鋼の腕で

         * * * * * * *



「なんてこった、機動殻マニューバ・クラストだ……」


 ヴィクトリクス号の周辺を飛び交い始めた物体を望遠カメラで確認し、クルベはうめき声をあげた。逆噴射をかけて急激に減速しつつあるとはいえ、ヴィクトリクス号の速度はいまだ秒速二十キロメートル付近。それに難なく追いすがり自在に軌道を変えながら付きまとう――あれはやはり、人類に作れるものではない。


〈やった! クルセイダーが一体仕留めました!〉


 クローガーが歓声をあげた。彼にもヴィクトリクス号の状況は見えているようだ。


「50ミリ徹甲榴弾は有効らしいな……だが、手放しで喜べる状況じゃないぞ」


 ヘルメットの下の頭皮を冷たい汗が伝う。その流れる方向は――そう、いまヴィクトリクスの艦上にいる三体のモジュールにも、同じ逆Gがかかっている。クルベが味わっているものと同じ不快感と苦痛をダルキーストたちも感じているはずだ。


「中隊長たちは、あれじゃほとんど身動きができん。うかつに艦とその運動系を離れてしまったら、推進剤を使い切っても戻れるかどうか」


 艦を離れた時点での速度を保持したまま、減速するヴィクトリクス号を追い越して太陽方向へ。その先に待つのは、小惑星への激突か、永遠の漂流か。


〈……まずいですな〉


 そして、身動きができないという問題はクルベたちにとっては一層深刻だった。彼らのモジュールの手はコンテナを保持してふさがっているのだ。


〈クルベ中尉、聞こえて? ヴィクトリクス号は現在、機動殻マニューバ・クラスト六体と接触、交戦中です――〉


 受信機にマユミの声。


「こちらからも見えてる……! だが、六体だと?」


〈おそらく当面そちらへの攻撃はありませんが、気を付け――何ですって?〉


 クルベは望遠カメラの映像に目を凝らした。火器管制システムが働き、その画面の中で動く点にマーカーを表示している。その総数、四。


「こちらからは四体しか見えない! 一体はいま仕留めたようだが、もう一体はどこだ?」


〈ちょっと待って……本当だわ!〉


 ――機動殻クラスト一体、所在不明! センサーの走査半径を広げて! 


 その時、クルベは唐突に髪の毛が逆立つのを感じた。そしてスクリーンに走るノイズ。クルベは理解した。ボストンでの交戦時に感じたものと同じ――あれは、単なる恐怖感からくるものではなかったのだ。



 機体の頭部を回してカメラを周囲へ向ける。


「上だ!! 俺のすぐ上にいる!!」


〈リョウ!? そんな!〉


 マユミの悲鳴が耳を打つ。クルベは死を確信した。やられる。身動きできないまま、あのトルソーの脇腹から展開するカッターに機体を切断されて――


 だが、何秒待ってもその瞬間は訪れなかった。機動殻クラストは依然、コンテナの速度に――加速度まで――同調したまま、クルベの上空十メートルほどの位置に浮かんで見えた。


〈中尉……こいつ、迷ってるみたいです〉


 クローガーが不思議そうにそういった。確かに、クルベにもそんな風に見えた。


(バカな……こいつらに迷いとか、そんなものがあるはずは)


 人間じゃあるまいし。心の中でそうつぶやいた瞬間。天啓のようにひらめくものがあった。


「まてよ……このコンテナの中にいるのは……」


 メッセージの文面が真実なら、ここにいるのは一七歳の少女、アルミ・ロビンソン。たった一人で六億キロの旅路を踏破するため隕石アリメテオ・アントなる異種生命体の幼体を脊髄に受け入れ、それが前頭葉を食いつくす恐怖と、今も戦っている――


(……俺たちにとってはそうだ。それが俺たちが危険を冒して戦う理由だ。だが)


 隕石アリメテオ・アントとやらにとっては?


 状況から言えばその隕石アリメテオ・アントこそが機動殻の本体か、もしくはそのものである可能性が高い。ではそいつらにとって、このコンテナの中身とは何なのか?


「……わかったぞ。奴らにとってもこの中にいるのは、同じ種族の子供だ! だから攻撃できない。核融合炉を破壊すればこの子も一緒に吹っ飛ぶからだ」


 いかなる方法でこのコンテナの中身を知ったのか。この機動殻たちがどこから来たのか。それは見当もつかない。

 だが、生物としての本能に従って彼らはここへ現れた。


「俺たちと奴らの目的は同じなんだ。ただし裏返しだがな!!」


 クルベはセンチュリオンの頭部視覚センサーを通して背後の虚空を見上げた。人間の目と同様に配置された、赤く輝く一対の瞳で。


(お前らもお姫様を出迎えに来たってわけか! だがこいつは俺たちのものだ、渡してたまるか。せいぜいそこで、仲間が全滅するのを見ているがいい!)


