不透明な薔薇の王冠

冠梨惟人

序章 あいまいでふたしかな、輪郭

 ふれると、ひかりをもらした。

「うつくしい……。すきとおっている」

 すなおなひびきをかえす。

「うるんで、いく」

 とじためからおもいをこぼした。

「わすれているけど、ここがあなた」


 あいため、うそのないしぐさ、しずくをぬぐうこともなく、かすかにふるえるてをさしだし、かんじたことのないかんかくにみたされ、きえそうなせかいで、こえにならないおとをかんじょうにかえ、えがく。いたみに、にたなにかにつらぬかれ、うなずく。


 うつしえがいたものにおどろかされた。よくしたものをかたどり、あきらかにおもてにあらわした。


 あなたはのぞみ、ひらいた。ことなるせかいから、ぼくはみちをあけた。うそはとおれない、みもこころもさらけだされる、とじたいおもいにかられる、帯にかいてある文面をよみなおしたい、きもちをひくいろでかかれたことば、めくれば魔術がかけれる願望を叶える奇跡の本、うそのような章句、いきがとまった。ゆがんだうたがいの問いが、とざしたいろを凍らせる、だまされた。しかし、しんじてない。ありもしない魔術の本。だが、ひらいたという事実は魔術がかけれるようになりたいとおもったということ。


 あきらかにした、先の文をよみおわるまえに否定する、めについたから。おそらく、いや、たしかにみずからのいしだとおもっている。しかし、ぼくはだまさない。帯にかかれることばにうそはない。現実に魔術がかけられ願った望みを叶えようとしている。魔術がかけれるようになるには魔術師から魔術をかけられること。もとめるのはここに、描かれた絵をうつしだすこと。


 あまくみつな、こいいろのおくにひかりをさす。あえぎにかわったおとが、ふにあわないことわりな陰にひびき、すきとおるたしかな輪郭に両開きの扉を描きだすようにかたくなないとが白く走る。にごるようにあつくなったものにつかむためのやわらかなものがうまれ、さするようにやさしくおろす。身は紅し、唇をかみ、あまい言をころす。乳白色の硝子扉のように、かすかにあく、まばゆいひかりがこぼれ、あどけないこえが……。


 あけはなつ、はるかなときのあなたがきらきらとしたおもいに包まれほほえんでいる。かがやきがきえた、ふりかえる。こぼれるひかり、ぼくをみた。かぎりなくふかいあいの闇を背にして、ぼくは立つ。


 「ぼくは、魔術師。たのまれて魔術をかけにきた」


 ほほえみ、てをさしだす。うたがいももたず、うすれるひかりのなかをかけてくる、わすれていたつかのまのときをぬきさるように。


 しれないせかい。しんじることでしかなりたたないせかい、かぎられ、白い領域のあなたがかけてくる。密で濃い、藍でそめられひかりをさえぎられる大気のような、星の見えない夜の空のようでひかりの射さない海の底のような違和感を感じさせる景色ともいえないような光景を背にするぼくにむかって。


 はるかとおくからひびくいしを耳にする。さけんだ、こころをつらぬくように。うすれゆく白い領域、あらわれたはじめのせかいに。


 「せかいはすべてが寓話。よくみえることも、わるくみえることもすべてよいになるためにあたえられている。きづけないのはおろかだから、ぼくにこのことをつたえたのは……」


 ひかりがすいこまれ、うまれたあつい風にいしがかきけされる。


 これは物語。たとえることでしかあらわしようのないせかいをあらわすために結晶とした物語。おわりにかぎりなくちかづいた、だからはじめのなぞがとけかけ、氷がとけ落ちるときのように冷たい静寂に轟音を沈め、みえている光景をくずしていく。しることでしかなりたたない灰のせかい、うたがうことでしかなりたたない黒いせかいの入り口、白いせかいが凍りつく水面のようにみだらなひかりをかためている。借り物のやすらぎにわかれを告げるとき、あなたに問う。もとめるなら、あらたなるせかいをひらく、からまった薔薇の棘、こぼれ落ちる紅い痛み、まぼろしの眠りから起こし、すきとおったせかいを目覚ませる。


 あなたは魔術にかかっている。けど、かすか。めくれば、もっと深く。次章からめくるめく快い楽しさと苦しい痛みの領域、王国。最も後をとじ、つきるまでこころに刻んだいま、あなたは彼と契約を交わした。


 「あなたはしんじてる」


 とつぜんの断定、ひびく不協和音のかけらがふあんとしてかすかにつたわったまたたくあいだ、かくれたかたちにいみをふかして、ことばにかえる。かえられたおもいをことばにしてきづく。そのかていをひとことでいうと、なにを、ととっさにおもう。というけっか。


 「あなたは、しっている」


 わけられたおもいがうたがいの問いとかたちをかえながら、かさね結ばれたおもいは支え配るちからのおよばないときのはざまで、音に、声にかえられそうになりながら、みえない、きこえない、かんじれない領域、暗い谷に落ち、しることのないおもいがはきだす、むきだしの反応は、闇にみちる水面をゆらせ、かすかなわだかまりとして表情をかげらせた。


 「どうかしましたか」


 反射と名づけられた、またたく間に起こる身にあらわれるかたどりは、おもいやかんがえがあることができない。おもったり、かんがえたりするにはあまりにときのまが足りな過ぎるじたいにたいして応じる体を維持する仕組み、命令の根源が反射と名づけられたものだから、かもしれない。そこに、うそがはいりこむよちはない。


