episode-1:故郷に平穏あれ(May you be in peace)

つかの間の安息

 四百年ものの地下牢に閉じ込められる、というのは滅多にできる経験ではない――愉快かどうかは別にして、だ。

 

 床も壁面もおおよそ衛生的に磨き上げられて、ネズミなどの衛生害獣、害虫が出る気遣いもない。だが時代錯誤な内装を物珍しく眺めまわす時期はとうに過ぎている。

 リョウ・クルベ中尉は部屋の隅に置かれた便器からベッドへ戻って、仰向けに身体を投げ出し、漆喰で固められた天井を無心に眺めていた。

 

 外の廊下に人の足音が聞こえた。

 

(ああ、このシーンからか――)

 頭の中のどこかで、自分自身がそんなふうに呟くのを感じた。前回は確か、ここの天井はなぜか日本家屋の雨漏り染みのある杉板張りだった。

 

「出たまえ、リョウ・クルベ中尉」

 グレーの制服を寸分の隙もない着こなしで身につけた憲兵大尉が、監房のドアを開けて促した。

 

「ごくろうさん。いよいよ軍法会議かい? 即決裁判で処刑なんだろうが、せいぜい銃殺隊には腕利きを選抜してほしいな」


「無駄口を叩くな」

 大尉の部下が、ご親切にゴムで覆われた警棒でクルベを小突いた。


 中米軍管区の司令部つき士官だった彼が、七日前からこの営倉に閉じ込められていたのは、べつだん命令不服従や犯罪のためではなかった。単なる私怨だ。それだけに余計、彼の立場は不安定できわどかった。


 司令長官ペイルフォード中将の一人娘・ジェニファーと恋仲になった。そのうちに夜ごとこっそり中将の邸宅へ忍び込んで彼女の部屋へ足を運ぶようになり、朝方に窓から抜け出して自分の官舎に戻ろうとしている所を無粋な警備兵にとっつかまった――

 

 それだけの事に過ぎない。だがジェニファーには業界最大手の兵器メーカー、ルビコン・オードナンス社の御曹司との間に、秘密裡の縁談が進められていたのだ。ペイルフォード中将としては自由恋愛の建前など言うまでもなく「クソ食らえ」だった事だろう。

 多分、憲兵侮辱や民間家宅への不法侵入といった、適当な罪状で有罪判決を下される。罪刑としては全く釣り合わないが、中将は鉛弾の出荷伝票に気前よくサインをしてくれるはずだ。

 

 経費をケチっているのか通路の照明はところどころ切れかけ、点滅していた。脇を固めた憲兵たちとともに監房を出て歩き出すと、彼らの影も壁の上で揺れながらついて来た。


 数分ほど歩いた所で、クルベは奇妙な事に気がついた。軍法会議なら監房棟から中庭に面した歩廊を通って、司令部にあてられた広壮な十九世紀式建築の本館へと向かう事になる。だが、一行は外の駐車場へと向かっているようだ。

 

 駐車場の端に停められた年代物のカッツバルガー装輪装甲車が見えた。もう八十年以上、改修を繰り返しながら兵員輸送に使われている代物だ。

 

「おい、俺を一体どこへ連れて行こうって言うんだ」


 いよいよ不安に駆られて質問すると、憲兵大尉はようやく立ち止まって振り向いた。

 

「軍法会議は行われない、クルベ中尉」


 クルベを車内に押し込みながら、大尉は初めて口元に笑みを浮かべた。思いのほか上品な笑い方がかえって癇にさわった。

 

「書類上、君に対する一切の容疑は不問とされた……無論、中将の腹はそうじゃない。君は転属になった。それも緊急にだ。残念ながら私物をまとめる時間は許されていないが、必要品は現地で支給される。安心したまえ」


「首はまだつながってるってわけですか――いったい私はどこへ配属されるんです?」

 慎重になったほうがよさそうだ。クルベは少し丁寧に話すことにした。

 

「第17機甲師団の軌道砲兵中隊だ、権限外だがこれくらいは教えてやろう」


「軌道砲兵……第17師団と言えば火星ですね? 最前線部隊だ――」


「南極で低温環境訓練を三か月ほど受けてもらう事になる。凍傷に気をつけて、少しばかりハードなスキー旅行を楽しんできてくれ――これが命令書だ」

 手渡された封筒には格式好きなペイルフォード中将の手で、いかめしくも印章つきの封蝋が施されていた。

「くそ――銃殺のほうがよほどマシだ」


「なんなら選択の機会を与えても構わん、とは言われているが。どうするかね」


 ……ああ、ここまではよく見るいつもの夢だ。ここからどんな趣向を見せてくれるのか。クルベの意識は諧謔への奇妙な期待にふるえた。

 

