故郷に平穏あれ

「いいですよ、大尉。心細いなら頼ってください……俺だって、自分と部下の命をあなたに預けるんだ」

 ちょうど心臓の高さにあるタカムラ大尉の肩を、クルベは両手を添えるようにして包み込んだ。まだ一切れ残ったままのメロンが、皿ごとテラスの床に落ちて鈍い音を立てた。

 

 ――俺も、頼りにしてます。

 

 耳元でささやく。力を抜いてくたりと首を横に傾け、さらに体重を預けてくる彼女だったが、クルベはゆっくりとそれを押し離した。戸惑いの色を浮かべた青い瞳が、クルベを見上げた。


「ですが――」


 その戸惑いが怒りに変わる前に、クルベはもう一度彼女を引き寄せて耳打ちした。

 

「とりあえず広間に戻りましょう。ここは会食室のすぐ外で、どこへも通じてない。まさか将官たちに挨拶もせずに、二人でどこかへ消えるわけにもいきません」

 

 タカムラ大尉は急に酔いがさめたかのように顔をしかめた。だが薄化粧の頬はわずかにまだ赤い――チークの色ではないことは、クルベにもわかる。

 

「そ、そこまで羽目を外す気はなかったのだけど」


「この後の時間をどう過ごすつもりにしても、ここから出ないことには始まりません。それこそ何食わぬ顔でね。余計な噂が流れるのも面倒だ」


「……ええ、わかりました」

 マユミ・タカムラはするりとクルベの腕の中から脱け出し、彼の隣に立つ位置に戻って背筋を伸ばした。

 眉根に力の入った、ブリッジで指揮を執るときはかくもあろうか、という表情。だがその口元にはわずかに笑みが残っている。

 

はらを据えたってところかしら?」

 タカムラ大尉は真っ直ぐ前方を見つめたまま、クルベに問いかけた。


「お互いに、だといいですね……ともあれ、初めての共同作戦と行きましょう」

 クルベはひとつ大きく息をつくと、大尉の手をとって広間へと進み出た。歩幅を彼女に合わせて、静かに、堂々と。


「それで……話してくれますか? 作戦の内容について」

「ええ。でもここではね。出てからよ」


 二人はレイコック大佐を探した。この会食の主催者は彼なのだ。

 大佐は隅の方のテーブルに移動し、丈の高い酒瓶の影に隠れるようにして、紙ナプキンに鉛筆で何かを書きつけていた。

 


「大佐、今夜はお招きありがとうございました」

「ああ、タカムラ大尉に、クルベ中尉。今日は大変だったな……楽しんでくれただろうか?」


「ええ、存分に。ただタカムラ大尉が少し酒量を過ごされたようで……これから宿舎までお送りしようと思います」

「……そうか。うむ」

 クルベたちの方へ一瞥をくれると、大佐はまた紙の上に視線を落とした。


「大佐、それは?」

 タカムラ大尉がレイコック大佐の肩口に顔を近づける。大佐はわずかに身をよじり、紙面を手で覆って見えないように隠した。

「いや、なに……つまらんものさ。私は若い頃から、詩を書くのが趣味なんだ」


「まあ」

 タカムラ大尉が感心して見せた。

「どんな詩です?」


「……哀歌エレジーのつもりで書いとるが……なかなかちょうどいい言葉は出てこんものだ」

 

 ナプキンの上に置かれた大佐の指の下に、『Captain』と読める筆跡が這い込みかけているのが、クルベの目に入った。ではおそらく、これは戦死したブルックナー艦長を悼むものなのだ。

 

「……葬儀にはとても間に合うまい。基地広報に載せられれば上出来というところだな」

 首を横に振って自嘲の笑みを浮かべる大佐に、二人はもう一度会釈をして席を離れた。

「ではお先に、レイコック大佐」

詩の女神ミューズの微笑がありますように」


 ――ありがとう、タカムラ大尉……厳密にはメルポメネー(註)の名を挙げるべきだったが!

