第34話 エゴイスティックな彼女

 俺達は走った。

 スズメが飛んで行った方へ。

 セルリアンが向かった先へ。

 ペキニーズやアメショーのいる場所へ。


 自分でも、こんなに早く走れたのかと驚くスピードで走れた。

 呼吸も汗も、苦しいことは全部消えて、ただ前へ進みたいと言う欲だけが自分の中にある。


 急がなくては。

 間に合わないかもしれないと言う、焦りが俺の走りを速くする。


 そうして俺達は目的地に到着した。

 スズメを罠で捕まえた場所の近く。

 少し休憩しようと別れた場所の近くだ。


「うわーん、こんなの嫌だ―!」


 ペキニーズが、ドロドロの山から顔だけ出して泣いていた。

 さっきの俺とそっくりの有り様。

 倒れているスズメが、大口を開けたセルリアンの触手にゆっくりと飲み込まれようとしている。

 まるでヘビの捕食のように、足からゆっくりと。


「くっ……ヒュウマちゃん、後は任せます」


 ニホンヤモリが警戒態勢をとりつつ、物陰に飛び込んだ。

 こいつは戦いが苦手そうだし、隠れたのだろう。

 まぁ、良い。

 俺は、グッと拳を前にし出して叫んだ。


「やめろ、キジバト!」


 セルリアンは振り返って俺の姿を認めた後、言った。


「来ましたか、ヒュウマ」


 動けないはずの俺が来たと言うのに、少しも動揺した様子はない。

 まるで、俺が来るのが分かっていたかのような気さえした。


 一瞬、風が吹いて、俺たちの間をすり抜ける。

 廃墟の町の、ビルの隙間を通る風。

 乾いた、冷たい風だった。


「……こんなこと、もう止めろ」

「やめません」


 スズメを足からくわえているセルリアンの触手が、大きく飲み込む動きを見せた。

 もはやスズメの下半身は完全に触手の中だ。

 スズメは絶望の表情を浮かべながら呻いている。


「ぁ……ぅ……」

「ヒュウマちゃん! 助けて! スズメちゃんが食べられちゃう!」


 ペキニーズがわんわん泣く。

 どうする? 俺一人では助けられる気がしない。

 なら誰が?

 アメショーならっと、視線を動かしたが、どこにもいないようだった。


「周囲を気にしていますね、ヒュウマ。この状況が気になりますか? 教えてあげましょうか?」

「ちっ、ずいぶん余裕じゃないか」

「ヒュウマはクソザコですからね」


 セルリアンは表情を変えない。


「教えてあげます。奇襲に失敗したのです。まったく、スズメは大したものですよ。私のドロドロを受けても、ここまで飛べたのですから。取り逃がしてしまったアメショーはどこぞに潜んでいますが、別にそれは良いです。見てください、私の触手の数を」


 セルリアンが触手を持ち上げた。

 合計、三つ。いや、スズメを食べている触手を含めると、四つだ。


「一対一なら私が勝ちます。いくら相手がアメショーでも、この触手をいっぺんに使えば簡単に食べられます。大した問題ではありません。一匹ずつ、確実に食べます」


 ぐむぐむと、スズメが胸まで飲み込まれている。


「い、いやだ……助けて……! 食べられるの、いや……!」


 スズメの目から涙がボロボロとこぼれていた。


「き、キジバト、今すぐやめろって言ってるだろ! みんなを解放しろ!」

「ダメですね。私にはやめる理由がない」


 セルリアンは無表情な顔で、言葉を返してきた。


「そもそも、あなたは何がしたいのですか? 動物なんか大嫌いだと言っていたではありませんか。それなのに、止めろとは? あの状態から脱出してまでして、なぜここまで来たのですか? 遠くに逃げることもできたはずなのに、なぜ来たのですか?」

「……俺が、ヒトだからだ」


 セルリアンは、表情を変えず、淡々と言ってくる。


「やはり分かりませんね。ヒトと言うのはわがままで、自分の欲しいもの、したいことのために他のけものを傷つける生き物ではありませんか? 争う理由さえあれば平気で傷つけ、ヒト同士で戦い合う。相手を滅ぼすまで、徹底的にです。我々セルリアンと比べても、なお悪い。そもそもヒュウマは……」

「違うよ!」


 泣いていたペキニーズが言葉を遮った。


「ヒュウマちゃんがヒトだって言うんなら、ヒトがそんな悪い動物なはずないやい! ヒュウマちゃんはとっても優しいんだぞ! 時々酷いことも言うけれど、お腹が空いてるって言ったら、ジャパリまんだってくれるんだ! だから」

