ファブニール咆哮
「妙だな」
クレメンス爺さんが首をかしげた。彼はタンクの副操縦士席で、アルミたちに取り付けた発信機の位置情報を監視していた。
「アルミとマディソン、別々の場所へ運ばれてるみたいだぞ」
「何だって」
軍曹は突っ伏していたコンソールから顔を上げた。
「何にしても、そろそろ植え付けは済んだはずだが……」
「よし。連絡とってみる」
軍曹は通信機をいじり始めた。女たちそれぞれの受信機に繋がるチャンネルを、交互に切り替えながらせわしなく呼び出している。
「こちらグレッグ! アルミ、応答しろ、アルミ!」
爺さんはぎょっとして、軍曹の肩を掴んだ。
「おい、まさか今まで通信を切ってたのか」
なぜだ、と言外に問いただす爺さんから、軍曹は視線をそらした。
「娘がクソ野郎にキズ物にされるところを、黙って聴いてられる父親がいるもんか……!!」
「何が父親だバカ野郎、だからって――」
「ああ、わかってるよ! 俺ぁ意気地なしだ。なんだかんだ理由をつけて、あの娘から逃げるくらいにな……」
頭の右半分をかきむしりながら、軍曹は呼びかけを続けた。
「アルミ! おい、アルミ!! くそったれ、なんで応答しないんだ……女史の通信機のほうは回線も繋がらん……」
「な、なあ軍曹……こりゃあ、もしかして
爺さんが不安そうな声を上げたその時、軍曹の耳にやっとアルミの返事が届いた。
〈グレッグ……? ごめんなさい、あたしちょっと気絶してたみたい〉
アルミの声は少しかすれているように聞こえる。軍曹は安堵に泣きださんばかりだった。
「そうか……その……まだ大丈夫か?」
〈うん、まあ……お客さんはちゃんと乗せたから、大丈夫。ここまではジュンチョウだよ……早く迎えに来てね、何だか体がしびれてるし、手首とか少しふくれてきた気がする……〉
神経系の侵食と、体組織の変容が始まっているのだ――軍曹はそう理解した。もうじき、あの少女は真空も飢えも、寒さも受け付けない体になってしまう。できれば、その前に――
〈あとね、運ばれる途中でラティマーさんを見失ったの。呼んでも応答がないし…あたし今、何もない部屋に一人で転がされてるんだ……〉
「分かった、今から行く。待ってろ……女史も探し出すからな」
軍曹は奥歯を噛みしめた。生身の右目はしかめた眉に押しつぶされたように半ば閉じられ、機械の左目には高感度レーザーセンサーの赤い光が鋭く灯る。
「爺さん、二人の位置と、この後の順路を再確認だ。二人を迎えに行くぞ……!」
軍曹がそう叫ぶと同時に、それまでなりを潜めていたコンソールの計器類が一斉に点灯し、機体にかすかな振動が加わった。
ファブニールが戦闘モードに移行したのだ。
「おう。ここからだと…そうだな、マディソンの位置が近いようだ。マディソン、アルミの順に拾って、途中二か所の管制室を潰していこう」
「管制室を潰す……?」
軍曹は一瞬、首を傾げたが、すぐに思い出した。管制室は三か所ある――隣の座席にうずくまるこの男、ロイ・クレメンスは確かにそういった。
「ああ。非常用に普段は閉鎖されてる管制室がある。そこが一番、射出トラックの基部プラットフォームに近接してるし、隔壁も厚い。そして一番重要なのはな……」
「ちょっと待った! 口閉じてないと舌を噛むぜ」
長い通路に出たファブニールが、履帯を床につけ時速七十キロで移動を開始した。前方にはオオヤマの職員が姿を変えた大勢のモナカと、数体の
