侵入

 デッキに足をつけてしまうと、そこはもう感覚的には大地と変わりがない――少なくとも、年長者たちにとってはそうだった。今や頭上には、半月状に影をまとった木星が巨大な円盤となって天を覆い、その手前には氷に覆われた衛星ガニメデが浮かんでいた。

 

 アルミたちはそれぞれ分担して、キャビン内からわずかな荷物を運び出した。

 

 二人分の耐Gスーツ。それに同様の性能を持つ救命カプセル――こっちは耐Gシートの代わりになるし、内部に数時間分の酸素を満たしておける。数量としては心もとないが、水と食料、それに予備の酸素ボンベもあった。 

 それに、個人携帯火器としては最も強力な、30型パルス・レーザーライフル。戦車砲と同様に補給物資のコンテナに入って、軌道上を漂っていたものだ。

 

 それらをタンクに積み込み終えた、ちょうどその時。主要区画の壁の向こうで眩い大きな光が拡がった。同時に足元に伝わる、かすかな振動。

 

「何、あれ……」

 口では疑問を唱えたが、おおよそのことは見当がついた。マスドライバーが稼働しているのだ。

 およそ一分ほどの間をおいて、腹に響く衝撃が『オオヤマ』全体を揺るがした。同時に何か光る物体が、リングの途中から吐き出されて、ものすごい速度で虚空の彼方へ飛び去って行った。

 

 クレメンス爺さんは物体が飛び去った方向を睨むと、腹立たしそうに拳を握った。

 

「ロイ、あれは一体……?」

 ラティマー女史の問いに、クレメンス爺さんは静かに答えた。

「ここはな、奴らTHEMが地球へ向けて砲撃を行う基地になっとる……軍曹から話は聞いていたが、いざ目の当たりにすると何とも嫌な気分だな」


「砲撃?」


 アルミの驚きの声に、軍曹が答えた。

「そうだ。奴らは衛星用コンテナに、その辺の岩塊やステーションの破片といった『ゴミ』を詰め込んで、地球や火星――内惑星領域へ向けて撃ち出しているんだ」


奴らTHEMにそんなことが……いや、まさか……?」


 爺さんが引き継いで答えた。 

「そうさ、マディソン。オオヤマで働いてた若い連中の中には、内惑星連合インナーズをこっぴどく憎んでたやつも多かった。連中はおおかたモナカに変えられた筈だが、その憎悪とオオヤマの運用法は、記憶としてそのまま引き継がれたんだろう」


「そんなことまでできるなんて――」

 女史が息をのむ気配が、通信機越しにアルミにも伝わってきた。


「モナカどもは、想像以上に巧くやってると見えるな――あのサイズのコンテナなら、地球に衝突すれば相応の破壊力があるだろう……」


「もしそうなら、内惑星軍がコンテナを見過ごすはずがないわね」

 自分たちを乗せたコンテナも、砲弾として迎撃されてしまうのではないか? ラティマ―女史はそんな不安にとらわれた。


「ああ、だがもちろんそこまでは想定済みだ。二人が乗り込むコンテナには電波標識ビーコンを取り付ける。複数の帯域で救命信号を発する、強力な奴だ――さっきタンクに積み込んだのがそうさ」

 

 軍曹は小惑星タンク『ファブニール』の車体にくくりつけられた金属製のボックスを指さし、おどけて見せた。


「アルミ、俺たちからの誕生日バースデープレゼントだぜ」


         * * * * * * *

         

         

 物品搬入用のエアロックを潜り抜けた先で、一行は小休止を取った。

 

 恐らくは全員にとっての最後の食事だ。アルミは缶詰のアップルパイを二切れ、それにチキンの大ぶりなナゲットと、簡易コンロで温めたビーフシチューを少し苦しくなるくらい腹いっぱいに詰め込んだ。


「うっぷ……この何日か、ちょっと食べ過ぎかも」


 ラティマー女史は笑いながらアルミの背中をさすってくれた。

 

「いいじゃない、たっぷり食べなさい。モナカになってから地球までもたせるには、自分の身体に蓄えた栄養分が頼りなんだから」


「そっかあ。ラティマーさんはその点、いいよね……」

「……アルミ」


 柳眉を逆立てて睨むラティマー女史の傍らで、男たちが笑い転げた。


「はは、怒るな怒るな。お前さんのはち切れるような身体――わしは好きだよ、マディソン」


「……まあいいわ、どっちも悪気がないのはわかってるから」

 二人の賢人はもう一度、アルミたちの視線も意に介さずに唇を重ね合った。

 

 次の隔壁の先にはモナカと壊し屋がひしめいている。ファブニールの熱源センサーが、それをはっきりと示していた。ここからがいよいよ、計画の本番なのだ。

 

「これをんでおきなさい」

 女史が小さな薬包をアルミに差し出した。

 

「これ、何? 苦いの嫌だよ」


「……アンディがモナカにされる前に習慣的に服用してた薬と、同じものよ。彼との最後の問診で聞きだしたの。非選択的アドレナリンα遮断薬を含む頭痛薬と、咳止めのコデイン製剤……全く同じものは用意できなかったけど、多分――」


「よくわからないけど、必要なのね?」


「ええ、私たちの中枢神経、特に前頭葉を……幼体の浸食から守ってくれるはずよ。アンディがあれだけ長く人間の意識を保てたのは、薬の影響で前頭葉の活動が抑制されてたから――それが私の推論」


「そんな説明、アルミに分かるとも思えんが……つまりどういう事なんだね」


 爺さんが横からアルミの手の中を覗き込んで首を傾げた。


「捕まえられて幼体を植え付けられた犠牲者は、ひどい恐怖にとらわれたはずよ。脳がアドレナリンの分泌を促し、またその影響を受けて闘争/逃走反応を起こすと、幼体はそれを感知して標的となる前頭葉へたどり着く……」