「うるさい! お前は黙ってろ!」


 俺はペキニーズの言葉をさえぎった。


 セルリアンが言っていることに、俺は反論なんて出来ない。

 ヒトの歴史は戦いばかりだ。

 政治や外交、色んな理由があったかもしれないけれど、争ってばかりの歴史だ。

 他の命を傷つけたりも、歴史から見たら日常茶飯事だ。

 ヒトが楽むために絶滅した動物も多い。

 個人を見ても、卑怯だったり、弱かったり、そう言うやつの方がずっと多いだろう。

 全部が全部そう言う奴ばかりではないが、基本的には愚かな生き物なのだ。

 それは俺だってわかっている。

 何かきっかけさえあれば、絶滅だってするだろう。


「良いか、ペキニーズ。このセルリアンの言う通りだよ。ヒトって動物は、勝手な奴ばっかりなんだ。自分たちのことしか考えてない。自分が得すること。自分がしたいこと。満足すること。そればっかりを求めて、ヒト同士でもケンカばっかりしてた。そんなケンカばっかりしてる動物がセルリアンみたいな化け物が現れた時に戦おうったって勝てるわけが無い。ヒトが絶滅したってことは、そう言うことなんだろ? そんな動物なら、この状況で逃げたって何もおかしくないだろうな。でもな。そんなもん、ヒトの一面性でしかないんだよ」


 俺は言葉を切って、笑った。


「キジバト、お前なら分かるだろ? ヒトはバカなんだ。それでいてわがままな動物なんだ。だから……自分がしたいことを叶えるためなら、例え負けると分かっていても戦っちまうのがヒトなんだ! 他の命の幸せを願ったのなら、全力をかけてバカなことをしちまうのがヒトなんだ! どんなに嫌いでも、他の生き物の命が大切だと思ったのなら全力で走れる! だから俺はここに来たんだ!」


 キジバトは静かにそれを聞き、俺が言い切ったのを確認すると冷静な声で言った。


「他の生き物の命が大切、ですか。なるほど、あなたならそうでしょう。あなたならば。しかし、あなたは……」


 何かを言いかける。が、言わない。


「まぁ、良いです。いずれ自分でだって気づくでしょう。私がセルリアンだと見破ったあなたならね。それはそれとしてヒュウマ、現実的な話をしましょう」


 セルリアンはグググっと触手を数本持ち上げた。

 その数は三本。

 どちらの口もこちらを向いている。

 まるで威嚇しているようだった。


「最後通告です、ヒュウマ。命が大切と言うならば、私に協力するべきです。協力してください」

「何だと?」

「理由は分っているでしょう? 私が保存すれば、命は永遠になります。命が大切だと思うなら、私に協力するべきです。私に協力してくれますね?」

「しない」


 俺は言った。


「俺はヒトだからわがままなんだ。嫌だと思った事とは徹底的に戦って、否定してやるぜ!」


 言い終わる前に俺は跳んだ。

 セルリアンとの距離を、一気に詰めたのだ。

 このタイミングで来るとは思っていなかったのか、セルリアンは硬直している。

 いや、俺自身も驚いていた。

 自分がこんなに早く、大きく動けるとは。


 ともかく、懐にさえ潜り込めば勝機はある。


「つぁ!」


 両手を組んで、突き出した。

 狙いはセルリアンの巨大なおっぱい。の、間にある石だ。

 しかし、その柔らかなふくらみに触れた瞬間、鞭のようにしなったセルリアンの触手が俺の横っ腹を打った。


「ぐっ……」


 俺は弾かれて、地面に転がった。


「あくまで、邪魔をすると言うのですね?」

「ち、ちくしょう、届かねぇ!」


 なんて巨大なおっぱいなんだ……!

 攻撃が全く届く気がしない。


 と、セルリアンが完全にこちらに向いた。

 四本目の触手も持ち上がり、スズメはゲロっと吐き出されて地面に落ちる。

 ペキニーズは山に埋もれてそのままだ。


「こいつらを食べるのは後回しにします。障害は先に排除するべきなので。ヒュウマは覚悟してください」

「ち、ちくしょう! 来るなら来やがれ!」


 俺は立ち上がると、距離をとった。

 四本ある触手の全てが俺を狙っている。


「さて、ヒュウマ? あなたは私に勝てますか?」

「勝てるさ! だが、今はその時じゃない」


 俺は振り返ると、走った。


「……っ! 逃げるのですか?」

「へっ! こっちにはお前をやっつける作戦があるんだ!」


 ハッタリだ。

 正面切ったって勝てるわけがない。だから、この場はいったん逃げる。

 だが、これは敗走ではない。


 勝つための逃走だ。

 作戦がまだ無いなら、逃げながら考える。逃げながらガンガン戦う。


 来いよセルリアン!

 動けないけものなんて放っておいて、追って来い!


「まったく、めんどうな。しかし良いでしょう。ここで取り逃がして隙を狙われるのも気に入りません。なので、挑発に乗ってあげます」


 セルリアンはふわりと宙に浮くと、そのまま音もなく追って来た。

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