花と星
「我々も同じ結論に達している」
タチバナ大尉は小さくため息をついた。
「今から要求仕様をまとめて地球の兵器メーカーに送っても、
兵器の開発には予算と時間がかかる。そして、何より困ったことに、
「だが……場当たり的ではあるが当座をしのぐ方法はなくもないぞ、クルベ中尉」
そういってタチバナ大尉がひどく悪戯っぽい表情を浮かべた。
「モジュールそのものの機動性はそう簡単に改善できん。装甲の追加も、即座に機動力の低下につながる。だが、我々にはもう一つの要素が残されているんだ」
どうやら試されているらしい、とクルベは感じた。もしかするとこの脂っ気の乏しい工学博士だか修士だかは、こっちを新兵器のテスト要員に、とでも見込んでいるのではあるまいか?
ともあれ、ここまで話せばクルベにもおおよその答えは見当がついた。
「攻撃力、ですね?」
「……そうだ。今日の戦闘の記録映像を分析して、おおよその見通しが立った。クルベ中尉、君は徹甲榴弾という弾種を知っているかね?」
「徹甲……榴弾? ええ、まあ名前くらいは」
聞いたことはある。どちらかと言えば旧式に類する兵器だ。
二十世紀の中葉、第二次世界大戦のころは水上艦艇の火砲や戦車砲で使われた。ある程度大口径の砲弾に少量の炸薬を封入してあり、目標物の装甲を貫通した後、遅延信管によって内部で爆発、破壊する。
「現行のBDWは四十ミリ硬芯徹甲弾を使用している。だが先の戦闘記録を映像解析した結果、
「確かに……RK-303で突き刺した時も、予想外にもろい手応えでした」
クルベはうなずいた。ここに来る前、士官集会室でのブリーフィングでも話題になっていた事だ。
――BDWの弾芯は
南アフリカでの、反乱分子との戦闘が思い出される。
クルベの砲兵部隊に随伴していた偵察装甲車が、
敵の旧式戦車との遭遇を想定して、その装甲車の砲手は初弾として
機関砲弾は幌で覆われただけの荷台を貫通した。敵に与えた被害はせいぜい兵士が二、三人だったろう。
次の瞬間、装甲車は携行対戦車ロケットの餌食になった。
砲手のミスを責めるのはあまりフェアではない。南アフリカでの戦いは最悪なしろもので、敵も味方も連日数多くの死者を出した。部隊が同じ顔ぶれのまま三日過ごすことはまずなかった。
その砲手も歩兵分隊の機銃手から転属して初日だったのだ。そして、彼は偵察小隊二号車の最後の砲手となった。
「そうか……あの時と同じか。榴弾で吹っ飛ばすべきだったんだ」
「何か思い当たるふしがあるようだが、まあそういう事だよ。我々はBDWの薬室と砲身、リコイル・スプリングを一回り大口径の弾薬に対応するものに変更することを考えている。五十ミリ徹甲榴弾だ」
「それともう一つ――いや、今はこれくらいにしておくか」
タチバナ大尉は不意にビュッフェボードのほうを手で指し示した。
「中尉。先ほどからタカムラ大尉が君をお待ちかねのようだよ。明日、非番の時にでも格納庫隣のラボへ来てくれ」
「……はい」
クルベは苦笑いを返すしかなかった。実のところさっきから、タカムラ大尉がこちらを気にして振り向くのが、視界の隅に何度も見えていたのだ。
「では、明日に」
敬礼を交わしてその場を立ち去る。ビュッフェボードの前ではタカムラ大尉が、ローストビーフの大きな一切れを、並んだ皿の一つから取り分けるところだった。
「お待たせしました」
クルベは彼女の横に立って、メロンを二切れ皿に取った。
「あら、もうよかったの?」
皿を手にしたまま、マユミ・タカムラは愉快そうに口元をほころばせた。わずかに酔っているらしく、目元がほんのりと桜色に染まっている。
「……タチバナ大尉に気を使われてしまいましたよ」
「そう――」
一言答えてクスクスと笑うタカムラ大尉に、クルベはもう両手を上げて降参したい気分だった。許されるならば敵前逃亡でも構わない。
「席へ戻られますよね?」
