若い頃があったんです

 離婚って、結婚してないとできないよね。できないよね?


「稲葉さん、もしかしてバツイチ?」


「バツイチです」


 流しでディスペンサーを洗いながら、稲葉はそっけなく答える。


 ソース色に染まった台拭きを、もったいないって思いながらゴミ箱に捨てて、どうすればいいのか考えた。考えたんだけど、答えが見つからない。


「今だから言えるんですけど、俺だって若い頃があったんです」


 わたしから見れば稲葉も若いけど、それを言ったらおねぇサマ方と同じだ。

 ここは黙って聞いていたほうがいいんだろうか。

 売り場も気になるけど、お客さんがまとめて押し寄せてこない限り、大丈夫。……たぶん。

 女王サマのお話を聞くときも、こうやって手を止めて話を聞いてたりするから、長過ぎる話じゃなければ、大丈夫。……たぶん。


 なんてさんざん言い訳を考えてるけど、気になってるだけだ。好奇心ってやつだ。


「美樹は、まぁ、幼なじみってやつで、幼稚園から高校まで一緒だったんです。つき合いだしたのは、高校入ってからでしたけど」


 稲葉が早口になってるのは、恥ずかしいからかな。マスクで顔の半分が隠れてるけど、なんとなくそんな気がする。


 てか、無理して話さなくてもいいのに。


「若気の至りっていうか、誤りっていうか、高校卒業してすぐに結婚したんです」


「ふぇ?」


 ちょっと待って!

 稲葉の二度とやりたくないバイトランキングよりも、ついていけない。


 でも、稲葉は待ってくれなかった。どんどん話を進めてく。


 てか、親に反対されるでしょ、普通!


「俺の親は自分たちが学生結婚だったり、姉貴どもを進学させたりで苦労したりしたから、むしろ高卒で独立は大歓迎だったんですよ。美樹の親も、はじめは反対したけど、俺ならって」


「……うわー」


「ほんと、うわーですよ。今思えば」


 どんどん稲葉の口調は加速して、加熱してく。


「頑張ったんですよ、俺。バイト掛け持ちしたりして、頑張ったんですからね! でも、3ヶ月しかもたなかったんですよ」


「……うん」


 3ヶ月の間に何があったのか、あえて尋ねることもないだろう。

 当時のことを思い出してか、稲葉はがっくりとうなだれて元気をなくしてしまった。


「ってことで、最終学歴、高卒。ろくな資格なし。カッコつけて実家出てきたから、出戻りもできない」


 そっか、だから前に――。


「前に結婚したくないって言ってたんだ」


「そうですよ。二度と結婚するもんかって


「へぇ」


 あれ?

 『二度と結婚するもんかって』って、過去形になってた気がするけど、気のせいだよね。大した意味なんてないよね。


「黒崎さんって、面白いですよね」


「ふぇ?」


「いえ、なんでもありません」


 クスッと稲葉が笑ったような気がした。

 復活するの、早っ。


「俺、売り場見てきますよ」


「あ……、お願い」


 わたしも、ソースを補充しないと。


「……黒崎さん。ついでに言っておきますけど、美樹のやつ、先月ほかの男と再婚したらしいです。……いらっしゃいませ!」


 なんで、わざわざ足を止めてそんなこと言うんだ。


 わけわかんない。



 稲葉みたいな若いイケメンがどうしてこんなところで働いているのか、確かにずっと気にはなってた。


 うん。なんか、すごかった。


 あの後聞かされたんだけど、稲葉が美樹さんと再会したのは、成人式以来のことだったらしい。

 全く連絡を取ってなかったって言うから、本当に偶然だったみたい。


「いらっしゃいませ」


 衝撃的と言えば、衝撃的なこともあったけど、こうして8時過ぎには残った商品を半額にしたりしてるから、仕事はできるんだな。――なんて、変なことを考えてしまってる。

 社畜ってやつ? 違うような気もするけど。


「これ、なる?」


 健康サンダル女の大きな独り言も、いつも通り聞き流せるし。


「ちょっと!」


「はい。なにか、ご用ですか?」


「これ、半額になるって、さっきからお願いしてるんだけど!」


「こちらの商品ですね」


 お願いなんてされてませんけど。命令口調でよく言いますね。――なんて、本音は言えないけど。


 さっき半額にしたばかりのチキン南蛮だけ、半額にする。仕方ないからね。


「こっちも」


「そちらの商品は、まだいたしません」


 どさくさにまぎれて助六寿司までとは、いい度胸じゃないか。――これも、胸の中だけで。


何時いつになったら、半額にするの」


「時間で決めてません。その日の売れ行きなどを考えながら、値引きをいたしますので」


「フンッ」


 フンッじゃないよ。まったく。――危ない危ない。声に出してしまうところだった。


 たとえば閉店1時間前の8時とかに全部半額とか決めたら、8時以降にしかお客さんが来ないじゃないか。

 てか、これで何度目だよ!


 やれやれ。

 それにしても、バシュバシュうるさいなぁ。


 健康サンダル女にはああ言ったけど、実は値引いても別によかったんだ。

 やっぱり、そこは頼み方しだい。

 お客さまは神様じゃない。もちろん、従業員のわたしたちだって。

 厄介なお客さんは、接客業かなにかやったらいい。そうすれば、店員に優しくなれるはずなんだ。


 『二度と結婚するもんかって

 いけない、いけない。馬鹿みたいにいちいち稲葉の言ったことなんて、気にしてたらいけない。


「いらっしゃいませ!」


 明日のために平台にバットを並べに来た稲葉に、気にしちゃったことバレたら、恥ずかしすぎる。


 『二度と結婚するもんかって

 いけない、いけない。またリフレインしちゃった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る