最終話 俺だけがいない世界
『いや、言わなくても良い。君の正体なんて、こっちは最初から分かっているんだ。眠っていた君を起こしたのは、ボクだからね』
声はそう言った。
頭の中に流れて来るかのような、音声のイメージだ。
音では無かった。
だから、記憶のフラッシュバックと勘違いしていた。
「ああ、そうだよな。ハッピー」
ハッピービーストが、チカチカと通信機器を光らせて、俺を見ていた。
『それより、君が素直に帰ってくれたことに驚いているよ。君はあまりにも人間に近すぎたからね』
「ああ、そうだよな。俺だって、本当はまだ帰りたくなかった。でも、もう時間切れなんだろ?」
時間切れ。
ニホンヤモリたちを担いで投げた時の――脱出の時に痛めた腕が、もう、ほとんど動かない。
痛みがないわけではないのだけれど、動ない状態の腕が、こんな痛みのわけがないのだ。
急に力が抜けて、右手で握っていたぬいぐるみが音も立てずに床に落ちた。
「左手だけじゃない。だんだん、動けなくなってきたのが、自分でもわかったから」
キジバトのことを考えると、胸が痛い。
セルリアンだったあいつは、俺のことを『同類』だと言った。
今思えば、キジバトは、最初から俺の正体に気づいていたのではないかと思う。
言葉の節々を思い出すたびに、そう思った。
『そこのセルリアン! そんなもの食べたら、お腹壊しますから!』
……そうだよな。
俺なんか食べたら、お腹を壊すに決まってる。
いや、キジバトの正体を暴いた時に気づくべきだった。
あの時、俺はこう言った。
『お前以外の奴は、みんなジャパリまんを食べていたんだよ』と。
こうも思った。
『肝心なのは、ジャパリまんの数だ。数だったんだ』とも。
セルリアンが誰かと判明したあの時点で、食べられたジャパリまんの数。
ペキニーズが七つ。
アメショーが二つ。
スズメが二つ半。
ニホンヤモリは一つ半。
キジバトがゼロ。
そして……ゼロの奴はまだいた。
ハッピービーストと、俺だ。
俺も一つも食べてない。
ハッピービーストが食べないのはまだわかる。
こいつは、体の中でジャパリまんの製造と、それから保存したままの運搬が可能な『機械』なのだ。
でも、俺は?
俺もキジバトと一緒でセルリアンなのだろうか。
いや、それも違う。
俺には、キジバトのように他のフレンズを保存したいだなんて本能が存在しない。
じゃあ、俺は何だ?
普通だったらあり得ないことだ。
俺がもし、人間なら……自然のサイクルの中に在る生き物ならば、何かを食べなければ生きていけないはずなのだ。
それなのに、俺は腹が減っているという感覚すら感じていない。
じゃあ、俺は一体何なのか。
そう思った瞬間、また意識が遠のいた。
……記憶のフラッシュバック。
――
――――
『あなたは忘れてしまうでしょう。ともに過ごした日々と、私のことを』
暗い部屋だった。
いつか、どこかで見た部屋。
ここでは無い部屋。
そして、勘違いしていた。
その言葉は、俺の近くで囁かれてはいたが、俺に対して話しかけているものでは無かったのだ。
部屋の中央にあるベット。
今にも死にそうな、大怪我を負っている命に対して、その言葉をつぶやく、長い黒髪の女性が一人。
『私は忘れない。あなたの声、温もり、笑顔……その優しく純粋な心。どれほどの時が経っても、あなたが全てを忘れてしまっても。私は決して忘れない』
それが囁かれた瞬間、その命は逝った。
心臓の動きが止まり、呼吸も消えた。
『本当にありがとう。いつかまた、きっと私たちは出会えるから。今は、さよなら……』
命は、消えていく。
どれだけ笑っても、泣いても、思い出を作っても、最後には消えてしまう。
俺は耐え切れなくなって、その部屋から出た。
だが、死は消えなかった。
どこにいっても、死は俺の近くをつきまとっていた。
どの部屋も、布をかけられた動物たちが置いてあった。
もう、嫌だった。
みんな、俺を置いて死んでしまう。
今、接してくれている動物も、ヒトも、みんな俺を置いていなくなってしまう。
それがたまらなく嫌だった。
