瑠璃人形のスペック

 少女の体は予想外に重く、ダルキーストは内心で悲鳴を上げた。


(どう考えても、慰安用アンドロイドセクサロイドなんかじゃないぞ、これは……)


 基地のセクサロイドなら、物珍しさも手伝って何度か利用したことがある。会話や情動の表現において生身の人間よりわずかに物足りないが、生々しさがそぎ落とされ男の性的なファンタジーがよく再現された、おおむね後味のよい体験だった。全体に清潔感があり、機体そのものが人間よりやや軽いのも魅力だ。

 だが、腕の中のこの少女はおそらく百キロを超える。彼女は何者なのか? 

 とにかく、抱き起したままの不安定な姿勢では長くもたない。ダルキーストはためらいながらも少女に話しかけた。


「えっと、君、立てるかい?」


「て、手伝ってもらエれば、多分」


 その受け答えも珍妙なものだった。人工知能には普通、吃音や言葉のつっかかりはありえないし、こんな風に音声が部分的に変調、発振するのもおかしい。


 予期せぬ怪我を避けるため、ダルキーストは一度大きく息を吐いて力を抜いた。足を踏みかえ、腰に負担がかからないように慎重にそのスキンスーツめいた胴体の下に肩を差し入れた。


「持ち上げるよ?」


「はイ」


 体の軸を通るように力をだし、持ち上げる。少女はどうにかバランスをとって再び立ち上がった。


「アりがとウござイます。まだ慣れてなくて」


 ポニーテールにまとめられた金髪にツツジの小枝が引っかかっているのに気づいて、そっと取り除いてやる。その手触りから、彼女の髪が人毛を模した機能性繊維だとわかった。目に入った範囲で、彼女の体表、というか外装に目立った傷はないようだ。

 不審な気持ちはぬぐえなかったが、彼は少女を人間と想定してふるまうことを選んだ。

「怪我がないようでよかったよ……初めまして、僕はジョナサン・ダルキーストだ。君は?」


「あルミ・ロビンソンです」


「君が!?」


 衝撃を覚えた。ではこの人造の美を備えた少女こそ、自分たちが三か月近くを費やして救い上げた木星圏唯一の生存者なのか。


「そうか、君がアルミか……」


「アたしのこと、知ってイるんですか?」


 バイザーレンズの向こうから光学センサーが燐光を放った。その基底膜反射に視線を合わせていると、妙な気遅れを感じる――理由はすぐわかった。アルミ・ロビンソンの人工の眼はまばたきを一切しないのだ。


 彼女をセクサロイドと誤認しかけたやましさもあって、ダルキーストは事実を伝えることを避けた。


「ああ。基地公報で読んだよ。第三軌道砲兵中隊が君を救助したんだってな……ということは、それは義体なのかい」


「そウです。マンスレック軍医が無理を聞イてくれたの」


 なるほど、と思いながら見ると、その義体には何やら奇妙な点があった。肩と腰および膝の部分に、他とアンバランスな対照を示す硬質で肉厚な形状のパーツが付加されている。むしろこれでは荷重バランスが変わって歩きにくいのではないか?

 所々に開いている直径三センチほどの穴に気づいて、ダルキーストは慄然とした。それは歩兵部隊が使用する強化外骨格スーツ、突撃外装アサルト・エクステリアに見られる、兵器取付け用のハードポイントと同規格であるように見えた。


 すると、この子は戦闘用義体を選んだのだ――まさか、自分で戦おうというのか?


「明日から火星の地表に降りて、重力下での生活と、この体の使イ方を訓練するの……アなたは軍人さん? 地表したでまた会ウかもね」


「うん。僕も軍人だ。また会えるといいな……ああ、もしよかったら送っていこうか? マンスレック軍医のラボなら知ってるよ」


 彼女は下半分が軟質のパーツでできた顔をほころばせて、ダルキーストにうなずいた。


「……オ願イします」


 

 介助の必要な少女をエスコートして、無重力ブロックのラボまで連れていく。言ってみればそれだけのことだが、ダルキーストはすこしだけ自分の善意を悔やんだ。


「うおっ、ちょっと、ストップストップ! 左足浮いてるぞ」


「ご、ごめんなさイ!」


 排気量百二十五CC程度のバイクを、後輪だけ接地させて垂直に立てた状態で、軽く手を添えて押していくような状態だ。見た目は身長百四十センチ台の小柄な姿だけに、バランスを崩した時にかかってくる荷重と、こちらの身体が無意識に作りだす構えとのギャップがひどい。


