第11章 さよならのうた 中
第33話 隣のドロドロ
残された俺は無様そのものだった。
ゼリーみたいなドロドロ山の頂き付近から顔だけ出していて、まるで何かのオブジェかと思う有り様だ。
今すぐ脱出したいと思う。
でも、ドロドロが重すぎて全く身動きが取れないんだ。
一生このままかとも不安になる。
なんとしても脱出せねば……!
俺は腕と足に力を込める。
「ぐぎ、ぎぎぎぎ」
力を入れ過ぎて血管が沸騰しそうになった。
それだけ頑張っても、数ミリすら動かせたかどうかも分からない。
このドロドロから出られる気がしない。
ビルの間からの風が吹いて、自分の無力感がいっそう引き立った気がした。
ちくしょう。
思えば拘束されてばかりだ。
ヘリコプターの中で起きてから、ずっと、自由なんてどこにもありゃしない。
ここは地獄だ。
セルリアンの触手攻めにあったり、アメショーに襲われて抑えつけられたり。
ドロドロの粘液に埋もれたり。
こんなこと、地獄じゃなきゃ遭うわけがない
って言うかこのドロドロ、なんか臭うんだよな。
セルリアンの触手からとは言え口から吐かれていたし、鳩ミルクでも混ざっているのか……?
と、思ったけど、そもそもあいつは鳩じゃなくて、セルリアンだったと思いなおす。
ちなみに、鳩ミルクと言うのは、
そして、主にハト目の鳥はこの
この
鳥類のハト目が卵から孵った雛のために与えるトロトロのご飯なのだ。
そしてこの鳩ミルクを食べて育つ雛は、たった一日半で体重が二倍になり、約20日で巣立ちの時を迎える。
そう、この鳩ミルクは栄養価がとても高く、か弱い雛をたくましい鳥へと成長させる、最強のベビーフードなのである!
そして、この鳩ミルクをどうやって雛に与えるかと言うと、喉の奥――口から吐き出して、雛の……
と、ここまで考えたところで乾いた笑いが出た。
何考えてるんだよ、俺。
誰に、何の説明をしてるんだ?
こんなスーパーピンチになってるのに、鳩ミルクのことを考えてるだなんて。
でも、まぁ、理由は分ってる。
俺、もう、諦めちまってるんだ。
ここで動けない。
あいつらが食われるのを黙って待っているだけで、もう、何もできない。
じわじわと涙が出て来て、同時になんだこれ? 思った。
俺、何で泣いてんだ?
動物なんか嫌いだろ?
だったら、あいつらなんて、どうなったって良いじゃないか。
でも、だったら、なんでこんなに胸が苦しいんだ?
そう思った瞬間、頭の中で声が響いてきた。
またあの幻聴だ。
『どれほどの時が経っても、あなたが全てを忘れてしまっても。私は決して忘れない』
遠い記憶の中の、誰かの声。
『いつかまた、きっと私たちは出会えるから』
そんなの嘘だ。
あのセルリアンの言う通りだろ?
死んだら終わりだ。
食われたら、もう、二度と……
「……ヒュウマちゃん……ヒュウマちゃん」
俺の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。
もう良い!
もう、何も聞きたくない!
だが、それでも声は聞こえて来た。
「待ってて、今、助けるから」
どちゃっと言う、重々しくも湿った気持ち悪い音と共に体が軽くなった。
何だと? これ、幻聴じゃないのか?
誰だ?
顔をあげると、山を崩す一匹のけもの。
ドロドロを両手いっぱいに抱えて地面に落としてるニホンヤモリがいた。
「お前、何やってんだ?」
「私、力があまり強くないから時間かかるかもしれないけれど、でも、絶対に助けるから」
「な、バカ! 逃げろって言っただろ! なんでペキニーズ達に知らせに行かなかった!」
「みんなにはスズメが知らせに行った。私の足じゃ、一緒に逃げてても追いつかれるから、隠れた。そしたらセルリアンはスズメを追って行ったから、私は」
「だったら、ずっと隠れてればいいだろ!」
「ずっとは隠れていられない。私にもこのドロドロがついていますから」
ニホンヤモリは、自分の体の色を変えて見せた。
確かに、所々、色が変わっていない。
これではかえって目立ってしまうのではないかとすら思う。
「こんなんじゃ、あのセルリアンが本格的に探そうと思えばすぐに見つけられてしまいます。それに、私たちのためにこんな姿になったヒュウマちゃんを放っておけない」
また、どちゃりとドロドロが地面に落ちた。
体はどんどん軽くなっていく。
「……セルリアン扱いして、ごめん」
ニホンヤモリはそう言って、さらにドロドロを落とした。
一回、二回、三回。
……こいつ、余計なことしやがって。
「く、クソが! どいつもこいつも、バカ野郎だ!」
「ヒュウマ?」
「どいてろ。もう、大丈夫だ、多分」
力を込める。
指先のドロドロがどろりと動き始めた。
「ぐぐぐぐ、うおおおおおおお」
重い。でも、今度は動かせる。
「うおおおおおおおおお!」
腕がボンっと外に出た。
それをきっかけにしてドロドロの山から這い出る。
ずるずると、体を引きずって。
「ちくしょう、自由にはなったけど、こんなドロドロまみれにしやがって! 乙女になんてことしてくれやがるんだ、あのセルリアンは!」
地面に立つと、手足をブルブルと振った。
びちゃびちゃと落ちる粘液。
体についているのを手で払い落し、それからニホンヤモリを睨みつけた。
全く、こいつもなんて奴だ。
セルリアンから逃げられたんなら、一匹で、そのままどこか遠くに行ってしまえば良かったものを。
本当に余計なことをしてくれたよ。
動けないままなら、何も出来ないって理由があったのに。
動くことの出来ない、正当な理由があったのに。
でも、もう、それは消えた。
今、俺は足で立てている。
歩ける。走れる。
どこへだって行ける。
自分のしたいことが出来る。
もちろん正義感なんかじゃない。
動物は今でも嫌いだ。
ただ、あのセルリアンが言っていたことにむかっ腹が立つだけだ。
一発、ぶん殴ってやらないと気が済まない。
それに俺だってセルリアン扱いした奴に謝らないと寝覚めが悪いからな。
だから……
「行くぞ、ニホンヤモリ」
「どこに?」
「あのセルリアンを止めにだ! みんなを助けに行くぞ!」
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