機動殻

「こいつは何の騒ぎだ――」

 訝しみながらも体は動く。脇下のポケットで低いうなりを上げる個人用端末をひっぱりだし、ディスプレイを睨んだ。画面を埋め尽くして広がるウィンドウ内に、赤文字で表示されたメッセージがあった。

 

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 シルチス基地・対宙監視所緊急速報:2158/10/22 15:42

 

 所属不明の高速移動物体、四が接近。総員第二種戦闘配置にて待機せよ。

 

 予告なしの減圧、隔壁閉鎖に注意!

 

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「高速移動物体だと……?」


 唸るクルベの目の前で、端末の画面が一瞬不安定に揺らいで乱れた。同時に、何かの影が動いて足元を一瞬暗くする。クルベは敏感にそれに反応し、上を見上げた。

 

 シルチス基地の重力ブロックを形作る巨大なドーナツ型構造物トーラスは、その内側の円に沿って透明な高靭性ケイ素単分子ガラス――キャンダイトCandyte製のパネルを外壁とし、採光を確保している。 

 高みに並んだ天窓を隔てて輝く、銀砂を撒いたような星々。それをバックにして見覚えのあるシルエットが遠ざかっていくのを、クルベは凝視した。

 

 溶けかけた八面体を組み合わせたトルソーのような、それ。相変わらず噴射炎の類は全く見られない、奇妙な飛翔体。

 

 機動殻マニューバ・クラストだ。クルベは危うく端末を取り落としかけた。


 ――ここまで来やがった!

 

 戦艦『プレジデント・レーガン』さえ沈めた敵の機動兵器が、脆弱な宇宙基地の空域に居座る。それがどれだけの脅威かは考えるまでもない。 


〈基地上空に敵の機動殻マニューバ・クラストを確認。総員、第一種戦闘配置に移行。非戦闘員は気密シェルターにて待機せよ〉


 宿舎の外壁に取り付けられたスピーカーから急を告げるメッセージがこだまする。第一種戦闘態勢という事は――軌道砲兵ならば気密服を着用の上、パイロットは完全装備のモジュールで起動状態維持となる。

 

 本来ならばブリーフィングを行うべきだが、そんな余裕はなさそうだ。通信回線で直接指示を受けることになるだろう。 

 死にたくはない。だが死なないためには戦って脅威を排除するしかないのだ。クルベは目の前の兵士の肩に手を置いた。


「来たばかりで何もわからん。だが俺もパイロット要員だ。モジュールの格納庫まで案内してくれ」


「はっ、こちらであります!」


 上等兵はクルベの先に立って、宿舎の奥へと走り出した。建物の屋根からトーラス中央のハブ軸まで、太い角柱状のシャフトが採光パネルを貫通する形で伸びている。あの中にエレベーターがあって、そこからハブ軸の中を通って無重力ブロックへ向かうのだろう。

 

 パネル外の宇宙空間では機動殻があざける様に飛び回り、それを対空機関砲の赤い火線が空しく追いかけている。だが固定砲座の火器などで撃墜できるとはとても思えない。


 それを最後にあとはわき目もふらずに走った。苛立たしいほどゆっくりと動く昇りエレベータ―の中で、上がった息を整える。閉じたまぶたの裏に、『菜種』の前で別れたときのマユミ・タカムラの顔が浮かんですぐにかき消えた。

 

(なぜこんな時に……)


 複座センチュリオンの狭いコクピットの中で、息も絶え絶えに励ましあって生き抜いた十八日間。火星までの航行で何がしかの一体感、絆のようなものが生まれたことは否めない。

 これからの任務でヴィクトリクス号に同乗することを考えると、軌道砲兵中隊の士官と輸送艦の艦長の間に信頼関係があることは、色々と有益に働くだろう。


 だが、クルベはまだどこかで、タカムラ大尉の端正なすまし顔に対して、敵愾心のようなものを抱えている。そう自覚せずにいられなかった。

 

 それなのに――

 

 


 軸に到着したエレベータが停止しドアが開く。格納庫へ続く二百メートルほどの通路を、高速リフトにつかまって水平移動した。


「クルベ中尉をお連れしました!」


「ご苦労、コアー上等兵」


 気密服ロッカーには先客がいた。身長百九十センチほどの筋骨たくましい肉体、金髪を短く刈り上げた気品のある面立ちの青年士官だ。

  

