炎を抜けて

 門衛のように通路に陣取った数体の壊し屋ブレイカーを排除し、ファブニールを居住区内の、いくつもある空になった倉庫のひとつへと突っ込ませる――

 

 電子ロックが壊れたドアの奥。アルミ・ロビンソンはそこに横たわっていた。タンクを降りて爺さんが駆け寄るのを、軍曹は歯を食いしばって見守った。


 ――ここは奴らTHEMの懐の中だ。今はまだ、自分が操縦席を離れるわけにはいかない。

 

「そら、軍曹。お姫様を受け取ってくれよ」 

 爺さんはアルミを慎重に抱え上げ、タンクの車体上面にあるハッチの前に押し上げた。


 タンクと頭部を接続するケーブルが破損しないよう、細心の注意を払いながら、軍曹は身をよじってアルミを車内に引き入れた。彼女は昏睡したように動かなかったが、かすかに聞こえる寝息は、その皮膚の下に、まだ赤い血が流れていることを暗示していた。

 

「アルミ……」


 彼らに残された時間はさほど多くない。ガニメデの公転周期は地球時間にして七日だが、太陽方向へ向けてもっとも小さな加速度で射出できるタイミングは、ごく限られている。それはガニメデが木星の影を出てから、太陽方向から見て、木星との距離が見かけ上最も大きくなるまで。

 ほんの四十二時間ほどだ。現在のオオヤマは、まさに木星の影を出るところだった。

 

 太陽方向への砲撃として射出する場合なら、タイミングはそれほどシビアではない。内部の岩塊やゴミには加速度の影響など考慮しなくて済むからだ。

 

 小さな吐息とともに、アルミの目が見開かれた。腫れぼったくなったまぶたのふちが、わずかに液体でうるんだ。

 

「グレッグ……迎えに来てくれたのね」

 その声はひどくかすれて、彼女のもともとの快活な声とは似ても似つかない。だが、軍曹にとってはそれはこの上なく愛おしい響きだった。

 

「……ああ、もう大丈夫だ」


「……あたし、まだ人間の姿してる?」

 かすれた声で、アルミがそう尋ねた。


「もちろんだとも」

 軍曹はアルミがまぶたを閉じたのを見はからって、自分の右目を拳でぬぐった。実際には、彼女の体はすでに変わり始めている。表皮の乾燥と組織の肥厚化が進み、カサカサした外観へと変貌しつつあるし、その体は気密インナーの中で全体的に膨らみ始めている。  

 だが、オレンジ色の髪はまだつややかに波打っていた。少女の愛くるしい容貌は、まだその名残りを十分に残していた。


「……よかった。運ばれる途中でモナカを見たの……あんなになる前に、グレッグと会いたかった」


「うん。会えたさ、間に合った。さあ、あとは俺たちに任せて眠れ……お前さんは地球へ行って、人間に戻って、俺たちの分まで幸せに暮らすんだ」


「うん……ねえ、グレッグ。あたしの絵本、まだ持ってるよね?」


「うん、ここにちゃんとある」


 アルミはぎこちなく安堵の笑みを浮かべた。

   

「あたしをコンテナに乗せるときね、胸の上に、本を載せてほしいの。内惑星インナーズの人たちがあたしを見つけた時、人間だってわかるように」


「そうだな、いい考えだ」


(この娘は幼いなりに、必死で知恵を廻らせてるんだ)


 軍曹は大声をあげて叫びたい気持ちだった。もろくなり始めた皮膚を傷つけてしまいそうで注意深くふるまいはしたが――渾身の愛情をこめて、アルミを抱きしめた。

 

「女史は?」


 耳元でささやかれた声に、軍曹は身がすくむ思いだった。どこか自分のものでないような、奇妙な声が喉から出て来るのを、どうしようもなかった。

 

「すまん……女史はダメだった。助けられなかったよ」 


「そっか……うん。そっか……」

 どうやら、はぐれた時点でアルミには半ば、あきらめがついていたらしかった。わずかの沈黙の後に、彼女は浅いため息をついた。

 

「じゃああたし、眠るね……起きてると、やっぱり怖くなっちゃうから」


「ああ。眠れ、アルミ。眠るんだ」


「うん……」

 安心したように寝息を立て始めた彼女を、軍曹はエンジンルームと操縦席の間にある、分厚い隔壁の前に横たえた。 

  

 