 南極旅行と銃殺では是非もない。クルベはおとなしく装甲車に乗り込んだ。後部座席に腰を下ろして姿勢を崩すと、運転席に座っていた人物がこちらへ振り向いた。

 

「迎えにきたわよ、リョウ。ごめんなさい、お父様がこんなことを……」


「ジェニファー!?」

 迷彩入りのベレーの下で微笑んだのは、間違えようもない顔。奔放で情熱的なジェニファーの、黒髪に縁どられたなめらかな頬とダークブルーの瞳だった。

 

「あなたを南極なんかへ送らせないわ。私と一緒に来て」


「君、車の運転が――」

 できるとは少なくとも聞いていなかった。

 

「とばすから何かにつかまっててね!」


 アクション映画ぐらいでしか見たことのないような、すさまじい急発進。危うくベンチシートから転げ落ちかける。ジェニファーの肩越しに見えるフロントウィンドウの向こうを、メキシコ・シティの街並みが駆け抜けていく。

 

 自分の潜在意識はよほど現状に不満らしい。クルベはそう自己分析した。奇妙なことに、つい今しがたまで濡れたようにつやつやと黒く輝いていたジェニファーの髪は、いつの間にか晴れた日の麦畑のようなプラチナブロンドに変わっていた。


 それでも、これはあくまでジェニファーなのだ。


 顔をひきつらせた群衆が悲鳴を上げながらこちらへ駆けてくる。この先に、何か恐ろしいものがいるらしかった。 

「目標を捕捉。前方五百メートル――」

 フロントウィンドウの前方に、溶けた八面体を組み合わせて作ったような、巨大なトルソーが立ち上がる。機動殻マニューバ・クラストだ。

 

「変形シークェンス、スタート!」

 ガクン、と音を立ててジェニファーがハンドルをおかしな角度に引き起こした。足元の床が唐突に持ち上がり、体が四十度ほど傾いた。 

 ベンチシートが箱型に折りたたまれてクルベの身体を取り囲む。いつの間にかそこは『センチュリオン』のコクピットとそっくりになっていた。

 

「アホか! これでアレと戦うのか! この装甲車カッツバルガーには機銃一つ積んでないのに――」

 コクピットを見回しながら罵声を上げる。そのクルベの視線が、コンソールにともった赤い十字の表示をとらえた。


「ん、ええと、これが……武器なのか?」

「横のスイッチを押して!」


 はじかれたように赤いボタンを押し込む。道路わきの教会の尖塔から、金色に輝く十字架が射出されてカッツバルガーの右手に収まった。その縦棒にはセラミック絶縁体に包まれたコンデンサーが、等間隔に並んでごつごつした外観を際立たせている。


「ガルバニック・ライトニングソード!」

 おかしな名称が天啓のように脳裏に浮かんで、クルベはそのままを高らかに叫んだ。

「うぉおおおおおおおおおーーーーっ!!」

 気合とともに武器を機動殻クラストに突き立てる――聖ジョージの槍のごとく。黄金の十字架から眩い電光がほとばしり、その輝きが世界を白一色に塗りつぶした。

 

         * * * * * * * 

 

「……何だ、この夢」


 目を覚ますと、そこは消毒液の匂いのする病室だった。腕に感じる違和感は点滴チューブの翼状針が入っているのに違いない。

 次に感じたのはひどい飢餓感だった。ずいぶん長いこと何も口に入れていない筈なのだ。


「あー……大盛りの、天丼が食いたい」

 ひどく卑近な食べ物への欲求が口をついて出た。


――そいつは無理だ、クルベ中尉。


 少し離れたところで愉快そうな含み笑いが聞こえた。この声には聞き覚えがある。ここに運ばれたとき、ストレッチャーに横たえられたクルベたちを最初に診察してくれた軍医だ。

 

(確か、マンスレックとかいう名前だった)

 次第にここしばらくの記憶と見当識がよみがえってくる。

 

(結局のところ、俺たちは死神に勝ったわけだ)

 

 クルベとマユミ・タカムラを乗せた『ボストン』は、再噴射から十八日目に、偶然にも軌道砲兵輸送艦『ヴィクトリクス』と接触したのだ。変わり果てた姿になったボストンはどうにか無事に軌道ステーションまで曳航され、二人は基地の医療センターへ収容されたのだった。


 ベッドの右側、少し離れた場所に、もう一つベッドがあるのが見える。頭をそちらへ向けると、タカムラ大尉の明るい色をした髪があった。


(そういえば、ヘルメット無しの彼女を見るのは初めてだな)


 マユミ・タカムラはまだ眠っているようだ。安堵とともにひどい疲労感に襲われ、クルベ中尉は再び穏やかな夢の中に沈んでいった。

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