第七章 6

「気持ちを素直にさわっているものに示してごらん、そんなに強くするとだいじなそこを埋める前に、濁った白いものを塗ってしまいそうになるから、もっとやさしく、含まれると滑らかな感触と温もりを感じ、それ以上されたら理性が役に立たなくなる、大切にしたい気持ちを、思いを忘れ」


 目を閉じた顔に、ぼくは囁く。


「美味しそうな物欲しそうなそんな眼差しで見つめるなんて、その薄く色づく開いた唇では食べて下さいと誘っていると誤解されても仕方ないな、それとも誤解させたいのかな、視線を落とし俯かれると、なし崩しの合意の徴みたいで、瞳を潤ませ濡らされると脱がして欲しいのだと誤解するよ、裸を覆った透けるような偽りの衣を。どうしてそんなに身体の力を抜くのかな、股が自然と開いているよ、それとも自分から意識的に誘惑したくてそんなに見せているの、もう、疼いているのかい」


 甘く響く言葉をあなたは心に象り描き、映したかたちに自らの隠れた欲求を満たしながら想像から妄想の領域に心を傾けられる。


 まるで暗示にかかったように言葉のひとつひとつに反応し、言葉を重ねる度に反応を強く過敏に変えていく。


「感度が鈍いなゆり。触れられずに天国に逝かせられるくらいに感度が鋭くないといけない。自らの感覚を相手の弱いところに流すことで気持ちを良くして相手を操るのが魔術だから最も良い物を差し出し、これ以外にないって微笑で有無をいわさず、口を塞ぐと後は本性の領域だから一心不乱で虜にしないと。あれ、ほら、好き。これ、好きな色。好きな形。好きな動き。どうして好きなのかな、声が、顔が、身体が、動きが、潤んだ笑みが。たとえあなたが嫌いでも、大嫌いでも、あなたが欲しい、その身体を心を抱きたい、嫌われても嫌がられても、叫ばれても力づくで押し倒し、ただ、望を叶えたい、吐き出したい、からからに渇くまで瞳を濡らし、哀しみを請うようになるまで願いにあなたが溺れるまで、心をみずに染めるまで、たとえそれであなたが狂れようとも、あなたを手に出来るなら壊しても構わない。それがあなたの欲望の真実。やわらかなそこに鍵を掛けるのはなぜ。やさしく鍵穴に差し込んで着込んだ重荷をはぎ取りたい。動けなくなったそこをゆらし、満ちあふれる響きが襞を濡らすように愛の喜びを、交わることの、濡れることの、形にそっと触れたい、焼けるように熱く、凍えるように冷たい濡れらすようにやさしく、溢れさせるように強く、やわらかな肌をそっと。あ、っと息を漏らしたい。裸にしてたくさん、たくさん見つめてほんとに、脱がして、してくださいって言わせる。すべてを曝け出してすべてを。あなたのために濡らしたい。声が、聞きたい。漏らす吐息、のけぞらせて、やさしくふれる唇へ。そっと口にふくんで指で触れ、きかせてくれるかい、しずくが落ちていく音を。感じたかい吐息を。もう少し近付いて声を聞かせて、呼んだのはあなた。頬を紅く染めるのも溢れさせ濡らすのも」


 目を閉じる微かに前後にうごく、うっとりとした顔に、細かな快感を示す揺れが起こる。ちからなくあいていく薄く赤い唇の奥で舌がうごき、唇を舐める。これ以上を拒む糸が解かれこころの方向を感じ、少女のような柔らかな笑みに妖しい切れが起こり、甘えるように喘ぐ、溶けるような吐息を漏らし、体を赤く染め、露にしていく桃色の欲情を匂わせる。


 目を閉じたまま、探るようにぼくの大切なところに触れ、擦る、あなたの湿った温もりから白を失った赤が移り、こころを硬く立たせ、脈打つ。重ね合わさる指先、なにかを言いたそうに細かく揺れる。

 蒸れた夏夜の伽のような卑猥で乱雑な現実は熟れた桃のように軽く握るだけで鈍く変色し腐れていく。


 跪いて、ぼくの言葉を嘘に変えていく、微笑んで、恥ずかしそうに項垂れ、握りしめた気持ちを濡らして硬く湿らせていく、零れる甘い吐息、真っ暗な闇で記憶の底に濁った白い夢が蠢く、ぬるい鼓動が優しく近づき、激しく誘う、瞬く刹那の場面、絡めた冷たい指先、凍え張付いた破れた理性の扉をそっと開け、滴り零れる湿った汗の臭い、噛み殺したふるえる声が求めるように、拒むように、強く強くただ同じ音を繰り返す。


