Phrase D'armes
すぐに大声を上げるようなヘマはしでかさずに済んだ。だが、マユミの内心では激しい怒りと落胆が渦を巻いていた。
いまメイナードが押し込んだボタンは、緊急時にブリッジを閉鎖するものだ。通路との間のドアはロックされ、特定のコードをコンソールから入力しない限り解除されない。もう一段階プロセスを進めれば、ブリッジそのものが救命艇となって艦から離脱することも可能になる。
彼の意図は明白だった。このまま当初の作戦計画を維持し、小惑星ジュノーの偵察に向かう――そのために、最終的な軌道変更タイミングまで時間を無為に経過させ、あのメッセージは見なかったことにするつもりなのだろう。当初の計画を順守するならば、ある意味最も無難な選択ともいえる。
(だけど……こんな粗雑なやり方でそれを押し通せると思ってるなら、あなたは大バカ者よ、メイナード)
メイナードはミスを犯した。ダルキーストの入来で焦った彼は、突発的に緊急封鎖ボタンを押してしまった。本来なら重大な越権行為につながるものだし、一時的に問題を先送りすることはできても、これで状況はさらにややこしくなってしまった。
メッセ―ジの情報が艦内に広まれば、軌道砲兵たちは必ずや艦の行動について独自の意見を形成するだろう。たとえ軍規上許されないことであったとしても、必ずそうなる。少なくともマユミたちには、彼らを納得させる必要が生じる。
ダルキーストがブリッジに入った瞬間に、再びその危険が生じた。メイナードはとっさにそれをつぶそうとしたのだ。そこだけを見れば彼の瞬時の判断力は決して悪くない。だが、あとあとまでの洞察がどうにも浅かった。
ダルキーストを軟禁する形になってはかえって自身の身動きが難しくなると、そこまで考えに入れるべきだったはずだ。
マユミは暗澹とした気持ちに襲われた。マンダレーへ向かう決死隊を募った時からうすうす感じてはいたことだが、この副長はそれほどまでに自分が疎ましく、邪魔なのか。こんな判断を誤るほどに。
おそらく彼は作戦の準備に要した時間と、推進剤や各種機材、物資の調達に費やした予算を盾に、改めて諄々と自分を説得するつもりだったのだろう。艦にいるほかの正規乗組員は皆、もともと前艦長時代からの継続勤務で、メイナードに従うことが習い性となっている――彼にはそういう計算もあったに違いない。
現に、ブリッジの当直員三人は今も淡々と業務をこなしている。早い話、マユミがいなくてもこの艦は動くのだ。
だが、今このブリッジには、ダルキースト中尉が居た。まだ彼は、ブリッジが閉鎖されたことに気が付いてはいない。マユミはごく平静を装って、ダルキーストを歓迎するようにふるまった。
「よく来てくださったわ、ダルキースト中尉。あなたに見てもらいたいものがあります」
ちらりとメイナードの方を見る。彼としてもここで声を荒げてマユミの発言を押しとどめるようなことはできないはずだ。
自分への不信や反意を明確にするようなことを、メイナードに言わせるわけにはいかない。言わせてしまえば彼の立場は取り返しがつかないことになる。成り行き次第では、マユミはピット大佐を仰いで査問会を開かねばならなくなる。
そうなれば、マユミも譴責を受けることになりかねない。副長にそのような逸脱を許したとなれば、マユミも管理能力を問われる。どちらも無傷では済まないのだ。
(だから、これ以上バカなことはしないで――)
そんな思いを込めてメイナードに視線を送る。彼に汲み取れるとも思えないが、今は他にどうしようもなかった。マユミ自身も、ダルキーストが見ている前でうかつなことは言えないのだ。
「このメッセージはつい先ほど、迎撃ミッションの終了直後に傍受した、木星方向からの通信波です」
メインスクリーンに投影された文面に、ダルキーストが見入った。
「これは……にわかには信じがたいですが、しかし――」
ダルキーストがため息交じりに言った。
「なるほど、呼ばれた理由が分かりましたよ。このメッセージが言う『コンテナ』を回収するとなれば
