第八章 2

「たとえると、言葉は貝殻。貝殻をみると貝殻を残した貝のことがわかる。人は自分が悪いと困るから相手を悪くする。そのために考えが思いを歪め、歪んだ思いが感覚を歪める。結果は認識のズレとなり誤認して誤解する。それだけのこと。だけど、ゆり。自らの声に気づけない者に音が意味することがわかるかな」


 なにか思案しているように、あなたは首を傾げた。


「立つ日の心が、立つ日とは音のこと。日とは太陽のことだと理解出来たと信じて続ける。未だ口にしないものは心を用いないとわからない。未だ口にしないとは、味のことだけど、それも気づいたはず、ここまで叩き込めば」


 耳を押さえたいような気になりながら、あなたは文字の続きを追いかけた。


「なぜ心が痛いか。身を叩かれたのでもないのに痛くて、悲しくて心が重いのはなぜかな」


 あなたは思案することが癖になっていた。


「命は合うもの。心と口が合わないから叩かれる、痛みを、病みを用いて。身が心に語りかけてくる理由に気づかないと届けられることになる、答が身を持って最後に応えることになる、あなたが理解出来なかった問いに合わせて」


 あなたは難さを感じながらも、しることに飢えを感じていた。


「終を迎えるのを自ら覚えているから綻びる水の定めは淀む。でも火は汚れない。解いて欲しいものがあるから時が説く。心に中る時を説くために小説があるのだとぼくはかんがえている。だから、よりわかりやすくと悩み、より新しくと苦しみ、自らに届けたいと煩いをめくる、四象に続く紺碧の空を描き」


 題名が不規則に振られた数となっている、内容の意味の見えない幾つかの短編の情景を、あなたは心に写していた。


「答は自ら解くもの。自らの答が正しいか、正しくないかの判断は自らするしかない。解き方はつたえている。言葉を音に変えると、耳で視ることが出来るようになる。答えはなにから解くか、自ら感じ、答えて」


 あなたは問いかけの意味することが呑み込めないらしく、困惑した中にもどかしいという気持ちを混ぜた顔で見つめている。言葉を待っていた。


「火は触れられないから水から触れる、という手掛かりは知恵には使えない。火の知恵は蛇だから手も足も出ない」


 あなたは再び気づいた、自らも水からも音で書けばみずからとなり音は漢字ないと触れられたと感じない。


「答はなにから解くか、感じたかい」


「水から」


 あなたは音に籠る意味を変えた。


「ゆりは水から感じたのではない。だから次の問いには答えられない。どうしてゆりは水から解くと感じたの」


 あなたは沈黙を破れないまま、時を数えていく。


「耳は音を感知する器官で、目は光を感知する器官で、舌は味覚を感知する器官で、ゆりに与えられた魔術を感知する期間は」


 あなたは瞬きを繰り返し、頭の中で音として聞こえていた言葉を文字に変換してやっと答に辿り着いた。


「音は耳で知覚して、光は目で知覚して、味覚は舌で知覚して、では魔術はなにで知覚するかな」


 あなたは見つめている。


「ぼくは答は答えない。迷わない、一はしもべではない。はじめは神から、答はかみにある。知恵は二つに、理解は三つにわかれる。一は光、二は火、三は水ということは覚えておかないとならない。覚えるためには見て学ばないと。なにを見て学ぶか、わかるかな」


 あなたは答に辿り着いた。はじめに戻る、それが近くの答。あなたは声にした、光を見て。


「これから、はじめの謎を解くけど、その前に確かめたい」


 注意を深くしてあなたは見つめた。


「ゆりの光って、なに」


 あなたは言った。師匠。


「ぼくは、ぼくより優れる魔術師がいたとしたら、彼と感じている。だから彼の言葉は大切にしている。彼は言った、先生と呼ばれてはならない。ゆりの光は師匠ではなく、四象とすべき。四象とは四季。春夏秋冬という自然の変化。自然は間違わない。師匠は間違わないことが大切。彼は言った、どうしてわたしを善い者と言うのか、善い者は神のみ」


