鰻! うなぎ! ウナギ! 前哨戦
土用の
丑なのに、なぜウナギなんだろうって、いまだに不思議に思う。
スタミナつけるなら、焼き肉でもいいじゃないか。
誰か、焼き肉おごってくれないかなぁ。
まぁ、それは冗談だけど。
ウナギなんて、土用の丑の日に1年に1度しか食べない人もいるんじゃないかな。
だって、蒲焼き1尾に千円以上するんだから。
ようは、直前の土日はなかなか売れないってこと。
「だから、計画で出さなきゃいけないんだって」
「売れないってわかってて、出すなんて馬鹿みたいじゃない。わたしは、売上のことをちゃんと考えて言ってるの」
阿知波の女王サマが、1人で勝手に怒り出す日でもある。
来週の発注数を見なおしていた木村さんに、女王サマはしつこく食い下がってる。
休日ってことで、遅番も3人そろってる。
稲葉は女王サマが来たタイミングで、休憩に行ったけど。
くっそ、うらやましいじゃないか。
「黒崎さん、これ値付けして出して来て」
「はぁい」
岡野さんにチキン南蛮を出すようにお願いされて、餃子の
木村さんと、女王サマの話し合い――というか、女王サマが勝手に怒りをぶちまけているだけだけど――の声が聞こえないところに行けるのはいいことだ。
「いらっしゃいませ」
実のところ、ウナギの蒲焼きは朝から1尾入りを5パックしか出してない。
でも、今も平台の売り出しスペースには4パック残ってる。
タレたっぷりのウナギの蒲焼きの前を通り過ぎる時、ちょっとだけ口の中にヨダレがたまる。
「いらっしゃいませ! ただ今、チキン南蛮出来たてとなっております。ぜひご利用ください」
ついでにウナギもって、言おうかどうか迷ったけど、やめた。
あまり期待できそうになかったし、ついでにしては値段が高い。
女王サマさえいなければ、1割か2割くらい今から値引けるのに。
「すみません」
「はい」
調理場に戻ろうとしたら、ショッピングカートに子どもを乗せた女のお客さんに、呼び止められた。
どう考えても、わたしよりも若い。
ウナギを指差しながら、首を傾げる。
「これって、国産?」
「国産です」
書いてありますよ。と、続きは心の中で。
「そうですかぁ。ありがとうございます」
ママさんが迷っている間に、お子さんは立ち上がっている。
最近、多いな。
ショッピングカートの下のカゴを置く部分にもいるし。
わたしがやったら、即母に泣かされただろうな。
調理場に戻る前に、定額で2パックお買上げいただきました。
ありがとうございます!
女王サマ、残り2パックですよ。って、心のなかでニヤニヤしてしまう。いや、マスクの下でニヤニヤしているか。
それにしてもなんで普段は産地を気にしない人まで、ウナギには敏感なんだろう。
安い中国産ではなく、国産のほうが人気がある。というか、中国産は売れない。
餃子の焼台をスポンジでこすりながら、考えてしまう。
何年か前に、中国産ウナギの安全性が騒がれたのは覚えている。
でも、もう何年もたっている。
わたしもだけど、今の中国産ウナギの安全性なんて、ネットでも調べたことない。
実際に、調べた人なんてあまりいないんじゃないかな。
じゃあ、イメージの問題かな。
まだ、女王サマが木村さんに食い下がっている。
もう、木村さんの契約時間過ぎているんだし。
「黒崎さん、あたし、帰っても大丈夫かな?」
「わたしは、大丈夫ですよ」
でも、女王サマは知りません。ってのまで、しっかり岡野さんに伝わったようだ。
眉間にシワを寄せている。
岡野さんも、もちろん契約時間を過ぎてる。
ただ、女王サマに直接尋ねるのが、岡野さんは嫌なんだ。
「木村さんに、言えばいいんじゃないですか?」
「なっるほどねぇ」
リーダーの木村さんなら、大丈夫だろう。
眉間のシワが一瞬で消えて、岡野さんは上機嫌になる。
「じゃあ、おっつかれさまでぇす!」
「お疲れさまです」
早速女王サマの話をさえぎって、岡野さんが木村さんと交渉している。
「……黒崎さんも、帰っていいって言ってるし」
岡野さん!
