無謀と勝算

 五十ミリ砲弾に混ぜられた曳光弾が、オレンジ色の線を残して闇の中に吸い込まれていく。そして爆音。

 ときおり予期しないような爆炎が発生するのは、地表に散乱したアリの肉片と土壌中の過塩素酸塩のせいだろう。そうした強酸化性の塩類と有機物の混合物は、熱やわずかな刺激によって容易に爆発を起こす――ほぼ火薬だ。

 

 オリンポス山から吹き下ろす風がその黒煙を南へ吹き散らす。煙が晴れたあとの闇の中に、再び新手のアリが現れた――赤く輝く無数の眼。


「クッソ、どれだけいやがるんだ」


 ホフマンの罵声とともに機銃がうなりを上げ、防壁から五百メートルのラインに近づいた個体を数匹まとめて引き裂いた。 

 それから五秒おいて、アルミがまた砲弾を撃ち尽くした。彼女は今や火器管制プログラムの利用に習熟しつつあり、クルベの指示なしでも接近する敵個体の中から危険度評価の高いグループを選定して攻撃していた。

 

 手の空いた兵士たちが数人、彼女に取りついて弾薬パッケージを交換する。にわか作りの砲台周辺には排出された空薬莢が無数に転がり、定期的に片づけないと作業時に転倒を起こしそうだ。

 

 戦闘はおよそ一方的に展開しているが、クルベはわずかな焦りを感じはじめていた。掃射後の給弾に要する時間が、兵士たちの疲れとともにしだいに長くなっている。砲身の加熱のために発射速度も幾分落とさざるを得ない。

 それにともなって、隕石アリが撃破される地点はじりじりと防壁に近づいている。

 

(どうもまずいな。せめて迫撃砲がもう一門あれば……)


 大きく山なりになった弾道を描く迫撃砲弾の射程は、実のところアルミの五十ミリ砲よりも長い。本来ならばもっと広範囲に火力をばら撒いて、有無を言わさず効率的に敵を殲滅できるはずなのだ。

 だがわずか二門では目下の標的を制圧するには足りない。暗闇のために視界も制限され、射程の調整も仰俯装置を備えた砲のようにスムーズにはできない。かといって現在の火力では迫撃砲を完全に巣船ハイヴシップ攻撃に割り当てることもできない。

 

(隕石アリの移動速度はこれまで見た限り、最大で時速三十キロメートル前後……秒速にして八メートル強か)


 兵士たちがアルミの弾薬パッケージを交換、再装填するのにこれまでのところおよそ二十秒。その間に他の火力を使用できなければ、アリどもは百六十メートルの距離を一気に詰めてくる。その際に頼れるのはホフマンが操作する十二.五ミリ機銃と、ライフル銃身下に装備された四十ミリグレネード四門だけとなる。 

 土中の過塩素酸塩の作用で、火力面の不足は幾分補われる。だが――

 

 

「マ……艦長、増援のシャトルが到着するまで、あとどのくらい掛かる?」


 クルベは通信機に呼び掛ける際、わずかに言いよどんでしまった。

 厳密な指揮系統下にあるわけではなく、プライベートでの気安さが漏れ出てしまいがちだが、それでも歩兵たちの目は意識しないわけにいかなかった。


〈シャトルからは『あと二時間持ちこたえろ』と言ってきたわ〉


 二時間か――クルベは首を横に振った。

 間に合わない。このペースでは間違いなくその前に突破される。この場にいる全員とプラントの民間人を守り切るには、何か時間稼ぎが必要だ。

 

「ダルキーストたちは?」


〈前回のデータ転送と通話の後、通信が途絶えてる。基地の中継でカバーできない位置にいるか、あるいは……〉


「そうか……」


 考えられるケースはいろいろある。アンテナの破損や熱膨張による、通信不良など。あるいはもっと悪い事態も。

 いずれにしても連絡が取れない以上、ダルキーストたちは不確定要素として考慮外に置くしかない。

 クルベは脳内に火星の地形図を思い描いた。そしてこれまでに隕石アリについて得ている既存の知識も。

 

(機動殻――アルミたちが言う『クリサリス』は磁場に反応して宇宙船を襲う。だがあの――成虫というべきなのか――歩脚を備えた活動体は、磁場による誘因が可能だろうか? あるいは、人間の発する二酸化炭素や熱、あるいは汗の匂いといったものに惹かれるのか?)