「君がクルベ中尉か。ジョナサン・ダルキーストだ。第三中隊の隊長を務めている」


「……リョウ・クルベであります」

 差し出された手をクルベはややためらいながら握り返した。

 

「そんなに硬くならないでくれ、ざっくばらんに行こう……いま上空うえには『ストライカー』――第一中隊の面々がカビナンターで上がっている。僕らも速やかに着替えて、クルセイダーで出る」


 ダルキーストはまくし立てながらクルベに壁のロッカーを指し示した。そこには新品のパイロット用準硬式セミハード気密服が、前面ファスナーを開放しヘルメットを後ろへ跳ね上げた状態で準備されていた。

 

 クルベは制服を脱いでインナーだけの姿になり、足先から気密服スーツに滑り込んだ。

 

「カビナンター? 二世代前の旧式モジュールだ、なんでそんなものを」 


 カビナンターは二十年前に最初に兵器として完成されたモジュールで、今では保管兵器の扱いのはずだ。


「モジュールが主兵装にしてるレールガンは速射が利かないからな。シルチスではカビナンターに余剰のBDWを装備させて、防空に使ってるんだ」


「なるほど……」


 BDW――砲隊バッテリー防衛兵器ディフェンスウェポン

 

 砲撃準備中の軌道砲兵を守るために用いられる各種兵器の総称だが、この場合は四十ミリ徹甲弾を毎分二百発の速度で連射する携行機関砲を意味する。

 

 この兵器の最大の特徴は、発射の反動による機体の移動を防ぐ『モーメント・キャンセラー』と同時に使用されることだ。

 これは装備する側の肩に当たる部分に取り付ける、発砲と同期したパルス推進器スラスターで、一回ごとの噴射量が厳密に調整され、砲弾一発ぶんの反動と等しい運動エネルギーを生み出すものだ。


 クルベは理解した。BDWとモーメント・キャンセラーを装備するには、調整を含めてモジュール一機につきおよそ三時間の作業を要する。

 緊急時に即応できる防空兵器として、レールガンではなくBDWを装備したモジュールを常時配備する。これは理にかなっているように思えた。

 

 ――だが、同時にそれは重大な事実を明らかにするのだ。

 

 SF活劇で描かれるような、高速で小型の単座宇宙艇――つまり『宇宙戦闘機』とでもいうべきものによる戦闘を、人類はまだ体験してはいない。


 現在の技術レベルでは航続力は推進剤の搭載量に厳密に支配され、速度は推進器の出力に左右される。そして、全天に無数の星がきらめく空間で、人間が自分の相対位置と進行方向を確認するには、コンピューターのサポートが欠かせない。

 ゆえに、空母が戦闘機を発艦させて遠距離から打撃を加えるといった、おなじみの戦闘教義が成立しないのだ。

  

 もともとBDWの開発において想定されたのは、外惑星連合が当初配備していた哨戒艇や揚陸艦、あるいはそれらから投入された小惑星アステロイドタンクとの遭遇だ。

 これらは衛星軌道やデブリ帯といった、軌道砲兵が射点に用いる場所にも頻繁に侵入してくるし、遭遇したが最期、モジュールはその脆弱な装甲では抗堪できない重火力にさらされることになる。

 

 そうした強敵をレールガンの一撃で撃破する、その準備が整うまで応戦するために、あえてBDW装備のモジュールを配置するのだ。

 

 だが、木星と火星の間の距離は遠い。哨戒艇は木星から火星まで到達する航続力を持たないし、大型の揚陸艦は途中の惑星間航行中に、こちらの艦隊によって迎撃可能。


 にもかかわらず、ここに防空戦力を設定する、ということは。

 

 シルチス基地は機動殻マニューバ・クラストの襲来を予期していたということだ。

 


 格納庫には第三中隊が装備する白黒ツートーンカラーのクルセイダー三機と、クルベが運んできたあのセンチュリオンが、斜行リフトの起点にセットアップされていた。

 