ひと言多いよ。
もちろん、岡野さんはそのまま帰っていった。
それはいいんだ。いいんだけど、女王サマがどう思うか。予測不可能。
元をただせば、女王サマが木村さんを捕まえて言いたい放題してくれたせいで、岡野さんが残ってくれてたんだけど。
憂鬱だ。
焼台の蓋をして、ため息をつく。
さすがに、実質わたし1人になったから、不完全燃焼のまま、女王サマはこっちに来た。木村さんは、やっと解放されたみたい。
「まったく、ウナギなんて売れるわけがないのに」
「でも、阿知波さん。残り2パックですよ」
「2パックも!」
半分以上、定価で売れてもこれだ。
「じゃあ、2割くらい値引いてきますよ」
「まだ5時にもなってないじゃない。早すぎるわよ」
値引きを提案しても、これだ。
どうしろっていうんですかい!
ま、いつものことだけど。
今日も今日とてお片付け大好きな女王サマは、プラトレイを流し台に運んでいる。
売れてないなら、値引けばいい。
みんな、そう考えるんだけど、女王サマはそう考えない。
この職場に来て間もないころに――つまり女王サマだということを知らない頃に、なぜ値引きを渋るのか直接尋ねたことはある。
『もしかしたら、値引かなくても売れたかもしれないのに(以下略)』と、30分近く説明してもらったけど、1割も覚えていない。
なぜ、値引いて売れてから定価で売れたかもしれないとか、おっしゃるのか謎。
そろそろ、ポテトコロッケを補充しなきゃ。
「いらっしゃいませ!」
バットに揚げたてのポテトコロッケをぎっちり100個並べると、意外と重い。ついつい早足になる理由の1つかもしれない。
ちょうど惣菜売り場の近くにお客さんが集まっていたから、売れる売れる。
1個20円。もちろん、税抜きだけど、10個買っても200円と消費税が少々。
同じ平台には、ウナギがまだ2パック。
お客さんがいるうちに、値引けばいいのに、女王サマがそれを許さない。
ならば――。
「店長、店長ぉ」
搬入口の片隅にある喫煙所に、案の定、いた。
「おう」
スマホを手にタバコを咥えたまま、動こうとしないのはいつものこと。
『ひと度、腰を下ろしたら、もう立ち上がれません!』――そんなキャッチフレーズがぴったりな姿。
「ウナギ、2パック残っているんですけど、少しだけ値引いてもいいですか?」
「うーん。まだ、5時前かぁ」
「お客さんがいなくなってから、半額にするよりマシだと思って」
女王サマほどじゃないが、わたしもたまにやる気あるのかと考えてしまう店長だ。
「いいんじゃない」
「ありがとうございます!」
女王サマに文句言われても、店長の許可もらっているからって言いますからね。
急いで売り場に戻らねば。
「いらっしゃいませ! ただ今、ウナギの蒲焼きがお買い得になております。ぜひご利用ください」
調理場の方から視線を感じるけど、気にしない。
だって、店長に相談してきたし。
「もう、ウナギ、売れたんですね」
休憩から戻ってきた稲葉が売り場を確認するなり、上機嫌でそう言ってきた。
女王サマは、面白くないらしく黙々と片付けを続けている。
わたしは、本日最後のポテトコロッケを並べながら首を縦に降った。
「2パックは1割だけ値引いたけどね」
「よか……」
「稲葉さん、寿司そんなに残ってなかった?」
ちゃんと察してくれたようで、稲葉はチラッと窓を拭いている女王サマの背中に目を向けた。
「残ってなかったと思いますよ」
稲葉も、かなり女王サマの扱い方に慣れてきたようだ。
もちろん、まだまだだけど。
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