第八章 14

 「魔境をしってるかな。魔境とは意識の拡張により自我が肥大し精神が均衡を崩した状態のことを指す。人は自分の都合のよいものを集める癖を持つから」


 あなたの顔を指差し、見つめる。


「欲がない者はどのように見えるとか、どのように思われるとか気にしない。だれかがぼくをどう思うのも、どう感じるのも、どう考えるのも、その感覚はだれかが望んだ結果だから受け止めるしかない、自業自得でしかないから。 奇跡を再現出来るから魔術という。変えられない世界に必要があったからあなたはきた。必要の内容はあなたがぼくに対して開いた言葉。言葉は自らに対して開かれる。口は矢で心は的。口にしたことは現実になったことだという認識がないから心の位置と現実の位置がずれることに気づけない。相手の自由を認めないから自らが不自由になる。行為に善悪を求めるから対する限り自らが善で相手が悪になる。痛みとか苦しみは信号のようなもの。体に不調が起こるのは心に調和がなくなるから。自らが重いからその重さで体が痛いと悲鳴を上げている。それが心に信号として送られる。言葉と気持ちが違うなら、その言葉が気持ちを捏造したことになる。魔術には人の権利はない。人の権利とは人が人の為に作り出した権利。そのような偽の権利を自然の現象は認めない。人という生き物の特性をぼくは探している、はじめを写して。それが魔術だから。だれかではなく、なにかとしての命の、本能の力を理解しないと本能を制御し、理性的に生きることは難しい。本当の自分に出会うことは難しい。命の危機に落ちた時に見える自分が本当の自分。見たこともない自分にあうのは怖い。だが、一度あっていたら対処が出来る。というのが魔術という力の本質。これは異なる言葉と似通った意味で聖書にも記されている事実。彼が荒野で出会うものは悪魔。天使が降りてくるのはその後。極まって、窮まってそれでも誤らない心の均衡を身につけるには空になるしかない。わかるかい」


 あなたはわかりたくないと言いたげな顔で見つめたまま、わずかにうなずいた。


「ゆり。魔術とは人にかける術。人の領域とは二の領域からはじまる。その領域を開く鍵となる言葉は誰。誰という鍵で知恵の領域は開く。だが知恵の領域の力が動くためにはその上の領域に入る鍵となる言葉を必要とする。一の領域の扉を開く鍵となる言葉は何。二の領域にある言葉は荷、荷が何になるには化す必要がある。なにに化すのか、それは花。なにが花に化すのかそれは莟。つぼみとは蕾とも書く。異なる形で同じ意味を持つものがあることに大きな意味が隠れている。雷と含。今の口は雷を含むとすれば閃きが起るのも当然のこと。閃きとはすばらしい考えなどが瞬間的に思い浮かぶこと。それは直感的な鋭さとなるもの。発想とは物事を考え出すこと。新しい考えや思いつきを得ること。また、その方法や、内容。魔術は喪失する力を用いる。喪失する力は失う力で出て来ない、出来ない力だけど、その力は本質的な最短の直線の力で得る力よりもはるかに広大な力で光の矢を射る求道を軌道とする感謝の公転を導くある思考はある行為の結果しか出て来れないからその間隔を掴むためには微と幽を、縮小する屈曲の原理を必要とする。その間隔を感覚で解ける感性には比較する対象を必要としない天性を要するから、魔術は天才にならないとかけれない。意味がわかるかな」


 あなたは表情で応えた。


「これはぼくの持論だけど、生きることに意味はない。どのように生きようと、たとえ生まれて数時間で死のうと、人に讃えられて聖者と呼ばれるようになろうと、意味は変わらないとぼくは思う。でもどのように生きるか、どのように生きようとしたかということについては意味を与えることは出来ると思う、相手には」


 言葉がどのような意味を生むかはあなたにしか決められない。


「ゆり、ぼくは気づいた、一である点から二である線に、そして面である三に、そして立体となる四と点と角を増やすごとに角を失い結果、その線と面は限りなく円に球に近づいて縁に辿り着く。これは結果として線である二に辿り着く唯一の方法となる。なぜなら原因と結果ではなく人は過程を生きているのだから。始まりは三から九に向かうなら理解から基礎を導く。理解とは言葉の意味を把握出来ないことには起こりえない現象、だから事細かに言葉の意味を解き明かすことからはじめた。それしか魔法という技術を理解する術はないとぼくが感じているから。先ずは認めることからはじめないと象徴を男として語られる火の力は動き出さない。台となるのは女の閉じる方向で形である。彼は借宿で生まれる。それも馬小屋で。これらの語りは譬えだと考える方が無難。頑な心は囚われることに等しい過ちを犯す。信仰の領域で起る碓信とはどうしようもなく訪れるもので、それはもう、疑いを用いることが出来ないくらいに正反対に極まった濃淡の色彩を排することで結果としての明暗が現され、面白いくらいにこれもあれもと過去のすべてを真っ白い肯定に塗り替えていく。実体験として共有出来る感覚で譬えるなら、それは白を黒に、黒を白に塗り替える極めて単純な約束で成り立つ遊戯の終盤に残された最後の砦である端の枠の四隅のようなもので、真っ黒に塗りつぶされているようにしか見えない盤上の黒駒をほとんど残さずに白駒に引っくり返していくような感覚で、確実に信頼出来る角度と色を探り当てるとそこにあると思い込んでいた、見えていた壁が実は硝子のように薄い氷の板であったという事実に光を当てて氷解させる力。ぼくは、冷たい光の響きと呼んでいる。けど、その実体をどう呼ぼうと、どう名付けようとそこは感性の領域。どう呼び、どう名付けるかは氷原の自由。感が良くないと極寒に気づかずに裸体をさらしたままに進化することも無く永久の眠りにつくことになるとは思うけど……。多幸感に浸った時、そこにあるのは眩しい光の海でしかないから、目も開けられずに溺れることになる、幻でしかない多くの光を感じて。その光は熱を持たない光でしかないことに気づかないと月の出ていない夜道を当てども無く彷徨い、誰ともしらない見たことも無い人の名を叫び回ることになる。完結させることも無く、氷解させる位置を連なり結びつける唯一の力は、不透明な力の奥にある限りなき閉じられた力だからすべてを真っ白い肯定に染め変えていく」


 なにも言えずにただあなたは見つめている。


「ゆり、わすれないこと。神は恐い」


 口にした言葉の意味があなたは理解出来ない、いや理解したくなかった。


「ゆり、神とは自身のなかに本能として現れる。神は恐いとは、自らで操作出来ない破壊的な言葉として感情を思い浮かべると破壊的な力を心に降ろしてしまうから危ないということ。神には善悪がない。だから自らが善悪の判断をしないとならない。だが、感情の力が理性の領域をこえると自然の力に支配され、善悪を認識する力を失う。自らの力が大きくなればなるほど、判断を誤ったときの危険が増す。だから、言葉は選んで。言葉は思いだけでなく、形としての力もある。自らが選んだ言葉の形はそのときの自らの心の形を表す。破壊的な思いを相手に対して発したら、同じ力が自らの中に生じる。そのことを感じるようになると恐くて破壊的な言葉は使えなくなる。破壊的な言葉を平気で使えるのは、知らないから。しかし、自らが発した破壊的な力は気づかなくても、しらなくても、必ず自らを破壊するために働く。だから神は恐い」


 理解を表現するように、目を閉じ、あなたはうなだれた。

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