「ふん……まずはこいつで一掃してやる」
自動装填装置が即用弾庫から、クラスター弾を薬室へ送り込んだ。八十八ミリ低圧
このクラスター弾頭の子爆弾にはナノテルミットを主成分とする高性能焼夷爆薬が充填されている――それが個々に強力な爆発を引き起こし、通路内に巨大な火球を形成した。
脚部を拡げて姿勢を低くしたファブニールの砲塔すれすれを、天井からちぎれ飛んだパネルやケーブルがかすめ飛ぶ。
立ち込める煙の中を、通路奥にいて生き残ったモナカがよたよたと接近して来た。現在のところ周囲には、動いている
「で、何が重要だって?」
軍曹が隣の席へ振り向いて続きを促す。
「あ、ああ……非常用管制室からマスドライバーを動かすためのパスワードは、わしと、後は所長しか知らんのさ」
「なるほど、じゃあそれ以外をつぶせば、アルミたちの出発を邪魔されずに済むわけだな……!」
軍曹は手元の操縦レバーを捻って奥へ押し込んだ。ファブニールの前脚部が腕のように持ち上がる。両サイドへ延びていた中脚が角度を変え、それまで前脚があった位置で車体を保持した。
太いスパイクを生やした
「
ロケットモーターに点火した
前脚を叩き付ける――駆動状態の砕氷履帯がモナカの外殻を削り取って粉砕、周囲に乾いた剥片が飛び散った。上から押さえ込むように履帯を押し付けると、モナカは数秒で原形をなくした。
「前方からまだ来るぞ!」
爺さんがセンサー画像をにらんで警告を発する。タンクはさらに加速し、発砲しながら巨蟲と肉人形がひしめく回廊を進んだ。
* * * * * * *
ラティマー女史の発信機は、通路から少し外れた居住区の一角を示していた。辺りに
誤射でもしたら目も当てられない。二人はゆっくり進むことにした。爺さんが車外に降り、ライフルを手に周囲を警戒する。
「ここまで接近してはっきりしたんだが……女史はまだゆっくり動き回ってる……」
発信機のモニタ画面を見て、軍曹は唸った。
「おかしい。アルミは運び込まれた部屋でじっとしてるのに……」
そういえば、と爺さんが話し始めた。
〈マディソンのつけてたノートを見せてもらったが……アンディの話だと、体の組織が完全に変わるまで、モナカは動けないらしいんだ。たぶん、代謝が最効率化される前に余分なエネルギーを浪費しないためだろう、と言ってたが〉
「余分なエネルギー、か……そういえば、なあ爺さん。奴ら
〈と、いうと?〉
「モナカは基本的に飲まず食わず、呼吸も必要ない。体に蓄えたエネルギーを細々と使いながら、マスドライバーを稼働させる程度の作業はこなす。時期が来たら、さっき外で見たみたいに、
〈そうだな。だが、さっきから見てるモナカどもは、半分ぐらいはオオヤマの職員だぞ。制服の痕跡があったし、胸に記章が残ってるやつも――ちょっと待て〉
どうした、と軍曹がたずねる前に、爺さんは床にかがみこんで何かを拾った。
〈こりゃあ……二人に持たせた通信機のヘッドセットだ。半壊してる〉
「捕まった時に破損したのか……道理で女史に繋がらんわけだ」
〈参ったな……この分だと彼女は頭に怪我をしてる〉
爺さんの声は悲しそうだった。いくらモナカがタフでも、負傷した状態から変えられた個体は生存できるのか? 残った脳神経は内惑星系までの長旅の間、もつのだろうか?
