定まらぬ布陣

〈……中隊長殿〉


 クルベとの通信が終わった直後。ダルキーストのヘッドホンに、別の声がするりと入り込んできた。第二小隊のリー少尉だ。


「どうした、少尉」


 画家サルバドール・ダリを思わせる口ひげを唇の端から飛び出させた、東洋系の細面が脳裏に浮かぶ。身だしなみや嗜好品に奇妙なこだわりを見せる男だが、腕は確かで航宙時間も長い――ダルキーストはパイロットとしての彼に一通り以上の信を置いていた。


〈大丈夫です。我々は成功をおさめますよ〉


「ずいぶん楽観的だな……ああ、例の易経イ・ジンとかいうやつか。僕には古めかしい儀式としか感じられないが、君はあの黒い木片の並びから、有意味な超自然のサインを読み取れるというのかい?」


〈ええ。機体チェックの待機中に、端末に仕込んだ自作アプリを走らせてたんです。まさかここコクピットで筮竹を操るわけにはいきませんからね〉


「ほう……で、どんな『ヘクサグラム』が出た?」


 少し面白くなったダルキーストは、その気分を隠さず声に出していた。リー少尉の返答には、得意そうでそれでいて少し憤慨したような響きが感じられた。


〈……こいつの成り立ちを知れば、中隊長殿も認識が変わりますよ。易の六十四卦とはつまり、二進言語によるコードなんです。少なくとも二千年以上前に、われわれの祖先はこれを作りだしていた〉


 声もなく息をのんだダルキーストに、リー少尉は穏やかに続けた。


〈“震為雷”の初爻を得ました……これは吉兆です〉


 そう言われてもダルキーストには意味がわからない。だが吉といわれると緊張感はぐっと和らぎ、その一方で闘志がわいてくるのが感じられた。



         * * * * * * *



 クルベたちを乗せた装軌トラックは「マーズ・リング」に沿って西へ走っていた。南西にはタルシス台地の雄大な緩斜面が見えている。標高基準面からの高低差はおよそ三千メートル――いうなれば、ニホンの最高峰であるフジ山から駆け下りてきたようなものだ。


 といっても、タルシス台地のすそ野の広さは直径にしてフジの数十倍を超えるのだが。そして、北西には標高二万五千メートル、太陽系最大の火山であるオリンポスが、山というにはあまりにも巨大な、視界を圧する壁となってそびえていた。


「ようやく平野へ出たか。ずっと下り坂だから電池が減らなくてありがたいね」

 

 トラックを運転している兵士の一人が誰に言うともなく、ため息交じりに呟いた。


 このトラックは燃料電池と蓄電池を併用した電気駆動で走る。現在のように斜面を下り続ける状況なら誘導輪の回転を利用して発電を行い、燃料電池の消費を最低に抑えることができた。

 急を要する事態に奇妙なことと言えたが、それには理由がある。巣船ハイヴ・シップは現在、彼らのずっと後方を飛行していたのだ。


 パーカー伍長はレーザー測距儀を使って、何度目かのチェックを行った。


「よし、また一分間停車してくれ……計測開始」


 目標までの距離とそのサイズが分かれば、任意の二点間を通過する時間を計ることで速度が割出せる。驚くべきことに、巣船は大気圏内を飛行する物体としてはありえない低速で動いていた。


「……やはり、平均して時速三十キロ、一時的に加速しても六十キロほどで飛行してます。航空機でも宇宙船でも、我々の常識とはかけ離れている。ひょっとするとガスで浮く飛行船か何かではないでしょうか、あれは」


「どうかな。飛行船ならその二倍は出せると聞いているよ、パーカー伍長」

 

 パーカーの傍らに腰かけたタチバナ技術大尉は努めて明るい声を出そうとしていたが、その額には大粒の汗が浮き、顔色はやや青白かった。すでに旧フランスの国土を半分がた横断するに等しい距離を走っているせいだ。

 その間というもの、振動でじっくりと脳を揺さぶられ、骨格や筋肉は慣性に振り回されて軋む。重力下に不慣れなメンバーにとっては、そろそろ体力的に困難な段階が近づいていた。


