台風の後だけど
毎年、1回は台風直撃の日に出勤してる気がする。
今年初の台風と出勤日が重なったのは、9月ももうすぐ終わる頃だった。そう考えると、今年は運がいい。
「いらっしゃいませぇ」
閉店直前並みに、ガランとした店内に虚しく稲葉の声が響いた。
「これ、やばくないですか?」
稲葉は、すぐに調理場に駆け込んできた。
そりゃあ、ね。
夕方のお客さんが増え始める5時に、これはビビるよね。
もちろん、台風が来るってわかってたから、商品の数だって朝から抑えてる。
「でも、黒崎さん、台風、ほとんど通り過ぎましたから、これからですよね?」
プラトレイを洗うわたしに、救いを求められてもなぁ。
「期待しない方がいいよ。テレビでまだ、吹き返しの風がどうこう言ってるだろうし」
「……マジですか」
がっくりと肩を落とす稲葉だった。
あれから、もちろん春の頃のようにとはいかないけど、普通に稲葉と仕事できるようになった。
稲葉も、あれから変なこと言わないし。
あの発言はなんだったんだろう、なんて考えちゃダメ。そう決めたんだ。
「じゃあ、俺、ゴミ箱、取ってきますね」
フライヤーの電源も、早々と切ってある。
これ以上、作ったら負けだ。
稲葉がゴミ箱を取りに行ってる間に、どの商品を、どのタイミングで、どれだけ値引くか、シミュレーションする。
いくらまだまだ暑いからって、天気が悪いと、寿司を売りづらい。
実際、握り寿司はもちろん、お手頃な助六寿司、いなり寿司も残ってる。
やっぱり、寿司は早めに値引かないときついかな。
「稲葉さん、寿司を値引いてくるから、中のことお願い」
「わかりました」
ゴミ箱をひきずってきた稲葉に調理場をまかせて、寿司の値引きに取りかからなくては。
「いらっしゃいませ!」
ガランとした店内に虚しくわたしの声が響く。
台風も通り過ぎて、1時間くらい前に警報も全部解除されたはずなのに、これだ。
テレビ離れとか、ゴミ扱いされても、しっかり影響力あるじゃないか。
まったく、どうしてくれる。
さすがに、今から半額は気が引ける。まだ閉店まで4時間近くあるし。でも、結局半額にするんだよね。いやいや、この後、外出控えてたお客さんとかが来たら、一瞬でなくなるかも。けど……。だけど……。待って(以下略)。
散々、迷いに迷ったけど、最大3割までしか値引けなかった。
「今日の廃棄は、覚悟しておいたほうがよさそうですね」
「そうだね」
6時半には、ほとんど調理場の片付けは終わったし、わたしもサラダの発注数を修正し終わってる。
別に後は1人でも大丈夫。大丈夫なんだけど、売れ残った商品の廃棄の量を考えると、1人でやりたくない。
かといって、遊んでいるわけにもいかない。
「稲葉さん、大掃除、しようか」
「いいですねぇ。換気扇とか気になってたんで、ガンガンやりますね」
「え、えーっと……」
稲葉の目が輝いてる。キラキラとかそういう輝き方じゃなくて、何ていうんだろう……とにかく、その輝き方、怖い。
「黒崎さんは、値引きとか、ポップ印刷したりとか、他にやることやってください」
「あ、ありがとう」
確かに、そろそろ値引きしたかったけど。
えーっと、稲葉ってこういうやつだっけ。鼻歌交じりで、ニトリルのゴム手袋を二重にはめているけど、やっぱり目が怖い。
と、とりあえず、売れ残りそうな商品を思い切って半額にしてこよう。そうしよう。そうしよう。
「いらっしゃいませ」
夕方に並べたのに、半分くらい残っているポテトコロッケを横目に、あまり減らなかった寿司売り場に向かう。
やっぱり、思い切って値引いておけばよかったかな。なんて、想定内の後悔をしてしまう自分が、なんだかおかしい。
「いらっしゃいませ! ただ今より、お寿司、お弁当など、一部半額となります。ぜひご利用ください」