促すつもりで言った。ボードの前で立ったままモノを食うのは見苦しい、それくらいのことは共通認識として持ってくれていてしかるべきだ。
だが、大尉はそのまま席とは反対の方向へ歩き始めた。クルベは慌ててその横につき、彼女の腕をとった。大尉が手にしていたはずの肉の皿は、いつの間にかどこかに消えている。
「少し、静かなところへ行きたいわ――庭とか」
「庭、と言っても……」
クルベはまた心理的なめまいを覚えた。
仮にここが、メキシコで何度か出入りしたペイルフォード中将の邸宅なら。広々としたホールの外には広壮な庭が広がり、手入れの行き届いた花壇にはバラや大輪のダリアといった季節折々の花が咲き誇っていたことだろう。
春の前半ならば、ジャカランダのこずえを飾る満開の花が、照明を浴びて紫の雲のように渦巻いていたに違いない。
だが目の前の景観に目を転じれば、会食室の外に設けられているテラスはわずかに幅五メートル、長さ二十メートルばかり。足元には露出した土もなく、大理石風に作られた防音セラミックシートで覆われた、狭苦しく中途半端なひと区切りに過ぎなかった。
「別に長々と散歩したいわけじゃないのよ」
そういって、タカムラ大尉はテラスへ踏み出した。
「他の人に聞かれないところで、あなたと話がしたいの」
クルベは無言で彼女のあとを追った。テラスの外縁部はキャンダイトの透明なパネルで嵌め殺しになっていて、そのずっと先に居住ブロックの採光窓と水気耕法プラントが見えた。
(ああ、こういうの、何といったかな……そうだ、借景だ)
プラントの緑は火星地表からの反射光を受けて、ちょうど庭園の植え込みのようだ。そしてその上に広がる、馴染みのない並び方をした星々。
「明日にも正式な命令が出ると思うけど……『タム・オ・シャンタ』が帰還したら、入れ替わりに
タカムラ大尉のしなやかな指が、クルベの曲げた肘の内側を数歩そぞろ歩いて、次の瞬間、彼の腕の肉を柔らかく握りこんだ。
クルベはわれ知らずごくりと固唾を飲んだ。だが、それは腕に食い込む指のせいではなかった。
おそらくヴィクトリクスを中心に、補助艦艇を何隻か伴うことになるが――一度基地を離れてしまえば、作戦が終了するまで、その小艦隊は補給もおぼつかない孤立無援なのだ。
「敵の『砲弾』に対する哨戒と迎撃ですね? 定期任務みたいですし」
「……今回はもっと
どうもおかしな雲行きになってきた。クルベは目をしばたいて、彼女の方へわずかに首を傾けた。
「……内容を聞いても?」
「あなた次第ね」
どう反応していいのか、クルベは迷った。ふと、右手に持ったままの皿に視線を落とす。
「……メロン、食います?」
タカムラ大尉は無言で、差し出された皿から一切れ取った。
「午後のあの戦闘……戦艦『マンダレー』は出航準備中に襲われたでしょう?」
「ええ」
作戦の話そのものではないらしい。だがどうやらこの奇妙な一幕芝居は、彼女がこれからしようとしている話に端を発しているのだと、クルベは理解した。
「
「タチバナ大尉から聞きましたよ。無茶をする人だなと思った」
「確かにね……で、その時にね。メイナード中尉は私を止めなかったの」
タカムラ大尉はクルベから顔をそむけ、メロンを口に押し込んだらしかった。
シャク、シャク、と水気の多い咀嚼音がかすかに響く。
「副長が?」
クルベはおうむ返しに語尾を上げた。
「……おかげで間一髪、間に合ったけれど」
長々と問答をしていたら、マンダレーは爆発四散していただろう――タカムラ大尉はそんな意味のことを、ロシア語とニッポン語を交えて口にした。
「……そんなことがあったんですか」
メイナードの振る舞いは軍法に照らしても通常は問題視されない。指揮官の判断と発令を支持しただけということになるし、艦長が何らかの理由で艦を離れる間は、副長がその指揮を執るのが当然だからだ。
