episode-3:流星作戦(Mass Catcher)
GOT A MAIL
クルベは星の海に浮いていた。
いや、正確には――クルベが搭乗するセンチュリオンが、火星の軌道速度よりもいくぶんゆっくりと、太陽の周りを公転しているのだった。
だが、ほぼ同じ速度で慣性航行を続けるヴィクトリクス号がわずか二キロメートルほどの距離で内周を回っている。そしてガンフリント隊の僚機も、互いを望遠カメラで観測できる位置に展開している。
主観においては、クルベたちはヴィクトリクス号の上空に浮いて、静止しているに等しかった。
〈監視衛星『アルゴス58』群からのデータに変更なし。目標は一分三十秒後に我々の公転軌道と交差する〉
ダルキーストの『ガンフリント1』から砲隊全員に通達が入った。彼が乗っているのは、ボストン遭難時にクルベが使った複座型、『センチュリオン・トレーナー』だ。現在はそのコクピット容積の余裕を利して指揮通信機能を増設されている――にもかかわらず、呼称は
「
クルベは簡潔に応答すると、コンソールに表示されたデータに合わせて、自機が装備するレールガンの向きを微調整した。これから、彼らは木星圏から撃ち込まれた『砲弾』を迎撃する。
ここから数万キロ離れた外周軌道には、先の哨戒航行で
高精度の宇宙望遠鏡とデータ送受信アンテナを組み合わせた、比較的小さな人工天体だ。それらは現在も投入時の速度と位置関係を保ったまま、外惑星領域からの飛来物を監視している。
そこから送信された観測データに基づいて、軌道砲兵が砲撃を行う。送られてくるデータは距離の関係で一分以上前のものにはなるが、結局のところ宇宙での戦闘は、現実に対してわずかに先行したシミュレーションに沿って進むのだ。
ガンフリント隊は、飛来する砲弾の軌道――太陽方向への落下軌道の前を交差して通過するように航行していた。発射タイミングは通過直前。レールガンの砲口は進路後方へ向くことになる。いわば宇宙版の『パルティアン・ショット(註)』だ。
一見奇妙だが、これには理由がある。
秒速二十キロメートルを超えるような速度で飛来する物体に対して、せいぜい直径二十センチメートル程度の弾体で狙って命中させるなどということは、不可能ではないにしても極めて困難、現実的ではない。
だから、こうした迎撃任務では一種の榴散弾を使用する。目標進路上の未来位置に、一定範囲をカバーする人工的なデブリ雲を作り出すものだ。
だがこれを自らの進路前方に撃ちだすことには大きな問題がある。モジュールの公転速度とレールガンの砲口初速が合成され、弾片はより大きな半径の軌道へと遷移しながら、ずっと先へと移動してしまうからだ。それでは迎撃できない。
原理的にはもっと遠い距離から、早いタイミングで発射すればデブリ雲の展開ポイントを目標の到達に合わせられる。だが、その場合はモジュールと母艦が装備するセンサーの有効距離が制約となる。
たとえ機械のサポートを受けても、惑星間宇宙の空間的スケールは未だ人間の認識力の外なのだ。
もっと深刻な問題もある。榴散弾によって粉砕された『砲弾』は小さな断片にはなるが消滅するわけではない。若干の軌道要素の変化は生じても、おおむねそのまま太陽方向へ落下を続ける。
大気圏突入の際には断熱圧縮で燃え尽きる程度のものではある。だが大気のない惑星間空間であれば、進路前方で粉砕された『砲弾』はそのまま、さらに凶悪なデブリ雲として軌道砲兵を襲うことになりうる――
ゆえに、後方へ撃つ。
ただし、真後ろへではない。現在のクルベたちの軌道速度は秒速17キロメートル程度。レールガンの初速はそれよりもやや遅い。進路の真後ろへ撃てば速度は相殺され、弾体は秒速4キロほどのゆったりとした速度でモジュールの後ろを追走しつつ、次第に引き離されて行くことになる。
そしてモジュールの軌道速度を下回った弾体は、太陽へ向かって落下を始めるか、より半径の小さな軌道へと遷移してしまう。これでは飛来する砲弾に対して有効な打撃を与えることはやはり難しい。
そこで、クルベたちは現在の軌道の接線方向に対し、外向きの角度をつけて撃つ。モジュールの公転速度と弾体の速度は合成され、そのベクトルは太陽を背にして外周へ向かう。この砲撃に必要なデータは母艦とモジュールをリンクする砲兵管制システムによって精密に算定される。
「3…… 2…… 1…… 発射!」
砲身レールを弾体が駆け抜け、宇宙空間にプラズマの花が咲いた。砲口を飛び出した弾体は、モニター上で緩やかにカーブを描いて飛んでいくよう表示された。クルベの撃ったものと合わせて四つの弾体が、ほぼ同様の軌道で目標へ向かう。
数秒後、小さな発光を伴ってそれは炸裂した。弾片が作るデブリ雲はゆっくりと拡がりながら、なおも太陽から遠ざかっていく。
〈『砲弾』への着弾、確認しました!〉
ユリア・フォレスター曹長の声が響いた。モニターにはCGイメージによって補完された望遠カメラの映像が映し出された。トラス構造の枠で囲まれた全長三十メートルほどの金属製の箱が、その画面の中でずたずたに引きちぎられ、形を失っていった。
