第2話 俺の名は。

 一回冷静になろうと考えてみたのだけれど、やっぱり拘束されている。

 体は動かない。


 胴が、きついベルトでがっちり。

 手首、足首にもベルトが巻かれている。

 腰にも膝にも、二の腕にもだ。


 慌てて首を左右に動かすと、自分が殺風景な部屋の中央にいて、台の上に仰向けで寝かされているのが分かった。


 ベルトは俺を台に縛り付けている。


 ……これって、もしかして誘拐監禁事件?

 それにしては犯人が見当たらない。

 たまたま今、いないのか? でも、女の子をわざわざ捕まえて、何もしないでそのまま放置ってどういうことなんだろ。


 とは言え、状況を把握した途端とたん、怖くなってきた。

 だって、俺、女の子だし。

 もし、こんな状況で誰か来たら……いや、人ならまだしも、動物が来たら、きっと先ほど見た夢のように、なすすべもなく嘗め回されて、ベタベタのドロドロになることしか出来ない。


 一刻も早くこの台から脱出しなければ。


「はあああああああ!」


 気合の掛け声と共に力を込める。

 腕に、足に、腹筋に。


 でも、どれだけ力を入れても、やっぱり体は動かない。

 どのベルトも、まるでサイズを測ったみたいにガッチリギッチリ、俺にぴったりだ。

 きつ過ぎず、緩すぎず、見事に体の自由を奪っている。

 ぎ、ぎぎぎ!

 ちくしょう! 何だこれ! 誰だよ、こんなことをしたのは!


「助けて! 誰か!」


 助けを呼んだけれど、返事はどこからも返って来ない。

 それならやっぱり、自分で何とかしなくちゃ。と、首と目玉を動かした。

 何か、脱出のヒントになるものを探さねば。

 例えば、拘束を解くスイッチみたいな物を……

 と、思ったのに、ぐるりと見渡しただけで落胆することになった。


 この部屋、ほとんど物が無い。

 実に殺風景だ。

 部屋の壁は不自然にボロくて、見つめていると不安になる。

 これは劣化とか言うレベルじゃなくて、錆とか腐食。

 天井は相変わらずにフラフラ揺れていて、起きてからずっと聞いているバタバタとしたあのうるさい音が、絶え間なく響き渡っている。


 とは言え、何も無いわけではない。

 台のすぐそばに、太ったウサギみたいなキャラクターの像が一つある。

 手は無くて、全体的に丸い。

 お腹の上に首輪みたいなのが巻いてあるが、これは何なのだろう。


 しかし、特筆すべきはその大きさだった。

 多分、人間よりもでかい。

 身長はともかく、横の幅が。

 部屋の壁とは対照的にピカピカしてて、色もグラデーションのついた黄色のカラフルな色彩だ。

 ずんぐりむっくりの体型で……耳がうさぎってのが気に入らないけれど、なんだか可愛い。

 ゆるキャラの像? 一体、何の?

 と、思ったらいきなり声が聞こえた。


「オハヨウ」

「うわっ! なんだ! 誰だ!」

「ボクは、ハッピービーストだよ」


 抑揚よくようとぼしい、機械の合成音声。

 良く見たら、さっきのゆるキャラ像が喋っていた。

 び、びっくりしたぜ。これ、像じゃなくてロボットだったのか……


 とは言え、これでなんとかなりそうだ。


「あ、あの。ハッピービーストさん! 助けてください! 誰かに誘拐されて動けなくされたみたいなんです! お願いします!」

「寝ていたヒュウマを動けなくしたのは、ボクだよ」


 ……ん?


「今、なんて?」

「寝ていたヒュウマを動けなくしたのは、ボクだよ」


 ……なんだこいつは。ふざけてるのか?


 怒り心頭になったけれど、これは仕方ない。

 こいつ、こんなファンシーな姿で、年頃の乙女おとめを拉致監禁とかしちゃったのか?

 人畜無害そうな外見なのが余計に腹立つ。

 大体、なんなんだよ、そのウサギみたいな耳は!

 動物はこれだから信用できないんだよ! いや、ロボットだけどさ!


「こ、この野郎! 犯人お前かよ! 早くこれ外せ!」

「ゴメンね。ヒュウマ」


 ……ヒュウマ?

 先ほどから聞きなれない名前で呼ばれていたことに気づいた。


「ヒュウマって俺か? 俺の名前か?」

「そうだよ」


 いや、ちがうぞ?

 全く聞き覚えがないぞ、その名前。

 って言うか、女の子の名前に聞こえないし、人違いじゃないのか?

 そもそも俺、誘拐されるようなことしてないし。多分。


 ……でも、ヒュウマじゃないなら、俺の名前、なんだっけ?

 そうした自問自答の問いがやって来たのだけれど、モヤモヤとした霧のようなものが頭にかかっていて愕然がくぜんとする。


 思い出せないのだ。


 いや、名前だけじゃない。

 住んでた場所だとか、いつも何をしていたとか、『自分』に関する記憶の大部分がぽっかりと消えていた。

 ただ、動物に関することだけは――あいつらが『嫌い』だと言う感情だけはしっかり覚えている。


 ……なんだよ、これ。

 俺は誰だ? ここはいったいどこなんだ?

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