 

 後ろから飛んできた声に、タカムラ大尉は酢を飲んだような顔になった。

ムーサミューズの個別の名前なんて知らないわよ……」


 大佐も底の知れない人だと、クルベは神妙な気持ちになった。

 多忙で過酷な軍務をこなしながら、古めかしい詩形を学んで、自らもその木から真新しい果実を収穫しようとする――なかなかできることではないはずだ。 

「大尉、今の顔なかなかいいですよ。実に気分が悪そうに見えます、そのまま保って」

 冗談めかしてささやくと、タカムラ大尉はニヤッと笑って広間の一角を指さした。

「好都合ね。じゃああっちで吐瀉袋barf bagも貰ってきて」

「ひどいな。言葉のチョイスに反撃の意図を感じる」


 テラスで打ち明け話をした時に比べれば、大尉もだいぶ調子が戻っているらしい。案外うまくやっていけそうだ、とクルベは安堵した。


(部下たちのためにも、大尉とはいいコンビにならなきゃならんよな)

 胸中にそう銘じた直後、真っ先に浮かんだのがクローガー少尉の武骨なインナー姿だったことがひどく可笑しかった。

 

 二人はそのあと、広間の出口へ向かう間に将官、佐官含めて数名のお偉方に挨拶を済ませた。タイバーソン提督はタカムラ大尉に、ことに目をかけているらしかった。

 

「彼女が職務に支障をきたさんよう、よく見てやってくれたまえ」 

 やんわりと釘を刺す牽制のお言葉を浴び、クルベは大尉とともに司令部の前庭に出た。


 もう一度空を見上げて、不意に気づいた。火星の夜――公転軌道上の位置関係を厳密に考えれば、もうこの時間には天球に地球の光を見ることはないはずだ。

 先ほどの感傷には、まるで意味がなかった――そう思い至ってうなだれるクルベに、タカムラ大尉が歩調を速めて並んだ。

 

「次の作戦、ね……小惑星帯にあると推測される、機動殻クラストの前進基地、もしくはハイブの探索よ」


「なんだって!?」

 唐突に告げられた言葉に、全身が覚醒する。

 

「ボストンの遭難も含めて、これまでの機動殻による被害。襲撃されたポイントと各艦艇の航路。そして、今回の襲撃――タイバーソン提督の旗艦『ローテル・レーヴェ赤いライオン』のスタッフが、コンピュータ―上でそれらをプロットしたの」


「……続けてください」


「敵の活動が確認されたエリアは、小惑星『ジュノー』の軌道とほぼ同調する形で分布、移動していた……おそらく、ジュノーの地表か、ジュノーの引力に捕らえられた何らかの小天体に、それなりの規模を持つ拠点がある――艦隊上層部は、そう結論した、というわけ」


「それを……軌道砲兵一個中隊で?」


「基本は偵察。探索と、確認、通報……でも、可能ならば撃滅せよ、というのが内示の核心」


「なんてひどい任務だ」

 絶句するしかない。軌道砲兵輸送艦には、オービットガンナー・モジュールを除けば拠点攻撃に使えるような火力はないのだ。

 

「当初の計画では、マンダレーが作戦の中核を担う予定だったようね。でも、肝心の戦艦はあの有様。ヴィクトリクスが代わりにその任を務めるのよ」


「しかし……それなら、尉官が艦隊の指揮を執るというのは不自然では?」


「ええ。マンダレー副長のピット中佐――今日18:00付で大佐に戦時昇進したけど、彼が戦隊司令官としてヴィクトリクスに乗り込むわ。当初の作戦を引き継ぐ上で、妥当な人事ね」


「なるほど」


「旗艦の艦長として、私にも作戦中は相応の――少佐クラスの権限が与えられる。だから、なおの事信頼できる味方が欲しいのよ、切実に」


 派遣艦隊にはほかに補給艦一隻と高速パトロール艦、重レーザー砲艦などが随行するという。だが、それらの艦艇が、果たして機動殻マニューバ・クラストの攻撃をしのげるのだろうか?

