第36話 生命, 再び……
風が吹いた。
俺のすぐ横を通り抜けて、寂しげな音をビルに反響させている。
鉄パイプを引き抜いた隙間――崩れた瓦礫からのチリ埃が空に舞って、青い空が少しだけ汚くなった。
「終わった、のか」
宙に浮いていたセルリアンの触手が、くたりと力を無くして地面に落ちている。
「ヒュウマちゃん! 大丈夫?」
「ぐわー!」
アメショーが飛びついてきて転びそうになった。
羽交い絞めって言うくらいに抱き着いてきて、身動きが全く取れない。
そんな俺にニホンヤモリがおずおずと近づいて来て、申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい、ヒュウマちゃん。イチかバチかでしたが、機を伺っていたアメショーと会えたので、この作戦を。うまく連携が取れて良かった」
「……ちっ、全く。上手く行ったから良いようなものを」
囮に使われたと思うと良い気はしない。
本来の俺なら腹を立てておかしくないのだが、それよりも気になっていることがある。
なんで、あいつは……
だが、考えるより先にアメショーが俺の顔をザラザラの舌でペロペロ舐めて来た。
「ぐわああああああ!」
「ヒュウマちゃん! ヒュウマちゃんは本当に大丈夫なの? 怪我してないの? 噛まれたところ大丈夫?」
「大丈夫だ! 良いから、一回離れろ! 顔をベロベロすんじゃねぇ!」
本当に噛まれた場所は大丈夫だった。
服に穴も開いてない。
シャツをめくって触ってみたが、傷なんてどこにも無かった。
と、その時、遠くから何かが走って来るのが見えた。
走り疲れた体のシルエット。
「ヒュウマちゃん」
「ペキニーズ? どうやってここへ?」
「でっかいボスが助けてくれて。スズメちゃんも、助けてもらってたから、すぐ、こっちに、来ると思うから」
「そうか。とりあえず呼吸を落ち着かせろ。室内犬のくせにそんなに急いで走りやがって」
「だ、だって、ヒュウマのことが、心配で」
ぜはーぜはーと死にそうな犬。
「……あれ? セルリアンは?」
ペキニーズが鼻をひくひくさせて、それから倒れているセルリアンを見つけた。
「ヒュウ、マ」
セルリアンの声が聞こえてペキニーズが飛び上がった。
もちろん、その場にいた全員が警戒態勢を取る。
セルリアンは、ゆっくりと体を起こしてこちらに向いた。
「気をつけてヒュウマちゃん!」
「いや……大丈夫だ」
爪を出したアメショーを手で制す。
フフっと力なく笑うセルリアンの声が聞こえた。
「ヒュウマの言う通り、です。私はもう、長くない」
セルリアンが豊満な胸を手でどかして、透けている体の中を見せて来た。
ぐったりと座り込み、もはや喋ること以外のことは何も出来ないと言った状態だ。
ヒビが入って砕ける寸前の石が、確かにそこにある。
「私の負けです」
「でも、お前……」
俺は……納得がいかない。
結果だけ見れば、俺たちはセルリアンを倒した。
どちらかが倒れるのを勝ちだ負けだと言うのなら、俺たちが勝ったのだろう。
だが、思い浮かぶのは疑問だらけだった。
「何で、お前が負けてんだよ」
「……でぽ?」
セルリアンは、キジバトの顔で力なく笑った。
不器用に。
誰かの笑った顔を真似たかのような、偽物っぽい笑いで。
「とぼけるなよ。だって、不自然過ぎるじゃないか」
……絶対におかしいことだ。
あの状況で俺が勝ったのは、いくらなんでも不自然過ぎる。
いや、俺が鉄パイプを見つけたと言う幸運。ニホンヤモリやアメショーと連携を取れたと言う偶然。そう言った要素は確かにあるけれど。
だけど、そもそもそうなったのも、俺が走って逃げて、こいつが追って来たからだ。
いや、フレンズを喰わないで俺を追ったのは『俺を野放しにしておくのが危険』と言う、一見、総合性の取れている理由もある。
だけど、やろうと思えばもっと簡単に決着はついていたはずだ。
セルリアンはわざわざ俺の走るスピードに合わせて飛んで、俺が何か行動を起こすのを待っていたように思える。
