花火が見えない花火大会

 夏の台風は迷走する。


 今日の花火大会を直撃するはずだった大型台風は、かすりもしなかった。 


「複雑ですよねぇ」


「ねぇ」


 午後5時過ぎ。

 わたしと稲葉は、お客さんの波がちょっと引いた売り場でため息をついた。


 台風がそれて、気合の入った計画数で作ったオードブルの売れ残りの心配はしなくてもいい。


 ため息の原因は、ここにはいない女王サマだ。

 花火大会はお友だちとバーベキューするからと、毎年、頑として休みを譲らない女王サマのせいで、今年もわたしは出勤だ。

 今年は稲葉がいるから、孤独感を味わうこともないけど。


 もし台風が直撃してくれたら、してくれたらで、稲葉と『女王サマ、ざまぁ』って笑ってたと思う。そして、オードブルをどう売り切ろうかって頭を抱えたり。


「花火大会が始まるのって、7時半だっけ? もう少し様子見てもいいかもね」


「了解です」


 調理場で、片付けをしながら様子見だ。


 稲葉はフライヤーの片付けを、わたしはプラトレイを洗う。


「浴衣も進化しましたよねぇ」


「もう、着物ドレスって感じだねぇ」


 最近、稲葉の方から話しかけてくることが増えた気がする。


 わたしから話しかけることが、減ったからそんな気がするんだろうけど。


 浴衣と呼べないような奇抜なファッションで、ちょうちょ結びの兵児帯を揺らして走っている女の子を毎年見かける。年々、グレードアップしているような気もする。


「毎年、女王サマが花火大会は休むって決まってるんですか?」


「わたしがここに来たばかりの時に、『毎年、花火大会の日は休むことにしているから』って言われて、首を縦に振った自分を呪うよ」


 そうなのだ。

 わたしがここで働きだして右も左も分からない頃に、言質を取られてしまったのだ。


「これでも、去年は女王サマよりも先に休み希望出したんだけど、女王サマが木村さんを巻き込んで、ゴネてゴネて大変だったんだから。結局あんまりゴネるから、わたしまで大人気ないような気がしてきて折れたよ」


「あー、余裕で想像できるのが、ツラいです」


「でしょー」


 同時にため息をついて、笑ってしまった。


「別に花火大会は他でもやりますから、そっち行けばいいだけの話なんですけどね」


「そうなんだけどねぇ」


 人混みの中、ボッチで行くのはなかなかツラいものがある。

 二十歳すぎくらいなら平気で遊べたかもしれないけど、もう無理。


 洗い終わったプラトレイを水が切れやすいように、立てかける。


 ため息で、嫌な気分を吐き出して気持ちを切り替える。


「でも、出店とか屋台とか、食べ歩きはしたいなぁ」


「それは、やめておいたほうがいいです」


 稲葉にしてはめずらしいくらい真剣な声だった。

 油かすをすくいながら、稲葉は続ける。


「俺、前にテキ屋のバイトで、たこ焼き売ってたことあるんですよ」


「ふぇ?」


 意外だ。

 そもそも、スーパーマーケットの惣菜部門ってだけでも意外なイケメンだし。


「知り合いに誘われてやったんですけどね。二度と食べないって心に誓いましたよ」


 ハハハッと乾いた笑い声を上げる稲葉の目が、死にかけてる。


「たこ焼きだったんですけどねぇ。公衆トイレの水汚いバケツに溜めて使ったり、炎天下の中、タコが傷んでも冷凍と解凍繰り返したりで、マジやばかったし。野菜だって、傷んでたよなぁ。いやぁ、俺の良心が血反吐はいてましたね。よく死なななかった、俺の良心。結局、そんなにお金にならなかったし、地獄でしたよ」


 稲葉はイケメンだし、さぞかし売れただろうな。

 爽やかな笑顔でたこ焼きを売る稲葉の屋台に群がる、浴衣姿の女子たち――目に浮かぶようだ。


「なんか、二度と食べたくなくなった」


「その方がいいです」


 もう1度稲葉は笑い声をあげた。今度は、乾いていない。それこそ爽やかな笑い声だった。


「なにしろ、俺が二度とやりたくないバイト、第6位ですからね」


「ふぇ?」


 第1位から第5位が、ものすごく気になる。気になりすぎて、プラトレイを洗う手が止まってしまったではないか。


 稲葉も、わざわざ手を止めて笑う。


「大丈夫ですよ。法に触れるようなことはしてない、はずですから」


「はずなのか!」


 フフフッと意味ありげに笑う稲葉に、それ以上訊くことができなかった。

 気になるのに。気になりすぎて、ヤバいのに!



 様子見して、正解だった。

 花火大会が始まる直前の7時半前、静かになった売り場のオードブルは、残り2個。

 そこまで規模が大きな花火大会じゃないから、1時間くらいすれば帰りによってくれるお客さんが来るはず。


 そう考えると、2個は少ない。


「まぁ、定価でよく売れたからよしっと」


 調理場に戻ってくると、低い音が小さく聞こえた。


「始まりましたね」


「だねぇ」


 本当は、花火大会行きたくてしかたないんだ。

 規模の小さな花火大会だけど地元だし、ここに来る前は毎年部屋の窓から見ていた。


「裏の駐車場からじゃ、見えないですよね」


「そうなの。見えない」


 あーあ。女王サマがもう少し大人だったら、よかったのに。


 窓をまだ拭いてなかった。新品のガラスクリーナー流し台の下から取り出す。


「黒崎さんって、花火好きなんですか?」


「実は、好きなんだけどねぇ」


 調味料を補充している稲葉が、わたしの背中に話しかけてくる。


「じゃあ、黒崎さん、あの……」


「ごめん。ちょっと、お客さんが呼んでるから、行ってくる」


「あ……」


 稲葉が何か言いかけてたけど、窓越しに若い男のお客さんが手招きしてきたんだから、そっちが優先だ。


「いらっしゃいませ」


「このオードブルって、普段、ないけど、予約とかってできるの?」


「3日前までにサービスカウンターで、受け付けております」


「へぇ。パンフレットかなんか、ある?」


「少々お待ちください」


 調理場から、薄いパンフレットを1部取ってくる。


 レジにも同じ物はあるんだけど、意外と目を惹かないのかも。


 地毛なのか、染めているのか、いまいちよくわからない茶色い髪のお客さんは、5種類あるオードブルについて尋ねられた。


「……じゃあ、サービスカウンターで注文すればいいんだな?」


「はい。よろしくお願いします」


 頭を軽く下げて、お客さんを見送る。

 3、4人前を3つ。寿司桶も1つ。ホームパーティーじゃなさそうだ。


 調理場に戻ると、稲葉はわたしの代わりに窓を拭いてた。


「で、稲葉、なんだったっけ?」


「あー……」


 稲葉は、何故かマスクの下で苦笑いを浮かべたような気がした。


「たいしたことじゃないんで、もういいです」


「そっか、ならいいけど――」


 気になる。


 立て続けに花火の音が聞こえる。

 スターマインかな。


 やっぱり、花火、見に行きたかったなぁ。

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