鰻! うなぎ! ウナギ! 本番

 そして、迎えた土用の丑の日。


 今年は、日曜日。

 当然、気合も入っている。


 阿知波の女王サマに言わせれば、逆に日曜日だから大型スーパーに行くか、外で食べるに決まっているから売れるわけがないらしい。

 そんなことを木村さんに直接言ってしまったものだから、休みにされた。当然だ。


「黒崎さん、もうすぐ出来るからパック用意しておいて!」


「はぁい!」


 木村さんの声に、いつもの余裕がない。

 女王サマの予想は、見事に外れた。

 つまり、ウナギはどんどん売れてる。

 開店から、ずっと忙しいらしい。


 もちろん、遅番のわたしもずっと忙しく動き回っている。


 ウナギがどんどん売れる。

 うな重やウナギの握り寿司なんかよりも、圧倒的に蒲焼きだ。


 慣れないウナギ専用のパックをラップして、値付けする。慣れる頃には、いつも土用の丑の日が終わってる。


「いらっしゃいませ! ただ今、ウナギの蒲焼きが出来たてとなっております。本日は土用の丑の日。ぜひご利用ください」


 すぐに売り場に並べる。

 国産は並べた途端に売れていく。違う。並べる前から奪い合いだ。ちょうど夕方5時過ぎで、お客さんが多かったのもあるかもしれないけど。


 それにしても、中国産は売れない。


 あれから、気になってネットで調べてみたんだ。

 『ウナギ 中国産 安全性』

 結局、何が危ないのかよくわからなかった。

 どこまでが本当で、どこまでがデマか、まるで見えてこなかった。

 中国産のイメージの問題かも。


「本日は土用の丑の日! ウナギの蒲焼き、出来たてとなっております。ぜひご利用ください」


 でも、わたしでも国産買うかな。


 だって、肉厚で美味しそうだもん。

 美味しそうって、結構重要なポイントじゃないかな。

 そっか、年に1度食べるか食べないかだったら、高くても国産買うっていうのもありかな。


 稲葉がもうすぐ休憩から戻ってくる。

 そうしたら、残ってくれている木村さんと岡野さんには、帰ってもらおう。


 その前に、がっつりウナギの蒲焼き、売り場に並べなくては。


「木村さん、後、国産の1尾入りを10パック、2尾入り8パックは欲しいです」


「おっけー。黒崎さん、強気じゃない」


 強気にもなりますとも。

 今日売らなければ、在庫抱えるだけだし。

 実際、かなりいい感じで売れてるし。


 なにより値引きを渋る女王サマがいないから、厳しいと判断したら好きなときに値引ける。


「めずらしいねぇ」


「あははは」


 岡野さん、めずらしいは余計。

 確かに、そうだけどさ。

 だから、笑ってごまかすしかないけど。


 攻めのウナギが出来上がる頃に、稲葉が休憩から戻ってきた。


「稲葉さん、ゴミ箱持ってきて片付け始めてて」


 わたしは、ウナギを売りに出してくるから。


「いらっしゃいませ!」


 きれいに並ばないから、重ねて並べなくては。


「いらっしゃいませ。本日は土用の丑の日。ただ今、ウナギの蒲焼きが出来たてとなっております! いかがでしょうかぁ!」


 なにしろ強気に攻めているから、出来たてを強調して売り込まないと。


「これって、国産?」


「はい。国産が出来たてです」


 さぁさぁ、買ってくれ、買ってくれ。

 梅雨明けしたし、スタミナつくかどうかは保証できないけど、買ってくれ、買ってくれ。



「今日の黒崎さんのこと、ちょっと見直しました」


「ふぇ?」


 突然、稲葉が妙なことを口走ったのは、閉店まで残り1時間の午後8時頃。

 国産のウナギは1時間以上前に値引かずに定価で完売。


 3割り引きの中国産が、1尾入り2尾入りあわせて5パック程度残っているくらいだ。


 そろそろ半額にしようかと売り場を確認してこようとした矢先に、稲葉が変なことを言うものだから、わたしも変な声が出てしまったじゃないか。

 うん。大丈夫。マスクのおかげで、ほとんど聞こえていないはずだ。はず。


 タレがこびりついた調理台を台拭きでキレイにしていた手を止めた稲葉の目は、笑っている。


「ここぞって時は、すごいなって」


「なにそれ。普段やる気ないみたいじゃない」


 年上をからかって楽しいかよ。


「違います。違いますって。普段から、女王サマ相手にしながらやることはやるとか、すごいですって」


「むぅ」


 なんか、褒めてくれているんだろうけど、素直に喜べない。


「いらっしゃいませ」


 売り場に出たのは、中国産のウナギを値引くためだ。

 稲葉から逃げてきたわけじゃない。

 断じて違う。


「本日、土用の丑の日。ウナギの蒲焼きが半額となります! いかがですかぁ」


 ついでにもう、全部半額にしてやる。


 別に半額にしなくて廃棄にしてもいいかって思ったりしたけど、半額にして売り切ってやる。


「いらっしゃいませ! ただ今より……」


 わたしは、ホントになにやってんだろ。


 中国産のウナギも、半額にしたけど完売。

 廃棄は、煮魚1パックだけ。


 うん。よくやったじゃん。


 ロッカーで着替えながら、自分を褒めてやる。


「…………あー」


 稲葉とは、あれから中国産の完売と、売上目標を大きく上回った売上を喜びあった。


『今日の黒崎さんのこと、ちょっと見直しました』


 思い出すつもりもないのに、ふと稲葉の声が蘇る。


 三角巾の下のヘアーネットのせいで、ぺたんこになった髪を手でかきあげて、軽くボリュームを出す。


「忘れよ」


 どうせ、稲葉だってすぐに忘れるだろし。


「帰りますか。……ふぇ?」


 カバンを持って、ロッカー室を出ると、なぜか稲葉が待っていた。


「なんで、先に帰らなかったの?」


「ああ。これ、俺1人じゃ食べ切れないから、黒崎さんにって思って」


 稲葉が、丈夫なマイバックから取り出したのは、ウナギの蒲焼きだった。3分の1尾くらいだけど、この美味しそうな厚みは、国産に間違いない。

 そういえば休憩の時に岡野さんにお願いして、3つに切ってもらったのを、1尾買っていたような気がする。


 けど、どうしてわたしなんかに?


「黒崎さん、たべてないですよね? せっかく、土用の丑の日なんだし」


 ファッションに気を使うような稲葉じゃないけど、やっぱりイケメンに困り顔されると断りづらい。

 確かに、ちょっとだけ食べてみたかった。


「ありがと。ちょっと待って、お金を出すから」


「お金はいいですよ」


「なら、美味しくいただくね」


 まだ店には少ないくない人数の人が残っている。こんな廊下で稲葉と2人で話してたら、変な噂がたちかねない。


 稲葉もお金はいいって言ってることだし、ありがたくもらっておこう。


「じゃあ、お疲れ様でした」


 いつもより、稲葉が足早に帰っていったように見えたのは、気のせいだ。


 もちろん、せっかくだから美味しくいただくけど、わざわざわたしのために初めから…………ないない。


 さすがに、ありえない。


 ありえないから。

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