だから、俺を生み出してくれた人を、俺は探した。
その人なら、答えを知っているのではないかという、期待を込めて。
『イツカさん』
泣きながら向かった先の部屋で、白衣を着た女性が静かに、死に対して祈っていた。
先ほどの女性とは違う、別の女性。
少しだけ俺に顔が似ている女の人。
『どうしたの? ヒュウマ』
イツカと呼んだその女性に、俺は泣きついた。
『俺、わからないんだ。死んじゃった奴と、また会えるのかなんて、そんなの、信じられないんだ。俺、みんなと違うから。だから、怖いんだ。死んだら、もうそれっきりで、二度と会えないって』
俺は、他のみんなと違う。
命の輪から、少しずれたところにいる。
ふと部屋のスピーカーから、内線連絡が届いた。
『イツカさん、ナナです。ミライさんがちょっと用事があるそうです。上まで来ていただけませんか?』
『……ごめんね、ヒュウマ。ミライさんが呼んでるって。行かなきゃ』
同時に、外から白衣を着た人が何人か入って来る。
近くのテーブルにいた、すでにこと切れている動物に白い布がかぶせられた。
『イツカさん。俺は、みんなが例え死んでいなくなっても、絶対に……』
記憶の中の俺が叫ぶ。
『俺は絶対に忘れないよ。何があったって忘れるもんか』
『……そうね。あなたはロボットだものね』
――――――――――
……覚めた。
部屋の中にある台座に、俺とよく似た顔をしている、別の人間が寝ていた。
髪の長さだとか、顔つきの雰囲気が少し違うけれど、それでも、こいつらは俺にとても似ている。
造られた、顔立ち。
「俺もだったんだな、ハッピー。俺もロボットだ。機械だったんだ」
ハッピーが目をチカチカとまばたかせ、首輪の通信機器をピピッと光らせた。
『正解だよ、ヒュウマ。君はかつて、イツカ博士と言うパークの技術者が主導で行っていた計画の産物。通常とは違う形、科学技術を使ってフレンズを再現しようとした実験で生まれた人造人間だ。正式名称は試作人工フレンズ006号、ヒューマノイド・ボーイッシュタイプ。機械だよ。ラッキービーストのように量産化に至らず、ボクのように試作段階で中止されたワンオフ機の一つだ』
どうして忘れていたんだろう。
機械だと言う自覚は、今ではハッキリとしているのに。
『ボクが起こすのを失敗したからさ。電源供給部に異常があったらしくてね。記憶の障害が起きていると言っただろう?』
それでも、俺自身は自分に欠陥があったかのように思う。
理由は分からないけれど。
『それは君が無意識化にでも覚えていたからだろう。君は人工フレンズ計画の数少ない成功例だったけれど、結果的に失敗作だったからさ。パークで別の博士たちが作ったラッキービーストやボクと共にお客様のお友達として働くはずだったのに、それが出来なくなったからね』
失敗作?
それは、誰から見た視点で?
『一般的に。そして、ボクたちから見た視点でも。君はボク達よりフレンズに近づくことは出来たけれど、あまりにもヒトに近すぎたんだ。だから、止む無く眠らされていた』
そうだ。
そうだったんだ。
俺は、プログラムされた感情以上の心を持ってしまった。
そのせいで動物が大嫌いになったのだ。
みんな大嫌いになった。
みんな死んで、俺を置いて行ってしまうから。
だったら、最初から会わない方が良い。
触れない方が良い。
好きになんて、最初からならない方が良い。
だから、俺は……
『こちらも何もしなかったわけではないのだけれど、異常は直せなかった。君が眠っている間、君は夢を見ていただろう? あれは、君を正常に戻すためのプログラムだ。イツカ博士の要望があったから、頭の中を書き換えるなんて乱暴な手段はとれずに、君が動物と望んで触れ合えるように、夢という形で繰り返し見させていたんだ。効果はなさそうだったけどね』
ああ、ヘリコプターで目覚める前にも見ていたあれか。
動物もふもふ爆弾とか、ああ言う奴か。
悪いけど、逆効果だったよ。それは。
『そうかい?』
そうだよ。……あのさ、今、気づいたけど、俺、もう、口も動かせないのか?