「ご明察。だから、今後の行動方針を決めるにあたって、軌道砲兵中隊の意見を聞く必要がありました」
マユミはダルキーストを呼んだ理由を改めて自覚していた。結局のところ、自分は当初からアルミ・ロビンソンの救助を前提にしていたのだ。それはもう動かせない。
ダルキーストは挑戦への意志に輝く眼差しで、マユミを見返した。
「コンテナ、という以上は、通常の宇宙艦船とのドッキングは考慮されていないでしょう。そして、小惑星帯まで単独で回収に行けるような作業艇はありません――つまり、この少女を救えるのは、軌道砲兵輸送艦とオービットガンナー・モジュールだけだ」
「その通り。おまけに、文面を信じるなら彼女にはあまり時間の猶予がありません――」
マユミは語尾を飲み込んだ。一刻も早く回収し適切な処置をしなければ、アルミ・ロビンソンは脳を食いつくされ、消え失せてしまうのだ。
「……艦長、この文面を全面的に信じることの危険性は認識しておいてください。文書の上ではどんなことも言えるし、形式が整っていることはその信頼性を担保しない。前文には軍事、外交上の公式通達云々とありますが、発信者は個人に過ぎないんです」
メイナードがかすれた声で言った。それは建前に過ぎない、とマユミは心の中で一蹴する。彼は作戦を予定通り大過なく進めたい。それだけなのだ。
彼女はメイナードの言葉を逆手にとってひねり上げた。
「ええ。もちろん、これは軽々しく決められることではありません。当初の作戦を大きく変更することになりますし、そのリスクもメリットも、ともに大きなものです。戦隊司令官のピット大佐に、何としても判断を仰ぐ必要があります」
(さあ、これで軌道砲兵を蚊帳の外には置けなくなったわよ。どうするつもり、メイナード?)
むろん、反撃の手を考える余裕など与えるつもりはなかった。ダルキーストがいる以上、メイナードにそんなことはさせられない。
「メイナード中尉、ピット大佐にはまだ連絡がつきませんか? 人を回して、必要ならドアを開けて確認させて」
メイナードはどうにか言外の意味を察したようだった。さっと顔に赤みが差し、口元がゆがむ。だが彼は自制した。
「……イエス、マム」
メイナードはゆっくりと自分のコンソールに向かった。タッチパネルを操作し、解除コードを打ち込む――圧搾空気が抜けるかすかな音が、ドアの方から響いた。
彼は続いて、やや離れた席にいる部下に呼びかけた。
「ジャクソン少尉、非直員を二人ほど連れて、司令官を直接お呼びしてきてくれ。ただし途中で誰とも余計な話はするな」
――
ジャクソンがドアをくぐって出ていく。マユミはほっと息をついた。第一ラウンドはどうやら先取、だがこの後はどうなるか読めない。ダルキーストは目の前で演じられている一幕にきょとんとした様子で取り残されていた。
「我々にはミスも、遅滞も許されない……」
マユミは誰に言うでもない風に、言葉を発した。だがこれは、実のところメイナードにたたきつけた叱責だった――
「助けられるうちに、適切な手を打たなくてはね」
マユミは、メイナードをも助けなければならないのだ。彼がどうしようもない陥穽に自分から落ち込んでしまう前に。
* * * * * * *
クルベは艦内勤務用の簡素な服に着替えて、居住区へ向かった。携帯端末に、マユミからの着信はまだ、ない。こちらからメールを送って煩わせるわけにはいかないが、どうにも気になる。
通路の曲がり角で、数人の正規乗組員が目の前を横切った。
艦隊所属の連中はえんじ色の制服を着ている。基地での会食でマユミが身に着けていたジャケットと、同じ色だ。
クルベはとっさに敬礼を捧げたが、少尉の階級章をつけたその士官は答礼してこなかった。目元に緊張をにじませて、通路の奥へと移動していく。後ろについた下士官二人が申し訳なさそうに崩れた敬礼をクルベに返しながら、その後を追った。
(なんだ、あいつら)
先頭の士官は確か、ジャクソンとかいった。普段はブリッジに勤務する一人で、マユミやメイナードを補佐する航法担当士官だったはずだ。
ということは、ブリッジで何があったか知っているのではないか?
