病葉の理合い

  シルチス基地の外形は、大まかに言えば地球の海で使われる航空母艦の飛行甲板に似ている。

 

 ただし、サイズはずっと大きい。長軸が一キロメートル、幅は最も広いところで二百メートルに及ぶその巨大な甲板に、内径三百メートルのドーナツ型トーラス重力ブロックが隣接している。

 

 それが、火星の地表から延びた長大な単分子ケーブルで静止衛星軌道につなぎ留められている。ケーブルの基点周りには地表から運び上げられた物資の集積所があり、それと重力ブロックの間に複数の艦艇を接舷させられる港湾ブロックが拡がっていた。

 

 基地そのものにも質量がある以上、ここもまったくの無重力ではない。だが歩を進めたセンチュリオンの機体は、反動でゆっくりと虚空へ浮かび上がった。月面を歩く人間が高く大きくジャンプできるのと原理は同じだ。

 

(こればかりは訓練とは違うな)


 南極で各種訓練を受ける間、クルセイダーの訓練用シミュレーターは通算六十時間ほど体験している。だがこの胃の腑に響く不快な浮遊感は、宇宙ならではだ。

 

 内臓と神経の悲鳴をねじ伏せて、頭部カメラで周囲をうかがう。すでに交戦中のカビナンター五機は、戦艦マンダレーの直掩としてその上空にあった。

 

 脚部の膝から末端にかけて装甲をもたない、駆動系むき出しの武骨な姿は、遠くからでもすぐに見分けがつく。

 旧式だが、機体そのものの運動性、操縦への追従性は最新のセンチュリオンとそれほど差はない。むしろ機体がわずかに小さい分、小回りが利くとさえいえる――防空任務に使用されるのもそれゆえだろう。

 

 だが高速で飛び交う敵と対比すれば、それはいかにも鈍重で無力に見えた。予期せぬタイミングで鋭角に針路を切り替えて飛ぶ機動殻マニューバ・クラストを、オービットガンナーの機体が緩慢な旋回でもたもたと追いかける。


 その様子はちょうど、水中でサメやシャチに襲われるダイバーの姿を連想させた。


 それでも第一中隊ストライカーの面々は健闘していた。BDWの曳光弾が機動殻クラストに追いすがり、一度ならずその火線が標的を捉えさえしたのだ。細かな破片が周囲に飛散するのも見えた。

 

 だが、それはほとんどダメージになっていなかった。機動殻クラストは何事もなかったようにその場で進路を変え、自分に命中弾を送り込んだカビナンターに肉迫する。

 

〈駄目だ、効いてない!〉

 ダルキースト中尉の悲鳴にも似た声がヘルメット内に響いた。彼も同じものを見ているのだ。

 

 機動殻マニューバ・クラストはその『機体』下方にあるやや小さな突起を、カビナンターにかすらせるように飛んだ。交差の瞬間にその部分が弾けるように動き、カビナンターはBDWごと右腕部を斬り飛ばされていた。

  

(あれは助からん――)

 クルベはそう直感した。タカムラ大尉が言うところの『メレー近接攻撃』はカビナンターの核融合炉まで達し、断ち切られたヘリカル・コイルからの放電が視認できたからだ。


〈くそ、また一機やられたぞ!〉

 クローガー少尉の罵る声が通信回線に飛び込んでくる。それを合図にしたようにクルベはコンソールに手を伸ばし、動力系統を切り替えた。

 

 無音の爆発とともに光芒が広がり、モニターの視界に自動的に補正がかかった。爆圧で運動エネルギーを与えられたBDWが飛ばされてきて、クルベはセンチュリオンの左前腕部でそれを受け止めた。

 その部分にあるのは耐衝撃ジェルと均質圧延鋼板からなる簡易追加装甲だ。面積が小さく気休め程度のものとされてはいるが、強度自体は突撃揚陸艦などが装備する対デブリシールド『アステロイド・ディフレクター』とさほど変わらない。

  

 軌道をそらされ減速したBDWをとっさに掴んだまま、クルベ機――ガンフリント4は僚機のあとを追ってベイブロック外縁部へと移動した。


〈ずいぶんゆっくりだな、クルベ中尉。出撃許可を要求しておいて、まさか交戦忌避というわけじゃないんだろう?〉

 ダルキースト中尉がどこか面白がっているような声でそう言った。

 

「もちろん違います。このセンチュリオンは今、蓄電池の電力で動いている。だからメインスラスターは噴かせない」 

 モジュールに搭載されたチタン酸リチウム蓄電池は、あくまで非常用、補助的なものだ。予期せぬ不具合などが生じたときには、融合炉を停止してあらかじめここに蓄えた電力に切り替え、速やかに母艦へ戻る。

 その状態でRK-303Aレールガンを撃てるのは、フルパワーで二発。それでエネルギーを使い切れば、モジュールの機能はいったん完全に停止する。

 

〈そうか。奴らは核融合炉を察知するのかもしれないと、さっき言っていたな……だが、それでは撃たなくても十分も持たないぞ?〉


「あと十分かかるようなら、どのみち誰も助からない」


〈違いないな。まあうまくやってくれれば文句は言わないさ〉


 ダルキーストの返事は軽かったが、クルベは自分の肩にかかった責任の重さを感じずにいられなかった。

 

 停泊中の艦船のほとんどは高出力レーザーが主兵装で、主機を動かしていない状態ではこれもほとんど役に立たない。しかも多くは旋回砲塔ではなく、艦首から前方へ向けて固定装備されている。BDWが有効打にならないとすれば、今のところセンチュリオンのレールガンだけが頼りなのだ。