喋らないで、考えるだけでお前と会話してる。
『君に搭載されていた通信機能を使っているのさ。ようやく、安定して繋がったみたいだからね。君を起こす時に、ちょっと失敗したって言ったろう? 君の方の通信機器は、そのせいでほとんど使い物にならなくなってたんだ。記憶の障害も起きていたし、それでもだんだんと回復してきてるみたいで安心してるよ』
そっか。
それにしてもお前、通信だと饒舌なんだな。
『ボク達は会話の機能に制限が多いんだ。言ってはならないことを言わないようにする処置もされていて、語彙も少ない。こうして通信している方がボクは楽だ。それより、君は早くメンテナンス台に寝ると良いよ。バッテリーも切れかかってる。腕なんかは寝てる間に修理出来れば良いのだけれど』
メンテナンス台? 部屋にある台に寝れば良いのか?
なるほど。
ヘリで俺を拘束していたあの台座は、俺のメンテナンス用の作業台だったのか。
『そう。拘束と言っていたけれど、あれは作業用に固定するための物さ。充電器も兼ねているので、君はそこに寝てれば良い。……ああ、君のは都市部に放置されたままだっけ。なら廃棄処分された001号の物を使うと良いよ。端の一台が空いているだろ? ……ところでヒュウマ。君が寝る前に一つ言っておくよ』
何だよ。
『君を失敗作だとさっき言ったけど、君をデザインしたイツカ博士にとってはそれは違ったろうね。イツカ博士にとっては、成功としか言いようが無かっただろうってことさ。思い、悩んで、泣いて、笑って……ヒトに近しいと言ったが、僕から見れば君はヒトそのものだ。彼女は最後まで君のことを案じていたよ。まるで、亡くなった自分の娘の代わりかのように』
……なんだよ。慰めてくれてるのか?
『そう取ってもらっても構わない』
お前も機械っぽくないなぁ。
『そうかな。ボクたちは、与えられた任務に忠実だよ。だからこそ君を起こした。都市部で起きていることに気づいて、そうせざるを得なかったんだ。ボクや他のラッキービースト達は、フレンズとの過度な接触は禁止されているからね』
……ああ、もう、別にいいや。
なんか、考えるのも辛くなってきた。
ものすごい疲労感があるし。
もう、眠ることにするよ。
……
…………
なぁ、ハッピー、ヒトは、どこに行ったんだ?
『それはボクにもわからないな。でも、いつかひょっこり帰って来るんじゃないかな。それはいつになるかわからないけれど。明日になるのか。来週になるのか。それとも100年後になるのかは僕にも分からないけどね』
そうか……いつか。
いつか、ヒトはパークに帰ってくるのだろう。
そしていつか、やっぱり機械である俺の前から去っていくのだろう。
命あるものには、必ず終わりがあるのだから。
ヒトを含めた、動物の全て。
フレンズ達も。
いつか、必ず終わりが来てしまう。
……もしかして、このまま眠っていた方が俺は幸せなのだろうか。
二度と目覚めないで眠っていた方が。
……いや、それは違うと思いたい。
それでも思うのは、やっぱり生まれて来て良かったと言うことだ。
もしかすると、『生まれて』よりは『造られて』の方が正解なのかもしれないけれど。
それでも、みんなに会えて良かった。
偉そうに胸を張るペキニーズ。
寝てばっかりのアメショー。
信用度ゼロでこっちに接してくる生意気なスズメ。
警戒してばっかりのニホンヤモリ。
そして、でぽっと笑うキジバト。
かつて記憶を失う前に触れ合って、すれ違って、逝ってしまった沢山の動物たち。
人間達。
泣いて、笑って、歌って。
みんなと見て、聞いて、感じた事の全て。
一人だけでは感じられなかったことの全て。
朝、太陽がまぶしかったこと。
昼、風が気持ち良かったこと。
夜、星が綺麗だったこと。
晴れた日、空がとても青かったこと。
雨の日は、雨の音が静かだったこと。
みんなと一緒に歌った歌を、俺は忘れない。
いつか、俺が目を覚ます時が来たら、そしたら、またみんなと会えるだろうか。
会いたいなと思う。
いつか。
いつか、目が覚めたら。
かけがえのない。身近にいた、俺の大切な命達。
……ああ、眠い。
俺は眠ることにした。
いつか、目を覚ますべき時が来るその日まで。
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