結婚するならやっぱり
「すっからか〜ん すっからか〜ん 金がない〜
すっからか〜ん すっからか〜ん 金がない〜」
店内BGMのジングルベルの替え歌だ。
歌ってるのは、『サンタクロースの衣装は似合うけど、ソリに乗ってもトナカイがボイコットします』っていうキャッチフレーズがよく似合う店長だ。
そう、11月から続くうんざりするクリスマスソングの、唯一の楽しみだ。
「店長、歌うますぎじゃないですか?」
「わたしも、そう思う」
「なんなんですかね? この心が黒く染まりそうな、悔しさは」
「嫉妬じゃない?」
「認めたくないですね」
稲葉よ、目がマジになってる。怖いよ。イケメンだけに、怖いよ。
てか、店長、最近奥さんと別居中って噂だよ。嫉妬するような相手じゃないよ。
バックヤードから聞こえてくる店長の替え歌を聞いているわたしたちは、寿司の調理場の窓を飾りつけてる。
モールやリース、ジェルジェムで飾りつけだ。
まだ6時だから、売り場の小さいお客さんとよく目が合う。
「ま、そんなことは置いておいて。黒崎さん、その小さい方のリース取ってください」
「あ、これね。はい」
去年までは、女王サマか、やめた笠原さんのどちらかと飾り付けしてた。
女王サマは背が高いけど、あまりやりたがらなかった。笠原さんは……、うん、もういない人のことをいうのはやめよう。
「今さらだけど、稲葉さんって背が高いよね」
「今さらですけど、先月の健康診断は、179cmでしたね」
うぐっ、わたしよりも20cmも背が高かったのか。
「あ、そういえば、なんですけど、黒崎さんは、その……」
「なに?」
稲葉が言いよどむなんて、めずらしい。なんて思いながら、わたしは余った飾りを適当に袋に突っ込む。
「黒崎さんは、結婚するならやっぱり正社員とかの方がいいですよね?」
何を言い出すかと思ったら、まったく。
「そもそも、相手がいないから。稲葉さん、わたしをからかって楽しい?」
よく、稲葉にからかわれているようなきがするけど、今日はひどい。まったく、面白くない。
「あ、そんなつもりはないです。っていうか……」
「ごめん、稲葉さん。お客さんがトング落としたから、回収してくる」
「……はい」
トングを床に落として、しれっと戻すお客さんの気が知れない。見てしまったからには、回収しないと。
「稲葉さん、これ、備品庫に戻しておいて」
「……はい」
飾りの入った袋を稲葉に押しつけて、売り場に急ぐんだけど、どうも稲葉の様子がおかしい。変なものでも食べたのかな? だったら、今日は早めに帰ってもらったほうがいいな。
「いらっしゃいませ!」
もちろん、しれっとトングを落として戻した鬱陶しそうな茶髪のニーチャンはもういない。だいたい、スマホを片手でいじりながらコロッケを詰めようとするから、落とすんだ。
ちなみに、小さいお客さんもよく落とすみたい。トングを落とすところを直接見たことはないから、みたい、だ。いつも、小さいお客さんが『落としちゃった』と、持ってくるからだ。もしかしたら、親かもしれない。実は、『わかりました』って受け取ってもなかなかその場を離れてくれなかったりで、ちょっとイラッと来ることもある。
『ありがとうね』『気にしなくていい』みたいな、気のきいた台詞って、いざってときに出てこないものだ。少し離れたところから、親に残念そうな目で見られてたことだってある。
本音。親が持って来い。
「えっと……」
スタンドにある2つのトング、どっちが落としたやつなんだろう。
もうわからない。
ポテトコロッケのトング以外の片付けてしまったやつを、持ってこないといけないのか。
というか、残りの数を考えると、袋詰してもいいかも。
まぁ、そのほうが片付いていいけど。
『すっからか〜ん すっからか〜ん 金がない〜
すっからか〜ん すっからか〜ん 金がない〜』
駄目だ。
もう、ジングルベルを耳にするだけで、脳内で店長の無駄に上手すぎる歌声が再生される。
脱力感と戦いながら、調理場にポテトコロッケのバットとトングを持って帰る。
うんざりするほど聞かされる店内BGMの唯一の楽しみである店長の替え歌に、かなりの確率で洗脳される。
そして、時おり思い出し笑いをしてしまって、場所によっては恥ずかしい思いをすることもよくある。
「いらっしゃいませ」
袋詰めしたポテトコロッケを売り場に並べながら、残りの商品を確認する。
どうやら、あまり値引かなくても、廃棄にならなそうだ。
そういや、稲葉がさっき何か言いかけてたような気がする。
結婚どうのとか、また言ったら今日はわたしが先に帰ろう。
そう決めながら、作業台を拭いてる稲葉に声をかける。
「稲葉さん、さっき何か言いかけてたけど、なんだった?」
「あー……」
やっぱり、今日の稲葉はどこか変だ。
「やっぱり、いいです。たいしたことじゃないんで」
「ふぅん」
その割には、ため息が大きすぎるんじゃないかな。
やっぱり、今日はもう帰ってもらおう。
「稲葉さん、今日はもう帰っていいよ」
「えっ」
そんな驚くことじゃない。
「もうすぐ、クリスマスだし。クリスマスが終わっても、年末年始、恵方巻きの節分まで忙しいから、体調整えておいてほしいの」
「……はい。お先に失礼します」
なんだか、不満そうだったけど、やっぱり言いたいことあったのかな。
それにしても、稲葉が帰った途端、またクリスマスソングの虚しさが増したようなきがする。
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