8月

暑い暑いって言ってると

 日本の夏。


 わたしは海外に行ったことないから比べられないけど、蒸し暑さが多分それ。


「戻りましたぁ」


 たまに、知り合いとかから『お惣菜屋さんって、夏とか暑くて地獄じゃない?』って言われる。

 うん、違う。

 そういう地獄みたいなところもあるかもしれないけど、少なくともスーパーマーケット『ウィングル』の惣菜部門は、そうじゃない。


 そもそも食中毒とかに敏感になるこの時期に、そんな灼熱地獄で食品を扱ってみなさいよ。

 考えるだけで、ゾッとするじゃないか。


 冷房をガンガンにかけても、確かにフライヤーの近くは暑い。でも、それは1年中同じことだ。


「じゃ、俺、休憩行ってきます」


「「いってらっしゃぁい」」


 糸田さんと声が重なる。

 手洗いして濡れた手をペーパータオルで拭きながら、わたしは稲葉を見送る。


 と、イカリングフライを揚げていた糸田さんと目が合う。


 マスクと三角巾で顔が隠れてるのに、目元だけでニヤッと笑ったのがわかる。


 ――逃げよう。


「いらっしゃいませ」


 糸田さんの目は、しっかり『若いっていいねぇ』って言ってたよ。

 まぁ、すっとぼければいっか。


 3分の1のウナギのお返しが、できてない。

 なんだか1週間以上経ってしまったら、今さら何かっていうのも気まずい。

 お返しってことじゃなくて、機会があったら何かすればいいような気がしてきた。


 あーあ。ほんといつまで引きずってるんだろう。

 稲葉と喋ってるときは、普通に話が面白くて忘れちゃうんだよなぁ。


 夏は、日が長い。

 それに、暑い。


 遅い時間までお客さんが来る。


 糸田さんが帰る前に多めに作ってもらったホットの商品を整理しながら、気持ちを切り替える努力をする。


「おねぇさん、おねぇさん」


「はい」


 すぐ横で声をかけられて顔をあげると、コロッケじいさんがいた。


「今日も暑いね」


「暑いですねぇ」


 まずは、やっぱり帽子をどうにかしような。麦わら帽子とは言わないけど、色合いも素材が厚手のフェルトってのが、暑苦しい。


「暑い暑いって言ってると、余計に暑くなるけどなぁ」


「……ですね」


 そっちが言い出したんだろう!

 なんて、声に出して言えるわけがない。


 平常心だ。平常心。


 落ち着け、わたし。


「こんな時に寒い寒いって言っても、ちっとも寒くも涼しくならないですよね」


「ははははっ。そりゃあ、そうだ」


 どうやら、コロッケじいさんは気がすんだらしい。じゃあと会釈をして、いつものようにポテトコロッケを袋につめる。絶対に、牛肉コロッケや、かぼちゃコロッケは買わないんだよね。


 調理場に戻る頃には、どう売り切ろうかで頭の中が一杯になってた。


 値引きのタイミング、追加で補充する商品、フライヤーの電源を切るタイミング。

 閉店時間から、逆算してざっくり計画を立ててく。


「黒崎さん」


「はい。あ、すみません」


 イカリングフライをちょうど、売り場に出そうとしていた糸田さんと、スイングドアのところでぶつかりそうになった。


「いえいえ~。……いらっしゃいませぇ」


 糸田さんの目が、なんだか怖かったような気がする。


「うわぁ」


 どうしよう。

 絶対にこれはあれだ。


 誤解されてる。


 わたしが、稲葉に気があるように誤解されてる。


 こんなことなら、ウナギの蒲焼きなんてもらうんじゃなかった。



「戻りましたぁ」


「おかえり」


 糸田さんと入れ違いに戻ってきた稲葉は、げんなりしてプラトレイを洗っているわたしに、ぎょっとしたような気がする。うん、気がするだけ。

 売り場の確認に行った稲葉が、いつもよりも早く戻ってきたような気がする。うん、気がするだけ。


 なんで、わたしはこんなに稲葉のことを気にしてるんだよ。


「黒崎さん。大丈夫ですか?」


「なにが?」


「すごい疲れているみたいですけど」


 そりゃあ糸田さんに、あれだけ稲葉が好きなのかとか、ありえない話をされたら疲れますとも。

 さすがにそんな原因、稲葉に言えないけどね。


「ちょっと、コロッケじいさんの話に付き合わされて疲れただけ」


「ああ、あの人ですか」


 稲葉も、何度もコロッケじいさんの話に付き合わされている。だから、それ以上追求してこなかった。


 調味料の残りを確認しながら、稲葉はため息をつく。


 あれ? 久しぶりに稲葉がため息ついたような気がする。気がするだけ。


「黒崎さんは、暑いって、ついつい言っちゃいませんか?」


「無意識に言っちゃうよねぇ」


「そしたら、すかさず『暑い暑いって言ってると、余計に暑くなる』ってウザいこと言われません?」


「言われるよねぇ」


 思わず、マスクの下でクスって笑ってしまった。

 だって、ねぇ。


「そういう時は、わたしは『だからといって、寒い寒いって言っても、寒くも涼しくもなりませんよね』って、屁理屈言ってやる」


「さすが、黒崎さんです。いただきです」


「どうぞ、どうぞ」


 稲葉は足りない調味料を取りに、冷蔵庫に向かう。


 そういえば稲葉はどうしてこんなことろで、パートタイマーなんてしているんだろう。


 尋ねるのは、きっと簡単だ。

 『稲葉さんは、どうしてここで働いてるの?』そう言えばいいだけだ。


 でも、それって暗にもっといいところで働けと言っているようなものだってことは、わたしは身にしみてよく知ってる。


 わたしだって、そう言われてきたんだから。今だって――。


 短い高校時代に、今思えばバカバカしいことで不登校になって、高校中退。早すぎたドロップアウトのせいで、今ここにいるんだけど。


 きっと、よくある話。


 でも、あまり話したくない話。


 ――てか、なんで稲葉のことばかり考えているんだよ。


 だめじゃん。


「そうだ。ポテトコロッケ、そろそろ補充したほうがよかったけ」


 あえて声に出して、気持ちを仕事に向けて切り替える。


「いらっしゃいませ」


 冷蔵庫から出てきた稲葉を、つい目が追いかけてしまった気がする。気がするだけ。気がするだけ。

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