「じゃあ行くか、次は管制室だな?」

 再び操縦席につくと、軍曹は決然と顔を上げた。これからやるべきことは決まっている。破壊と突破、そして見送りだ。

 

「ああ、ひとつを残してあとは徹底的に破壊してくれ。そうすれば奴らTHEMはもう、地球を砲撃することができなくなる。所長も死んだからな。記憶の断片まで、完全に」


「少なくとも、オオヤマここの連中はそういう事になるか」

 悪くない。ならば人類全体に対して、彼らは期待される以上の貢献ができるのだ。

 

 ファブニールは脚部を伸ばして履帯走行に移り、通路を一気に進んだ。一行の行く手に最初の管制室が姿を現す。かつてはメインで使われていた場所だ。

 

「ミサイルはあと一基ある。こいつで焼き払おう」

 軍曹は思考制御でミサイルポッドをリリースした。太いミサイル弾頭がゆっくりと宙を駆け目標地点で炸裂すると、管制室はあらゆる物質を侵食しようとするかのような猛火に包まれた。

 

「いっちょう上がりだ。もう一か所はクラスター弾二発もあれば事足りるだろう」


「それなんだが、弾薬はあとどれくらい残ってる?」

 ふと、爺さんが慌てた様子でそう聞いてきた。

 

「半分ってとこだな。これでも精一杯節約してるつもりなんだが――どうした」

 ただならぬ気配を感じて、隣の席をのぞき込む。爺さんは熱源センサーのモニター画面から顔を上げて言った。

「後ろからちょっと大きめの群れが近づいてきてる感じなんだ」


「……そういう時は直接、こっちのモニターに割り込み表示してくれ」


 軍曹はかすかに苛立ちを覚えた。だが爺さんはあくまでも一介の技術者で、訓練を受けた軍人ではない。最低限の会話で伝達できなくても、それは仕方のないことだ。むしろ、素人にしてはよくやってくれている。  

 表示された群れは確かに大きかった。何らかの増援が行われたのではないかとさえ思えるほどに。

  

「ミサイルを使ったのは早計だったか……可能ならまとめて片づけたいとこだが」

 

 奴らTHEM近接攻撃メレー以外の手段を持っていないのがなんともありがたかった。タンクの後部は装甲が薄く、姿勢制御ノズルをはじめとして重要なパーツがそこに集中している。


「まとめて――まとめて、か」

 爺さんは端末の画面をにらみながら、何かを探すようだった。

「じゃあ、やっぱりここだ。次の管制室に入る脇道――画面右下に割り込みで出した、見てくれ」 


「どれどれ」

 そこは表示を見る限り、ファブニールがギリギリ通過できないほど狭い通路だった。壁は分厚く、フロア形状はきれいな直線。まるで――

 

「……なんだか、大砲みたいだな」


「まさにそういう事さ。この奥で爆発が起きると、おあつらえ向きだと思うんだ」

 爺さんの言葉が、頭の中にひとつのイメージを喚起する。この状況において、それは実に理にかなって魅力的だ。 


「よし、だいたい分かったぞ。そのプランで行こう」

 

 軍曹はペダルを踏む足を緩め、タンクの移動速度を少し落とした。追いつかれはしないが、どちらにとっても安全とは感じられない距離。


 次の管制室はごく小さかった。補助的に使われているものなのだ。砲塔を進行方向と直角に廻し、脇道になった通路の奥へ、徹甲弾とクラスター弾を立て続けに撃ち込んだ。

 ロックされたドアを徹甲弾がぶち破る。おそらくコンソール奥の重要な配線を断ち切ったはずだ。続いて部屋へ飛び込んだクラスター弾が、ナノテルミットの炎で区画を丸ごと火の海に変える。


「全速退避!!」


 音声入力と同時に、操向ハンドルについたレバーを握り込んだ。ファブニールは底部ロケットモーターを再点火し、床面から浮揚してダッシュでその場を逃れる。一瞬遅れて爆風と火焔が狭い通路へと逆流してきた――粉砕されたドアの裂片とともに、ほぼ音速で。

 

 管制室と通路を囲む壁に阻まれて行き場を失ったエネルギーが、通路を砲身として駆け抜けたのだ。

 後方近くに迫っていたモナカと壊し屋の群れが、噴き出した業火に飲み込まれ、ドアの裂片に切り裂かれた。


「よし、うまく行った!」

 群れの半数くらいを倒すことに成功していた。軍曹は砲塔を後方へ向け、さらにクラスター弾を放った。

 