「みんな、もう少しだけ頑張って。この調子ならなんとかあいつに先行できるわ」


 マユミもかなりの疲労を覚えている。だが彼女はそれでも運転席のすぐ後ろで手すりをつかんで立ち、コマンド隊員たちを鼓舞していた。彼らの士気は依然として高い。直接の指揮権はないが、やはり艦長ともなれば影響力は大きいし、マユミの容姿もそれに寄与している。


 そして彼女の持つ情報アクセス権限は、火星地表の施設を検索するのにも都合がよかった。


「軌道上との直接通信に使えそうなアンテナは一応の目星がついてる……これよ」


 端末に拡大表示された付近のマップを、ホフマンとクルベに示す。マユミが指さしたのはシャトル発着用の小規模な滑走路をもつ、最近まで忘れ去られていた弾薬庫だった。


 このタルシス台地からアマゾニス人工湖に至るエリアには開拓初期段階から利用された古い輸送路がある。マーズ・リングと二か所で交差しながらタルシス常設キャンプと連絡する、長大なものだ。

 弾薬庫はその途中、彼らのトラックの現在地からはさらに五十キロ少々西の、輸送路から分岐した道路の先にあった。


 クルベとホフマンは顔を見合わせた。


「緑化プラント地区の民間人も避難誘導しなきゃなりませんが、まずはここへ向かいましょう。もし弾薬の備蓄があるなら、輸送トラックの一台も残ってるとさらにありがたいですが」


「……敵の着陸ポイントがまだ読めない。シルチスからプラント群へ連絡をとってくれてるといいんだが。それに、この人数じゃどのみち大したことはできないぞ。地上部隊の増派が必要だ」


「じゃあなおのこと、この滑走路は死守しなきゃなりませんな」


 ホフマンはマスクの下で、ひび割れかけた唇をひそかに舌で湿した。

 第17機甲師団の主力――歩兵部隊の定数の半分、800人ほどが現在シルチス基地に駐屯している。その中核となる装甲歩兵戦力はおよそ120名、これに整備兵や工兵などを加えて六個中隊を構成する。


 彼らが装備する突撃外装アサルト・エクステリア、通称「竹馬スティルツ」を火星地表に降ろすには、専用のハンガーを備えた重装降下シャトルが必要だ。

 できれば自分たちが装備する分も余分に下ろしてほしいところだが、とにかく、離着陸には相応に広いスペースを必要とするのだ。


「やつの高度が下がり始めました」


 パーカーが振り向いて報告してくる。クルベたちは一斉に空を見上げた。確かに巣船ハイヴ・シップは先ほどより地表に近づいている。


 その巨体は何らかの空力的効果かそれ以上の何かを地表に及ぼしているらしく、低速にもかかわらず船の真下には赤い砂が巻き上げられ、野火のように煙って見えた。


「どうやらこの辺に着底する気だな。上空からあちこちに攻撃的な個体をばらまかれたら手こずっただろうが、地面の上を走ってきてくれるなら、まだしも対処しようが――」


「あの舗装道路よ!あそこを南へ!」


 クルベの言葉は、すぐ後に続いたマユミの声に半ばかき消された。前方には砕石と粘着緩衝剤をつかって舗装された、緑がかったグレーの帯が砂地を横切っている。トラックはそこに乗り入れ、すぐさま信地旋回を行って進路を南へ向けた。やがて前方に、タルシスと同様にカマボコ型のユニットで構成された、丈の低い建造物が姿を現す。

 その一角には、電波望遠鏡に見まがう巨大なパラボラアンテナが三基、ほぼ天頂の方角を指向してそびえていた。



 管理棟に駆け込むとすぐ、壁に施設内の見取り図があるのが分かった。マユミはそれをひとしきり睨むと、手近にいたパーカーに声をかけた。


「まずは通信ね。パーカー伍長、あなたとだれかもう一人、トラックの予備バッテリーをもってついてきて。通信機を動かします」 


「イエス、マム。しかしディーゼルエンジンか何かの非常用発電機があるのでは?」


 鉄骨階段を先頭に立って登りながら、マユミは振り返って答えた。


「あるでしょうね。でも燃料がどこにあるか、探してたら軌道上うえが砲撃のタイミングを逃してしまうわ」


 クルベはそれを聞いて、はたと問題に気付いた。ダルキーストたちの砲撃は、衛星軌道を公転しながら行うことになる。対地同期軌道をとるとしても、その際に適切な位置を占めるまでは若干の時間がかかるのだ。

