ポテトコロッケには、肉は入ってません

 そもそも、わたしは20円のポテトコロッケが好きじゃない。


 理由は、肉が入ってないから。

 どうせなら、ちょっとだけ高いけど牛肉コロッケを買う。


「いらっしゃいませ! ポテトコロッケが、揚げたてとなっております。夕食の一品にいかがでしょうか?」


 だから、女王サマみたいにポテトコロッケで売り込む気にならない。


 好き嫌いの問題だってわかってしまっただけに、女王サマを見直してしまう。


 拭き終わった窓に映る自分の顔の情けなさといったら――笑うしかない。


 口うるさくて、腹立つことの方が今でも多い。やっぱり、稲葉と仕事してたほうが楽しいし。

 やっぱり続けるって言われたら、嫌だと思う自分もいると思う。


 本当に、笑うしかない。


「黒崎さん、ポテトサラダ、足りないんじゃない? もっと発注増やしたら」


「はい、わかりました」


 お立ち台代わりのコンテナから飛び降りる。


 やれやれだ。

 女王サマだって発注数いじれるのに、こうやって言ってくるんだから。



 ポテトサラダの他にも、何種類か微調整する。


「ふぅ」


 時計を見れば、もう6時前。


 フライヤーは全部片付けてあるし、片付け好きの女王サマは流しを磨いてる。


 なら、今のうちにちょっと売り場を確認してこようか。

 もう商品を補充することないけど、値引きのことも考えなきゃいけないし。


「いらっしゃいませ!」


 今日は広告日だったけど、開店時からお客さんが思うように来ない。

 売上も、あまり期待できない。


 でも、値引きはまだいいかな。


 ポテトコロッケのバットが1つ空になってる。

 片付けてしまおう。


「ちょっと、ちょっと」


「はい。なんでしょう?」


 いつもなら、お客さんの声で怒ってることくらい察することができただろうに。

 振り返ると、目くじら立てたマスクをした年配の女性客がいた。


「このコロッケ、肉入ってないの?」


「はい。ポテトコロッケには、肉は入ってません」


 何をそんなに怒ってるんだろう。理解できない。


「なんで、入れないのよ」


「と、言われましても……」


 ものすごく困る。

 そういうものなんだから、しかたないじゃないか。なんで入ってないかなんて知らない。元から入ってない。

 パート店員のわたしが、なんで入れないかなんてわかるはずがない。

 20円ということもあるからきっとコストの関係だとは思うけど、そんなことでこのお客さんは納得してくれないだろう。


「牛肉コロッケが、こちらにありますから……」


「20円じゃないじゃない」


「ですが……」


「ですが、なによ?」


 どうすればいいんだろう。これが、モンスタークレーマーってやつだ。

 とにかく、大きな声で騒ぎたいだけなのか。


「とにかく、肉の入ってないコロッケなんて、コロッケじゃないじゃない」


 そこまで言わなくてもいいじゃないか。

 牛肉コロッケも、かぼちゃコロッケも、カニクリームコロッケだって、30円追加するだけで買えるのに。


「アンタじゃ無理でも、上司がいるでしょ。上司に言って、肉入れなさいよ」


「さすがに、言っても無理だと思いますけど……」


「なによっ」


 だって、言うまでもない。

 上司――エリアマネージャーに言ってたところで、意味がない。エリアマネージャーだって、いろいろな店舗からのパートのおねぇサマ方に、常にアレコレ言われて、胃に穴があきそうっていう人なんだ。

 そんな人に言ったところで、スルーしてもらわないと困る。胃に穴があいてしまうから。


 でも、どうしろっていうんだろう。

 店長を呼んでこようか。普段、役に立たないけど、こういう時くらい……。


「ちょっと、どいてくれないか」


 その声は、マスクをした女性客クレーマーと同じくらい、怒りがこもっていたけど、静かで聞き覚えがあった。


「コロッケを買うのに邪魔なんだが、どいてくれないか」


「あ、はい」


 茶色の中折れ帽に、こんなに安心したことはなかった。


 コロッケじいさんが、間に入って一時中断したものの、女性客クレーマーは彼が去ったらまだ続ける気だろう。

 店長を呼んでこよう。


「おい、アンタ。余計なこと言うな。そこの牛肉コロッケ買ったらいいだろ。どケチババアが」


 吹き出して笑いだす声が聞こえた。いくつも。

 気がつかなかったけど、かなり人が集まってたようだ。

 横目で調理場を見ると、スイングドアのところで女王サマと店長がいた。心配そうにしているところを見ると、ちょうど店長を呼んでくれたところに、コロッケじいさんが来てくれたみたい。