「俺たちは大丈夫だ。艦長、奴らを殲滅してくれ」


〈……無論よ〉


 通信はいったん途切れ、クルベは望遠カメラを再び母艦へ向けた。四体の機動殻クラストは一斉にヴィクトリクス号の艦尾――太陽方向へと回り、距離を開けていた。


「まずいな。あれをやるつもりだ……」


 かつて火星軌道上で見た光景、機動殻クラストの前面に輝く、背景の星の光がにじんでできた淡い光のリングを思い起こす。重力制御か、はたまたそれを超える異次元の技術、もしくは能力か。

 直接接触すればたやすく砕け破れる機動殻マニューバ・クラストが、重装甲の戦艦を粉砕する脅威の攻撃。それはシルチスでの戦闘の後、仮の呼称を冠されていた。


 名付けて――『慣性槍イナーシャ・ランス』。


 機動殻マニューバ・クラストといい、これといい、敵性兵器に妙にスマートで心をくすぐる名前を付けるのは何とも奇妙な話だが、第二次世界大戦のころから珍しくはないことだ。


 リングを光らせる敵影は四つ。相対速度が最大になるコースでヴィクトリクスに突っ込んでいく。フォレスターとリーのクルセイダーがBDWで弾幕を張るが――


〈だめだ、速過ぎる!〉

 

 クローガーが悲痛な声を上げた。命中しない、というのではない。この交差軌道において砲弾に与えられる速度は、砲口初速の毎秒1.2キロメートルと、艦の現在の速度、毎秒16キロメートル。そしてそこに敵の速度が最終的に合成されるのだ。

 推定秒速50キロメートル。BDWの弾丸は瞬時に貫通して通り抜け、内部で爆発することができない。


 無論、銃弾を食らった弾道ゼリーよろしく内部には砲弾の口径に数倍する破孔が穿たれるはずだが、それで倒せないのは40ミリBDWが通じなかった時点で判明していた。


 むなしい砲撃を加えた後、二機のクルセイダーは大胆にもヴィクトリクス号を離れ、虚空へと散開した。あとに残ったのは、ダルキーストのセンチュリオン・トレーナー。

 その腰から接続された異様に太いケーブルと、通常のレールガンより一回り大きな砲に、クルベは見覚えがあった。


「あれは……ラザフォード・キャノン!?」


 クルベがマユミと一夜を過ごした次の日、ラボでタチバナ大尉から示された試作兵器だった。クルセイダー用のRK-303レールガン二本を同軸で90度交差させて組み合わせた基本構造だが、それに複数のコンデンサーと大容量の電源ケーブルを付加してあって――口にこそ出さなかったが、その場で一笑に付したものだ。


 本気か。あれを使うのか。クルベは頭の芯がしびれるような感覚を覚えた。


 望遠カメラの視野の中で、その長大な火器の砲身にひとすじの暗い空隙が生じ、それがぱっくりと開いていく。創作物でたびたびそのように描写され、いまだに無知な民間人が想像するところの『レールガン』そのままの姿。

 それがさらに先端へ向かって拡げられ、むき出しになった電極レールに小さく予備放電の火花が走った。


〈チャージ完了。ラザフォード・キャノン発射!〉


 瞬間――その奇形的な武器から輝く光の円錐が放出された。全長はおそらく1キロメートル未満、最大直径は三百メートルに及ぶ、荒れ狂うプラズマの渦。


『ラザフォード・キャノン』――それは、VASIMR比推力可変プラズマドライブの推進器スラスターとほぼ同じ作動原理を持つ、電磁加速されたプラズマを広域に拡散射出する兵器であった。


 もともとの構想段階では、核融合炉内で発生した高エネルギー粒子をレールガンの薬室内へ誘導し、電磁加速して撃ち出すものだったという。ラザフォードという名は原子物理学の黎明期に、素粒子を物体に投射する実験を指導した科学者に由来するのだ。


 だが安全性の上であまりにも問題があったため実現せず、現在のものに名前だけが受け継がれ――


 いや、そんなことはどうでもいいのだ。クルベは胸の内で一人うなずいた。なるほど、あれは恐るべき兵器に間違いない。


 その光が収まった時、ヴィクトリクス号とセンチュリオン・トレーナーの前には何もなかった。




 トレーナーは反動で艦上から浮き上がっていた。減速を続けるヴィクトリクス号を追い越して、そのまま太陽へ向かって飛んでいく。


 ――ダルキースト中尉! 艦へ戻ってください、中尉!!