 ラティマー医師の手記には、隕石アリの活動体についてさほど詳細な記述はなかった。彼女の言及は、おそらくある程度の部分を視覚に依存しているだろう、といった推測にとどまっている。逆に言えば、どんな方法でも試す価値があった。

 

 限られているのは時間だけだ。ならば――


「艦長、今この近辺にある融合炉はすべて止まっているんですね?」


 クルベは念を押すように問いかけた。

 

〈ええ。もう止まっているはずよ。シルチス基地から通達が行われたから〉


「……プラントの責任者にそこから直接連絡を取れないでしょうか?」 


〈どういうこと?〉


「概算したんですが、現在の装備と人数、火力ではシャトル到着まで持ちません。阻止するための時間稼ぎが必要です。で、やつらが蛹と同様に磁場に反応してくれるなら、一時的に進行方向を誘導して時間を稼げる」」


〈……つまり、融合炉を再起動する、と?〉


「そうです。マーズリングの一部に通電して、奴らを北へ誘導します。ここからリングまでは最短距離で約百キロ。そっちへギリギリまで走らせれば、十分な時間が稼げます」


 通信機の向こうでマユミが一瞬押し黙り、そしてゆっくりと応答を始めた。

 

〈クルベ。あまり分のいい賭けではないわ。今こちらへ進行してきているアリが、何によって目標を決めているのかわからない以上、磁場での誘導が無駄にならない保証はない。場合によってはリングではなく融合炉へ直行するかも……そうなれば最悪、同時に二か所を守らなければならなくなるのではなくて?〉


 そうだな、とクルベもうなずく。まったくもって無謀な賭けというほかはない。

 

「それでも、やらないよりはましです。このまま手をこまねいていれば、シャトルの連中が見るのは俺たちの死体――」


「イイエ、違ウワ。奴らは人間を殺さなイ」


 二人の会話が聞こえていたらしい。口を挟んできたアルミの声は、合成音声にしてもことさらに冷たくそして厳しかった。

  

「負ければ、みんなモナカにされる」


 マユミのかすかなため息が、クルベの鼓膜に届いた。

 

〈OK。要請するわ。あなたのアイデアと私たちの幸運を信じましょう〉



 ――パーカー伍長、シャトルとの交信代わってちょうだい。

 

 オフマイクでそんな声がした。

 

 

 クルベたちの要請はほどなく受理された。マユミが現状をかいつまんで伝達してくれる。

 アマゾニス緑化プラント群のエネルギー供給をつかさどる大型核融合炉に、急遽再び火が入れられた。炉内のプラズマが運転状態に立ち上がるまでおよそ40分――

 

「そうか。何とか間に合う……かな?」

 

〈プラズマ立ち上げから本格送電までにはもう少し時間がかかるけど、そのあいだはバッテリーに蓄電した分を回すと言ってるわ。空調を止めなきゃならなくなるから、あまり長時間は持たないらしいけど〉


「不慮の事態が起きないように、あとは祈るしかないな」


 通信を終了し、再び押し寄せるアリの列をにらむ。あの奥、巣船の中には、アルミをモナカに変えたものと同様の針刺しスティンガーが、運び込まれる人体を待ってひしめいているのだろうか?

 

〈中尉、ごめんなさイ。アたし余計なこと言って皆ヲ……〉


 アルミの謝罪の声が耳に飛び込んでくる。クルベは斜め上、拡張フレームに覆われた少女の頭部がある辺りを見上げた。

 

「いや、いいんだ。俺たちはまだ覚悟が甘かった、と君は教えてくれた。むしろ礼を言わなきゃならん」


 クルベは端末を握る指に力を込めた。そう、殺されるよりもさらに悪い運命というものがこの世にはあるのだ。

 

 

 その時だった。クルベが見上げたさらにその上空を、紅い尾を引いて星が流れた。

 数秒遅れて凄まじい轟音がとどろき、クルベたちと巣船の間を隔てる平原に巨大な爆炎が上がる。

 

「伏せろ!!」


 とっさに叫んで、散らばる薬莢の間に身を沈めた。アルミがフレームごと膝と両腕をついて対衝撃姿勢を取ったのを確認した直後、それらの薬莢がいくつか浮き上がり、熱風とともにクルベの頭上を後方へ飛んでいった。

 

「モジュールからの砲撃なのか、今のは……!? まさか。早すぎる」


 そう自問した瞬間、たったいま目にしたものの意味が理解できた。流星が赤い尾を引いていた――つまり、断熱圧縮が起きている。

 

「ダルキーストのやつ、大気圏ぎりぎりまで降りやがったのか!」


 とんでもない無茶をする――クルベは茫然と東の空を仰いで、飛び去ったモジュールを見送った。

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