 他のお客さんの意見を、コロッケじいさんは代弁してくれたんだろうな。


 一瞬で顔が真っ赤になった女性客クレーマーには、まだ安心できないけど、なにかあったら店長が間に割って入ってくれる距離にいる。


 ポテトコロッケを3つ詰めたビニール袋の口を縛りながら、コロッケじいさんはわたしに優しそうな笑顔をみせてくれた。


「おねぇさん、肉なんか入れてくれんでええからな。孫が肉アレルギーで、ここのコロッケは重宝してるんだ。美味いし、安いし、孫と好きなコロッケが食えるし、本当に、肉なんかなくてええからな。こんなドケチなババアのことなんか、気にせず頑張れよ」


 肉アレルギーなんてあったんだ。知らなかった。


 コロッケじいさんは、いつもより堂々とレジに向かっていったように見えた。


 女性客クレーマーが、それ以上文句を言えるわけがなかった。

 今度は恥ずかしさに顔を真っ赤にさせて、何も買わずに行ってしまった。


 急に、いつもの賑やかな売り場に戻ってこれたようなきがする。

 2人くらい、ポテトコロッケのトングを手にしてる。


 肉が食べられない人のことなんて、考えたことなかった。


 きっと、そんな人たちのためにポテトコロッケに肉が入ってないわけじゃないだろうけど。


 目頭が熱くなってきた。


 ヤバい。


 早足でポテトコロッケのバットを抱えて調理場に戻る。


 スイングドアのところには、もう店長はいない。


「すみません。お手洗い行ってきます」


 声が震えてないといいけど、きっと女王サマにトイレに行く理由くらいバレてる。きっとじゃない。間違いなく。


 悲しいとかそんなんじゃないのに、泣けてくる。


 わたしが肉が入ってないからポテトコロッケが好きじゃないなら、同じ理由で好きな人がいてもおかしくなかったのに。


 いつの間にか、複数の答えが見つけられない大人になってしまったのが悔しい。


「……もう、大丈夫、大丈夫」


 涙を拭って、調理場に戻る。


「黒崎さん、帰りなさい。そんな目で、仕事しないでほしいから」


「えっ」


 気持ちを入れ替えてきたつもりなのに、女王サマにはっきりそう言われた。


「今日で黒崎さんと仕事するのも最後だし、これから新しい人が来たって、当分、早く帰ることなんてできないでしょう?」


「じゃあ、お言葉に甘えて帰ります」


 女王サマが、さっきの騒ぎを聞いていないわけがない。もしかしたら、彼女なりに思うことがあったのかもしれない。だって、耳がちょっと赤い。


「今まで、お世話になりました。お孫さん、こっちにいるんですよね。たまには顔出してください」


「こちらこそ。もちろん、たまにだけど顔出すわよ。頑張ってね」


 お互いに恥ずかしい空気が調理場に流れるけど、嫌な気はしない。


 自然と頭が下がるのも、嫌な気はしない。



 『気にせず頑張れよ』


 『頑張ってね』


 そういつもいつも頑張れるわけじゃないし、頑張りたくない。


 ロッカー室で着替え終わっても、わたしはしばらく上の空だった。


 壁にかけられた鏡に映る自分が、マヌケな顔をしていて笑ってしまった。


 帰らないと。

 帰って、また明日から、頑張らないと。


「そうだっ」


 ポケットの中のスマホを取り出して、ロックを解除。






「……うん、女王サマが帰っていいって言ってくれたら……うん、うん。……ちょっとっ、ま、いいけど、死んでもいいわ! これでいい?……恥ずかしいに決まってるじゃないの。何言ってるの……そんなことより、今日ね、ポテトコロッケに肉を入れろって言うお客さんが来てね……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ポテトコロッケには、肉は入ってません! 笛吹ヒサコ @rosemary_h

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