 受信機の中で、別回線へ呼び掛けるコアー上等兵の声が聞こえた。続いて、突然通信回線が切り替わり、ダルキーストの声がした。


〈クルベ中尉。本機は融合炉の出力低下が著しい。ラザフォード・キャノンへの電力供給で無理がかかったようだ。蓄電池の残量もほとんど持っていかれて、スラスターが作動しない。できるだけのことはしてみるが、ダメな時は――第三中隊ガンフリントを頼む〉


「冗談はよしてください、ダルキースト中尉! 撃ったらそのまま無力化なんて冗談にしても笑えない!」


〈はは……昔のニホンの言葉では、『賢者モード』っていうんだってな、こういうの。こいつは『トレーナー』じゃなくて『センチュリオン・賢者ワイズマン』とでもいったところか?〉


「ええい、そんなかっこいいんだか間抜けなんだかわからん愛称を……!」


 ダルキースト機が漂っていく、その進路の先を見たクルベは絶望感に打ちのめされた。


 視界の斜め上から、いびつな形をした巨大な円盤が、太陽の光を遮りながら侵入してくる。腕を伸ばした距離に置かれたゆで卵ほどのサイズから、それは次第にその見かけ上の大きさを増していった。


(あれが、問題の小惑星か――!)


 歯噛みするクルベのかたわらで、何かが動いた。センチュリオンが掴んだ鉄骨を通じて伝わる、不気味な振動。


 カメラを向けたそこには、意外なものがあった。一体だけ残った機動殻クラストが自己の推力で機体をコンテナの外殻に押し付けている。

 厚さ六百ミリの外板に、機動殻クラストの脇腹から展開した、あの恐るべきカッターが深々と突き立てられていた。それは少しづつコンテナの外殻を切り裂き、クルベの目の前で大きな三角形の穴が形作られつつあった。


(こいつ…… 中の子供だけかっさらう気か!!)


 クルベとクローガーはどちらも手を離せない。救いを求めるように見まわしたその視線の先に、フォレスターとリーのクルセイダーがあった。ダルキーストを助けに行こうとするそぶりが見えるが、推進剤残量のために踏み切れないでいるようだ。

 絶体絶命。このままでは二か月を費やした作戦のすべてが水泡に帰す。貴重な人命も。そしてクルベ自身の命も。


 この最悪な状況を、何とかして逆転する方法は――ある!


「フォレスター! リー! 中隊長のことはひとまず忘れろ! こいつを、この機動殻クラストを墜とせ……! そうすれば、すべて解決する」


〈中尉どの! 何を……!〉


「勝算はある! こいつは間抜けにも缶詰の蓋を開けてくれた……早く! 俺たちのブルームに推進剤があるうちに!!」


〈あっ……!〉


 はじかれたように二機のクルセイダーが動き出す。腰背部に標準装備された小型ブースター・ユニットに点火し、一分ほどでコンテナの上空へ。

 かすめるように飛びながら、クルベたちを誤射しないように慎重に三点射。カッターを食い込ませて身動きが取れない機動殻クラストに、それをよけるすべはなかった。


「二人とも、よくやった! クローガー、噴射中止だ。フォレスターとリーを回収して、艦に戻れ! 俺はシンデレラと中隊長を連れて帰る!!」


了解ロジャー!〉


 二機のセンチュリオンは同時に噴射を停止した。クルベは機動殻がコンテナに開けた穴からマニュピレーターを突っ込み、注意深く中を探る。


 内部はほぼ完全ながらんどうで、その片隅に固定された、クローゼットほどの大きさの物体があった。それを注意深く取り外し、落とさないようにしっかりと掴んでコンテナを離れた。


「今行く! 待っててくれ中隊長!!」


 眼前の小惑星はクルベと太陽の間に立ちふさがり、こちら側の面はほとんど真っ暗だった。わずかに縁の部分だけがその凹凸に光を反射させている。新月と同じ状態だ。


 その影の中に、まだかろうじて小さく浮かび上がる、十字架を引きずった救世主を思わせる姿。クルベはそれに向かって懸命に飛翔し、手を伸ばす。


「掴まれ!!」


〈クルベ……!?〉


 ダルキーストのセンチュリオン――ワイズマンはラザフォード・キャノンを投棄し、そのわずかな反動を利用して速度を殺した。二者の距離が次第に縮まる。


 機体に伝わるやや重い衝撃。相対速度差がわずかに残ってはいたが、ダルキースト機のマニュピレーターはしっかりとブルームの中ほどにある推進剤タンクの支持架ステーをつかんでいた。


 それを確認したクルベは、ようやく軽口をたたく余裕を取り戻していた。


「ヴィクトリクス号まで初乗り1300円、少々揺れますが、お気になさらず」


〈ありがとうクルベ。もう歩くのはごめんだ……カード、使えるかな?〉


「カードでも、QREスティックでも。お持ちなら小判でも」


 再び、全力噴射。推進剤の残りはわずかだが、ヴィクトリクス号も近づいて来てくれる。



 それからわずか三分後。ほとんど全天を覆う影となって通り過ぎた小惑星を、クルベたちはその最後端部をかすめるようにして見送っていた。


 闇が払われた後に再び現れた、遠い太陽と星々。その輝きの片隅で、補給艦オルフェウス号が彼らの帰りを待っている。

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