 シルチスはクルベたちが現在いる場所より五百キロ以上東に位置していて、そこからではレールガンの初速が軌道速度と打ち消しあってしまう。


 シルチス基地よりも高軌道へいったん上がって後方から目標地点を追うか、逆に低軌道へ降りて時間を短縮しつつ火星を一周して回り込むかだ。後者はリスクが大きすぎる。彼らはまず間違いなく高軌道へ出るだろう。

 だがそれには限度がある。あまり加速すると、モジュールはすぐに火星の引力を振り切って飛んで行ってしまうことになるからだ。


 通信はあの後届いていない。ダルキーストたちはすでにヴィクトリクス号を離れ、砲撃位置につくために軌道上で火星の自転をうかがっているはずだ。できるだけ早く、彼らに巣船の座標を送ってやらなければならなかった。



 残りの兵士たちは隣接する倉庫の間を走り回り、弾薬類の捜索を始めたようだ。弾薬の木箱をマニュピレーターで引き裂きながら、アルミが彼らを見回して言った。


「グレッグが言ッてた。THEM奴ら――壊し屋ブレイカーどもには七ミリ級の銃弾じゃ効果がなイって」


 その一言に、男たちの顔が曇った。コマンド隊員たちが携行しているライフルはさらに低威力の五.五六ミリ。隕石アリに対しては実質丸腰も同じだ。メンバー中四人がライフルの銃身下に四十ミリグレネード・ランチャーをつけているが、これもさほど多くの擲弾を携行しているわけではない。彼らの装備状況はあくまで訓練を想定したレベルに過ぎなかった。


 有効そうな火器といえばあとは十二.五ミリ機銃――五十年ほど前にルビコン社が弾薬込みで軍への売り込みに成功し、旧来の十二.七ミリを更新した最新型の重機関銃だ。それがトラックに一基。


「迫撃砲の弾薬はありますかね?」


 ホフマンが首をかしげる。彼らはランニング時のウェートとして、六十ミリ迫撃砲二基も分解して持ち込んでいる。だがこれも実弾はほとんど持ってきていなかった。


「……迫撃砲弾なら、間違いなく手に入るだろう。四十ミリ擲弾も十分な量があるはずだ。それに――」


 タチバナ大尉がクルベの方へくい、と顔を向けた。


「クルベ中尉。改修型BDWの五十ミリ徹甲榴弾、短期間で調達できたのは不思議に思わなかったかね?」


 そういえば、とクルベは考え込んだ。弾薬の製造は必ず大量生産を伴う。手持ちの火器をファクトリーで現地改修するのとはわけがちがうのだ。だが、五十ミリはまるであらかじめ用意してあったかのように、艦隊の出発までに潤沢な量が積み込まれていた。


「パトロール艦『アラクネ』に増設した対空機関砲も同じ弾薬だったはずですね? 確かに不思議だ……もしかしてあれも出所は」


「そうさ。外惑星連合との衝突が激化した三十年前、火星が戦場になることを想定して、大量の弾薬が火星周辺に備蓄された時期があるんだ。ここもその一つ――」


 タチバナ大尉はアルミを指さした。


「そして、我々が今使える最大火力の重火器はだ」


「はイ!」


 アルミが得意そうにうなずいて大尉を見返した。視覚センサーの基底膜が不規則に三回ほど発光する。

 その背部装甲に一体化するように折りたたまれた、クレーンアームを思わせる付属肢に気付いてクルベは愕然とした。


「彼女の背中のそれ、まさか……!?」


「うむ。五十ミリ対空/対戦車砲だ。試作品だから形式番号などはないが、直射での有効射程はおよそ二千メートル。ここの弾薬庫を拠点にすればそれなりの防衛ラインを構築できる――」

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