第35話 罪の本懐
「……ヒュウマ? どこまで逃げるのですか?」
セルリアンの遠い声がビルの間で反響する。
どこまで? ――もちろん、作戦を考えつくまでだ。
何か考えないといけない。
走りながら必死に考えている。が、何も考えつかない。
足を止めるわけにはいかない。
セルリアンは一定の速度で、変わらない距離を保って追って来ている。
足を止めれば、すぐに触手の射程距離に入ってしまうだろう。
「くそ、本気で追って来る気がないのか、あいつは」
急いで追って来ているようには見えない。
少し走る速さを緩めると、セルリアンも速度を落とす。
かといって、力を入れて走ればあっちもスピードを上げて来る。
あいつ。こちらが疲れるのを待っているのか?
とりあえず走るしかない!
と、前を向いた瞬間、視界の隅。建物の影でニホンヤモリがなにやら合図をしているのが見えた。
ビルとビルの間。路地の入口。
ニホンヤモリはスッとその路地に入って行く。
なんだ?
あそこに向かえば良いと言うのか?
「追いかけっこも飽きて来ましたよ? そろそろ何か見せてください」
追ってきているセルリアンが触手をブルンッと伸ばして来た。
射程距離にはまだ遠い。が、触手はドロドロを吐いて飛ばして来た。
「ぐ、おおお!」
ドロドロ、また喰らってたまるかよ!
俺はそれをすんでのところでかわすと、ニホンヤモリが指し示した路地へ向かった。
なるほど。
確かに路地に入るのは良い手かもしれない。
悔しいが、いったんどこかに隠れて姿を消し、攻撃のチャンスを見つけなければ。
……が、入って数秒。すぐに後悔した。
前方。顔をあげた視線の先。入った路地の先に、瓦礫の山があった。
思い出す。
ここは、瓦礫に挟まれたアメショーを助けた路地だ。
「く、くそ、なんで、こんな行き止まりに」
思わず足を止める。
が、それがいけなかった。
セルリアンの触手が追撃して来たのだ。
「う、うおおおおお!」
俺は、前方に転がりながら触手を避け、受け身を取って立ち上がると前へ向かった。
戻ることは出来ない。
今戻るのは、触手の射程に飛び込むようなものだ。
くそ、ニホンヤモリ、どう言うことだよ!
姿が見えない。
あいつ、どこに行ったんだよ!
「ヒュウマ、そちらは行き止まりですよ?」
振り返れば路地の入口にセルリアンの姿が現れていた。
もはや、絶体絶命だ。
逃げ場はない。隠れる場所も無い。
こうなったら、戦うしかない。
だが、どうする?
戦うための作戦なんて立てようがないし、そもそも素手では無理だ。
何か、何か武器でもあれば。
ふと思いついた俺は瓦礫の山に駆け寄ると、長い金属の棒を探した。
アメショーを助けた時に使った物だ。
あの時、俺はアメショーを助けた後、アメショーを助けるのに必死過ぎて、アレをどうしたかまるで覚えていない。
どこかに放り投げたか?
その場に落としたか?
ともかく、瓦礫の山のどこかにあるはずだ。
「ヒュウマ? 何をしているのですか?」
「く、くそ! くそ!」
動かせる瓦礫を必死にどかす。
が、見つからない。
どこにあるか分からない。
「捕まえましたよ、ヒュウマ」
セルリアンは、すぐ近くまで接近していた。
目測して、5m前後。
もはや絶体絶命の距離だった。
「逃げ道はありません。戦うしかないですよ?」
その通りだ。
ここは行き止まりだ。
英語で言うところのデッドエンドだ。
セルリアンは、来る。
伸びる影。4本の、口のついた触手。
「……何か作戦があると思いましたが、無いようですね。ヒュウマにはガッカリです」
セルリアンの触手がグググっと持ち上がる。
絶望。
もはやこれまでか……と後ずさって瓦礫の山に背中をつけた。
瞬間、右手の指先に何かが触れた。
俺が使った物とは違うかもしれないが、パイプ状の金属の物が、瓦礫から飛び出ている。
引き抜けるか?
不安が俺を襲う。
引き抜いたところで、使えないものかもしれない。
もしかすると、これは物凄く短いパイプかもしれないのだ。
パイプの先に、でっかいコンクリの固まりでもついていたら、そもそも引き抜けないかもしれない。
でも、こうなったらイチかバチか、やるしかない!
