Long Way Home(1)

「フォボスだ、リー少尉。フォボスがいま僕らの後方――上空六千キロメートルに来てる」


〈……そうか! それです、中隊長殿。シルチス基地の高度、一万七千までは上がれなくても途中のフォボスなら〉


「ああ、何とか今の推進剤残量でたどり着けるかもしれない。それに――フォボスに着陸して機体を固定できれば、予備パーツでアンテナを修理することも可能なはずだ」


 そうすれば、基地と交信できる。ヴィクトリクス号に要請して、回収してもらえる。 

 ダルキーストはコンソールからデータベースを開き、フォボスの軌道データを呼び出した。自機から見た現在の対地座標と高度、速度を入力し、目標への最適なアクセスパターンを算出する。

 

「加速を一旦停止、二分後に再加速して……ああ、それでも推進剤がわずかに不足するか――」


 計算結果の横に表示された赤い警告マークに、ダルキーストは歯ぎしりする思いだった。少し間をおいて、リー少尉から応答があった。


〈ではディフレクターを捨てましょう。少し上昇しあがって、大気の影響が安全域に達し次第〉


「……そうだな、忘れていた。では捨てよう。所詮消耗品だ、失くしたところでルビコンメーカーが追加発注を喜ぶくらいのことさ」


〈この高度でも未確認のデブリに衝突する可能性がゼロではないのが気がかりですが……我々に幸運グッド・フォーチュンのあらんことを〉


「幸運が尽きたらこいつセンチュリオンが僕らの墓だな」


 昔の、どこかの軍歌にそんなフレーズがあった気がする――ダルキーストは自身のの軽口にふと頬を緩めた。

 

 

 二機のセンチュリオンが再加速を行い、高度を上げていく。フォボスはまだ周囲の星と見分けがつかないほど遠いが、側面のサブモニターには黄色いリング状のマーカーで強調された姿が映っていた。

 

 上昇に伴って、モニタ画面上のフォボスがわずかずつ拡大していく。

 

「今回は易を立てないのかい、少尉」


〈ええ。必要ありません。易は未知の事態に対して、人知だけでは判断がつかない時に用いるものです。今やるべきは、為すべきことを正確に為し遂げる――それだけですよ〉


「……そうだな。その通りだ」


 ディフレクターの過熱警告が消えた。大気による断熱圧縮の効果を受ける高度を脱したサインだ。

 

「よし、ディフレクター投棄」


〈ディフレクター投棄〉


 センチュリオン二機の前面に掲げられていた巨大な盾が、ほぼ同時に保持を解かれて分離していく。

 

〈折り鶴のようだ〉


 リー少尉が、ぽつりと奇妙なことを口走った。


「折り鶴?」


〈ええ、クルベ中尉の民族の文化だったと思いますが――正方形の紙を折り曲げて作る、瑞鳥を記号化したシンボルです。しばしば長寿と繁栄、平和の祈りを込めて作られるとか。それがちょうど、あんな形です〉


「ああ、言われてみれば何かの記録映像で見た気がするな……」


 分離時の高度を維持したまま遠ざかっていくシルエットは確かに、翼の両端を切り取られた折り鶴を真上から眺めたような形をしていた。

 火星の重力に引かれていずれは地表に落下するだろうが、それまでには気の遠くなるような年月が過ぎるだろう。

 

軍神マルスの頭上を連れ立って飛び続ける、二羽の折り鶴か……」


 あれが折り鶴ならば、自分たちの帰路を見守ってくれるだろうか。ダルキーストはそんな感傷にとらわれかけたが、口には出さなかった。

 

 

 加速のための噴射を終え、フォボスの高度まで遷移軌道を這いのぼる。彼我の位置関係は次第に変化し、フォボスを斜め下から追いかけるような形に。そしてついに、わずかに上空から見下ろす位置に到達した。あとは相対速度を合わせて着陸するだけだ。

 赤褐色と奇妙な青灰色に分離した、フォボスの多色構造が目に入る。半径十一キロメートルのとてつもない岩塊が、次第に視界を圧する円盤となって膨れ上がった。


(さて、これからが問題だ)


 フォボスへの着陸は言うほど簡単ではない。相対速度をゼロにしてフォボスに接触するには、秒速二.一七キロメートルを保つ必要がある。

 だが、フォボスからの脱出速度はわずか秒速十一メートル。

 速度差がそれを越えれば、着陸した機体を固定することはできず、生還の望みは絶たれる。地形の微妙な起伏ですら危険だ。

 

 レーザーセンサーが測距を始め、センチュリオンのシステムが着陸シーケンスに入る。相対速度のインジケーターから目が離せない。

 

ブルームが仇になりかねないな、これは……」


 スラスターユニットと推進剤タンクの巨大な質量のために、減速にもそれだけ時間がかかるのだ。と言って、これがなければここまで帰ってくることもできなかった。

 急造の試作ユニットとはいえ、今後の評価によっては改良の上で量産される可能性もある。ディフレクターと違い、こちらはおいそれと放棄できなかった。

 

(なんとか速度同調できたが、下手に地表に接触すると反作用が怖いな……ならば)


「少尉。インパクト・アンカーを使おう。ぶっつけ本番だがまず問題あるまい、まずは僕から行く」


〈了解……!〉


 小惑星帯でダルキーストがヴィクトリクス号に戻れなくなりかけた一件から、火星に帰還してすぐセンチュリオンに追加された装備があった。それが、膝関節部前面の装甲ブロックに組付けられた、射出式アンカーだ。

 

 固形炸薬によって射出され、機体との間は単分子繊維をより合わせたケーブルで繋がれる。ケーブル長は四十メートル。

 理論上はヴィクトリクス号サイズの宇宙船とモジュールを支えつつ、異なるベクトルの運動を抑え込める強度を持つ。

 

「うまく岩盤に固着してくれよ……アンカー、投錨レッゴー!」


 機体の姿勢を変えないために両ひざから同時に射出。アンカーの先端が岩盤に深々と食い込んだ。

 嵌入後、少量の爆薬によって脱落防止機構が作動、ロックされる。ダルキーストの「ガンフリント1」はフォボスに対して強固に係留された。

 

〈こちらも行きます。投錨レッゴー――〉


 次の瞬間、あっ、と息をのむ声。 

 リー少尉のセンチュリオンは左ひざのアンカーが作動しなかった。反動で機体が右側へわずかに開き、あらぬ方向へ右のアンカーが飛んでいく。

「まずい!」


 機体がブレれば、その後ろにある巨大なブルームユニットが逆方向へ大きく傾く。ダルキースト機との激突を避けようと、リーはブルーム後部の姿勢制御スラスタを噴射した。 

 それが裏目に出る。新たなベクトルが加わり、「ガンフリント2」の機体はさらに大きく振り回された――

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