夜来たる
照明を落としたコクピットに通話着信のアラームが鳴り響いた。回線をつなぐとコンソールに緑のランプが小さくともり、手元にできた影の色合いがわずかに変化した。
〈ヴィクトリクスよりガンフリント1。クルベ中尉の現在位置を確認。データそちらへ転送します〉
「
「――こちら『ガンフリント2』リー・カオ。センチュリオン二号機、降下開始」
二機のセンチュリオンは
機体が減速、降下するにつれてシルチスは公転方向に対して逆行するように遠ざかる。眼下の赤い球体が膨れ上がり、やがて遮光フィルターを通したように暗く変わった。
彼らは火星の自転を追い越し、タルシス台地一帯に先駆けて夜を迎えたのだ。
「アリどもが動くのはこの後か。時間の猶予があるのはありがたいが……」
現在、
装甲歩兵以外の兵科が定数に満たないが、これはシャトルの積載量に制限を受けるためだ。整備と補給に時間がかかるため、目下すぐに降ろせる大型シャトルは二機しかない。
シャトルはやや旧型のセミ・スペースプレーンだ。低軌道へ降りて大気圏をくぐり、地表へ到達するには最短でも三時間はかかるだろう。
逆噴射を停止したセンチュリオンは再び反転し、装備したアステロイド・ディフレクターを機体前面に構えた。この高度には、シルチス基地建設中に事故で散乱した資材片や、開拓初期に失われた宇宙船の残骸などが漂流している。衝突の危険はゼロではない。
ギガス
* * * * * * *
倉庫区画で目的のものを探し当てると、隊員たちは黙々とそれらを運んだ。使用に耐える火器本体はまるで見つからなかったが、弾薬そのものはふんだんに貯えがあった。
施設の東側には高さ三メートルほどの防塁と、そこから南北に伸びた防壁が残っていた。それより東では表土の改良が済んでおらず、土壌には強烈な酸化作用を持つ有害な過塩素酸塩類がまだ大量に含まれている。この壁はつまり、西にある緑化プラント群を汚染から守る長大な防砂堤の一部でもあったのだ。今やそれは
防塁の前縁に立つアルミの周りには、弾薬箱が無数に積み上げられた――彼女自身が先頭に立って運んだ分も含めて。
その左右斜め後方には、組み立ての済んだ六十ミリ迫撃砲が二門。
トラックの車載機銃は取り外され、ホフマン軍曹が見つけ出してきた
重機には装甲がないため
防塁の基部には小型のクレーンとベルトコンベアが据え付けられ、電動機付き作業カートで運ばれてくる追加の弾薬を、いつでも運び上げられるようになっていた。
「よし……ひとまず申し分のない砲台が出来上がったな」
そういうと、クルベはアルミの腕部分の装甲を掌でたたいた。
「はイ。砲撃準備、開始します」
アルミの背中から足元へ延びた付属肢が、モーター音とともに動き始めた。基部が百八十度回転して、クレーンアームに似た角柱の先端が上向きにその位置を変える。
基部がさらに先程とは別の軸で九十度回転。アームは折りたたまれていたジョイント部を開いて前方へ展開し、わずかに後退して固定された。アルミの右肩の上から二メートルほどのアーム――否、砲身が突き出す。
数キロ先に着陸した巣船には、まだ動きがない。はるか背後のプラント群ではさいぜんからひっきりなしに非常サイレンが鳴り響いていた。向こうでは民間人たちが融合炉を停止させたり地下に避難したりと、大忙しで動き回っているに違いない。
(あのエビもあそこで養殖してるんだろうなあ……)
こんな時だというのに食い物の味が脳裏にうかぶ。丼からはみ出す大きさの巨大で見事なぷりぷりのエビ天。ここのプラントが破壊されてあれが食えなくなる――そんなことは真っ平ごめんだ。
「中尉殿は、地球で野戦砲兵を指揮しておられたそうですな」
重機の足音が停まり、すぐ頭の上からホフマン軍曹の声がした。彼はさっきからゆっくりと防塁の上を歩き回っては、険しい表情で東の地平線に機銃を向けている。
「ああ。中米の参謀本部に詰める前だから、最後に百五十ミリを操作したのは四年近く前だな。もう素人とさして変わらないよ」
「ご謙遜を。迫撃砲の設置を指揮するところ、拝見してましたよ。いい手際だ」
「ありがとう」
クルベがそういうのと同時に、あたりが不意に暗くなり、足元が闇に沈んだ。西に傾いた太陽がオリンポス山にさえぎられ、途方もなく巨大な影を大地に落としたのだ。
頭上にはいまだに緑がかった青空が広がり、西には地球の夕暮れに似た金色の光が雲の縁を輝かせていた。だがその色は急速に薄れて青い夕闇に変わり、足元の影は瞬く間に水かさを増して兵士たちを飲み込んでいく。
急激に気温が下がり、クルベは野戦服を着込んでなお震え上がった――これが火星の夜か。
「くそ、日が暮れちまったか……総員、
ホフマン軍曹が号令をかけた。コマンド隊員たちは微弱な可視光を増幅するタイプの暗視装置をヘルメットに装着していた。
日中だけの想定で訓練に同行していたクルベにはその用意がなかったが、軍曹が重機の上から彼に声をかけてくれた。