 序章とは一度読んだ頁、それは一度歩いた道のようなもの。一度歩いた道を歩くのだから道の感覚が残されている。感覚とは覚えた感じ。序とはなにかを感じていれば氷解する。それが理を解くことをしる、恵み。解き方は教えている、だから学んだのなら解ける。水から解くなら辿り着くのは湧き出す泉、そこには白いみずしかない。あらゆる物語の源泉となる泉の時、そこが天地開闢の説き。


 静かにこだまする鼓動をあなたは聞いていた。


「あなたの魔法名は理解を象徴する名だということはつたえた。だから理解していると思う」


 目を見つめながらあなたは頷いた。


「では理解とはなにかを理解しているかな、もちろん正しく説き明かせるという前提でぼくに理解を説けるかい」


 首を傾げ、軽く苦しい気持ちをあなたは示した。


「理を調べると、大体は物事の筋道。道理。またはわけ。理由。という言葉が記されている。このなかで最も簡単な言葉はわけ。つまり最も簡単に言えば理とはわけ。理がわけだとわかったからはじめにもどる。自らを悩ませ、苦しめ、煩わせるのはなにかという問いかけが生まれる。でも、その前に自らである身と心が拵えるものである悩みとか、苦しみとか、煩いとか、そんな言葉で表しているものが自ら解き明かせるのか問題となる。たとえば自らが悩んでいると感じている時に悩んでいるという状態はどんな心の状態かを自らで説き明かせないなら、その状態がなぜ拵えられるのか解き明かせない。これは苦しみでも、煩いでも、同じ。音も字も表すために出来た。表すとは隠れていたものを表に出すこと。であればその音にも字にも隠れていたものが表れているはず、でないと表れた意味がない。なら表れている隠れていたものを探せばいい、その音や字から。ということで先ずは字からはじめる。悩みに隠れている、苦しみに隠れている、煩いに隠れているものはどうすれば見つかる」


 あなたは意識することなく答をかんがえていた。


「それは、理を用いると自ら見つかる。理とは簡単な言葉に直すとわけ。だからわけを見つける。つまり隠れていたのに表れたわけがあるからあらわれたわけだ、悩みも、苦しみも、煩いも。どこに隠れていたのか、それは隠れるという字が表している。それは心。どこにあったかはわかった。なぜ表に出て来たのかというわけを考える、次は。音が声となり声が言葉となる時に表れた物がある、葉。言語にはなかったもので言葉にはあるものが葉、かんがえてみるに自らとはなにかと言えば自然」


 確かにという気持ちが湧き上がるのを感じながら、あなたは音として響く形を見ていた。


「理とは、道理。道とは歩くと出来る。人が生まれて辿り着くところはどこかわかっている。どうなるとそうなるかといえば衣は新しいと破れずきれいで、古くなればよごれて綻び、破れる。定の力とは定というものが持つちからのことであることはわかる。定とはなにか、それは調べれば物事を一つにきめる。さだめる。と記されている。だから定力とは定めるちからだとわかり、それは一つにするちからだとわかる。であれば、悩みには一つに出来ない物があり、苦しみにも、煩いにも、一つにしたくない、なにかがあることになる。それは字として光に照らされているから見えているけど、見えないのなら見とめることが、つまり見て止めることが出来ないわけだ、一つに出来ないのだから。それを抜き出すなら悩みにあるのは凶で、苦しみにあるのは古で、煩いにあるのは火。とは、頁を開いたら記されてある事実。だから面倒だから開かないのは自由だけど、自由があなたの心に隠したものを表に出してきた意味には気づかないと、葉が育ち花を開いても実を生らす前に根が、枯れる」


 理解、つまり理を解きながら、あなたは知識を知恵に変えていく。


「しらないと思う。けど、聖書にこんな言葉が記されている。あなたは言ったことを実現してみずからの正しさを示し、訴えられたら勝利を得られる」


 意識することなくあなたは、間近にあった旧約を再び手にしていた。

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