10月

ソース、ソース!

 ちょっと、不思議なんだけど、ゴールデンウィークはGW。なのに、シルバーウィークをSWって略してるのって、あまり見たことない。


 やっぱり、あのSF映画と重なるからかな。


「じゃあ、お先にぃ」


「「お疲れ様です」」


 夕方の5時前、岡野のおねぇサマが帰っていった。


 つまり、今から稲葉と2人ってことだ。


「稲葉さん、それで今日の在庫終わりだから」


「はーい」


 岡野さんからポテトコロッケの補充を引き継いた稲葉にひと声をかけて、わたしは売り場を確認しに行く。


「いらっしゃいませ」


 平日の夕方。

 アフターファイブなんて、わたしにとって死語そのものだ。

 お客さんだって、5時過ぎから増えるとは限らない。

 それでも時間の目安の1つとして、夕方の5時がある。


 あくまで、目安だけど。


 今日は、天気もよかったから寿司がよく売れてる。


 寿司――特に握り寿司の盛り合わせは、さすがにワンコインじゃ無理な値段だから、1割、2割値引いたくらいじゃ、なかなか売れない。

 3割値引いてようやく売れたりする日もある。

 ただし、タイミングを間違えて早めに値引くと、一瞬でなくなる。悔しさしかない。

 逆に、タイミングを逃して売れないと、最終値引き額の半額にするしかなくなる。疲労感しかない。


 今日はいい感じで売れてる。よしよし。


「いらっしゃいませ」


 稲葉がポテトコロッケのバットを取りに、売り場に出てくるのを、また横目で見てしまった。


 馬鹿みたい。

 これじゃ、まるでわたしが稲葉に恋をしてるみたいじゃないか。


 ないない。

 稲葉は、ただの同僚。この間から、何回再確認すれば気がすむんだ、わたしよ。


「あー」


 寿司売り場の商品をキレイに整えてたら、刺身の盛り合わせが混ざってた。


 多分、離れた売り場に戻しに行くのが面倒だった、お客さんが置いて行ったんだろうな。

 そのくらい、自分で戻してよ。


 水産部門のチーフがいないことを願う。

 だって、苦手なんだ。


「すみません」


 水産のバックヤードに声をかけるけど、返事がない。

 電気はついてるから、帰ったわけじゃない。


「すみません。お寿司のところに刺し身が置いてあったんですけどぉ」


 物陰でゴソゴソ動く人影を見つけた。

 チーフ、いたよ。


「ここに置いておきますね」


 1番近くの作業台に刺し身のパックを置いても、返事がない。


 いつものことだ。言うこと言ったし、さっさと戻らなくては。


 水産の痩せすぎなチーフ柳田は、稲葉と同じくらいの歳の男だ。

 第一印象は、10人中9人が根暗って答えそうな表情カオをしてる。

 水産のパートさんや、店長、他の部門のチーフやリーダーくらいしか、コミュニケーションを取ろうとしない。だから根暗な第一印象に、何を考えてるのかわからないが追加される。


 売り場に戻らずに、バックヤードを移動して調理場に戻る。


 今日は6時まで、フライヤーの電源はつけておくつもり。

 もしかしたら、追加しなくちゃいけないかもしれないから。


 調理場に戻ってくると、稲葉は売り場に本日最後のポテトコロッケを並べてるところだった。


 ソースのディスペンサーがほぼ空っぽだったから、調味料を補充しないと。



「……あれ?」


 声に出てたのに気がついたのは、耳で聞いたから。そのくらい自然に声が出てた。


 ソースの入った袋の角を切りながら、なかなか稲葉が戻らないと思ってたら売り場でお客さんに捕まってた。

 よく見かける光景だ。店員がお客さんと話してる光景なんて。

 ただ、稲葉が同じくらいの歳の女の人と親しげに話に夢中になっているのは、初めてだ。

 窓の向こうの稲葉の肩越しに見える女の人は、わたしと同じような背格好だけど、かわいい顔なのにすごく落ち着いてる雰囲気。

 わたしに背中を向けてる稲葉が冗談を言ってるのか、彼女は時どき笑いながら稲葉の腕を叩いてる。

 彼女は――って、カノジョ?

 そ、そうだよね。稲葉、お姉さんがいるって言ってたけど、どう考えてもお姉さんって感じじゃないし。稲葉みたいなイケメンに、カノジョがいない方がおかしいし。


 あ、カノジョさんと目があった。

 気まずいと思うよりも早く、カノジョさんは可愛い顔にふさわしい笑顔で軽く頭を下げた。

 つられて頭を下げてしまったのは、何も考えてなかったから。無意識だった。


 カノジョさんの視線を追って振り返った稲葉が、ものすごく慌てててこっちに来る。


 別にカノジョさんなら、もっとゆっくり話しててもいいのに。


「黒崎さん! ソース、ソース!」


「ふぇ? あぁーーーーーーっ」


 ソースが作業台にこぼれてた。ディスペンサーには、ソースがかろうじて半分だけ入ってた。


「台拭き、台拭き!」


 こういう時に限って、どこにおいてあるのかすぐにわからない。


「ここにありますよ」


「あっ」


 作業台の反対側から稲葉が、作業台にできたソースの池に台拭きをかぶせる。


「稲葉さん、ありがとう」


「いいんですよ。それより黒崎さん……」


 稲葉は肩を落とした。


「美樹のこと、誰にも言わないでください」


 美樹って名前のカノジョさんだったらしい。


 脳みその回路と、感情が乖離してしまったみたい。


 決まり悪そうに稲葉は、ソースを吸った台拭きをゴミ箱に捨てる。


「……カノジョとか、そういうんじゃないです」


「そうなんだ。じゃあ……」


 元カノとか?

 なんで、こんなに脳みそは真面目に仕事してるんだろ。てか、脳みそくらいは仕事してもらわないと。


「元カノでもないです!」


「ふぇ?」


 新しい台拭きでソースを拭きながら、稲葉はきっぱりと否定した。


 びっくりした。なんか、急に大きな声出すから。


「黒崎さん。黒崎さんなら、変なこと言いふらさないって信じてますけど、誤解してほしくないから言いますけど……」


 カノジョでも、元カノでもないなら、後はやっぱり稲葉のお姉さんだったのかな? ……ぼんやり考えてたわたしは、稲葉の真剣な視線とぶつかって、心臓が跳ね上がる。


「美樹は、俺と離婚した元妻です」


「へぇ」


 そうだったんだ。離婚し……。


「ふぇえええええええええええええええええええええ!」


「黒崎さん、ソース、ソース!」


 慌てて手元を見ると、半分だけ入ってたディスペンサーを倒してしまってた。


「あぁあああああああああああああああああああああ!」

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