火風鼎
〈こちら
「内惑星統合軍宇宙艦隊所属、マユミ・タカムラ・ロバチェフスカヤ大尉です。当施設の
降下艇と交信を行いながら、マユミはひそかに唇をかんだ。実のところILSだけではない。通常の飛行場や宇宙基地なら必須の装置が、ここではどれもこれも整備不良のまま放り出されている。軌道上と連絡するための通信アンテナも、三基のうちまともに機能したのは一基だけだった。
〈アイ、マム。ところで地上から低エネルギーのレーザーが当機に照射されているのですが、これは?〉
「地上部隊のレーザー測距儀で精測レーダーを代替しているのです。ご心配なく」
人的資源が圧倒的に足りないとあっては、機器の整備が壊滅状態なのも仕方ない。頭ではわかっていても、そのしわ寄せを自分が受けるとなれば愚痴の一つも言いたくなる。だが、今はとにかくこの来訪者を無事に着陸させることだ。
「貴局は現在、適正進入角上にいます。オリンポス山からの強風に注意、そのまま降下してください」
〈
(航空管制のオペレーションなんて、養成コースでやったっきりなのに……胃がおかしくなりそう!)
間に合わせの器材にくわえて自身の経験不足。ぶっつけ本番でよくやれているものだと、マユミは自分をせいぜい持ち上げることにつとめた。
この暗闇の中、不安定なカマボコ屋根の上で測距儀を使っているのはパーカー伍長だ。どちらかといえばデスクワーク向きな男のようだが、今頃さぞや多大な努力を余儀なくされていることだろう。
「
〈着陸脚、展開異常なし〉
C-169降下艇は
「お疲れさまでした。火星へようこそ」
「ジャック・ヒギンズ」との交信を終えると、マユミは椅子の背もたれにぐったりと身を預けてため息をついた。
* * * * * * *
しばらくすると二機目、降下艇一号も到着した。降下艇二機に分乗していた装甲歩兵四十名と、整備要員や工兵サポート百人とが滑走路に降り立ち、クルベたちが陣取った防壁を補強するように配置を整えていく。
装甲歩兵が装備する
彼らは五名ずつの分隊に分かれた。うち二分隊が防壁の守備をクルベたちから引き継ぎ、残り六分隊が交代で周辺地域の警戒と残敵掃討にあたっていた。簡易マスクのバッテリーが切れる寸前のタイミングで、クルベはようやく、文字通りに一息つくことができた。
――クソが! なんで俺の「
ホフマンが降下艇のカーゴハッチのあたりでわめいている。もちろんカラ元気だ。彼も彼のチームも、実のところ全員へとへとだった。ヤングの首なし死体はキャンバス地の遺体袋に収められ、後送を待つばかりになっている。
クルベがマスク越しにパイナップル・スカッシュを味わっているところに、格闘モードのままのアルミが小走りにやってきて、横に立った。
彼女はこの一時間ほどの間に、すっかり装甲歩兵たちのアイドルか何かのようにちやほやされていた。
「クルベ中尉――」
「やあ、アルミ。整備は終わったのかい?」
「あ、はイ。これから第三分隊と一緒にショウカイに出るんです」
「そうか。さっきの損傷も直してもらったみたいだな」
むしり取られたはずの装甲バイザーとほぼ同様のものが、彼女の頭上に跳ね上げられて垂直に開いている。
「はイ!『
「そうか。そりゃあよかった」
会話を打ち切ったつもりだったが、アルミは何か物問いたげにそこに立ったままだった。クルベはため息をついた。
「……アルミ。本当は、何を話したかったんだ?」
「アの……クルベ中尉。ダルキースト中尉と連絡は取れましたか?」
「すまない。まだなんだ」
「……そウ、ですか」
バイザーレンズの奥の光が、消え入りそうに細くなった。
夜明けまでにはもう少し時間が残っている。
ダルキーストとリーは消息を絶ったまま、いまだに連絡が取れない。現状はMIA、作戦行動中行方不明の扱いになっている。
(死んだとは思いたくない――)
アルミはダルキーストに尊敬と感謝の念を抱いている。もう一度会ってきちんと救出の礼を伝えたがっている。それが二度とかなわないとなったらこの少女はどれだけ悲しむことだろうか。
クルベ自身も、ダルキーストに対して友情と尊敬と、若干の対抗心を感じている。
陰にこもったところのまるでない、あの御曹子然とした真っ直な性格にはときどき辟易とさせられることもある。だが、彼以外のだれかを直接の指揮官として拝するのは、当面の間受け入れがたいことだ。
クルベが押し黙っているのを、アルミは拒絶と受け取ったのかも知れなかった。装甲バイザーを顔の前までおろして戦闘機械の装いを整え、黙礼したあとゆっくりした歩調で分隊の方へ戻っていく。
その背中に、クルベは「気をつけてな」と届かない声をかけた。
(クッソ……あんな砲撃キメておいて自分は早々とあの世に行くとか、そりゃないだろ、中隊長?)