* * * * * * *
フォレスター曹長の弾着観測を確認して、マユミは大きく息を吐きだした。ここまでの任務は申し分なく遂行できている。ヴィクトリクス号は順調に航行し、クルベは今日も無事に艦に戻ってくる。
「迎撃完了。0.02パーセント増速、ガンフリント中隊を収容します」
ヴィクトリクス号がわずかに加速し、マユミはそのGを心地よいものとして体感していた。増速によってヴィクトリクス号はより外側の軌道――主観的には上空へと遷移し、レールガンの反動でわずかに加速したオービットガンナー・モジュールとの相対速度差を埋めるのだ。
安堵とともに、緊張によって頭から消し飛ばされていた皮膚感覚が戻ってきた。脇の下やもっといわく言いがたいところに感じる、汗の感触。
(シャワーを浴びたいわね……)
マユミは痛切にその欲求を感じた。
クルベとの逢瀬に備える、などということではない。二百メートルクラスの宇宙艦といっても、ヴィクトリクスのペイロードはその半分以上をモジュール六機を収納する格納コンテナに割いていて、居住区はごく狭い。
艦長であるマユミには当然のごとく個室が与えられているが、そこにさえ二人で寝られるようなベッドはないのだ。
出航してしてすでに二週間。二人の関係は周囲の感知するところとなり、特にクルベは同僚から羨望とごく好意的なからかいを浴びている。だが当人たちに現在許されているのは、おりおりの会食とすれ違いざまの軽いキス、それに意味ありげな目配せ、といった程度のものだった。
それでもマユミはこの上ない安心感と幸せを感じている。だからこそ、帰艦するクルベを身ぎれいにして迎えたいのだ。それは彼女の、女としての矜持の問題だった。
「迎撃ミッション完了ね。では私はしばらく私室に――」
ブリッジの指揮を副長にゆだねようとした彼女の言葉は、不意にさえぎられた。通信士席についていた兵士が、マユミの方を振り返って叫んだ。
「艦長! たった今、不審な通信波を受信しました……!」
「え?」
思わず指揮官らしからぬ応答をしてしまう。
「発信源は木星方向。微弱ですが、明らかに有意味なものです。パルスコードに置き換えられていますがおそらく平文で――」
(どういうこと?)
マユミは首を振った。この十年、外惑星連合からの通信や人の行き来は途絶えている。なぜ今になって、平文の通信などが飛び込んでくるのか?
通信士席についている男の、気密服の開口部から覗いているのは緑で縁取られた銀色の襟――軌道砲兵中隊の通信士だった。人員不足を補うため、彼らもヴィクトリクス号の乗組員とともに交代で艦内勤務についている。
「コアー上等兵、だったわね。すぐに
「
まだ年若い通信士はかすかに頬を紅潮させてそう答えた。張り切っているのがうかがえる。だが、そんなほほえましい印象は、手元に転送されてきた通信の文面を見たとたんに押し流された。
――何? 何なの、これは?
それは、マユミの理解と想像を超えていた。
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ガニメデ周回軌道上のマスドライバー基地『オオヤマ』よりすべての受信局に告ぐ。これは人道的要請であり、同時に軍事、外交上の公式通達に準ずるものと考えられたし。
我々、木星3003ステーションの生存者四名は本日、当該施設『オオヤマ』の制圧を完了した。オオヤマからの発電衛星コンテナを用いた質量投下攻撃は、これ以後完全に停止される。
3003をはじめ木星圏の居住地は現在、
物資の枯渇が避けられないため、我々には今後長期的生存の可能性がほとんど残されていない。よって、我々植民者の十年にわたる苦闘を完遂しその記憶をとどめんがため、我々は生存者中最年少のメンバー、アルミ・ロビンソンを射出し、内惑星統合軍の手にゆだねるものとする。
17歳の誕生日を迎えたばかりだが、彼女に残された時間も長くはない。地球まで6億キロの行程を生き延びるために、アルミ・ロビンソンは
おそらく六か月以内に彼女の前頭葉は幼体に食いつぶされ、人格は永久に失われる。どうかその前に再生医療を施し、人間の体に戻してやって欲しい。代価はコンテナに同封された敵の情報と、過去の被寄生者の臨床データだ。
彼女を収めたコンテナには、16,37ギガヘルツ帯域でSOSを発信するビーコンを取り付けた。何卒速やかなる救助を請う。
2158年9月1日
木星3003 エルンスト電力公社元職員
マスドライバー技術主任 ロイ・クレメンス
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註:パルティアン・ショット
遊牧民族の騎兵によって用いられた、馬上から後ろ向きに矢を放つ騎射戦法。
MMOなどで見られる「引き射ち」とだいたい同様の効果をもたらす。
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