 

(明日が待ちきれない……) 

 クルベはそう思った。ラボでタチバナ大尉が見せてくれるという何か、恐らくは現地急造の『新兵器』を早く確認したい。それに、五十ミリ徹甲榴弾対応型BDWの効果も。


 だが火星の反対側を回ってくる明日の太陽を拝む前に、目の前のこの美女にどう対処するか、決めなければならないらしい。 

 ええい、どうとでもなれ――クルベは躊躇を放り捨てた。ここまで来たらもう、前へ進むしかないのだ。

 

「明日には知らされる、という事でしたが……作戦内容をいち早く明かしてくださって感謝します。俺は『合格』だと思っていいんですね?」


「ええ。だからサインしなさい。この契約書にね」

 マユミ・タカムラはかすかに微笑むと、クルベを正面から見上げて目をゆっくりと閉じた。

 

「こいつは何とも、艶めかしい羊皮紙だ」

 彼女の唇をふさぎながら、クルベはそれが自分の血で記される署名でないことを祈った。

 

 

         * * * * * * * 



「クルベ中尉、なんだかいい匂いがしますね」


 宿舎を出てベイブロックへ向かう通路上。クルベを追い越して行きながら、フォレスター曹長が不思議そうな顔をした。

「パチュリと……ガルバナムかな。多分、ディオールのオードトワレ?」


「何かの呪文かな?」


「しらばっくれてもダメですよ。それ、男の人がつける香りじゃないですから」

 くすくすと笑いながら、第三中隊ガンフリントきっての砲手が駆け去っていく。

 

「参ったな……」

 苦笑しながら先を急いだ。ベイブロックでは完全艤装の『ヴィクトリクス』が彼らガンフリントを待っている。

 舷側バルジに対空五十ミリ機関砲を増設した、高速パトロール艦『アラクネ』が、先にベイブロックを離れて待機位置に移動していくのが見えた。『ヴィクトリクス』は舷側格納庫にモジュールを搭載する作業の仕上げに入っているようだった。


 クルベたちが『ボストン』で運んだセンチュリオン・モジュールは、四機全てが第三中隊に配備された。

 補給と整備に使う器材を統一し、集中運用するためだ。予備でクルセイダー二機も積み込まれているが、これを使用する機会は、できればない方がいい。

 

 搭乗口前に整列した中隊員六十名が迅速に点呼を取っていく。

 

「中隊長、第三小隊、全員確認しました!」


「よし、点呼の終わった隊から搭乗しろ!」

 ダルキースト中尉が精気にあふれた動作と声で、全員に号令をかけた。

 

〈こちら『ヴィクトリクス』艦長、マユミ・タカムラ・ロバチェフスカヤ大尉。本艦は間もなく出航する。各員、部署について待機せよ――〉


「きれいな声だな! 美人の艦長だと聞いてますが……中尉は『ボストン』を回航する間、一緒だったんですよね?」

 そばに立っていた整備班の伍長が羨ましそうな顔で話しかけてくる。クルベは彼に笑顔を向けてやった。

 

「ああ、ちょっと鼻っ柱が強いが素晴らしい美人だ。喜べよ、彼女がこれから俺たちの『お袋さん』になるんだからな!」


(……彼女が母なら、俺は……『父』という事になるのか?)


 クルベは誇りと自嘲の混ざった思いを抱いて、足の下の火星を見た。もはやここが故郷だ。自分にも、この兵士たちにも。

 この故郷を守る。そして、もう一つの青い故郷も。

 ジェニファーとは二度と相まみえることがないとしても、彼女の安全――平穏もまた、自分の手にその一端が握られているのだ。


 VASIMR比推力可変プラズマドライブに火がともり、『ヴィクトリクス』の艦体に歌うような振動が伝わり始めた。  






註:メルポメネーはムーサ(ミューズ)の一柱。悲劇と挽歌(哀歌)をつかさどるという。

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