「済まないが、クルセイダーに空きがない。クルベ、君はセンチュリオンで待機しててくれ。だが命令するまで動くなよ」


 ダルキーストはそういうと、クルセイダーの一機に取りついてコクピットに滑り込んだ。その機体はミントタブレットの容器を思わせる平たい箱型の火器――BDWを装備し、右肩の後ろから特徴的な推進器スラスターが飛び出している。

 『モーメント・キャンセラー』だ。そのノズルはガスコンロのバーナー部分に似て、五徳を連想させる六枚羽根の整流弁を備えていた。

 

 クルベもセンチュリオンのコクピットに入った。単座型――ボストンのコントロールに使ったのとは別の機体だ。複座型はコンピューターのシステムにボストンの航行プログラムを押し込んであった――まだシステムの再構築まで手が回らないのだろう。

 

 通信回線をオンにすると、ダルキーストたちと基地管制室との通話が傍受できた。

 

〈オペレーター、現在の戦況を〉

〈敵は依然四機、健在です。出港準備中の戦艦『マンダレー』が集中攻撃を受け、艦長と連絡が取れません。第一中隊ストライカーのカビナンターはグース少尉機が撃墜され、生存は絶望的です〉


〈了解……第三中隊『ガンフリント』、ジョナサン・ダルキースト機、クルセイダー出撃する。コードナンバーはガンフリント1〉


〈了解。グッドラック、ガンフリント1〉


 ダルキーストに続いて二番機と三番機もコールを確認、リフトとともに基地の上面へ出ていく。

 管制室との間に、コンラッド・クローガー少尉とユリア・フォレスター曹長の名が呼び交わされた。

 

「こちらリョウ・クルベ機、センチュリオン待機中……『ガンフリント4』でいいのか?」


〈それでいい。ハロー、ガンフリント4。君の機体はレールガン装備のままだ。隙を見て狙撃してくれれば申し分ないが、難しいだろうな〉


「指揮は任せた、ダルキースト中尉。チャンスがあればやってみるさ。だが一つ確認したい……こういう襲撃はこれまでにも経験済みなのか?」


〈いや、初めてだ……君は一度遭遇して生還してるんだったな。何か気づいたことがあるなら、教えて欲しい〉


「ああ」

 クルベはひとつ深呼吸すると、あの遭遇戦を脳裏に描いた。基地でのレイコック大佐との会話も。

 

機動殻クラストの動きにはどうもわからないところがある……)


 ボストンが大破して、再び機動殻クラストと接触するまで十二時間。このタイムラグの意味するところはなにか、それが引っかかるのだ。操艦ブロックを壊しただけで飛び去り、わざわざ核融合炉を再起動する時間を与えたかのように間を開けての再出現。

 

 いま集中攻撃を受けている、出港準備中の戦艦。そして、接近時に見られた個人用端末の不調――

 

「もしかすると……」

〈何か言ったか、クルベ中尉?〉


 いや、まだこれはただの推測、あやふやなカンでしかない。クルベは首を横に振った。

 

 ――だからこそ、確かめる必要がある。

 

 コクピットの計器を見まわし、動力系統の切り替えスイッチに目を止めた。オービットガンナー・モジュールには二種類の動力源が用意されている。レールガン「RK-303」シリーズも、それに合わせて二種類のモードで稼働できるのだ。


(よし)


「ダルキースト中尉。俺にアイデアがある――出撃の許可をくれ」


〈何? いや、待て……どうする気だ〉


「奴らは、稼働中の核融合炉を察知してくるのかも知れない。それを確かめる」


 ダルキーストはまだ迷っている。命令無視はしたくないが、説明している間にも被害は拡大するだろう。

「時間がない。許可をくれ、中隊長殿」


〈わかった。君に賭けてみよう、クルベ中尉〉


 クルベはヘルメットの奥で微笑んだ。ジョナサン・ダルキーストは見る限りごく育ちのいい『優等生』だが、このタイプにえてしてありがちな無能ものというわけではないようだ。

 

「オペレーター、こちら第三中隊ガンフリント、リョウ・クルベ中尉だ。ガンフリント4、センチュリオン出撃する」


 リフト上部のシャッターが開き、クルベのセンチュリオンがその白い細身のシルエットを星空に浮かび上がらせた。

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