そして、何よりも一番おかしいのは触手に噛まれた俺が全くの無傷だと言うことだ。
俺は鉄パイプを拾う。
「この鉄パイプを、どう説明するってんだ」
鉄パイプには、攻撃を止めた触手の歯形がはっきりと残っていた。
鉄の表面に食い込んで、パイプの内側まで達している確かな歯の痕跡。
「鉄をこんなにする力だぞ? どうしてもっと触手を、俺を倒すために力を使わなかった……! 俺なんて、お前がやろうと思えば、簡単にやれただろ!」
こいつは、負けたがっていた。
今を思えばと言う、結果論的な仮説なのだけれど。
さっきまでの状況。俺が追い詰められいたようで、実は全然違うんだ。
こいつが、自分自身が負けるような状況に俺を誘い込んだのだ。
そして、追い詰められたネズミのごとく、俺はこいつを攻撃して勝利した。
でも、そうじゃなくても。例えば俺が反撃の作戦を立てていたら、こいつはそれにすら引っかかりに行っていたんじゃないかとも思う。
いや、そもそもだ。
「そもそも、俺がここにいること自体がおかしいじゃないか。ドロドロに埋もれて、全く身動きの取れない状態だったんだぞ?」
いや、もっとはっきり、分かりやすく言った方が良い。
「何で、ニホンヤモリはドロドロに埋もれてた俺を助けに来れたんだ? ニホンヤモリの擬態は完全じゃない。さっきだって、俺が視界に入れてなかっただけで目に止まればきっとバレバレだった。動きだって、俺よりかは早く動けるのかもしれないけれど、ずっと鈍くなってた。あんなの、隠れようとしたって無理だ。隠れられるわけがない。なのに、ニホンヤモリは俺を助けに来て、俺を自由にしてくれた」
ただの感と言ったらそれまでだ。
だが、他のフレンズに知らせに行ったスズメを優先したと言う、もっともらしい理由があるだけで、それがなくったって、こいつはニホンヤモリを見逃していたんじゃないのか?
俺を助けに行くことを見越して。
「お前、ニホンヤモリのことはわざと見逃したんじゃないのか?」
セルリアンは、言い終わった俺の目を真っ直ぐに見返して、それから観念したかのようにして言った。
「流石ですね。ヒュウマはなんでも見透かしてしまう」
「悪いが買い被りだ。俺は、壊滅的に察しが悪いんだ。じゃなかったら、こうなる前に止めている」
「止める? それは、私が困っていましたね」
「何がだよ」
セルリアンは、フフッとまたへたくそに笑った。
「……これは、賭けだったのですよ、ヒュウマ」
「賭け?」
「ずっと。ずっと、疑問に思っていたのです。輝きを奪い、保存すれば命は永遠。誰かが願った正しさでも、それを肯定しているだけの自分は、結局はそれを真似ているだけの作り物でしかないのではと。自分の中に在る正しさが、自分にとっての本物なのかを証明できない。そうして存在している自分自身が何のために在るのかも、何も分からなくなっていたのです。あなた達に分かりやすく言うと、『疲れてしまった』のでしょう。私は、セルリアンとしては長く存在し過ぎました。もう、食べるのは嫌だった。誰も傷つけたくなかった。でも、そうした気持ちを抱えてはいても、輝きを奪うのは止められない。私はセルリアンだから。だから、私と言う存在を否定してくれる誰かをずっと待っていた」
セルリアンが、そっと俺の手に触れた。
震えるセルリアンの肌は、冷たかった。
「ヒュウマ。待ち望んでいた存在が、ついに現れてくれたのです。私の持っている、『誰かが望んだ正しさ』を聞いても、なお、否定してくれる『別の正しさを持った』誰かが」
指が、力なく俺の指に絡んで来る。
お互いの体温がじわじわと混ざり合って、ほとんど境目が分からなくなった。
「……私は賭けたのですよ、ヒュウマ。もしもヒュウマがアメショー達を見捨てて逃げたりせずに、もう一度私の前に現れてくれたらと。もし来なければ、いつものように食べて終わらせようと。そして……私は賭けに勝った。だから」
セルリアンは言葉を切る。
苦しそうな表情を浮かべて、黙ったいた。
それでも言葉をつづけようとしたセルリアンの言葉を遮って、俺は言った。