「では、さようならです。ヒュウマ」
俺はそれを掴むと、一気に引き抜く。
「う、うおおおおお!」
瓦礫の鉄塊に触れたのか、火花が散る。
まるで、鞘から抜刀した刀のごとく、手ごろな長さの鉄パイプが出現した。
俺は両手でそれを構えると一気に前へ跳び、その先をセルリアンの胸へと突き出す。
至近距離。
鉄パイプは、直線の動きでセルリアンに向かって伸びた。
「くらえぇぇぇぇぇ!」
だが、セルリアンの行動は早かった。鉄パイプの動きに合わせて後ろに跳び、同時に触手を伸ばして鉄パイプを攻撃していた。
一本、二本。
がっちりと触手に噛みつかれて、鉄パイプの動きは止まっていた。
胸まで、あと10センチ。届かない。
そして残った触手の三本目と四本目が、俺の体に噛みついている。
右肩と、腰だ。
「ぐっ……! う、ぐ」
力を込めても、パイプは動かない。
俺自身も噛まれている。
傷の深さが分からないが、もう、戦うことは出来ないんじゃないかと思う。
「最後の悪あがきですか。やってくれましたね、ヒュウマ。でも、もう、これまでです」
セルリアンは、無表情にそう言った。
「最後に、言いたいことはありませんか?」
だが、その瞬間。ビルの影で何かが動く気配があった。
「今です!」
姿を現すニホンヤモリ。
そう、視界の隅で建物の一部に擬態していたらしいニホンヤモリだ。
擬態は完璧と言えども、ビルの影だったからか姿を隠せていたらしい。
そしてそのニホンヤモリの裏側から、アメショーが必殺の爪を出して突撃して来たのである。
二匹。共に気配を消す達人。
そして、忍び寄って獲物に致命傷を与えることの出来る狩人、アメショー。
何かに夢中になっている瞬間が最高の攻撃のチャンスだと知っていたとしても、何も不思議ではない。
事実、俺との戦いに夢中になっていたセルリアンの対応は遅れていた。
「こ、姑息な!」
セルリアンは振り向きながらも、自分に攻撃手段がないことに気づいたらしい。
無表情の顔に、若干の驚きを浮かばせていた。
そう、セルリアンの触手は四本。
俺の鉄パイプを止めているのが二本。
残りの二本も俺に噛みついている。
セルリアンは鉄パイプを止めていた触手を離し、アメショーに向けて伸ばした。
が、先行した触手がアメショーの爪に切り裂かれ、パッカーンっと弾け飛ぶ。
「にゃにゃにゃにゃにゃにゃー!」
残りの一本が、アメショーに噛みつこうと歯をむき出しにした。
が、アメショーは襲って来たそれを爪で食い止めて、さらなる追撃を食らわせる。
一本ずつ、確実にとどめを刺すようにと、アメショーは触手の頭に爪を突き立てた。
パッカーンと爆裂する触手。
――セルリアンが言った通り、触手が4本いっぺんだったならアメショーは負けていたかもしれない。
だが、一本ずつならアメショーが対応できる数だった。
そして、二本の触手を失ったセルリアンが、さらにアメショーを迎撃しようとしたのは反射的だったのだろう。
事実、そうするしかアメショーから身を守れないと言うのは、俺ですら分かった。
アメリカン・ショートヘアーは狩りの達人なのだ。
圧倒的な攻撃力を持つアメショーの攻撃に身を晒すことは危険だと、セルリアンは防衛本能で触手を動かしたに違いない。
セルリアンが俺に噛みつかせていた触手を離し、アメショーに向けて伸ばしていた。
当然、俺を押さえていた力は消滅する。
その機会を、俺は逃さない。
「……キジバトォォォォ!」
俺は鉄パイプをいったん引いて、再び全力で突き出した。
セルリアンがこちらに振り返り、目を大きく見開く。
……ドスッと言う、気分が悪くなる音がした。
鉄パイプの先が柔らかい物を突き抜けて、固いものに触れている。
それは、確かな感触として俺の手に伝わった。
何かが砕け、壊れる気配。
――。一瞬。
キジバトが俺の目を見て、ささやかに微笑んだ。
「……ありがとう、ヒュウマ。これで、やっと」
セルリアンはハッキリとそう言った。
消えそうな声だったが、確かな言葉として俺の耳に届いた。
キジバトは鉄パイプが突き刺さった胸を押さえて、その場に倒れ込んだ。
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