 戦艦マンダレーは既に死に体だった。戦闘指揮所のあるべき位置には大穴が開き、信号マストも中ほどから折れている。艦尾推進器メインスラスター六基のうち四基はむしり取られたように粉砕されて周囲に破砕物を漂わせていた。 


 四機の機動殻クラストはなおもその周辺を飛び回っている。対するカビナンターは敵の肉迫攻撃を恐れて、やや遠い距離からBDWで応戦していた。そこへ第三中隊のクルセイダーが割り込む。

 

 機動殻クラストの動きは戸惑ったように一瞬乱れ、いったん彼我の距離が開く形になった。

 

〈ダルキーストか、助かった〉


 どうやら第一中隊ストライカーの通信網とこちらをリンクしたらしい。部下を二人失ったその指揮官の声には焦燥がにじんでいた。


〈キーロフ中尉、そっちの部下をいったん下がらせろ。残弾が残り少ないはずだ〉


〈ああ、すまん……ストライカー3、ストライカー4――お前たちは下がれ、補給してこい〉


〈ストライカー3、了解〉

〈ストライカー4、了解だ〉

 

 キーロフ中尉は一瞬ためらったが、続く命令を下した。

 

〈ミルコネン――ストライカー5は俺と残れ〉

 

〈了解。ええ、まだやれます〉

 若い女の声がそれに応える。

 

〈やはり奴らの機動力にはまともについていけない。二機一組でいこう〉


〈了解〉

 ダルキースト機を除く四機のモジュールは、散開しつつ互いの背中をカバーするフォーメーションをとった。

 

〈さて、クルベ中尉。君のアイデアを説明してくれ。何をやる気だ?〉

 ダルキーストが促したその時、フォレスター曹長が息をのんだ。


〈機動殻、急速接近! ……マンダレーが!〉

 

 いつの間にか頭上へ回り込んでいた機動殻の一つが、トルソーの前面に淡い光のリングを帯びて急降下してくる。マンダレーの機関部へ向けて、一直線の軌道だ。

 その『光』の正体に思い至ったクルベはぞっとした。機動殻の背後で輝く星の光が、指先で塗り広げたように歪み、にじんで拡散しているのだ!

 

〈まさか重力レンズか? 空間をゆがめるほどの重力を!?〉


 レールガンの砲身で突き刺すことができ、BDWの徹甲弾をはじくわけでもない物体が、なぜ高速の突撃チャージで戦艦を粉砕できるのか? その答えが恐らくここにある。


(誤算か?)

 冷たい汗が背筋を伝った。

 

 実のところ、クルベは敵の駆動方法を、極めて高度な超効率の磁気マグセイルではないかとみていた。

 磁場を展開して太陽風などの荷電粒子を受け、電磁誘導によって推進力に変える方式だ。反動質量を必要とせず、搭乗者の生命維持さえできれば航続力は理論的に無限。


 ――ただし速度や操縦性に限界があるため、人類の文明においては宇宙船の主流になっていないのだが。

 

 ともかくそういう推進方式をとる飛翔体は、磁場に敏感であるはずだ。ゆえに核融合炉のプラズマ封じ込めコイルが発する磁界を察知し、攻撃をかけてくるのだ、と考えた。 

 

 だがもしも機動殻が重力制御で動いているのなら、クルベの推論はあっけなく覆る。融合炉を切っていわば死んだふり、磁場的にステルス状態となって狙撃チャンスを狙うという秘策はただの愚行に堕すだろう――

 

 その時だった。

 

 加速して突入しつつあった機動殻が、不意に酔っぱらったようにその軌道を乱した。そのままいぶかしげにマンダレーの上空を数度往復する。 

  

〈マンダレーの融合炉、停止を確認――〉

 管制室からの報告が聞こえた。すると、だれか現場の機関員か生き残った士官が、独自判断で融合炉を止めさせたのだ。恐らくは、マンダレーの推進剤に引火、誘爆して基地に被害が及ぶことを防ぐため。

 

 そしてそれは、クルベに勝利を確信させた。

 

(これで確定した! 重力制御についてはまだ考察の必要があるが、ともあれ敵はいる)

 

「みんな、蓄電池に切り替えろ! 奴らは融合炉の磁界でこちらを認識しているんだ……! 炉の火を落としてしまえば、奴らにはこっちが見えん」


〈はは、無茶させてくれるぜ!〉


 クローガー少尉がぼやいたが、その声は明るかった。基地上面に浮遊するすべてのモジュールが動力を切り替えると、機動殻マニューバ・クラストは見失った標的を探し求めるように付近を漂ってさまよい始めたのだ。

 クルベは電池の残量を確認した。ゲージを見る限り一発は撃てる。弾倉に準備された弾体は五発――敵四機を片付けるには心細い、というより不条理な条件だが、彼には打開策のあてがあった。

 

「補助コンデンサ電力、九十六パーセント……照準ロックオン、砲口自動追尾開始」


 敵の一つを狙って、トリガーを引き絞る。蓄電池のエネルギー残量、八十パーセントを費やして生み出された人工のいかづちが、黒い絶縁スリーブで包まれたレールにほとばしった。 

 砲口から高熱プラズマの輝きを溢れさせて飛び出した弾体が、次の瞬間、機動殻を貫いて跡形もなく蒸発させた。

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