飲料チューブをマスクから引き抜いて傍らの地面に叩きつけ、クルベは夜空を見上げた。何かひどく胸がざわつく。
「待てよ……?」
ふと、火星近傍を回る天体の位置関係図が頭に浮かんだ。模式的なものではなく、静止軌道に位置するシルチス基地を含む各天体の公転半径を、実際の数値に即して現した、より厳密なものが。
「確か、このくらいか」
砂の上に可能な限り正確にその概念図を描きだしてみる。シルチス基地の軌道半径は、火星自体の半径の四倍近い。その位置から観測した場合――太陽の位置などにも左右されるが、シルチスより低い軌道を回る天体と宇宙機については、およそその軌道の六分の五近くをカバーできるはずだ。
(ダルキーストは砲撃を実行した瞬間までは健在だった……そのあと飛び続けるにしても、どこかで燃え尽きたにしても。シルチスの観測機器からロストしたままというのは)
どうもおかしい。火星の陰に入って観測できなくなるタイミングは確かにあるが、何の痕跡も発見できないままというのは理屈に合わないのだ。二機の降下艇はセンチュリオンの後を追って降下したはずだが、軌道周回中にそれらしい機影を確認したという報告はない。
状況から考えれば、二機のセンチュリオンは何らかのアクシデントで危機に陥り、連絡よりも生存を優先せざるを得ない状態になっているのはほぼ間違いないのだが――
では、いったいダルキーストたちは今どこにいるのか?
* * * * * * *
巣船への砲撃を敢行する少し前。
コクピットのコンソール上に警告表示が赤く点灯した。詳細を確認してダルキーストは愕然とした。センチュリオンの後頭部から伸びる主通信アンテナが、ほぼ全損していたのだ。
「参ったな。ディフレクターを信頼しすぎていたか?」
大気圏をかすめながらの地表への砲撃は、オービットガンナー・モジュールの実用化から現在まで、ほとんど前例がない。現在行っている
そもそもアステロイド・ディフレクターには、モジュールが保持した状態で前方にレールガンを指向することを想定した切り欠きが設けられている。開閉可能な蓋で普段はふさがれているが、可動部分である以上、過酷な条件下で使用すればその個所は真っ先に破損する。
ディフレクターの内側にすり抜けた熱と衝撃波が、構成部品中でももっとも繊細なアンテナを真っ先に破壊した――おそらくそういうことだ。
「リーの方も無事とは思えんな……」
二機のセンチュリオンは現在、ほぼ同調した速度で並びながら、同じ高度を飛んでいる。この状態なら、センチュリオン同士でレーザー通信は使える、とダルキーストは気づいた。
ダルキーストは自機の頭部光学センサーに付属する赤色ランプを所定のパターンで点滅させた。
「レーザー通信のチャンネル同期を要請」だ。
ほどなく、リー少尉の「ガンフリント2」から同様の発光信号で応答があり、直後に通信回線が開いた。
「リー少尉! 俺のセンチュリオンはアンテナをやられて地表ともシルチスとも通信ができん。そっちはどうか?」
〈こちらもダメです、中隊長殿。それと、ディフレクターの方も過熱警告が出ました〉
「……こっちも同じのようだ」
ダルキーストは苦笑しながら応じた。リーに言われて初めて気が付いたのだ。コンソ―ル上の警告表示が一つ増えている。