「いいから、はやく左足に体重を!」


「はイ!!」


 その瞬間、あろうことか彼女の右足が宙に浮いた。アルミの全重量がダルキーストの肩にかかる。


「ノォ!!!」


 無重力ブロックについたときには彼の制服は膝とむこうずね、尻など数か所が擦り切れ、新調が必要な状態になっていた。



         * * * * * * *



「ふむ。転倒三回、器物破損二回、か……もうすこし調節の必要がありそうだな」


 メンテナンス架台に身を預け、各部にケーブルをつながれたアルミの状態をディスプレイで確認する。マンスレック軍医は彼女のかかと部分にある圧力センサーの感度を少しだけ上げた。


「ここをあまり敏感にすると、ちょっとした段差にも過敏に反応して逆に歩けなくなる。難しいところだ」


 アルミの脳を収めた頭部の脳殻には、ツダヌマ・プレミアム社の規格品が流用されている。もともと高分子被膜に培養されたヒト神経細胞をサンドイッチした、バイオプロセッサーを使用するものだから、純粋な生体脳と置き換えるのには都合がいい。


 脳殻への入出力にはサブシステムとして通常型のコンピューターを介在させ、義体の制御をスムーズにするとともに、外部ネットワークとのリンクも可能になっているのだった。


 当然アルミの行動をラボからモニターすることもできる。だが、マンスレック軍医は今日の街歩きウォークスルーテストを、あえて監視なしで行った。彼女はあくまでも人間で、それも幼い女の子なのだ。


「ダルキースト中尉と一緒に帰ってきたのにはちょっと驚いたよ。送ってもらったのかね」


「はイ。倒れたとこヲ、助けてもらって。アと、アいスクリームってのを食べさせてもらイました。美味しかった」


「それは良かった……迷ったが、バイオマス発電システムと味覚センサーを実装して正解だったな」


 アルミの義体は基本的に電気で動く。脳を生かしておくための培養液は胸部のポンプで循環させられ、定期的に交換、補充が必要だ。しかし、彼女はその電力を、バイオマス反応槽で有機物を分解して得ることができるし、摂取時に味覚を楽しむことも可能だった。


「はイ。今度はケーキってのを食べてみたイ」


「ははは。じゃあ、お小遣いを渡すようにした方がいいかな? だが、食べ過ぎないようにするんだぞ。反応槽の処理能力を超えるし、バクテリアが暴走するとちょっと悲惨なことになるからな」


「ゲロゲロしちゃウんですよね?」


「そうだ。女の子がさらしていい姿じゃないな。それと、ものを食べた後はできれば口の中を洗浄しておくこと」


 生体組織に似せた機能性高分子被膜で覆われているとはいっても、彼女の口腔内には人間ほどの自浄能力はない。


「覚エること、たくさんアりますね……」


「なに、ここまでレクチャーが済めば、あとは実地でやれる。火星地表に降りれば重力は地球の四十パーセント程度だ、基地内よりも楽なぐらいさ。この後はサブシステムに拡張フレームの制御ルーチンと、火器管制プログラムをインストールする。メインの脳はしばらく暇になるから、眠るなり何か映画でも見るなり、好きにすればいい」


「じゃア、本が読みたイな……なんでもイイです」


「ふむ、本か」


 マンスレック軍医はアルミの唯一の財産だったあの絵本を思い出した。七才から十年間、「熊皮男Baerskin」一冊を読み返して来たのでは、何を読んでも驚天動地の体験になることだろう。


 しばらく考えた後、軍医は自分の携帯端末に地球のごく古い小説の電子書籍版をダウンロードした。


「これなんかどうだろう? 主人公は君と同じ姓なんだ。少し難しい言葉が多いだろうから、わからないところがあったら気軽に訊いてくれたまえ」


「アりがとウ! 早速読むわ!」

 アルミは光学センサーを輝かせ、興奮とともに活字を追い始めた。


「マンスレック軍医、ヨークって何ですか? 大文字だから名前みたイだけど」


 そこからか――軍医は苦笑しながら、イングランド北部の古い街について要点だけを抜き出して説明し始めた。

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