 めくれば、次の章がはじまるとあなたはおもった。ただしく、たしかにいいなおすなら、おもいこんだ。この小説は魔術師が魔術をかけるためにあきらかとして結ぶ物語、普通の小説ではない。物語を読み終ったときに魔術がかけれることをめざした物語形式の入門の本。だが、ほんとは奥義の本。


 あなたは、あなたが読みたいとおもったから、ここを読んでいるとおもっている。大切だから、大事だから、もう一度かさねていう。あなたは、おもいこんでいる。ほんとはそうではないと語りだしたらこの先を読むのをやめますか。つづけようとやめようとどちらでも意のままにうごいたことにかわりはないから、すきにして。いわれるまでもなく、あなたはすきにしているつもりになり、おもうままにうごいてしまうが、ここまで句にしてはいけないと彼が口にするからここまでは句にしない。かわりに言う。


「そこにかけて」


 あなたはいま、どこに。ほんとはあなたがどこにいるかしっているし、あなたがだれなのかしっているが、そのことはかくして言にする。


 「ここで小説を読んでいるあなたは、だれ」


 さきを読むことは奥義をしることになる。読むことにきめるなら、あなたはぼくがかける魔術のせかいに入る。と口ではいうが、ほんとは魔術をかけるのはぼくではない。あかすと長くなるから後でときのまを縮めた領域で密にして、とく。だから心地よい椅子を探してかけて。


 あなたはたずねた。


 「なぜ」


 これより上の理由を見つけることがだれにもできない、それは必要だから。


 とつぜんに発したことばにもどりたい、断定は反射を誘発しやすい、断定される自由にきづけずおかされたとおもいをかたむけ、命の天秤のおもりをかってに相手だけがふやしたような不快をあたえる。不快の原因をかたどらせるおもいにあてたかくれたことばは、あなた。あなたからみたら、わたし。あなたはわたしをしんじている、わたしをしっている、ほんとに。こたえはあなたが魔術をもとめた理由とつながっている、必ずに。こたえと言われるものすべてがあなたのなかにしかない。あなたのなかとは、こころのなか。もし、いまのあなたがこたえをみつけることができないなら、かくれた秘密のとびらの奥にあるから。だから、こころのなか、ひかりのとどかないことなるせかいにみちを通し、あなたはひらいた。運ばれる命がこのように結ばれ、果てとなるとはあのときのあなたはしるよしもない。だが、あなたはもとめた。


 「なにを」


 ささやかれるようにわきあがるおもい、もとめたものがしりたいならあたえよう、はじまりの呪文。


 「求めよ、されば開かれん」


 これがしんじることでしかなりたたない白いせかいの結晶。あなたは白いせかい、隠された知る恵みの天球と名づけられた領域のとびらをひらく鍵を持った。こころのかたちをたとえることであらわそうとした物語をしったことで白いせかい、かくされた栄えるひかりのころもにふれる。


 もう一度、序章から目を通していくとみえなかった光景がみえてくる。願わくばもう一度、序章から目を通して次章を読みはじめて。


 はじめはおわりをほどかないと束ねたいとのいろがみえない。ぼくの発する、いまのあなたには不可解なことばはさらなることばの奥をしらない者には言語としてのちからを持つことのない手繰れないかたちにしかすぎない。だが、ただしくとくための式を手にした者、魔術師にはいまだこないときさえほしいままに操る結晶。すこしはひかれはじめているかな、不可解ないしが奏でる閃光の調べに。謎解きは秘かに行う、二人きりで。ふれられない目隠しをされているあなたは一人でぼくのいる家までくることができない。家の前までつれていく。そこからさき、なかに入るかどうかはあなたが決める。0910がぼくに魔術をかけた彼のせかいの入り口、王国。大切なことをつたえてなかった。本をとじ、二度と読まないことを決めたとして、ここまでめくる前のあなたとはことなっていて、すぎさったときにあったあなたではないし、すぎさったときのあなたにはもどれない。あなたはみえない幕を破った。処女のようにしらないは通じない。しった、つらぬかれるはかない人の夢、快い楽しみを。


 まだぼくは本の名、つまり小説の題名を決めてない、決めているのは本の色、あなたは真っ白い小説を手にした。ほんとは透明な装丁がよいけど、文字も透明で記され、おもいもすきとおっている。でも、それでは読むことができない、魔術師以外は。著者であるぼくのしらない名を冠され本とされた、いまだこない時を生きているあなたは、すでに本の名をしっている。あなたがめくるとき、ぼくが描いた過程であり、予定であり、未定であった透明なせかいが、あることを定まれ、美しく装丁され、不透明なせかいとしてあらわれる。人はきづけない。けど、ほんとにちいさな決めごとの積みかさねでいまだこないときを決めている。なにに決めるかが大切。望んだものは待っている、こたえを迷う必要はない。心配しないで大丈夫。しんじる。だれともしらないぼくのことばをしんじる。しんじるからしか、魔術ははじめようがない。


 「もう、あともどりはできない」


 彼のこえがした、きがした。


 凍りついた鋭い眼差し、ことわりに反した挙動、彼が微笑む。


 ぼくもあのとき、おもいしらされた、彼に。もうあともどりはできないと……。

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