第八章 15

 「生まれた時から、嘘がきらいだった。ごまかされるのが、きらいだった。大嫌いでいやだからごまかしたり、嘘をついてたりすると直ぐに感ずいてしまう。嘘をつき、ごまかそうとする弱い者が大嫌いだった。傷つけられ、親に、友達に傷つけられ生きている必要を感じなくなった。でも、死ねなかった。生きていくしかない。なにも持たない世界で、大嫌いな、嫌な世界で生きていくしかない。気が狂れそうだった。狂れればよかったのかもしれない。でも、狂れなかった。出来る事は、考えること。考えた。どうすればこの大嫌いで嫌な世界で生きていけるようになる。いつも考えた、青い空を、藍の空を見つめて。閃くように、きづいた。ぼくが嫌いなのは世界ではない。人だ」


 見つめられたまま、棘に耐え、あなたは微かに笑った。


「さらに考えつづける日々で、答の誤りに、真実にきづいた。人が嫌いなのではなく平気で嘘をつき、悪いとも思わずにごまかせる者が嫌いだと。そして、自分もそんな者だと。あの瞬く間に大切ななにかを失い、支え切れない重荷を負った。それが知恵と呼ばれることをしったのは、氷のように冷たい夢を見るようになった後だった。弱い自分にきづいた、それでもあの者達のようにはなりたくない、弱さを、醜さを認めることが出来る者でいたいと思った。それからあらゆる知識を刻んだ。信じられる者はいない。頼れるのは過去に生きていた者しかいない。過去に生きていた者が残した想いを刻んだ。本物だと感じたことだけを痛みに変え、残した。確かにと、心が激しく揺れた言葉は、考えに変わり、思いに変わり、感じに変わり、句になった」


 既に繰り返し、音から形を描くことを見せたからか、あなたは苦もなく句から変換して九という数を心に象った。言葉に浸りながら、断片として描かれた幾つかの短編の情景の意味をあなたは考えるともなく考えていた。


「頭が、おかしかった。でも、誰かに依存することはなかった。ゆり、依存という言葉はわかるかい。依存とは他のものによって成立すること。だけど、依存できるものはなかった。いつも押し入れで泣いた。はじめの頃、なぜ泣いているのかわからなかった。ただ涙が出ていた。はじめに考えたのはなぜ、自分が泣いているのかということ。はじめ悲しいという感情に動かされていることがわからなかった。悲しいという思いを感じたのは、いくつかの誕生日。母親と父親が言い争った。いつも言い争っていた。その声を聞きたくなくて押し入れに隠るようになっていた。赤くなった母親が泣きながら叫んだ。ぼくは、生まれてくるべきではなかった。あの人は言った。あの時、死んでくれればよかった。その時わかった。悲しいのだと。必要とされることは幸せなこと。そう思う。ゆり、同じことでも完璧な説き明かしが可能でないから理の解き方、明かし方はさまざま。だから似たような内容の本も多い。そうであるなら、十分ではない理の解き方でも似たような本を多く読むことで多数決的な方向からの量を動かす力の真実に近付けるのではないかと幼いながら考えた。思いや考えの偏りを重ねることで思うことや考えることの病ともいえるだろう誤りに解く癖を取り去り、広くかつ深い知識から正しい認識を得ようとするため、思うことや考えることの隔たりとなる、好き嫌いの壁を叩き壊すことで記憶される資料の公平さを保ち、必要な情報を等分に取り出し、中に含まれている本質的に最も大切な要素を得ようとするため、表面的な力では覚え切れないように、意識的に仕向ける方向からの仕方に、感受しやすい性質から導いた。ぼくには自身を動かす人格に致命的な癖といえる、飽きっぽく、熱しやすく、冷めやすい性質がある。癖といえる性質を活かす方法を考え、性質を生み出す感性とは万物に共通して働く力である、慣性から生まれているだろうという予測から思い至り、飽きやすく冷めやすい癖を超えるくらいに熱し続けていられる力を得るために、これまで誰も解くことの出来なかった難い問いかけの答えを探し、見つけることだと、知り得た物で最も嘘くさい魔術という名の響きに魅かれて嘘に隠された真の理を探し続けている。まだ面白く、楽しいから、選択は正しかったといって良いかもしれない。ゆり、なぜの理由を探すこと。なぜの理由を探し続け、出会えたから」