         * * * * * * *


「目的地まではもうちょっとだ。車外に積んでるモノを落とさんように気をつけろよ」

 クレメンス爺さんが軍曹に注意を促す。

  

「わかってるとも」

 軍曹はうなずいた。耐Gスーツにカプセル、発信機。どれを紛失しても、アルミには致命的なことになる。だが車内にはそれらを収めるだけのスペースはないのだ。

 

 幸い、そのあとは敵に遭遇せずに済んだ。三人を乗せたファブニールは、発電衛星搬入に使われた水平リフトの広い通路をたどって、マスドライバー基部へとたどり着いた。そこは通路の最奥、三重になった分厚い気密シャッターが彼らと真空の間を隔てていた。

 

「さて、ここからが本番だな」

 爺さんはファブニールから降り、レーザーライフルを片手に気密シャッター横の操作パネルの前へ出た。

 

〈アルミの寝床に間違ってもゴミや岩っころがぶちまけられんように、コンベアを止めてくる。操作は管制室からしかできんようになっとるから、わしが行くよ〉


「大丈夫なのか?」


 軍曹の問いに爺さんは一瞬沈黙した。そして、くすくすと笑いながらそれに応えた。

 

〈いらん心配をするな、やり遂げるまでは死なん。シャッターを開ける前に、アルミにスーツを着せなおしてやってくれ。それと、通信回線は開いておけよ〉

 

「……分かった。今度は何があろうと耳をふさいだりはしない」


 軍曹も降りた。二人は車外に括り付けた荷物を下ろし始めた。一番大切な耐Gスーツと救命カプセルはありがたいことに無事だった。

 

「スーツ、一着は無駄になってしまったな」


 爺さんがしみじみとつぶやいた。マディソン・ラティマーのぶんのスーツが彼女の死で浮いたのだが、さりとて、モナカにならなかった男たちのうちどちらかが、これを着て射出されるわけにもいかない。

 

 スーツは単純な原理だ。宇宙船の対物シールドに使われるのと同様の耐衝撃ジェルを、付属のコンプレッサーでスーツ内に加圧充填し、加速による加重を吸収する。

 同時に下肢などに圧力をかけて脳の血流を維持するのだが、これに関してはもはや、アルミには無意味かもしれなかった。

 

 眠ったままのアルミを、慎重にスーツの内部へ押し込んでいく。ヘルメットを閉じ、接続した酸素ボンベのコックをひねって作業は完了した。彼女を救命カプセルに収めて、胸の上に絵本を――約束通りに。

 

 カプセルのふたを閉めようとしたとき、爺さんが懐から何かを取り出した。

「忘れるところだった、こいつも頼む」


「これは?」


 見たところ、ありふれた記憶媒体の量子ディスクだ。それほど大容量のものではなさそうだった。

 

「出発の前の夜……あんたらがタンクを整備している間にな、マディソンがこれまでの経緯を記録した手記とアンディの臨床データを、こいつにまとめてくれたんだ」


「そうか……アルミが向こうで助けてもらうには、絶対必要なものだな」


「ああ。何もわしらだって、あの晩ただただ乳繰り合っとったわけじゃないぞ」

 爺さんの声は少しはにかんだように聞こえた。

 

 ディスクをカプセルに収めて、いよいよふたを閉めるとき――軍曹はアルミの耳元に口を近づけ、マイク越しにささやきかけた。

 

(アルミ……お前さんは、救出されてもすぐには生身には戻れないだろうと思う。再生治療が進歩したといっても、正常な細胞が必要なだけ分裂するには、それなりに時間がかかるからな。

 それまでは完全フルサイボーグとして義体で暮らすことになる。まあ、俺を見てればそう悪いものじゃないとわかってくれるはずだ。気長にやれよ……とにかく生きるんだ。そして、素敵な恋をしてくれ。出発前に約束したように)


 そこまで耳打ちした後、軍曹は一瞬ためらったように言葉を切った。

 

――なあに。人間、生殖腺タマ脳髄アタマが残ってりゃ、おおよそ最低限の尊厳は保てるもんだ。

 

 最後のその一言は、マイクの前から口を遠ざけての、独白に近いものになった。だが、その手向けの言葉が結ばれたとき、軍曹には確かに、アルミが小さくうなずいたように思えた。

 

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