4月

エイプリルフールだけど、ウソじゃない!

 なんの冗談だよ。いくらエイプリールフールだからって、これはない。ないないないない(以下略)。


「稲葉 花月カヅキです。はなつきで、カヅキです。よろしくお願いします」


 マスクのせいで、顔の半分が隠れているけど、稲葉とかいう奴、絶対イケメンだろ。控えめに言って、イケメンだよね。しかも、花月かげつと書いてカヅキとか、キラキラネームかよ、おい。


 絶対に、おかしい。なんでイケメンがこんなところにいるの。イケメンでしょ、イケメンだったらあれよ、普通にモデルとか、ホストとかいろいろ需要があるでしょうが。


 白いシャツに、赤いズボン、赤のエプロンと三角巾の制服が、似合う男がいるなんて、想定外もいいところだ。


「稲葉くん、こっちが黒崎さん。黒崎 瞳さん。これでも、デリカじゃ、一番若い女よ」


「黒崎です。よろしくお願いします」


 パートリーダーの木村さんに、紹介してもらって頭を下げる。

 早速、木村さんは新人の稲葉にアレコレ教えている。

 まぁ、彼女に任せておけばいいから、わたしは自分のことをやろう。


「稲葉くん、ウチの息子よりも若いじゃん」


「そうなんですか?」


 手を洗うわたしの背後で、案の定な会話が始まった。

 パートリーダーの木村さんは、バイタリティあふれるオバちゃん。小太りだけど、本当によく動いてる。


 そうそう、この新人はわたしと同じ遅番なんだった。

 なんか、おねぇサマたちが帰った後が、思いやられる。

 別に男が苦手ってわけじゃないけど、わたしよりも年下の男が、正社員ではなくパートって、どうよ。そんなにチャラそうには見えないけど、むしろまともな好青年だけど、どんな猫かぶってるかわかったもんじゃない。


 アルコール消毒したわたしの手が乾く頃には、木村さんは稲葉を気に入ってた。木村さんだけじゃない、おねぇサマたち全員に気に入られているようだ。


「アタシなんか、孫よ、孫!」


「その若さほしいわぁ」


 顔で得するって本当だったんだ。

 なんだろう、別にわたしが損しているわけじゃない。それはわかる。なのに、この自覚せざる得ない負の感情は、なんなんだ。


「いらっしゃいませぇ」


 最初に売り場に出る時くらい、笑顔でそう言っておきたい。

 スーパーマーケット『ウィングル』では、バックヤードから売り場に出るときは「いらっしゃいませ」と声を出すことになっているが、案外、守られていない。みんな、気が向いたらするという程度。