「自分を止めたかったんなら、やめれば良かったじゃないかよ! もっと、早くに打ち明けてくれれば良かったじゃないか! 俺たちがこんなことをする理由なんて、何もないじゃないか!」
「私と言う『敵』を倒したと言う、きちんとした形で否定してもらわなければ何の意味も無い」
セルリアンは冷静だった。
「私は、あなたの手でそうして欲しかった。……私はセルリアンなのです。存在するために輝きを奪わずにはいられない存在なのです。食べるのを止めることなど、きっと出来ない。私はもう、フレンズを何匹も食べて来た悪いセルリアンです。これは、こうなる他はなかったと言う、それだけの話です」
「違う! そんなの、違うよ……!」
奪わずには生きられない存在。
そんなの、どの動物だって同じだ。
植物を、肉を、命を。
みんな食べるために、生きるために何かを壊して、殺して、奪って生きている。
輝きを奪うと言うセルリアンは、それとはまた異質な存在なのかもしれないけれど。
でも、それでも……
俺はセルリアンの手を握った。
「お前がセルリアンだって、俺たちはきっと友達になれた! 何か、手段があったはずだ! フレンズを食べなくてもどうにか出来る方法が! 最初から手を取り合えれば、俺たちは、きっと……!」
「それは、本物のキジバトと友達だったスズメの前でも言えますか? 私を憎んでいるだろうスズメの前でも同じことが言えますか?」
「それは」
言葉に詰まる。
「そうでしょう? だから、仕方がなかった」
「決めつけないでよ!」
声は上からやって来た。
ハッピービーストの介抱で復活したのだろう。
飛んできたスズメだった。
スッと降り立つと、セルリアンに詰め寄っていた。
「キジバトを食べたのは許せないよ! でも、私はこんなの嫌だよ……!」
ぽたぽたと涙が落ちる。
ヒトだったら、こんな光景はなかなか見れないと思う。
だけど、スズメは自分を食べようとしていた相手――友達の仇の前で泣いていた。
「ちゃんとお話が出来るじゃない! 一緒に遊べるじゃない! そしたらいつか仲直りだって出来るかもしれないのに、どうしてこんな悲しいこと考えたの? セルリアンだからって、こんなの酷いよ!」
風がまた吹いた。
冷たい。
あたたかいものを全て奪い去って吹く、酷く寂しい風。
「なぜ、ですか?」
セルリアンが困惑した顔をしていた。
「なぜ、みんな、そんな顔を」
ペキニーズもしっぽを落として、涙を流している。
アメショーもしょんぼりしていた。
ニホンヤモリも、スズメも、みんな、みんな……
みんなの目から涙が、こぼれている。
と、セルリアンの顔に苦痛の表情が現れた。
「お。おい、大丈夫か?」
「ダメです、ね。フフ、しゃべり過ぎました。間もなく、私は終わります」
「ま、まだだ! まだダメだ! 待ってよ……!」
キラキラとした線が、セルリアンの体に走り始めた。
亀裂だ。
胸の石が今にも砕けてしまいそうだ。
「まだだ! まだ、まだ逝かないでよ! 俺にはまだ、お前に言い足りないことが、たくさん……! キジバト!」
「まだ、私を、キジバトと呼んでくれるのですね」
うわーんと泣いているペキニーズの声が大きくなった。
セルリアンが、服の中から何かを取り出して、俺に言う。
「こ、これを。ヒュウマ。私、これを、もらって欲しい。他の誰でもない、あなたに」
それはコンビニで気に入ったと言っていた、ぬいぐるみだった。
俺は、それを確かに受け取った。
「キジバト……!」
「ありがとう。私も、本当は、ヒュウマちゃんって呼びたかった。私も、もっと、みんなと、一緒に……私、もし生まれ変わったら、今度は、私も、みんなと、友達に」
ピシッ、と何か決定的な音がした。
何かが終わる音。
瞬間、セルリアンは光の粒をまき散らして消えた。
すっかり消え去った。
最後には、大きな泣き声を上げるペキニーズの声だけが響いていた。
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