だがその不作為の底に潜んだものはクルベにも解った。メイナード中尉は、タカムラ大尉がその身を危険にさらすことを、あえて見過ごしたのだ。
「嫌なものね、人から疎まれる――相手にとって自分に大した価値がないことを思い知らされる、というのは。こんな気分になったのは初めて」
その言葉を聞いて、クルベはなにか頭の中で霧が晴れるような感覚を受けた。
「大尉。失礼ですが、年はお幾つです?」
それが通り一遍の質問でないことは、タカムラ大尉にも伝わったようだ。彼女は屈託のない笑顔で答えた。
「二十四歳よ。高校を飛び級で卒業して、大学に行ったの……軍から出る奨学金を受けてね。大学卒業後は艦隊士官養成コースから実務に入って、今年で二年目」
「二年目ですか」
それで大尉に任官というのは異例の速さだ。
なるほど、と思った。『ボストン』の居住ブロックで出会って以来、ずっと感じてきたもの――マユミ・タカムラに対する奇妙な苛立ちと反発心の原因はどうやらここにあったのだ。
彼女から放射されているものは、強烈な自負心と自己肯定感の輝きだ。そしてそれは現在、彼女の階級と指揮権という実体を備えている。
「……メイナード中尉は、開戦当時からの長い軍歴がある叩き上げだと聞きました」
「ええ……ぽっと出の小娘にやすやすと頭を下げるのは難しいでしょうね」
タカムラ大尉はそう答えたまま、口をつぐんだ。
上層部のメイナードに対する高評価は、ヴィクトリクス号の前艦長への忠勤に基づくものだろう。彼女が同等の忠誠を勝ち得るには、越えなければならないハードルがいくつもあるに違いない。
マユミ・タカムラは眩し過ぎるのだ――クルベはそう思った。
彼にしても尉官クラスとしては若い方だが、八年の軍歴の間には、目を覆いたくなるような失敗や不始末も数知れずあった。そもそも今
そんなクルベにとって、マユミ・タカムラはサングラスなしで見上げる太陽のように輝いて見える。
だが――今の彼女はまるで日食にでも入ったように、テラスに降り注ぐ星灯りの下でか細く力を失った姿を見せていた。
「……それで、俺を?」
「今度の任務はおそらく、向こう二か月はかかるわ。その間、だれか信頼できる味方がそばにいて欲しいの……認めたくないし、悔しいけど」
下唇を噛みながら、彼女はもう一度クルベの腕を握った。
「いけないかしら? 十八日間、息も絶え絶えに遷移軌道を這い進んでいた時、コクピットのシート越しにずっと見ていたのはあなたの背中よ。また頼りたい、自分の安全を委ねたい――そう思うのは自然なことでしょう?」
クルベは透明パネルの向こうの星空を見上げた。あのどこかに地球がある――ジェニファーとの距離はひどく遠くなってしまったのだと、今さらながらに実感できた。
「頼っていただけるのは光栄ですが……それは多分、吊り橋効果とか何かです」
タカムラ大尉はクルベを下から見上げた。星明りを映した彼女の瞳は上半分をまぶたに隠されていた。こちらを睨んでいるのだ。
「……またずいぶんと簡単に切って捨てるわね! 私たちはあの時、終始
それはそうかもしれない。クルベはうなずいた。だが、そういう意味でいえば彼がマユミ・タカムラを最も強烈に意識したのは、電力が低下してスーツの通信機能を失った彼女と、ヘルメット同士を接触させて会話した、あの時なのだ。
もしかしたらあの時、タカムラ大尉も――そんな考えが頭をかすめた。
だとすればなおさら、哀れな話だ。初めて味わう他人の冷たさに打ちひしがれ、あやふやな感情を手掛かりに、頼りがいの定かでない相手に同盟を申し出る――その代価に、彼女は何を支払おうというのだろう?
クルベの左ひじを蝶番にしてくるりと体を回すと、マユミ・タカムラは彼の胸に頭を預けてきた。
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