軍曹が睨んでいたモニタの上で、女史を示す輝点が、ファブニールの間近に来た。外部カメラの画像には、なんの変哲もない居住ブロックの自動ドアが映っている。
動態センサーの灯りが見当たらないことから判断すると、今は電源が切られていて、手動で開閉するようになっているらしかった。
「爺さん、ここだ。多分このドアの向こうに、女史がいる」
〈ここに? ここは確か、所長の執務室だったはずだな……〉
「開けてみてくれ……気を付けて」
〈ああ――〉
ゴロゴロと音を立てて、ドアが引き開けられる。非常灯だけがついた薄暗がりの中に、奇妙な物体がたたずんでいた。
不自然に背が高く、上半分は斜めにかしいだような形をしている。ファブニールのライトに浮かび上がったのは、艶のある美しい黒い肌――マディソン・ラティマーの裸身だった。
〈マディソン!?〉
彼女の頭部には、ざっくりと切れた傷口があり、乾いた血液がそこから胸のあたりまで垂れ落ちてこびりついていた。そして、腰から下の下半身は、彼女の下に位置した別の何かにめり込んで見えなかった。
(ロイ? ……ああ、ごめんなさい……私、運がなかったみたい)
しゃがれた力ない声で、ラティマー女史がそう告げた。
(アルミは無事かしら。 私はもうだめ……こいつのために、
〈何だ、何を言ってるんだ!? 軍曹、ライトを!!〉
(見ないで……私を殺して……こいつもろとも……!)
女史の哀願を聞く前に、軍曹はヘッドライトを彼女に向けてしまっていた。
〈なんてこった! マディソン!!〉
それはひときわ大きなモナカだった――そして、ラティマー女史だった。正確には、モナカの背中側の外殻がぱっくりと口を開いて、そこに彼女の下半身がねじ込まれていた。
爺さんと軍曹、二人のことなど見えていないかのように、それは灯りの下で悠然と向きを変えた。そしてその全貌が見えた。女史の皮膚の下にはなにか管状のものが盛り上がり、網目状になった末端部が徐々に彼女の肉の中に張り巡らされていくのがわかった。
公社員であることを示す灰色のジャケットが――その切れ端が――まるで腕章のようにモナカの肩口に残り、そこにはロイ・クレメンスにとって馴染みの深い名前が、まだ消えずに残っていた。
〈こいつは……所長か!!〉
(モナカは……自分の宿主が持っていた知識を……利用することはできる。でも、多分、他の個体に伝えることはできない……とすれば、有用で貴重な知識を持つモナカはきっとこうして……)
――こうして新たに
軍曹はそう理解した。たぶんマディソン・ラティマ―はねじ込まれた足の先から徐々にモナカの内容物に同化され、生きながらそのエネルギーを吸い取られていくのだ。
もしかしたら、この先数年かけて。
(これはもう、モナカって呼び名じゃ、不適当かもね……
女史が自嘲めいた笑い声をあげた。その唇は、最後に音を出さずにひと言ぶん、動いた。
殺、し、て。
「分かった」
軍曹は怒りと吐き気を胸の底に沈めてファブニールのコントロールに専念した。この距離なら機銃の一連射で、彼女も、モナカも瞬時に殺しきれる。だが、ファブニールの射線上にクレメンス爺さんが立ちふさがった――こちらに背中を向けて。
「爺さん?」
〈わしが、やるよ〉
言葉と同時に、爺さんは小脇に抱えたパルスレーザー・ライフルを連射した。モナカと女史の両方に無数の焼け焦げた穴が穿たれ、女史の体の傷からは血がほとばしった。
モナカはそのまま煙を上げて活動を停め、爺さんはファブニールへ向き直った。
〈行こう、軍曹。アルミを迎えに〉
「ああ」
ハッチを開けて爺さんが乗り込んできた。その口もとが声のない嗚咽で震えている。
「畜生……マディソン……」
ようやっとそれだけ絞り出して、爺さんはそれっきり下を向いた。
「爺さん、もう一回全力で飛ばすぞ。シートにしっかり体を固定してくれ」
聡明で優しく、豊満な女医――生存者たちの心の支えだった、母性豊かな才女は死んだ。
アルミ・ロビンソンがまだ人間と言える姿であるうちに、もう一度抱きしめてやりたい。グレッグ・マイヤー軍曹は、それだけを願った。
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