「ジャクソン少尉、 うちの中隊長を見なかったか?」
遠ざかる背中に呼び掛ける。だが、応えはない。まあ、いつものことだ。この艦の正規乗組員は自分たち軌道砲兵に対してどうもあまりよい感情を持っていないらしい。マユミ――タカムラ大尉が出航前に抱いていた危惧は、あながち的外れでもなかった。
(おかげで俺は彼女の『男』として、いい目を見させてもらってるわけだがな……だがこいつは見過ごせん)
隔壁一枚向こうは地獄。宇宙艦の中で秘密主義など、クルベとしてはご免こうむりたかった。あまつさえ敬礼はこちらから先に行った。にもかかわらず答礼なし。
(それに……あの通路の先は確か)
一号船室。
居住区で一番広く快適な部屋で、現在は戦隊司令官の個室になっている場所だ。だが、ブリッジ要員がなぜわざわざ個室へ?
用事があるならば艦内通話回線で事足りる。個人的な会見ならありうるが、それならばまず艦長や副長が呼ばれるはず――先ほどからの状況といい、どうもおかしい。
「おい、待ちたまえ! 司令官に何かあったのか!?」
クルベはあえて大きな声を出しながら彼らに追いすがった。ジャクソンは困惑した様子で壁面の手すりをつかんで止まり、随員二人には先へ進むよう、手ぶりで促した。
「クルベ中尉……申し訳ありませんが、我々は副長直々の命令で動いています。あなたには介入の権限はありません。どうぞお引き取りを」
「……貴官の立場は理解するがな、俺も中尉だ。階級は副長と変わらんし、こっちだって艦と部下の安全には責任の一端を担っている。立ち会わせてもらうぞ」
実のところ詭弁だ。指揮系統が違うし、機甲師団に属する軌道砲兵と艦隊所属の士官では、階級の名称は同じでも職分と権限の範囲が異なる。だが、ジャクソンはクルベの圧力に押し負けた。
「そこまでおっしゃるなら、立ち会うだけは――」
「よほどの事情があるらしいな」
二人はそのまま並んで通路を進んだ。
一号船室の前には、緑のジャケットを身につけた軌道砲兵が二人立っていた。大昔の帆船時代、戦列艦に乗り組んだ海兵隊員が艦内で立哨を行ったことに倣ったような人員配置だ。
顔を見れば、彼ら二人は整備班の下士官だった。軌道砲兵中隊の半数近くは整備要員で、非番にあたる時間の三分の一ほどは、こういった艦内業務を分担している。
「クルベ中尉、ご苦労様です。司令官に何か?」
「いや、俺はたまたま立ち会うことにしただけでな。大佐に用事があるのはこちらの、ジャクソン少尉だ」
「ありがとうございます、クルベ中尉――ええと、司令官は中でお休みなのだと思うが……何か変わった様子はなかったか? 妙な物音や、侵入者などは?」
歩哨二人は顔を見合わせた。何かただならぬことが起きたらしいと察し、不安げな面持ちになっている。
「いえ、特に何も」
「そうか……」
ジャクソンは疑わしげな様子でドアを凝視した。透視でもしようとしているようで、クルベは口元に笑いが浮かぶのを必死でこらえた。ともあれ、この部下たちを厄介事から引き離した方が得策だろう。
「……うん、ご苦労だった。ここの立哨は、こちらの紳士方が引き継ぐそうだ。君たちは解散してよろしい。ただし、装備は解かずに別命あるまで食堂あたりで待機していてくれ」
「了解です、中尉殿」
軌道砲兵たちが離れていくとジャクソンはクルベの方を、感謝と困惑の入り混じった眼で一瞥した。随員二人はドアの電子ロックに解除コードを打ち込み始めている。
「手間を取らせたな、ジャクソン少尉」
「いえ、ありがとうございます。むしろあなたに立ち会っていただいて助か――」
だがそこで、ジャクソンの言葉はいったん途切れた。一号船室のドアを開けた兵士が大声を上げたからだ。
「少尉殿! 司令官が……倒れておられます!」
「何だと!?」
仰天して部屋に踏み込んだジャクソンに続いて、クルベもその肩越しに室内を覗き込んだ。開いたドアに四角く切り取られた壁の向こうでは、ベージュ色のカーペットの上でピット大佐が紫色の顔色をしてうずくまっていた。
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