「なるほど。それを遅らせるってわけか」


 この二種類の薬がどれだけ効くかは、女史にも分からなかった。だが、神経の興奮を抑えてとろんとした状態になってしまえば、彼女たちにとってはこれからのおぞましい通過儀礼が、いくらか楽なものになるだろうか。

  

 薬を水で流し込み、アルミはゆっくりと息をついた。まだ何も心身に変化は現れないが、これから少しぼんやりするだろうとは聞かされた。なら、忘れないうちに――

 

「グレッグ。預かってほしいものがあるの」

 アルミは軍曹を呼んだ。

 

「何だ?」


「これ……私の絵本」


「持ってきたのか」


「うん。私たちがコンテナに入るときに一緒に入れて欲しい……それまで預かってて。連れてかれる途中で落としたら、嫌だからさ」


「わかった」

 軍曹は『熊皮男Baerskin』を受け取ると、ファブニールの操縦席に放り込んだ。

 

「そろそろ行きましょう、アルミ。あまり時間をかけると、射出のタイミングに間に合わなくなるわ」

 ラティマ―女史が静かに促した。

 

「うん……じゃあね、グレッグ」


 アルミたちは作業スーツを脱ぎ、薄い気密インナーと通信用ヘッドセットだけの姿になった。このあたりの区画は依然として気密が保たれ、空気が存在している。二人はヘルメットを男たちに預け、エアロックの前に立つと、操作パネルに指を延ばした。

 扉がゆっくりと上方へスライドして開いていく。行く手にはわずかに湿り気を帯びた生暖かい空気が立ち込め、履き古した靴のようなにおいがかすかに感じられた。

 

 ギリッ――

 

 通信機の受信装置から、なにか硬いものがこすれる音が聞こえた。軍曹か爺さんか、どちらかの歯ぎしりのようだ。

 

「待っててね」


 アルミはつぶやいた。自分たちがこれからどんな目に遭うか知っていながら、男たち二人はそれが成就するまでは手を出せないのだ。


 再びエアロックが閉じると、前方の闇の中で確かに何かが動いた。次の瞬間、それはアルミの前に巨体を現した。ファブニールより一回りほど小さい、四対の歩脚をもった凶悪なシルエット――壊し屋ブレイカーだ。

 

「出てきたわね……さあ、あたしたちを連れていきなさいよ」

 

 奴らTHEMが自分たちを食い物にしようとするなら、こちらも奴らTHEMを利用して生き延びてやる――アルミはそう決意した。次の瞬間、鉤爪のついた巨大な脚が、彼女を床に引きずり倒した。

 

「ぐっ……ふ……!」

 わき腹を床にぶつけて息がつまる。目の前に壊し屋ブレイカーの頭部が迫ってきた。頭では分かっていても、体は恐怖に反応して活路を探そうとする。 

 だがアルミの身体は脚に押さえつけられたままで動けない。巨大なハサミかペンチのような大あごが、ゆっくりとアルミの胴体をくわえこみ、拘束して持ち上げた。

 そのまま、壊し屋ブレイカーは居住区の方角へと移動していくようだった。薄暗くてよく見えないが、周囲には同様の壊し屋ブレイカーと、人間のように立って歩く何かがいる。

 

(モナカだ……)


 それは発酵したパン生地を焼いたように膨れ、横幅と厚みが普通の人間の三倍ほどある、人体のカリカチュアだった。

 その動きはゆっくりとして、遅い。頭部は人間とさほど差のないサイズに保たれているが、ぽっかりと中途半端に開いて動かない、灰色に濁った瞳孔が、その奥にもはや人間らしい精神が宿っていないことを告げていた。

 ささくれたような質感に変質した表皮は、いつごろから代謝を止めたのか、固くこわばってひび割れ汚れている。

 何体ものそれが、アルミをくわえた壊し屋ブレイカーと同じ方向へ、ある物はまた逆の方向ヘとゆっくり歩いていく。その中の一体と視線が合った瞬間、アルミは叫び出したいような衝動に囚われた。

 

 そして気づいた。ラティマー女史の姿が見えない。

 

(ラティマ―さん……どこ……?)


 小声でささやく。だが答えはない。いつのまにか、見失ってしまった。あるいは、別の壊し屋が彼女をどこか他所へ連れて行ってしまったのか?

 

「ラーティマーさぁーん!!」

 アルミの叫び声だけがどこまでも反響していき、やがて途絶えた。どこかで女史の声がかすかに聞こえたような気もしたが、はっきりとは分からなかった。通信機はオンになっていたが、軍曹たちからも女史からも、何も返事がない。

 

 アルミはやがて、奥まった区画の行き止まりの通路へと運び込まれた。そこにはグリーンの光を放つ非常灯らしきものがともっていて、壊し屋とは別種の個体がいた。サソリそっくりの姿勢をとって、待ち受けているように見える――針刺しスティンガーだ。

 

 それが、くわえられたままのアルミへ向かって、尾部を延ばした。壊し屋ブレイカーは彼女を今度はゆっくりと床におろし、うつぶせに押さえつけた――七歳のあの日に、軍曹と一緒に逃げ惑いながら見た光景そのままに。

 

 どうしようもない恐怖がこみ上げてきた。誰の手も届かないところで、モナカにされる――


「やだ……助けて、グレッグ……!」


 背中にとがったものが触れ、そのまま突き刺される感触。

 

 痛みは一瞬だった。だが、身動きを許されぬままそこから入り込んでくる、冷たく悪意に満ちたものの気配に、アルミはおぞましさのあまり気を失っていた。

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