数少ないお客さんに呼びかけて、なんとか廃棄の商品を減らさなくては。
「今日は、もう半額?」
「はい。時間が早いので、全部ではないですが」
この時間帯によく見かけるおばさんが、声をかけてきた。
ショッピングカートを押しながら歩く時、左足を引きずってる人だ。
「へぇ。台風来てたからねぇ」
これも、これもって、日に焼けた手でお寿司をカゴの中に積んでく。半額に値引いた商品も、値引いてない商品も。
「ありがとうございます」
自然と感謝の言葉を口にしてた。
おばさんは、笑ってくれたような気がする。気がするだけで、笑ってなんかいないかもしれない。笑ってても、いつもより安く買い物ができて、笑っていただけかもしれない。
もちろん売り場全体の商品の数からしたら、10分の1も減ってない。
でもちょっとだけ、嬉しかった。
「……稲葉さん、手伝うこと、ある?」
「特にないですよ。……あ、新しいダスターを持ってきてくれるとうれしいですね」
「わかった」
調子に乗って、9割くらい商品を半額にして戻ってきたときには、換気扇のフードが見違えるくらい輝いてた。
今、稲葉は吊り棚にあるパックとかを全部出して、キレイに磨いてる。
悔しいけど、非常に悔しいけど、わたしじゃ、ここまでキレイにできない。
「はい。ダスター」
「ありがとうございます。いやぁ、昔とった杵柄っていうか、なんていうか……」
脚立の上の稲葉の目の輝きは、ずいぶん落ち着いてた。
今やることって言われても、パックにシールを貼るくらいしか、ない。
大掃除は、稲葉に全部任せたほうがよさそうだし。
「俺、昔、清掃業のバイトもしたことあったんですよ」
「へぇ」
作業に打ち込んでた黙々とした空気を破ったのは、稲葉の方だった。
清掃業かぁ。なんか、意外と言えば意外だし、そうでもないような気もする。
パックを棚に戻しながら、稲葉が乾いた笑い声を上げる。
あれ?
なんか、前にもこんな笑い声上げたことあったよね。
あれは確か――。
「ゴミ屋敷メインの清掃業だったから、きつかったなぁ」
「……」
マジかよ。
なんかまた、稲葉のブラックなバイト歴のスイッチを押してしまったみたい。
「黒崎さん、特殊清掃って知ってます?」
「……知ってるけど」
うわぁ。
それって、あれだよね。孤独死した人の物件とか、清掃するやつだよね。
「さすが、黒崎さん」
「なにが?」
「黒崎さんなら、知ってると思いましたよ。時給がいいから、やってもいいかなぁって考えて、そのバイト先にしたんですけどね。なんだかんだで、特殊清掃の仕事に当たらなくて。かわりに、ゴミ屋敷の清掃やってたんですよ。いやぁ、あれも地獄でしたね。野郎のゴミ屋敷もすごいですけど、女の人のゴミ屋敷はすごかったぁ。だって……」
「稲葉さん。先に知りたいんだけど、それって二度とやりたくないバイト第何位?」
「第4位です」
まだ上に3つもあるのかよ。
稲葉は、嬉しそうにゴミ屋敷の話を始める。
たとえば、大量のエロ本とティッシュが積み重なって天井とのスペースが20センチメートルしかない男の部屋。
たとえば、失恋がきっかけでと立ち会った家主の女性の泣き言を聞きながら、あまりの悪臭に嘔吐したとか。
稲葉よ。
わたしでなかったら、ドン引く話でしかないぞ。
「やっと、話聞いてくれる人に会えて、俺、嬉しいですよ」
脚立を片付けに行った稲葉は、本当に嬉しそうだ。
ただ聞くだけなら、わたしじゃなくてもできそうな気がするけど。
そろそろ、シールを貼るパックがなくなる。
時計を見れば、もうすぐ8時。
ずいぶん、長く稲葉の話を聞いていたんだ。
いけない。売り場はどうなってるだろう。
「いらっしゃいませ」
やっぱり、今日は廃棄を覚悟しておいてよかった。
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