 態度で示される愛に濡らしているのかい、異なる形の思いを重ね合わせるために下になりたい、それとも上かな、言葉にして態度にしていわないとわからない。気持ちを素直にさわっているものに示してごらん、そんなに強くするとそこに入る前に、顔に白く濁ったものを塗ってしまいそうになるから、もっと優しく、含まれると滑らかな感触と温もりを感じて、それ以上されたら理性が役に立たなくなるよ、大切にしたい気持ちを、思いを忘れてしまい忘れて夢中で淫らに、乱れ、浸る。戻れない、取り返せない甘い痺れに濡れる身体、もうしまいが近づいて来る。目を閉じた高揚した顔が淫らな笑みを浮かべ唇を舐めた。


「顔に出すよ」


 瞬き、口を開けた。零れ落ちたものが赤い唇を濡らす。


「美味しいかい」


 たずねるといった。


「悲しい味がした」


 あなたは現実に零れ落ちた涙を舐めた。閉ざされた幻想の領域から開けられた現実の領域に心を戻し、あなたは解きを刻むのを止めた。人差し指を唇に当て口角に添わせて撫ぜた。


「柔らかい唇。あなたの唇は柔らかい。感じていた、あなたが唇を揺らす度に柔らかそうな唇だと、でも確かめないとわからないから、身で感じないとわからないから」


 黙ってあなたは見つめている。ぼくは言った。


「心っていうか、気持ちってほんと嘘がつけなくて、素直で正直でつまり真っ直ぐで光みたいに光って、輝いて、煌めいて我を張って、嫌な気になって疲れ果てて過ぎた思いを形に変えて、望まないのに、病みに侵され、身体が気持ちいいという理由で快楽に。それ自体を望むのは悪いことではない。でも、それは愛ではないから、想いは失ってしまうまえに気づかせてくれるから、愛は異なる方向を支える力だと、異なる方向を見つめる力だと、本能の領域から理性の領域に心を戻すのは涙、だから」


 あなたは溢れる思いに堪え切れなく、光を漏らした。


「美しい……。透き通っている」


 明かりをつけると、あなたは立ち上がる。王国は異なる時を刻んでいた。立てていた写真からまだ時を遡ったぼくの姿にあなたは驚きを露わにしている。


 部屋を見回してあなたは気づいた、白壁を照らす光が硝子のシャンデリアからの淡い白に変わっていることに。


「ゆり、確かにあなたは理性の位階を、栄えある光を登った。栄えある光の世界を目にすることが出来るようになった。目隠しが取れたから今まで見えなかった世界が見えるようになっただけだけど、これは夢ではない、似てはいるけど少しだけ夢よりも現実に近い。あなたが気づいたら、気づかせるための大掛かりな小道具は必要ないから変わる、いや元に戻る、求めるものに。不必要なものを捨てると姿は理想に戻る、見えないのも見えにくいのも醜いものを見ないから、見たくないからだから」


 あなたは変わり果てたぼくの姿を見つめていた。


「ぼくがある世界は遠い。ぼくはもっと近づく、あなたが一歩を出せるように。失うことが痛くなるほどに覚えをこえて異なる世界の扉を開け、心の奥にあなたの想いを刻むために。大事な説きの想いを。そうだ、ゆりがしりたがっていた、ぼくが太ったほんとの理由は、小学生の女の子がぼくを初恋の相手にしてしまうから。あれだけ太ったのに中学生になったら付き合ってあげると二人に言われた。学校の警備をする前に準備して軽く太ったのだけどそれでも下校時間が過ぎても女の子たちが帰らないから先生が校門に来て帰りなさいと叱ってたくらいで、はじめの頃は両手で数え切れないくらい集まるから困って、それでもっと太って数を減らした。太り出すと抗議が強かったけど、そのうちに興味を失った。それでも興味を持っている子もいて、その子が可愛いくて、太っていてもいいよ、でも痩せていた頃のほうがかっこ良くてほんとはもっと好きだけど。とか言うんだ、そんなんだからぼくは太るんだ。とはけして言わなかったけど、でも、それらも、過ぎ去りし時のこと。時は必要なものを解いていく」


 瞳を濡らした笑顔であなたは微笑んだ。


 濡れた微笑は、ぼくの心に近づいたと感じたあなたの位置が、動いたと感じた距離を、現実の世界で魅かれると表現した証だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る