「いらっしゃいませ」


 背後から稲葉の声が追いかけてきた。どうやら早速、木村さんが売り場のレイアウトを彼に教えに来たようだ。


「黒崎さん、黒崎さん。あなた、稲葉くんにレイアウト教えてあげて」


「え?」


 振り返ると、にっこり笑っているに違いない新人の隣で、木村さんが意味ありげにうなずいていた。


 しかたない。彼がわたしと同じ遅番なんだし。


「えーっと、稲葉さん?」


 で、いいのかな。さん付けでいいはずだよね。

 よかった。『はい』って一応返事してくれた。


 わたし、どうやらとても緊張してるらしい。

 イケメン相手だからってわけじゃない。新人に何か教えるってのに、慣れてないだけだからね。というか、初めてなんだからね。

 と、自分に言い訳して悲しくなる。


 まずは、人気商品からだ。

 平台と呼ばれる少し離れたテーブルに稲葉を連れて行く。


「ウチの店、来たことある?」


「ないですよ。この前、近くに引っ越してきたばかりだし」


「へぇ、そうなんだ」


 ウチの店の客なら、売り場のレイアウトを教えるのも楽だと思ったんだけど、当てが外れた。

 てか、稲葉の話は興味ないから。


「じゃあ、ウチのデリカで一番売れてる商品が、このポテトコロッケ。一番、補充する事が多いから」


「へぇ、1コ20円だからですか?」


「まぁ、そういうこと」


 1コ20円のポテトコロッケが、売れ筋なのは、どう考えても値段しかない。

 正直、わたしはあまりこのコロッケが好きじゃない。安いのには、安いなりの理由があるってこと。

 そんなわたしの個人的な好みは置いておいて、大きなバットに山積みにされたポテトコロッケがよく売れるのは事実。


「美味しくないって顔してますよ」


 小声で稲葉に指摘されて、ムカッとする。だって、美味しくないんだもん。


「ポテトコロッケの他にも、アジフライやかき揚げとか、お客様が選んで買うのは、バラ売り。遅番が補充するのはポテトコロッケと、たまにアジフライくらいかな」


 稲葉はメモをとっているわけじゃないから、真剣そうな態度で黙って聞いているようだけど、ちゃんと聞いているのかいまいちよくわからない。

 わたしもメモをとるのが苦手だから、人のこと言えないけど。

 もしかしたら、わたしに教えてくれたおねぇサマたちも、不安なところがあったのかなぁ。


 あとは壁際のサラダと和惣菜、ホットと呼ばれる揚げ物中心のおかず、弁当、寿司の順に売り場をざっくり説明する。というか、ざっくりしか説明できない。


「一番最初にこうやって売り場の確認。今日は売れている方だけど、売れてない時もあるから、昼からの補充する商品を調節しなきゃいけない」


「売れてる売れてないって、どうやって判断するんです?」


 うわぁ、どストレートに訊いてきやがった。

 ホット売り場に戻って、上下二段ある陳列台の穴が空いた場所に目を落とす。


「それは、経験とか慣れかな? ひと月ごとに、新商品があったりするしね」


「なるほど」


 なるほど、「なるほど」ってかなり当たり障りのない返事だったんだ。

 ちょっと、感心してしまったよ。


 稲葉は木村さんに呼ばれた。


 ホット売り場の商品をつめたりして整理している間に、中はかなり盛り上がってるみたい。もちろん、中心は稲葉だ。


 おねぇサマ方に気に入られるの早すぎないか。

 イケメンだからか? イケメン、そんなに得なのか? どうなんだ?



 午後からは、朝からのフルタイムのパートさんが1人から3人と、ショートタイムのパートさんが1人だけ途中から閉店まで。

 昨日までは、わたしを入れても昼からの惣菜部門の従業員は最大で5人だった。

 ギリギリで回してたようなものだから、この稲葉が使えればイケメンじゃなくてもよかった。



 午後4時過ぎに、やっと休憩時間。


「疲れるぅ」


 誰かに何かを教えるって、こんなに疲れるなんて思わなかった。


 休憩時間まで、長かった。本当に、長かった。

 先に休憩に入った稲葉と入れ違いに、食堂に来てみれば誰もいない。

 この時間帯は、休憩する人が少ない。夕方には、朝からのパートさんが帰ってしまうから。


「ほんと、疲れるぅ」


 口の中でキャンディを転がしながら、テーブルに額を押し付ける。

 テーブルの冷たさが、気持ちいい。

 レモン味のキャンディ、美味しい。


 ――帰りたい。


「おっつー。また、ヒトミン、死んでる」


「おつかれさま、内田さん、今からですか?」


「いえす」


 むくりとテーブルから額を引き剥がしてみれば、ニヒヒっと笑うチェッカーの内田さんが隣りに座ってくる。

 この店の従業員で唯一、わたしをヒトミンと呼ぶおばさん。

 明るいノリはわたしなんかよりも若そうだけど、多分一回り以上は年上だ。


 いつも明るくて元気のいいから、レジのパートが務まるのか。

 それともレジのパートだから、いつも明るく元気でないとやっていけないのか。


 ま、とにかく、わたしにはお金に関わる仕事は無理。


「で、さっき見かけたんだけど、新人くん、イケメンじゃない?」


 ですよね。やっぱり、その話ですよね。知ってた。


「内田さんも、そう思います?」


「だって、こんなこと言ったらアレだけど、ウチの社員って、チビデブが多いじゃん。だから、余計にかっこよく見えるのよね」


「確かに、それあるかも」


 ただ、あの店長を比較対象に入れてはいけない気がする。


「あたし、タバコ吸ってくるけど、新人くんと閉店まで、頑張りなよ」


「はぁい」


 あいかわらず、言いたいこと言っていなくなる人だ。マイペースと言ってもいいかもしれないけど、切り上げられても嫌な感じがしない会話スキル、わけてください。


 わたしはもう一度額をテーブルに押し当てる。


 テーブル、気持ちいい。

 キャンディ、美味しい。


 ――帰りたい。


 閉店時間は午後9時。


 休憩が終わったら、あのイケメン新人と2人きり。


「ほんと、帰りたい」


 今からでも遅くないから、エイプリルフールだと誰か言ってくれないかな。

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