今年のバイオリズムは

 『月が綺麗ですね』


 稲葉の大馬鹿野郎が変なこと口走るから、昨夜はろくに眠れなかったじゃないか。……嘘。しっかり、がっつり、睡眠時間は確保してましたよ。


 幸か不幸か、翌日の今日は稲葉は休み。

 どっちにしたって、『あれって、どういう意味?』なんて、訊けるわけがない。


 だって、そうじゃないか。

 暗に『I LOVE YOUって意味じゃないの?』って言ってるようなもんじゃないか。


 ありえない。ありえないってわかってるのに、気になってしまうんだ。

 馬鹿みたいに。


「黒崎さん、ポテトコロッケ見てきて」


「あ、はい」


 休憩から戻ったばかりなのに上の空だったのが、女王サマにバレてなけりゃいいんだけど。


 今日のわたしは、ずっとこんな調子。


「いらっしゃいませ」


 ポテトコロッケのバットが1つ、ほぼ空っぽだった。

 まだ岡野さんが帰ったばかりの夕方の4時半。


 急いで補充しないと。



 本当に、今日のわたしはどうかしてる。


「黒崎さん、もういいから片付けやって」


「……はぃ」


 ここまで派手なミスなんて、久しぶりだ。

 揚げすぎて真っ黒になったポテトコロッケのなれの果てに、ちょっと泣きたくなった。


 呆れてるのを隠そうともしない女王サマから逃げるように、ゴミ箱を取りに行く。


「なにやってるんだろ」


 いや、普通に仕事すればいいんだ。てか、しなくちゃいけないんだ。


「いらっしゃいませ! ただ今、ポテトコロッケ、揚げたてとなっております。いかがでしょうかぁ」


 調味料を補充してるわたしの耳に、女王サマが売り込んでいる声が届く。


 1個20円って事もあって、『ウィングル』惣菜部門の看板商品ってこともあって、黙ってても売れる。だから、売り込まないんだけど、女王サマは違う。

 いつもなら、頑張ってるなって思うだけなんだけど、今日はダメだ。

 メンタルが弱ってるのかな。


 そう言えば、9月とか10月って、毎年なぜか憂鬱な気分になる。

 バイオリズムってやつ?


「黒崎さん、グリーンサラダの発注、見直したほうがいいんじゃない? 最近、早くに売り切れてるわよ」


「はい」


 調理場に戻ってきた女王サマに、むかっ腹を立てる気すら起きない。


「いらっしゃいませ」


 サラダの売り場をざっと確認しないことには、発注数の見直しなんてできない。


 今年のわたしのバイオリズムは、例年に比べて大幅に低下してます。――なぁんて、ね。くだらない冗談を心のなかでつぶやいたら、気が楽になった気がする。


 確かに、グリーンサラダの発注数は増やさないと。でも、ポテトサラダと中華サラダは、減らそうかな。


「「すみません」」


「はい」


 調理場に戻ろうとしたら、小学生くらいの姉妹に声をかけられた。


「「108円のレタスが入ってるサラダ、ありますか?」」


 色違いのワンピースで、色違いの猫のキャラクターのポーチ。

 バイオリズムがダダ下がりして今じゃ、かわいいなんて思う余裕すらない。

 ただ、108円のレタスが入ってるサラダなら、ある。

 ちょうど今、売れ行きを確認に来たグリーンサラダだ。それしかない。


「それでしたら、こちらの商品になります」


 目の前にあるのに、というのは、心の中だけで。


 グリーンサラダを手に取った姉妹に、単純な話でよかったと胸をなでおろさずにはいられない。


 小さなお客さんの捜し物は、かなりアバウトなことが多い。

 適当に当たりをつけて、商品の場所まで案内するけど、違う違うって店内を一周することもある。いや、下手したら一周以上だ。


 そんな困った小さなお客さんに比べたら、まだマシだ。


 サラダの売れ行きも確認したし、後は調理場に戻っって発注数を――。


「「すみませぇん」」


「……はい」


 まだ、なにか?

 ありありと、声にならない言葉が声にこめられたたはずだ。


「「これ、ちがーう」」


「え?」


 いちいち声を揃えられても困る。てか、聞き取りづらい。


「「ニンジン入ってるから、ちがーう」」


「……」


 確かに、グリーンサラダには色目よく程度に千切りのニンジンが入ってる。色目よく程度に。

 でも――。


「でも、108円のサラダは、このグリーンサラダしかないから」


「「でも、ちがーう」」


 なにが!

 わたしがここで働く前から、グリーンサラダにニンジンは入ってましたよ。


「ママにお願いされたのは、レタスが入ってる108円のサラダだもん」


 赤いワンピースのお姉ちゃんが、店員のくせに間違えるなんてって顔してる。黄色いワンピースの妹ちゃんも、コクコクうなずきながら、同じ顔してる。


 被害妄想かもしれないけど気持ちに余裕ないから、今のわたし。


「もう1度、ママにニンジン入ってるけどいいかって、訊いてきてくれる?」


「「えぇ~」」


 どうせ、こんな子ども2人で来たわけじゃないだろう。駐車場で、ママが待ってるはずだ。


「ダメだったら、他の商品にするか他の店に行ってもらってね」


「「えぇ~」」


 さっきよりも、大きな声を揃えて、姉妹は不満をぶつけてくる。


 どうしろっていうんだ!


 結局、わたしを使えない店員と判断したかどうかはわからないけど、お姉ちゃんは妹ちゃんの手を引いて、どこかに行ってくれた。

 そっちは、出入り口じゃないんだけど。


 ため息でもつかなきゃやってられないよ。


 ベビーカーにお孫ちゃんを乗せたおばさんと目があった。

 『大変だね』

 目があっただけなのに、そう言ってくれたような気がするんだ。


 頭を軽く頭を下げたまま、調理場に逃げる。


 すみません。今日のわたし、バイオリズム低下しすぎて、涙腺がもう……。


「阿知波さん、お手洗い行ってきます」



 情けない。

 馬鹿みたい。

 最悪だ。


 発注数を訂正するなんて、簡単な作業なのにいつもより時間がかかってしまった。


「黒崎さん、明日のポップ用意したら帰ってもいいわよ」


 女王サマの声が、いつもより優しく聞こえる。


 まだ6時にもなってない。

 やることは、いっぱい残ってる。


 でも、今日は女王サマのお言葉に甘えさせてもらうことにする。


「ありがとうございます」


 トイレにしばらく篭って戻ってきたときも、ポップを用意してる間も、女王サマは何も言わなかった。



 いくら、1年で1番絶不調な時期だからって、これ以上、甘えたくない。

 女王サマにじゃなくて、わたしに、だ。


 バイオリズムがどうこうとか、言い訳してられない。


 早く帰ることができたんだから、心機一転、明日からまた頑張ろう!

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