7月
コーラ論争、勃発!
7月7日。もちろん、七夕。
織姫と彦星に思いを馳せて、短冊に願いことを書いたのが遠い昔のことのよう。
店内でも、七夕のポップが林立している。
でも七夕だからって別にスーパーは、忙しいってわけじゃないと思う。もしかしたら、惣菜部門だけかもしれないけど。
「梅雨時に満天の星って、めったに見えないのにねぇ」
「そう言えば、去年も雨だったような気がしますね。内田さん」
「だよね。だよねぇ」
今日は阿知波の女王サマも森田さんもいない。平和だぁ。
内田さんと、おやつを交換しながらペットボトルの水を飲む。
正直、コーラとかがいいんだけど、甘いお菓子食べた後だと不味くなるからいつも水で我慢。お菓子優先。
まぁ、お取り寄せとかのお高いお菓子じゃないんだけどね。だから、遠慮なく食べられるんだけど。
「そう言えば、新しく出たコーラ、気になるんだけどさぁ」
「え? 新発売のコーラですか?」
「そうそう、トクホのコーラ」
「ありえない」
「ぇ?」
内田さんから新発売のコーラの情報をゲットできたと思ったら、トクホとかありえない。
向かいの椅子に座っている内田さんの、プチサイズのクラッカーを食べる手が止まる。
「コーラで、ダイエットとか、トクホとかありえないんですけど。だいたいコーラなんて、それこそ砂糖を飲むようなものじゃないですか。それでカロリーオフとかで甘さ控えめ? ふざけるなよ」
「まぁまぁ、ヒトミン、落ち着いて、落ち着いて」
わたしをなだめながら、さり気なくチョコレートを1粒差し出す内田さん。さすがです。
「たしかにそうだよね。トクホって高いしね。脂肪とか気になるなら、他にすることあるよねぇ」
「ですです」
あー、いいたいこと言った後のチョコレート、美味しい。
そろそろ、内田さんはタバコを吸いに行く頃だ。
「じゃあ、タバコ吸ってくるわ」
「いってらっしゃぁい」
案の定だ。
まぁ、このお約束な休憩時間って悪くない。というか、普通に休める。
残り20分くらい。
ぐてっと、テーブルにおでこを押しつける。
あー、冷たくて気持ちいい。
昼過ぎから雨が降っているのは、きっと稲葉が出勤しているからだよ。
七夕なんて関係なく、今日は土砂降りの雨のせいでお客さんは少ない。
もちろん、いないことはないけどね。
夕方になれば、それなりに賑わうし。
「いらっしゃいませ」
うーん。
そうでもなかったか。
わたしが休憩している間に、木村さんと岡野さんが早めに帰っていったのは、この客入りの少なさのせいだったんだ。
入れ違いに休憩に行った稲葉が、かなり片付けを進めてくれていたし。
一気にモチベーションが下がる下がる。
まだ夕方の4時過ぎたばかりなのに。
並んだ商品を整理しながら、値引きの優先順位を決めておく。
すぐにでも値引いたほうがよさそうなのは、やっぱりサラダばかり。
今からでも、短冊に『売れ残らないようにお客さんが来ますように』って書いたら、その通りになるだろうか。
「そもそも、こんな雨じゃなぁ」
「大雨警報出たんだってよ」
マジか。
よく喋りかけてくる年季の入った帽子のおじいさんが、よからぬ情報をよこしてくれた。
「そうなんですね。どおりでよく降るわけです」
「だろう? ここに来るまでにビショビショになっちまった」
何がそんなにおかしいのか、よくわからない。
よくわからないけど、口を開けて笑ってる。
帽子のおじいさんの厄介度は、わたしの方で日によって違う。
忙しい時や疲れ切っている時とか、余裕のないときに声をかけられるとイラッとする。
今日は、暇だからいいけど。
「おう。でも、こんな日でもコロッケ買いに来たんじゃねぇか」
「ありがとうございます」
ちなみにこの茶色の中折れ帽のおじいさん、必ずポテトコロッケを買っていく。というか、ポテトコロッケだけを買っていく。
だから、わたしは密かに『コロッケじいさん』って呼んでいる。
じゃあなって軽く手を上げて去っていくコロッケじいさんに、軽く会釈だけしておく。
それにしても、警報かぁ。
まずいな。
注意報ならまだしも警報が発令されたら、夕方のテレビとかで天気キャスターがカッパ着て傘をさしてるだろうな。
困る。非常に困る。
たとえ早めに雨がやんでも、お客さんが増えることはなかなかない。
「思いきらないとな」
声に出してから、一度調理場に戻る。
結局、なかなか思い切って値引くのって難しいんだよねぇ。
「戻りました」
「お帰り」
わたしは窓を拭く手を止めて、休憩から戻ってきた稲葉を振り返る。
「って、稲葉さん、そのコーラ……」
「ああ、これ、トクホらしいですね」
稲葉は手にしていた許せないコーラを置きに、冷蔵庫に姿を消した。
急いで窓拭きを再開。
稲葉に物申さねば。
「いらっしゃいませ」
冷蔵庫から出てきた稲葉は、そのまま売り場を確認しに行く。
いつもより、1.5倍くらいの速さで残りの窓拭きを終えた頃に、稲葉が調理場に戻ってくる。
「今日はお客さん、全然いないですね」
「大雨警報発令されたらしいからね」
そんなことよりも――。
「稲葉さん、コーラってのは砂糖を飲むつもりで飲むんだから、健康志向のトクホとかありえないんですけど」
いきなりなにをと、稲葉は思うかもしれない。だが、こればかりは譲れない。許せない。
『そうですか』って、いつもの聞き流しスキルを発動するかと思いきや、仁王立ちのわたしに稲葉は真剣な目つきで対峙する。
「黒崎さん、飲んだから言ってるんですよね?」
「ありえないのに、飲むわけないじゃん」
なによ。
こいつ、やる気かよ。
まぁ、今日はお客さんもほとんどいないし、少しだけなら付き合ってやろうじゃない。
とは言え窓越しに見ようと思えば、調理場の様子は売り場から丸見えだから、ずっと手を止めているわけにはいかない。それがわかっていないのが、阿知波の女王サマ。
稲葉は、調理台で手の届くところに積み上げたパックを補充しながら。
わたしは、調味料をディスペンサーに補充しながら。
お互いに、コーラに対する譲れない思いをぶつけてく。
「黒崎さん、偏見ってやつですよ。食わず嫌いならぬ、飲まず嫌いってのは、偏見ですよ」
「偏見で結構! 飲まず嫌いで結構! コーラで健康な体をたもとうとか、惰性でしかないから」
「わかってないですね。飲み比べる楽しさを知らないなんて、人生損してますよ」
「余計なお世話」
たかが、コーラ。
されど、コーラ。
わたしたちのコーラ論争は、平行線のままだ。
「ま、今回のトクホのは後味でも、前のカロリーゼロのやつより劣ってますけどね」
「結局、美味しくなかったのか!」
そうツッコミを入れた時には、稲葉は売り場に逃亡していた。
くっ。
稲葉のやつ、逃亡スキルも高いのかよ。
でも、今度飲んでみようかな。
稲葉に飲み比べをススメられたからじゃない。
断じて違う。
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