間もなくクルベたちが待つギガス
「現在の高度に長くは留まれんな。二射目で修正するような猶予はないってことだ」
〈クルベ中尉からの弾着観測も受け取れませんからね〉
「ああ、だが腹を決めるぞ、少尉。この一撃で奴らをぶっ潰す」
そういいつつも、ダルキーストは理解している。
秒速三キロメートル台の速度で飛びながら、12キロメートル下の目標を撃つのは簡単なことではない。オービットガンナー・モジュールにとって、この距離は短すぎるのだ。
センチュリオンの火器管制システムが相対速度とレールガンの初速から砲撃タイミングを弾き出し、カウントダウンが始まる。
人間の神経伝達速度まで条件に加味したその一点まで、残り僅か十秒――
「発射!!」
トリガーを引く指の動きが伝達され、砲身レールの間を四角い装弾筒に覆われた二百ミリ弾頭が駆け抜ける。二秒を待たず、眼下を流れ去る地表に巨大な火球が膨れ上がった。想定外の規模に、ダルキーストの声がひきつった。
「何だあれは……リー少尉、俺たちが使ったのは核とかじゃなかったよな?」
〈そのはずです。レールガンの速度そのものも相応の熱に変換されるでしょうが、弾頭の中身はただの炸薬だ。土壌の成分と何か反応を起こしたのかも知れません〉
そういえば、とダルキーストは気づいた。火星の土壌からは固体燃料ロケットの酸化剤に使えるほどの、危険な化学物質が採取できたはずだ。
〈……あれぞまさに『火風鼎』だ〉
リーが納得気にそうつぶやいた。自分たちの置かれた危機的状況を棚に上げて、ダルキーストは地表を案じた。
(クルベのやつ、巻き添え食わないようにちゃんと避けててくれるといいんだが……)
ともかく、あとは
だが、火星の重力を振り切ろうと加速を開始したとき、二人はさらなるアクシデントに気づいた。
「いかん。推進剤が足りない」
(まさか、帰れないのか……)
絶望にとらわれそうになった時、不意にまたクルベの顔がまぶたに浮かんだ。
シニカルな物言いと斜に構えた態度とは裏腹に、いつも奇抜なアイデアで窮地を切り抜ける男。「俊敏な思考力」とでも言うべき資質だが、それを支えているのはおそらく、石にかじりついてでも生存をつかみ取ろうとする、泥臭いまでの生命力だ。
小惑星帯では、ダルキースト自身も彼に助けられた。
(あいつなら……こんなときどうするかな?)
クルベなら――まず、周りをよく確認するはずだ。そう自分に言い聞かせて、ダルキーストはコクピット内のあらゆる表示を見回した。機体各部に搭載された補助カメラの映像を、次々と切り替えていくと、その中に一つ、彼の直感を刺激するものがあった。
現在地はちょうど、シルチス基地からは火星の陰に当たる昼の側。太陽光を受けて赤く輝く火星の上に、何かが小さく影を落としている――
「あれは……?」
すぐにその正体に思い至った。火星に二つある月の一つ、フォボスだ。静止軌道よりも低い高度600万メートル付近を、七時間三十九分の周期で公転する、太陽系で最も主星に近い衛星。
それが彼らの後方、はるか上に接近してきていた。
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