今日みたいないい日は
女王サマとのお別れ昼食会は、結局ファミレスでやった。
ゆっくり過ごせるのは、やっぱり24時間営業のファミレスが一番だった。
あと1週間くらい女王サマは出勤するんだけど、その後、実家に戻る準備とかで忙しくなるそうだから、今日にした。
女王サマに遅番だけで昼食会をしたいって提案したら、そうとう驚いてた。
『口うるさいおばちゃんって、嫌われれてたと思ってたのに』
その通りなんだけど、悪い人じゃないことくらい、わたしも稲葉も知ってる。
特に、稲葉は恋愛相談してたくらいだからね。
でも、まさか、感極まって泣くなんて思わなかった。
「おはようございます。どうしたの、黒崎さん、ぼうっとしちゃってさ」
「あ、おはようございます。すみません」
糸田さんの声に、上の空だったことに気付かされる。
ちゃんとしなきゃ。
今日は、稲葉も女王サマもいない。
競合店が売り出してる日だから、忙しくないからいいんだけど。
「じゃあ、休憩行ってくるねぇ」
「いってらっしゃい」
手を洗いながら、気持ちを切り替えようとするけど、なかなか上手くいかない。
女王サマの涙のせいだ。
口ばかりうるさくて、こっちに仕事を押し付けて、絶対に折れてくれなくて……嫌なところなら、いくらでも思いつく。なのに、いいところはすぐに思いつかない。ただ、悪い人じゃないことだけはわかってる。
「いらっしゃいませ!」
女王サマにも他人に見せられないような弱い部分があったんだと、思い知らされた。
「おねぇさん、おねぇさん。なんか、ため息ついてどうした? 幸せが逃げちまうぞ」
いつもより早めに来店してたコロッケじいさんの言葉に、ちょっと笑ってしまった。
あれは、去年の5月だったかな。懐かしいような、そうでもないような、不思議な感じ。
『花月くん、ため息ばかりついていると、幸せが逃げてくわよ』
『いや、阿知波さん、違います。ため息で不幸を逃さないと、どんどん胸の中に溜まっていくんですよ』
あの時、稲葉っていいこと言うなって思ったんだ。
ちょっとアレンジして、言い返してみたくなった。
「違いますよ。ため息で不幸を逃して、幸せを掴むんです」
「おねぇさん、いいこと言うなぁ。じゃあ、コロッケ、2つ追加してやろう」
たかがコロッケでとも思ったし、わたしじゃないしとも思ったけど言わない。
ついでに、そろそろその茶色い中折れ帽をどうにかした方がいいとも言わない。
今日は、なんだかいろいろ考えずにはいられなそう。
女王サマだけじゃない、おねぇサマたちもお客さんたちも、わたしはその人の一部分しか知らないんだ。
そんなことも、わたしは改めて考えてしまう。
知りたいとも思わなかったんだけど――。
知りたいと思ったのは、稲葉だけだった。
それが恋だったと認めるのに、時間がかかってしまったけど。
穴あき状態の売り場を整理しながら、ぼんやりと考え続ける。
考え続けながらでも、体は仕事してる。
唐揚げと竜田揚げと、揚げ出し豆腐。ポテトコロッケは、様子見。
調理場に戻って、揚げだし豆腐から順番に揚げてく。
「これから、どうなるんだろう」
稲葉と出会うまでは、こんな冴えない日常がいつまで続くんだろうって、憂鬱だった。
でも、でも、今は違う。
あいかわらず漠然としたままだけど、こんな日常が少しでも長く続くといいと思う。
金銭的に裕福なわけじゃない。
明るい将来なんて期待できない。
あるのは、毎日乗り越えられる健康な体。
あるのは、スーパーマーケット『ウィングル』の惣菜部門という
それから――。
「すみませぇん」
「はい。少々お待ちください!」
お客さんが呼んでる。手を洗ってからじゃないと、対応できない。
こんな気持ちに余裕がある日ばかりじゃない。
「お待たせいたしました」
「あの、ちょっと辛いフライドチキン、名前わかんないけどある?」
「それでしたら、きっと……」
でも、少しでも気持ちに余裕のある日が増えたらいいと思う。
そんな余裕、すぐに忘れてしまうのに。
『俺は、カロリーさえあれば生きていける!』そんなキャッチコピーがよく似合う店長が、その知らせを持ってきたのはわたしが休憩に行く直前だった。
「
「本当ですか!」
「おう、ショートタイムだが、閉店まで働けるってさ。今月の終わりくらいには、働いてもらえるそうだ」
朗報だ。
早く、稲葉に知らせないと。
それから、女王サマにも。きっと、少しくらいは気を楽にして実家に戻ることができると思うし。
「休憩、行って来ます!」
「行ってらっしゃい」
今日みたいないい日は、めったにない。
――そう、めったにない。
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