 短編の一場面から続くように、いつのまにか、夜の闇にいた。背を見つめ、肩が並ぶようにあなたは足を速めた。


「魔術はついにくる。ついに、いつくるのか。あのとき、そのとき、このとき。ひらがなは、意味をふたしかにする。ふたしかということは限りの定めをゆるくする。意味とは漢字から読み解ける時の感覚では未。つまり未だに。味とは未だに口にしない。ということは口とは音で変換して数に戻すと九になるから、未だに九にならない。ということはすくなくとも八までの数の力の領域しかそこにない。意とは音と心で、心とはどこにあるかといえば中心。だから意とは中心から響く音。人はなにかを感じて、なにかを感じないでそのなにかを音にして、声にして、その声で気持ちを描く。まるで水面に雫が落ち、水面が雫の衝撃を広げて波紋を描くことで雫の落ちる力を表すように。それは雫が矢で、水面が的のように。雫が落ちた場が必ず的の中心になるように、的は後で描かれる。この的が描いた衝撃が声だとすると雫である矢は的に当る前、つまり水面に衝撃が走る前はどこが的の中心なのかわからない。これは人の感情にもいえる。相手の言葉を矢とするなら、相手が目がけて射た的は自分。相手の矢が自分という的に刺さったかどうかを決めるのは自分自身。的に矢が刺さったかどうかをどうやって判断するか、それは感覚からはじめると痛み。刺さったという感覚があれば痛いから、その痛みは音に変換され表現される。その音を生み出したなにかが心から溢れたものなら、音には心が隠り意としてのなんらかの働きをする。刺さった、つまりは当った衝撃が強ければ強いほど、その衝撃を感じるまでの時間は短くなり、時間が短くなれば時間を要する感覚である考えるという次元から遠ざかる。最も時間を要する感覚は考えるの中でも反省するという感覚で、逆に最も時間のかからない感覚は考えることも、思うこともなく、感じたままに表現する衝動となり、感覚の異なりが間隔の異なりと認識することが自身が感覚を正しく選ぶ際に必要な技術につながっている。ここまでの解き明かしがわかったかな、わかったということは理解出来たということ、理解出来たかな。ここまでの解き明かしが理解出来ないとあのとき、そのとき、このときという時の感覚は掴めない。幸いにもここは本の世界、二度言わなくても読むことは何度でも出来るからここまでのことが理解出来るまで何度でも繰り返し読めば、百回読むころには理解出来るのではないかな、あなたの魔法名はゆりでその感じは百合となるのだから。ゆりは揺りでもあるから水面が揺れるまで、白い光が消えるまで読み続ければいい、飽くまで。触れたのは愚かさ、終わりになると渡したのに終わりを求め、赦されないことをする。してはならないことがある。それをするから赦さない。ただ、自らがしたことは教える。ただ心からほんとうに過ちだと悔いれば門は開ける、しかたないしか言えない心境になると事も物も素直な視線で見える。幼子のようにならないと先はない。なれるかは、あなたしだい。ぼくはなにもしない。ただ、門から入ってこないものは泥棒。排除する。受け入れたくないとあなたが言うかぎり方法は、受け入れたいと思える状況にするだけ。謝罪も誓いもいらない。そんなことに意味はない。ただ、同じことをしたくないと思えるようになるしかない。理性で抑え、では無理。幼子は理性を持たない。その前の次元。正しいことが好きか、嫌いかということ。自らがただしいと感じていることがほんとに正しいか、間違いかということ。必要な時に必要な状態でそこにあれば、そのような形が生まれる。六の数の領域は、自発的な慈悲の発動に向かう美しさを形に変える方向で、自らが調和を守るために間違いを告発するという形でなければ、その行いは真夏の雪のようにただ降っただけ、雪に見えただけの雨と変わらない。結果は降り積もることはない。心動かされるような事態になれば動くし、もしかしたらなにがあろうと見殺しにするかも、保証を持っての確約とかない。より大きな力に向かう時にいるのは嘘のない、偽りのない心。結果は心が刺した的が正しかったという判断の基準でしかなく、また、道程の景色に過ぎない。相手のためを思わず告発したところでどのような事態を迎えることになるか、考える必要もない。思いが進むべき未知を道と変えさせ、その道を進むとき美しい知恵が与えられる。隠れた知恵とはもっともむずかしい満ちを手に入れようとして頁をめくる、とても危険で大変な道、いつも自らに問いかけること。ほんとにこの道でいいのかと、この道はいつか誰かの微笑みと、光となるのかと、それがみえない中心の象りを輪郭とし、惹きつける磁力を生む秘訣。彼は待っている、産声を叫ぶときを、涙がことばとなるときを」

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