振り返ると、ストラップのついた小さな光学機器がクルベの目の前にぶら下げられている。
「中尉殿。この双眼鏡をお貸ししますよ。取り回しが不便ですが、最大三千メートルのレンジで暗視も可能です」
「そいつは助かる」
双眼鏡を受け取ってのぞき込む。星明りを増幅した視野は色味がやや乏しかったが、想像以上にクリアだった。
それが地表に接するあたりに、動くものがあった。夜行性動物の眼のように赤く輝く、無数の光点――それがこちらへ向かって押し寄せてくる。
「……来たぞ。総員、配置につけ!」
コマンド隊員たちが三人ずつ迫撃砲に取り付き、残りは防壁の上に片膝をついてグレネード・ランチャーを構えた。
クルベはアルミの背部装甲に手を触れて小さなハッチを開け、そこに個人用端末から伸びたケーブルを差し込んだ。
「アルミ、君の火器管制装置からデータをもらうぞ。我々の位置座標とその五十ミリ砲の弾着観測結果を使って、軌道上のモジュールによる砲撃をアシストするんだ」
「は、はイ!」
端末からのデータは、この施設の通信設備を介して軌道上へ送られる。通信機を動かすための発電システムは、幸いにも地下で正常に運転を開始していた。
「イつでも撃てます!」
「よし。まずは……第一目標、隕石アリ群の先頭。どれでもいい」
「照準レーザー照射……ロックおン」
アルミの左肩にある箱状の突起から、薄い砂煙を赤く染めて一条の光が伸びた。レーザーがとらえた目標が動くにつれ、五十ミリ砲の砲身がわずかずつ指向する方向を変えていくのがわかる。移動速度から未来位置を予測し、そのポイントを追尾しているのだ。
端末に表示された目標との距離が漸減していく。1865……1852……1843……
「撃ち方始め!」
返事の代わりに爆音と衝撃。一瞬遅れて砲基部を覆うカバーから、腔内に残留した発射ガスが排出された。同時に、アルミの足元に金属製の太い薬莢が転がり落ちる。
双眼鏡の視野の中ではアリの群れの上に、爆ぜたように何かが跳ね上がった。
「命中だ、よくやったアルミ! 次は連射モードで薙ぎ払ってやれ」
「了解!」
バス・ドラムを連打したようなリズムで砲撃音が響いた。曳光弾の火線が夕闇を切り裂き、炸裂音が幾重にもこだまする。薄気味悪い悲鳴が聞こえた気がして、クルベは怖気をふるった。
人型兵器への搭載と砲身の耐久性を考慮して、本来の性能よりも幾分デチューンされた発射速度は毎分百二十発。即用弾四十八発を瞬く間に撃ち尽くし、隊員たちが再装填作業に取り掛かる。
「そら、お姫様はご休憩だ!
砲身が指向した角度と砲弾の初速。隕石アリの移動速度――
高高度からの実体弾による砲撃で、ピンポイントの目標を貫通することはほとんど不可能だ。着弾の衝撃波と熱、炸裂弾タイプの弾体なら破片で、一定範囲を巻き込むことになる――ならば、榴弾を使用した野砲支援と理屈は同じだ。
自分たちを巻き込まないように破壊範囲を指定してやればいい。可能ならばその中に巣船も収めれば上々というわけだ。
「夜だからなあ……巣船は赤外線を出してるかもしれんが、誤射の可能性がないとは言いきれん。こっちはプラントに融合炉と、あからさまな熱源でいっぱいだし」
* * * * * * *
〈こちらクルベ。ガンフリント隊へ試射要求。通信アンテナからの方位角1580、距離3400。目標、敵揚陸艦及び地上兵力前面、南北500、東西2000――〉
「ようやく来たか。なるほど、元砲兵らしいデータのまとめ方だ」
ダルキーストはそうつぶやくと口元をゆがめた。
もっともこちらもかなりの時間をロスしている。この高度をまともに回っていては、再びクルベたちの上空を通るまでに、四時間はかかるだろう。
その間に彼らが壊滅しないという保証はない。であれば――
「リー少尉、聞こえるな? 高度12000メートルまで降下するぞ。もう一度反転して減速だ」
〈……まだ下りますか〉
「火星の大気層はスケールハイト11000メートル。足をつっこむ限界ギリギリだが、やるしかあるまい。噴射終了後に機体を正位置に戻し、ディフレクターを七十度倒して固定しろ」
操典にはないが、可能性を検討されていた
無論、これがあったところでモジュールが大気圏を突破することはできない。死と隣り合わせの力業だ。
〈了解〉
リー少尉の声はわずかに上ずっていた。
〈出撃前の易占、我々の運命については“火風鼎”の三爻を得ていたのですが……こういうことでしたか〉
「どういうんだ、それは?」
〈……曰く、『薪を入れすぎて鼎の中は煮え返る。熱すぎて運ぶことができず雉の肉を食えないが、やがて雨が降って冷える』〉
「そうか。そいつはつまり『
〈中隊長殿が今の説明だけで即座にそう解釈されたことは、賞賛に値しますが――〉
「気分がいいね。あとで易占についてはもう少し詳しく教えてくれ」
二機のセンチュリオンは大気の底へと、うなりを上げて突進していった。
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