儀へと変わるといわれている。両儀。どちらも義。義とは神によりただしいと認められる状態。だからどちらかを悪にすれば神はそれを認めないという現象を起こし、怒る。稲光りを光らせ、雷鳴を轟かせて、音に、隠に気づけと」


 面白いを通り過ぎ、蒼白とした顔をあなたはした。


「休憩にする」


 口にすると崩れるようにあなたは倒れ込んだ。

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